6. 鈴音むすぶ玉櫛

「ここまで、えにしの神様が、見つからないなんて」


 わたしは目の前に座る雪凪ゆきな様にそう云った。


 巫女姿の雪凪様の腕には、三つの銀糸の輪――その飾りは、一位巫女だと示している。


「落ち込むことはない」と雪凪様。

「はい……。けれど、見つからないと、見習いの、ままですね。はぁ、そうなったら、故郷に帰るしか…………」


 すると雪凪様は小さく笑って、


「ふふっ。まだまだ、これからさ」

「そうだと、よいのですが。――果たして、神様が、見つかるのでしょうか」

「ふむ。全てを知るのは、運命の敷布の織り手たる、日月ノ長神ひつきのながかみ様だけさ。――万事が試し。どのような結果が待っていようと、ね」


 長神様は、神様たちの導き手。世界の中心にある巨大な白花の花びらの中におわす、銀の大蛇の姿をされている。東の顎で太陽を、西の顎で月を噛む。


「さて、今日も試しぞ」


 と云って、雪凪様は真剣な目をした。



 ――わたしは雪凪ゆきな様の鈴の音を、目をつむって聞いていた。結局、いつもの瞑想。


 リーン、チリーン……


 鈴が鳴るたびに、小さな灯りがまたたくようだ。本当に、ちかりと光が見えるような感じで。


 白木の匂いと、香の匂い。風の音と鈴の音。


 瞑想前の浄歌じょうかをうたうことも、忘れていた気がする。だから心の中で、



  白花しろはなは 穢れし土へ根をはらむ

  花開きては 浄しなるかな



 神様ごとに浄歌はある。――けれど、白花ノ浄歌は特別。いつ、どの神様に捧げてもいい。


 光がまたたくように、鈴はうたう。


 リーン…………


 わたしは暗闇の中、吸い込まれるように飛んでいた。


 妙に、いつもより深い。深い領域に吸い込まれている。――そんな感じがする。


 そうしてたどり着いたのは、不思議な領域だった。



 下には薄茶色の砂が延々と続いている。


 見上げると、雲ひとつない明るい空から、白く長い布がたくさん、垂れてきていた。絹みたいな光沢を放って。


 百、二百……いや、もっと。馬稚国の全てそれを集めたような、無数の白布が、空の彼方から垂れてきて、なめらかに曲線を描いて、その先がまた天に消えてゆく。


 それに、どこからともなく鈴の音が聞こえる。


 チリリーン…… チリーン……


 ――たわんだ無限の絹の乱舞。そんな光景。


 白布はどこか規則めいて、交差していた。


 ――何かに似ていた……。何かに。


 そこでわたしは、声を上げる。


「これ、白花紋だ……!」


 ――八弁の花びらを模した、上下左右対照のしるし。


 巫女の小袖の両胸に。神域の随所に。書簡や巻物の頭とおしりに。


 要所に端然と咲く白花紋の、その意匠に似ていた。


 白布の交差は、白花紋を思わせる、無数の幾何学模様を見せていた。


 だいいち、ここはどこだろう? なんて思う。



 狭世はざまよの果て。――果ての狭世。わからない。


 やがて、鈴の音が聞こえた。


 奥の方から……。砂地と白布の柔らかな天井に囲まれた世界の、ずっと奥から。


(狭世の果て……世界の果て? 世界の果ての果てに、何があるの? ――どこなの?)


 鈴の音は光を帯びていた。チリン、チリーンと鳴って、わたしを奥へと誘う。



 そのとき、気がつくと周りに、銀色の光が溢れていた。大きな銀色の帯が、空中をうねって流れるように。


 遥か彼方から、その銀色の川が続いていた。太い綱のような。蛇の胴体のような。


 ――ああ、そうか。


 わたしは、何に触れたのかに気づいた。思い違いか、夢なのか。わからない。目まいがしてくる。


 震えながら、わたしは膝を曲げて、両手を砂地についた。ざらりとした感触に、手のひらと額をうずめる。目をぎゅっとつむり、


「な、長神、様…………。日月ノ長神よ……。かしこみて……」



 すると、鈴の音が強く響いてきた。


 リン、リーン、チリーン…………


 それらの音はやがて、低くはっきりとしてくるようで。


 ゆったりとした、うたうような声が響いてきた。


 ――しぃろぉはぁなぁめぇぇ

 ――かぁのぉにぃほぉいぃぞぉせぇむゥゥ


 次第に、こんな言葉に収束していった。


「白花芽、かの匂いぞせん」


 たぶん、そう云った。たしかに。


「どういう、ことで、ございましょうか……」


 わたしが平伏したまま尋ねると、は沈黙した。


 そこで直感的に、わたしも


 ――しぃろぉはぁなぁめぇとぉはぁ、なぁんんたぁるぅかぁぁ(白花芽とは、何たるか)


 するとまた、声が響いてきた。


 ――ひぃすぅいぃの、おぉみぃなぁ…………


 わたしが聞いたのは、『翡翠のおみな、それが縁』という言葉。


 ふと、あの森の中にいた、鎖につながれた翡翠色の少女が心に浮かぶ。


 やはり、あれは神様だったのだろうか。あの、縛られた少女。


 すると、また声が響いてきた。


 ――かぁぎぃにぃてぇ、とぉきぃはぁなぁてェェ


 そのとき、右手の中にひやりとした感触があった。ふと顔を上げて右手を見ると、緑色の――輝く翡翠のくしがあった。


「鍵……にて、解き放て……?」


 呟くと、あたりにはもう、銀色の光はなかった。


「え? 長神……様……」


 それに応えるのは、チリリン、と鳴く鈴の音と、やはり無限に連なる、白布の輝きだけだった。


 けれど――けれど、右手には確かに、翡翠の櫛があった。それを持ち上げて、覗き込んでみる。


 深い緑色の輝きの底に、白い霞のような沁みが織り込まれている。


 それこそ天の白布みたいな、ゆるりとした曲線を描く持ち手から、無数の歯がきらきらと並ぶ。


 こんな櫛でわたしの髪をかしたら、体が砂になって消えてしまうかも知れない。神様の櫛で。そうか、ふさわしいのは、やっぱり…………。


(おわり)

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