2. 瑠璃鳥と燃える瞳

 いつものように神繋ノ宮かむつなぎのみやにゆくと、すでに雪凪ゆきな様がいた。


 雪凪様の姿はすらりとしていて、目が細くて狐みたいだけど、それを云う気にはならない。――狐だとしたら美しい狐だ。白衣しろきぬの白狐。――けれど、それをうまく伝えられる気がしない。


 外からは若い巫女たちの笑い声。遠い焚き火の匂いが漂ってくる。きっと、巫女が古い布や草でも燃やしているのだろう。


 神繋ノ宮では、瞑想のときには暗くするため、雨戸を締めることが多い。――けれど雪凪様は雨戸を開け放ち、空に顔を向けて、軽そうな雲を眺めていた。


 刹那、太陽に雲がかかって隠れ、また太陽が現れる。ちらちらとまぶしい散光が、目をくすぐってきて、むず痒くなる。


「来たね、甘菜あまな。さて、はじめようか」


 雪凪様は外を見たままそう云うと、雨戸に手をかけて閉じた。部屋は薄闇に染まる。欄窓はそのまま、最低限の明かり取りだ。



 わたしは白木の床に――雪凪様の前に座る。両膝を開いてぺたりと。目を閉じて手を合わせ、浄歌じょうかをゆっくりとうたう。



  白花しろはなは 穢れし土へ根をはらむ

  花開きては 浄しなるかな



 その後も深呼吸をしていると、鈴の音がした。雪凪様が鳴らしてくれる、鈴の音だ。


 リーン……。チリーン。リーン……。


 規則正しく心地よい音に、眠たくなってくる。いや、眠ってはいけない。顔を上げると、急峻な岩山がそびえていた。


 わたしは岩山を登っているのだ。いつからかはわからない。清澄な空気の彼方に橙色の太陽が輝いていた。


 周囲を見ると、いずこも岩ばった山肌。遠い山には木々や葉の衣がかかるが、申し訳程度だ。


 ひゅうひゅうと乾いた風が渡る。髪が巻き上げられて、ばたばたと衣がはためく。風を遮るものはほとんどない。風が強い。


 ピーリーリー、と甲高い声が聞こえたが、鈴の音ではない。――見ると、目の前に青い小鳥がすべり込んできた。風に叩きつけられるみたいに……。知っている。これは瑠璃鳥るりどり――青い宝石みたいな、つややかな小鳥。


 瑠璃鳥はやや離れた岩肌に降り、とんとん、と跳ねて山頂を見る。


 空を阻む風を、恨むように。



「ねえあのさ。行きたいの? 上に」


 そう話しかけると、瑠璃鳥は振り返って、ジジ、と鳴いた。黒い目の奥に、小さな赤い光が見えた。埋み火みたいな、くすぶる赤。


「わたしに、留まりなよ。瑠璃……ちゃん」


 すると、瑠璃ちゃんは『ピーリー』とさっきみたいな、感情のわからない抑揚で鳴いて、舞い上がった。わたしの右肩にきた。


「行こう。わたしも、登るからさ」


 あたりの岩肌はいっそ刺々しくなり、風の音が強くなる。


 歩きながら、右肩の瑠璃ちゃんに話しかける。恐怖と寂しさを紛らわすように。


 瑠璃ちゃんは、折り畳んだ翼を震わせていた。


「ね、きっとここは、火の神様の領域なんだ。知ってる?」


 瑠璃ちゃんは相変わらず、「ピーリー」とあっけらかんとした声を出した。



 山頂は刀の切先のように、天を衝いている。まるで、宮に詰めている、守護の兵士たちの鉾みたいに。


 登るにつれて、太陽が近づく。心なしが暑くなってくる。衣の胸元や袴を手でたわませ、風を送る。右肩が眩しい――というのも、瑠璃ちゃんの青が、太陽の光に輝いている。



 太陽は大きな丸まった松明のようだった。山頂近くの空に浮かんで、透明な風の中で火を噴き上げている。


 その根元に、青年がいた。


 背中には黒く煤けた大きな翼。髪は乱れ、浅黒い肌に着流し。腰には赤い帯をぐるりと締めていた。精悍な顔を少し険しくしかめ、左手を突き上げている。


 その左手の上に、太陽があった。


 わたしはその、熱く眩しい太陽を、それからまた、青年を見た。


火津真ノ神ほつまのかみ……。これなるは、巫女の、甘菜でございます」


 その青年――火津真様は、ぶん、と左腕をさらに上げると、太陽を鞠のように天に放った。落ちてくるんじゃないかと、わたしはびくりと空を見た。――けれど太陽は落ちてくることはなく、ほどよい宙空に浮かんで止まった。


 火津真様は腕を組んで、じっとわたしを見た。――腕を組むために太陽を放ったのだとしたら、何と横着なんだろう、と思う。それを見透かしたように、


「退がれ。人の来るべきところではない」

「も、申し訳も、ありません」

「ふん。どうせあれだ。人の巫女が、えにしを求めに来おったのだ。――そうであろう」


 わたしは岩肌に座り込み、頭をごつりと地にぶつけるほど、押し下げた。


「は、はい。そうです。そうなのです。すみません……」


 しばらくすると、ため息まじりの声がした。


「ふむ。ふん、まあよい。くれてやろうぞ。縁なり、力なり」


 わたしは顔を上げて、火津真様の顔を逆光の中に見る。


「本当……ですか⁈」

「ああ。我の許までたどり着き、そして、この太陽に触れよ」


 気がつくと火津真様は左手を持ち上げた。そこに、天にあった太陽が、すうと近づいてくる。


 あたりが一段と熱くなった。太陽はますます、燃えたぎっている。


「さあ、人なる巫女よ! 太陽に触れよ! 求めるならば」


 わたしは体を起こすが、顔に浴びせかかってくる熱だけで、眉が焦げてしまいそうだ。焚き火に近づきすぎたみたいに、全身が燃えてしまいそう。


「熱い。――わたしには、とても」


 逆光の中で、火津真様の顔がざわり、と嗤った気がした。


 そのとき、わたしの右肩から、青い光が飛び立った。瑠璃ちゃんは翼をばたつかせて、太陽に向かっていった。


「え? ちょっと…………」


 瑠璃ちゃんは全身を赤く染めながら、狂ったように翼を動かして、「ピーリーリ」とやはり無機質な声を上げながら突き進んでいった。


 瑠璃ちゃんが太陽に至るやいなや、赤い閃光がほとばしる。


 目を開けると、大きな鳥が――全身を赤く燃やす、燃える鳥がいた。


「瑠璃、ちゃん……?」


 そんなわたしの呟き声に応えるように、鳥は翼をばさりとはためかせ、首を振り向けてくれた。それから、「ピーリーリ」とよく通るいつもの声で鳴いて、今度は天に顔を向けた。


 赤い翼をはばたかせ、火の粉と煤を振り撒いて、瑠璃ちゃんは雲ひとつない青空へと飛んでゆく。どんどんと、遠ざかる。


 火津真様の声がした。


「元より、胸の中で燃えておるものよ。埋み火のごとき……。のう巫女よ。そなたにその火が、あるか?」


 その声と共に、あたりが炎に包まれる。熱くはなかった。黄金色の光が眩く、全てを飲み込んでゆく。最後に真白くなって……。



 目を開けたとき、やはり目の前には雪凪様が座っていた。白木の世界……。いつもの、神繋ノ宮の中だ。


 わたしは白い床に視線を向けて、うっすらとした木の節をたどりながら、問いかけた。


 ――ねえ、瑠璃ちゃん。燃え尽きて、しまわないよね? あなたの中には、どんな火があったの?


 すると、チチチ……と、そしらぬ小鳥の声が外から響いてきた。


(おわり)

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