きみについて1

 おそらくは、薔薇の魔女ことエヴァさんが、水面下で準備を整えていたのだと思う。葡萄畑が緑を取り戻すと、ほどなくして、例のイタチが私たちの前に現れて、これから魔法学府の使者が来ることを伝えた。それを聞いたシルヴィオは、私の目を見て言ったのだった。


「それじゃ、おれはしばらく隠れてるから」

「あ、はい、分かりました……はい?」

「報告書はちゃんと送るから安心して。それじゃあ、あとでね」

「ちょっ、シルヴィオ!?」


 引き留める間もなく、我らが天才様はあっという間に姿を消してしまう。「シルヴィオ教授はどこに? お茶はお好きかしら?」と尋ねてくる奥様をなんとか誤魔化しつつ、来客を待つ。


 やがてやってきたのは、眼鏡をかけた生真面目そうな男性だった。仕立てのいい黒のスーツを着た、真面目そうな人だ。奥様とともにお茶を勧めるも、不要と首を振られる。


 男性は自らを、魔法学府管理課のラッサリーナだと名乗った。規定に違反した者を取り締まるのが仕事で、ことの発端である男と、男の連れてきた精霊馬、大きな馬車を確認すると、こめかみを抑えてため息を吐く。


「これは運ぶのも手がかかりそうな……失礼、シルヴィオ教授は?」

「えっ、ええと、シルヴィオはその……」

「ああ、いえ、言い訳は結構です。どうせ姿をくらませているんでしょう」

「……よくご存知で」

「まあ、そういう人ですから」


 なんでもないふうに言いながら、ラッサリーナはんら精霊馬を小さくしてカバンの中に押し込み、馬車を片手で持てる大きさにして、容疑者の首根っこを掴む。


「はあ、大荷物です」

「そ、そうですか」


 ぽんぽんも繰り出される縮小魔法が自然すぎて、なにかを思う間も無かった。さすが、魔法学府の管理サイドだけあって、力の強い魔法使いらしい。


「それでは帰ります。もしシルヴィオ教授に会う機会があればお知らせください。報告書はできるだけ丁寧に、さもなくば、もっと面倒な人材に回収に来させますよ、と」

「分かりました。……シルヴィオは、いつもこうなんですか?」

「アストラホルンの外ではそうですね。アストラホルンに訪問するほどの気概があれば、仕方なく相手をしてくれますが。それがなにか?」

「……私は避けられたりしないので、ちょっと意外で」


 ラッサリーナさんは眼鏡を押し上げた。逡巡ののち、口にする。


「それは貴方が学府と関係のないかただからでしょう。彼を利用しようとすることも、彼の在りかたを責めることもない」

「……責める?」

「才ある魔法使いは、それに見合う功績を求められるものですから」

「もっと高い地位につけだとか、教鞭を取れ、だとか?」

「いえ。もっと具体的に、です」


 ラッサリーナさんは、眉をぴくりとも動かさずに口にする。


「シルヴィオの魔法は、人殺しにも使える魔法です。知っての通り我が国は、北の大国をはじめとした周辺各国との睨み合いのさなかにある。彼の魔法理論が発表されたときは、魔法学府のみならず軍も着目した……」


 北の大国、という言葉に、また、反射的に胸が引きつる。ラッサリーナさんは淡々と続ける。


「敵国の竜軍の無力化、毒の作成、痛みを感じない兵の作成……非人道的な依頼も、多数押し寄せた。シルヴィオは面の皮が厚いですが性根が善良ですので、のらくらかわしてましたが、王都にいると、なにぶん、つけ狙われる機会も多いもので」

「それで、アストラホルンに?」

「ええ。あんな場所に行けるのは国でもごく一部なうえ、あれだけ開けた土地なら、他人を気にすることなく、ありったけの結界が敷けますから。……仮にシルヴィオの力が敵国に渡ったらさらに大事です。軍部も、学府も、あそこなら、と溜飲を呑んだ」


 なるほど、と頷く私に、ラッサリーナさんは言った。


「以上は、学府に詳しければ誰でも知っていることです。彼の視点で見れば異なる物語もあるかもしれませんが、私の知ったことではありませんから」


 ラッサリーナさんは、一瞬ののち、彼方に向かって言った。


「と、いう説明に、反論があるのでしたら、好きに訂正してください」

「え?」

「いえ、『独り言』です」


 ラッサリーナさんは「それでは失敬」と一礼した。引き留める間も無く帰っていってしまう。


 呆然とする私の後ろから、声がかかる。


「もう行った?」

「……シルヴィオ、おかえりなさい。お散歩お疲れ様でした」


 若干の嫌味を込めて言うも、シルヴィオに響いた様子はなく、「この辺の森、妖精が元気でいいね」だなんて返される。私はため息を吐いた。


「ラッサリーナさんなら帰りましたよ。……シルヴィオと気が合いそうな、クールなかたでしたけど」

「ラッサリーナはねえ、いい人なんだけどねえ。気を抜くと、いろーんなやつと顔を合わせちゃうこともあるから、丸ごと避けてる」

「報告書は丁寧に、でないともっと面倒な人を回収に来させる、とのことです」

「げ。……しょーがないや、がんばろ」


 げんなりと口にくるシルヴィオに、私はそうだ、と声をかける。


「これからどうしましょうか。山の上に戻るには、少し遅い時間ですけど……」

「んー……おれはとりあえず、町で宿を取るよ。エヴァに連絡して、じっくり魔法の術式組んで、明日あたり、天馬のゼピュロスといっしょにアストラホルンに戻る」

「……あの、それ、私はどうすれば」

「え? アヤさんは気にしなくていいでしょ?」


 シルヴィオはあっけらかんと言った。


「だって、ワイナリーが経営再開するんだったら、みんなワイナリーに残ってほしがってるんじゃないかな?」

「……」


 ここで、「ワイナリーに残りたいでしょ?」ではなく、「みんなワイナリーに残ってほしがってる」と言うのが、シルヴィオの優しくて、合理的で、ずるいところだと思う。

 そんなことないです、とも言えず、けれど、そうですね、とも頷きたくなくて、苦し紛れに私は、こう口にした。


「奇遇ですね。私も今晩は、宿に泊まろうと思ってたんです。ちょうどいいからご案内しますよ」

「え? でもアヤさん、元の部屋が」

「いいんです! 奥様や旦那様も、色々と急でしたし、お二人で話し合う時間が必要でしょうから、今夜はいないと伝えています。……あっ、ついでに市場も見ませんか? お皿とかお鍋とか瓶とか、見ていきましょう」

「いや、お皿とか、おれは使わないから」

「見ていきましょう、ね?」


 有無を言わさぬ微笑みを浮かべると、シルヴィオは大人しく「はい」とうなずく。それでは出発、と思ったときだ。


『おい、シル! 悪い、やっと時間が取れて……どうだ、ちゃんとアヤちゃんを案内したんだろうな!?』


 あたりに響く、聞き覚えのある声に、目が点になる。シルヴィオはため息を吐くと、懐からなにか取り出した。竜の細工が施された懐中時計だった。


 この時計に施された魔法が、遠く、北の砦にいるロランさんと、私たちを繋いでいるらしい。


「ロラン、ちょっと声うるさい。ここ、アストラホルンじゃないから抑えて」

『えっ、ああ、悪い、おまえ外に出てんのか……待て、アヤちゃんは!?』

「私もここにいます!」


 私の声もあちらに届くのか不安だったけれど、きちんと聞こえたらしい。ロランさんはほっとした声で言う。


『そっか……いや一瞬、シルヴィオが失礼なこと言ってアヤちゃんを怒らせて、アヤちゃんが山に出てっちゃったのかなとか、最悪のシナリオを考えてたもんで』

「アヤさんはそんなことしないよ」

「シルヴィオはそんなことしませんよ」

『オーケーオーケー、上手く行ってるようでよかった! アヤちゃんが務めてくれるなら、兄貴分も安心だ!』


 朗らかに告げられた言葉に、シルヴィオがため息を吐く。


「アヤさんは元の職場に戻るよ」

『そーかそーか、よかっ……え?』

「そういうわけで、お仕事頑張って、竜騎士様。それじゃあね」

『あっ、おい、こら、シルー!!』


 叫ぶ声を無視して、シルは懐中時計を仕舞い込む。魔法の通信は遮断されたようで、以降、ロランさんの声が聞こえてくることはなかった。


「あの切りかたでは、ロランさんが心配するのでは?」

「平気。ていうか色々説明してもどうせ心配するから、ほっとくのが合理的」

「……さては、ロランさんの優しさに、甘えてますね?」

「かもね」


 シルヴィオは肩をすくめると、「じゃ、行こうか」と振り返る。


「早く行かないと、焼き物屋さん、閉まっちゃうかも」

「……さっきまで要らないって言ってたのに」

「さあ、なんのことでしょう」


 どこ吹く風で言うシルヴィオに、私はほんの少し呆れて、けれど同時に少しだけ、まだ言葉を交わせることに安堵した。

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