第13話

「……証拠をどうするの?」

 私が低く問いかけると、美緒はわざとらしく周囲を見回し、唇の端を上げた。


「あるわよ、最高に効く方法が」

 その声音は、秘密を打ち明ける時の甘美な響きを含んでいた。

「暴露系YouTuber、“ソレソレ”って知ってるでしょ?」


「ああ……芸能人やインフルエンサーの裏を暴くっていう、あの人?」

「そう。あの男は嗅覚が鋭い。ネタの匂いがすれば、勝手に掘り進めてくれる。しかも、こちらの名前は絶対に出さない。匿名で情報を送れば、あとは彼のチャンネルで大炎上間違いなし」



---


「……何をリークするの?」

「まず、あの女が夜の店で働いてた時の写真。それと、当時付き合ってた既婚者の男とのツーショット。全部、私の知り合い経由で手に入れられる」

 美緒の瞳は夜の街灯を反射し、異様な光を帯びていた。

「彼女、今は清楚ぶって蓮司の前に立ってるけど、あんなの全部作り物よ。ソレソレに晒されれば、あっという間に“仮面”は剥がれる」



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 頭の中で想像が広がる。

 スマホの画面に流れる蓮司の彼女の過去写真。

 カメラのフラッシュに照らされ、笑顔を浮かべる彼女――だが、その笑みは今の彼の前で見せる柔らかなものではなく、どこか挑発的で、露骨に金の匂いを漂わせていた。


 コメント欄は容赦ない文字で埋まり、SNSのフォロワー数は日を追うごとに減っていく。

 その傍らで、蓮司がスマホを手に、苦い表情で画面を見つめる姿が浮かぶ。

 ――そして、その隣に立つ自分の姿まで、はっきりと思い描いてしまう。



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「……そんなやり方、本当にやるの?」

 私の声には迷いが滲んだ。

「やるわよ。あの女は、あなたから蓮司を奪っている敵でしょう? 甘いこと言ってるうちに全部持っていかれるわよ」

 美緒はヒールの踵でアスファルトを小さく叩き、私の目を射抜くように見つめた。


「あなたは何もしなくていい。ただ黙って見ていればいいの。汚れ役は、私が全部引き受ける」



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 “何もしない”――その言葉が危険な甘さを帯びて心に沈む。

 自分の手を汚さず、ただ結果だけを受け取れる。

 その誘惑に、胸の奥で何かが揺らいだ。


(私は……黙って見ているだけで、本当にいいの?)


 夜風が頬を撫でるたびに、決断の期限が迫ってくる音が聞こえる気がした。


 三日後の夜。

 夕食を済ませ、食器を片付けている時にスマホが震えた。

 LINEの通知ではない。YouTubeのおすすめ通知だった。

 何気なくスワイプして開いた瞬間、息が止まる。


 《【独占暴露】人気バンドマンの彼女、裏の顔がヤバすぎる件》

 白地に赤いテロップ、そして右上にモザイクのかかった女性の写真。

 顔の輪郭と長い髪――間違いない、蓮司の彼女だった。



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 動画を再生すると、独特の軽い口調の「ソレソレ」の声が耳に飛び込む。

「はいどうも〜今日はちょっと洒落にならないネタです。ある有名ミュージシャンと付き合ってる女性がいるんですが……この人の過去が、えぐい」


 場面が切り替わり、暗い店内の写真。

 スポットライトの下、胸元の大きく開いたドレスを着た彼女が、シャンパンのボトルを抱えて笑っている。

 その腰には、スーツ姿の男の手がべったりと回されている。

 写真は複数枚、角度を変えて何度も映し出される。


「で、こっちが既婚者の男性。結婚指輪もバッチリ写ってますよね。しかもこの女性、同じ時期に別の男性とも交際してた疑惑が……」

 ソレソレが“疑惑”と言いつつ、ほぼ断定のトーンで続ける。



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 コメント欄は爆速で伸びていった。

 画面をスクロールする指が追いつかない。


《やっぱりこういう系だったか》

《バンドマン食い荒らし女w》

《清楚キャラってだいたい裏あるよな》

《これ蓮司くん可哀想すぎ》

《真実なら人として終わってる》


 Twitterでは彼女の本名がトレンド入りし、数分ごとにツイート数が跳ね上がる。

 インスタグラムでは最新投稿に罵倒や皮肉のコメントが何千件もつき、ハートマークの数は減り続け、ストーリーは更新されないまま。

 彼女はやがて、アカウントを非公開に切り替えた。



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 私はキッチンの椅子に腰掛け、画面を食い入るように見つめた。

 映像の中で晒される“彼女”は、蓮司の隣に立っていた時の上品な微笑みとはまるで別人だった。

 それなのに――彼女が否定できないレベルの証拠ばかりが淡々と並べられていく。

 SNSのタイムラインはその話題一色になり、友人たちのグループLINEでも「これって例の人じゃない?」というメッセージが飛び交っていた。


 胸の奥が熱くなる。

 優越感なのか、安堵なのか、自分でもわからない感情。

 でも、ひとつだけ確かなのは――これで、蓮司の隣に立つ資格は、もう彼女にはないということ。



---


 その夜遅く。

 共通の知り合いから送られてきた短い動画を再生する。

 そこには、蓮司が自室のソファに腰を沈め、スマホを握りしめたままじっと画面を見つめる姿が映っていた。

 表情は固く、深く息を吐くその仕草に、言葉にできない重さが滲んでいる。


(……これで、流れが変わる)


 自分がその流れを作ったわけではない――そう言い聞かせながらも、胸の奥に残る甘い痺れを、私は振り払うことができなかった。


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