神の果実2

「あ、あの、シルヴィオ?」

「なに?」

「これはいったい、どういうことでしょうか……」


 尋ねても、私の分かる答えが返ってくるとは到底思えない。それでも、尋ねずにはいられなかった。


 威圧感も不気味さもかき消え、よく懐いたペットのようにじゃれてついてくるバーゲストを、受け入れながら問いかける。


「本来の食生と離れた性質のモノを主食にしてたせいで、根本のところが変質してたんだ。神の果実とも呼ばれる葡萄と、アストラホルンから分岐した魔力が流れる、この霊地だからこそだと思う。……つまりそいつは、計画の段階で大きなミスをしてたんだ。生き物には生態的地位があって、それそれの居場所がある。そこを無理やり歪めて、どうこうしようってのが、非合理的だった。満たされない、が本質の霊魂に、清涼な魔力を与え続けたらどうなるって話。やがてあるだろう変化を、おれがちょっと後押しした結果が、これ。ついでに魔力での強制使役も断ち切っておいた」

「すいません、ほとんど何も分かりませんでした」


 つまりの前も後もよく分からない。分からないけれど、例により、かろうじて聞き取れた単語を繋ぎ合わせると。


「この子はもう、魔力食いの悪しき精霊ではない、と?」

「うん、さすがアヤ、要点を捉えるのが上手い」

「……シルヴィオ、わざとじゃないですよね?」

「どっちなら嬉しい?」

「どっちでも嬉しくはないです」


 私は息を吐き、じゃれつくバーゲストを剥がした。少し雑に扱っても起こることはなく、純朴な目で見てくるだけだ。


 旦那様と奥様にも、こちらの空気感は伝わったらしい。見慣れぬ精霊や来客に戸惑いつつも、ゆっくりとこちらに向かってくる。


「アヤ、これはいったい、どういうこと?」


 戸惑う奥様に、「驚かせてすみません」と頭を下げる。


「……シルヴィオが全部読みといてくれました。葡萄が枯れてしまったのは、この人が、この精霊を使って荒らしていたからなんです」

「なんですって!?」

「この男、もしや、買収しにきていた者か!?」


 睨みつける旦那様に、男がモゴモゴと動く。声を奪われたまま「なにか言え!」と怒鳴られるさまはやや滑稽だったが、やったことがやったことなので、同情の余地はない。


 シルヴィオは旦那様に一礼する。


「お騒がせしてごめん。これから魔法学府で、こいつの罪の裏付けを取る。結構上の立場の人もこいつを疑ってるし、調査はすぐ終わるはず。そうしたら、賠償の裁判になるから、ワイナリー三年間分の損を、これでもかってくらいリストアップしといて……ください」


 今更のように付け加えられた「ください」に、私は苦笑した。旦那様はまだ状況が飲み込みきれぬようで、倒れる男とシルヴィオとを、わけもわからぬ、という様子で見比べている。


 代わりに尋ねたのは、奥様だ。


「ありがとうございます、素敵な教授さん。……それで、一番気になるところなのだけど……いま植え付けてある葡萄は、もう、ダメなのかしら」

「ああそれ、すごくいい質問だ」


 シルヴィオはくるりと、魔犬を振り返る。


「行ける? バーゲスト」

「あおん」


 魔犬は柔らかく吠えると、とん、と宙を蹴った。そして、荒れ果てた葡萄畑の上を、とん、とん、と走っていく。


 その足の先から、波紋のような光が広がる。そして、その光を浴びた葡萄は。


「……生き、帰っていく」


 茶色から緑へ。乾きからみずみずしさへ。 死から生へ。

 輝きを取り戻す葡萄畑を見て、旦那様の目に涙が浮かぶ。


「ああ……」


 私たちにとって、これは、夢にまで見た光景だった。願って、願って、叶わないことをくり返したからこそ、目覚めとともにひどく傷つけられる、ひとつの悪夢になっていた。


 けれど、いま。 


「魔力を奪う獣が、魔力を与える獣に変転した。……面白いことが分かったんだけど、たぶん、いわゆる聖獣と魔獣のなかには、幼獣のときに分岐する種類が結構いるわじゃないかな。バーゲストは魔力食いの嫌われ者だけど、清涼な魔力で、別の道を歩き始めた」


 シルヴィオは一瞬言葉を切ってから、口にする。


「いまのこいつは、清涼な魔力とともに生き、触れるものに命の力を分け与える、空を駆ける狼……天狼に、近い性質を持っている」


 魔犬が、最後の一畝に命を与える。


(……綺麗)


 私たちが、命を美しいと感じるのは、私たち自身が生き物だからなのか、とか。


(私らしくもないことを考えちゃってる……もしかして、シルヴィオの影響?)


 ふと、隣を見やって、私は息を呑んだ。


「……」


 黙って葡萄畑を見つめるシルヴィオの目に、ひどく無邪気な輝きが灯っていたからだ。


(ああ、貴方は)


 知らないことを知ったとき、そんなふうに感動するんだ、と。


(その顔、その目を、ずっと見てたい)


 そう思ってしまった私もまた、シルヴィオと同じ目をしていたのかもしれない。

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