巡る日々②

 翌日の早朝、サジャは待ち合わせの場所である裏門前へと向かった。門の脇から衛兵のティフォードが顔を出し、片手を軽く上げた。

「聞いたぜ、皇女殿下のご案内だってな」

「耳が早いのね」

「ニコラとシファが昨日言いふらしてたからな。もう殿下とはお会いしたのか?」

「ううん、これから初顔合わせ」

「どんな方なんだろうな。アンシル皇女の話って帝国でもあまり聞かなかったよな?」

「そうね。わたしも詳しいことはあまり聞いていないのだけど」

 他の皇子や皇女と比べて、アンシル皇女の影は薄い。歳の頃はサジャよりふたつほど下らしいが、公の行事の際もその姿を見かけた覚えはない。

「……どこを回るか、もう決めてるの?」

 細い声で尋ねるディアに目を向けると、わずかに俯きつつも視線を返してくれる。以前ならもっと俯いて顔を隠してしまうのが常だったが、どうやらここしばらくの間に心境の変化があったらしい。ニコラの見立てでは、その変化はティフォードの尽力によるものらしいのだが、サジャにはその辺りのことはよくわからない。

「なんとなく決めてはきたんだけどね」

 昨夜、祭りを満喫してきたニコラとシファに聞き取りを行い、見所を一通り教えてもらった。地図に線を引いてみて、効率的に回るための道筋を検討してみたりもした。

「だけど、これでいいのかなって感じはどうしてもしちゃうかな。改めて考えてみると、わたしってこの町のことを全然知らないんだなと思って」

「まあ、この機にまだ見ぬ王都の顔を知る、くらいの気持ちでいいんじゃないか? 心配しなくても、サジャならそつなくやれるだろ」

「うん。サジャなら、全然大丈夫だと思う」

「ふたりとも、他人事だと思って安請け合いしてない? ……あ」

 林の小径を通り抜け、いくつかの人影が現れる。一番前を歩く、栗色の髪の少女。彼女に付き従うように歩く、細身の少女。

 ふたりの背後には、さらに四つの人影がある。魔術師風のローブに身を包んだ青年と老人に、つばの広い帽子を被った老剣士と骸骨の剣士。

 栗色の髪の少女はサジャの手前で立ち止まると、ふんわりと微笑む。

「あなたがサジャ?」

「はい。お初にお目にかかります」

「はじめまして。わたしがアンシルです。今日は貴重な時間を割いて頂いて、本当にありがとう」

 アンシルは胸に手を当て、ぺこりと頭を下げる。随分腰の低い皇女様だ、とサジャは思う。

「わたしも王都に来て日が浅いので、どれほどお役に立てるかわかりませんが、精一杯案内役を務めさせて頂きます」

「もう半年も王都で働いているのでしょう? あなたの話を聞くのを、わたしもセーラも楽しみにしてたの」

「セーラ?」

 アンシルは促すような目で、背後に控える少女を見る。

「アンシル様に仕えさせて頂いているセーラと申します」

 端正な所作で頭を下げるセーラは、なんだか侍女というより護衛か何かのように見えた。表情もどちらかと言うと硬く、サジャの話を楽しみにしていたようにはあまり見えない。

「あの、サジャ様」

「は、はい」

「アンシル様のおっしゃられたことの繰り返しになってしまいますが、私も王都を自身の目で見られることを楽しみにしておりました。今日はよろしくお願いいたします」

 笑みこそ浮かんでいないものの、セーラの言葉には真摯な響きがあった。

「ええ、こちらこそ」

 サジャはそう言うと、少女たちの背後に控える男たちに目を移す。魔術師風の老人が、好々爺然とした笑みを浮かべて会釈する。

「ラジンと申します。微力ですが、今回殿下の護衛として同行させて頂きます。こやつは弟子のアインと申す者です」

 老人に指し示され、細面の青年が頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願いします。ラジン様は当代随一の魔術師だとか……」

「おや、随分買い被られたものですな。ダナモス殿も、こんな老人を捕まえて当代随一とは人が悪い。我々は一介の流浪の魔術師に過ぎませぬ。今回も、不詳の弟子の顔でも見ておこうかとこちらを訪ねましたら、このような身に余る役目を頂いた次第でして……」

「不詳の弟子?」

「以前弟子をしていた者が王都で働いておるのです。自らの意思で離れていったやつですし、わしは放っておけば良いと思っておるのですが、このアインめがやたらと気にかけておりましてな」

「なるほど……」

 どうも色々事情があるらしい、とサジャはひとり納得する。

 ふたりの剣士―帝都一の剣士であるランダルトと、こちらは知己だが、王都一の剣士であるサイラス―とも挨拶を済ませると、サジャはこの何やら不思議な顔ぶれの一行を率いて、早朝の町へと繰り出していく。

「まずはどこに向かおうかと考えていたのですが……」

 サジャは手元で、今日のプランを書きつけた紙切れを広げる。

「この時間だと祭りの屋台もやっていませんので、まずは大通りを軽く見て回って頂こうと思っているのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ、サジャの案に従うわ」

 アンシルはサジャの横に並んで歩き、きょろきょろと辺りを見回している。そのすぐ後ろを、セーラがしずしずとついてくる。

「なんだか、お祭りの匂いがする」

「そうですね。はっきりと言葉にはできませんが、いつもとは匂いが違う気がします」

 朝の風に乗って、甘味と酒を混ぜ合わせたような、この世のありとあらゆる華やかなものをごった煮にしたような匂いが流れてくる。油断すると全身に酔いが回りそうな、非日常そのものの香り。

「帝都のお祭りを思い出しますね」

 サジャの言葉に、アンシルはこくりと頷いてみせる。

「サジャは帝都のどの辺りに住んでいたの?」

「スライヤ通りといって……ご存知でしょうか?」

「うーん、ごめんなさい。実はわたし、未だに帝都の地理にはあんまり詳しくなくて。セーラは知ってる? スライヤ通り」

 主に話を振られ、セーラは「はい」と呟く。

「私の生家から、ほど近いところです」

「スライヤ通りの近くというと、バースン通りでしょうか」

「いえ、通り沿いではなくて……」

 セーラは言いづらそうに目を伏せる。

「あの辺りに、レアス池という小さな池があったのはご存じですか? その池のほとりに建っていた屋敷が私の生家です」

「レアス池……」

 サジャもその名には聞き覚えがあったし、そのすぐ傍に立つ屋敷のことも、その屋敷で起こったという悲劇の噂も覚えていた。

「たぶん、当時散々噂が飛び交っていたと思うのですけど、実際に起こったことも大体その噂の通りです」

 セーラは目を伏せたまま、消え入るような声で続ける。

「だからその、私は本当は全然、アンシル様の侍女に相応しい娘などではないのですけど……」

「あの、セーラ様」

 サジャに名を呼ばれ、セーラは顔を上げる。

「わたしの父は時計の修理を生業としていたのですけど、元々は貴族の家の跡取りだったのです」

 サジャが家の名前を告げると、アンシルとセーラは目を丸くする。古くからある由緒正しい家。そして今は見る影もなく落ちぶれ、代々の領地すら全て失ったという家。

「わたしは父を病で喪い途方にくれているところを、不思議な縁で魔王様に拾って頂きました。境遇としてはセーラ様に近いです。……だから何、というわけでもないのですが」

 サジャは言葉を探すように、首をわずかに傾ける。

「少なくともわたしに対しては、ご自身の過去を引け目に感じたりする必要はないと言いますか……すみません、上手く言葉にならないですね」

「いえ。そう言って頂けると……」

 セーラは言葉を切り、やがて淡い笑みを浮かべる。

「私も、上手く言葉にできないですね。だけど、ありがとうございます。なんだか少し肩の力が抜けた気がします」

 大通りに出ると、少しずつ人の姿が増え始める。まだ鎧戸の降ろされた店の前で掃除をしている者。市場に出すと思しき野菜や果実を載せた荷車を引く者。

「こういう景色は帝国とあまり変わらないわね」

 呟いたアンシルを、サジャは少々意外そうに見やる。

「殿下もこういった場所をご自身で歩かれることがあるのですか?」

「わたし、帝都はあんまりよく知らないんだけど、それ以外の町は色々訪れたことがあるの。帝都に連れてこられる前はずっと……あら?」

 呟いたアンシルの視線の先には、酒場の前の道を掃く、まだ年若い帝国人の女性がいる。

 サジャはアンシルのほうをちらりと見ながら、軽く頷く。

「酒場で働いている方ですね。彼女はお城でもちょっとした有名人ですよ」

「帝国の人だから?」

「それもありますが……」

 サジャは言い淀み、最後尾を歩くサイラスに目配せをする。

 サイラスも当然前方の女性には気づいていたらしく、虚な眼窩に少し困ったような雰囲気が見てとれる。

 女性のほうも近づいてくる一団に気がつき、振り返る。そしてその視線は、骸骨の剣士のところでぴたりと止まる。

「あ……」

 女性が呟くと、サイラスはすっとお辞儀をする。

「おはようございます、ライラさん」

「お、おはようございます」

 ライラは、サジャを先頭とする一団をきょろきょろと眺める。

「朝の見回り……というわけではなさそうですね」

「こちらの来賓の方の護衛を仰せ仕りまして……」

「来賓?」

「はじめまして。帝都から来たアンシルと申します」

「え? ひょっとしてアンシル皇女殿下であらせられますか? そういえば、聖祭の使節として王都を訪問されると……」

 慌てて礼をとろうとするライラに、アンシルはいいのいいの、と手をひらひら振ってみせる。

「一応、お忍びっていうことになってるから。ライラさんはサイラスさんとお知り合いなのね。一体どういう風に知り合ったの? サイラスさんがこちらのお店の常連とか?」

「あ……はい、サイラス様にはよくいらして頂いていて……あまり柄の良くないお客様に私が絡まれたときに助けて頂いたんです」

「まあ、素敵ね。それがきっかけで仲良くなったの?」

「はい、それがきっかけで……」

 ライラは僅かの間言い淀んだ後、ややかしこまった面持ちで顔を上げる。 

「今まで、お付き合いを続けさせて頂いています」

 アンシルは特段表情を崩すこともなく、柔らかな笑みでライラを見つめる。

「そうなのね。とっても素敵な話ね。ありがとう、話してくれて」

 ライラに別れを告げた後、アンシルはサイラスを振り返って言う。「ライラさんは素敵なお嬢さんですね」

 サイラスは「はい」と短く答えた後、こう付け足す。

「私の知る限り、最も魅力的な女性です」

 アンシルは頷き、軽やかな足取りでサジャの横に並ぶと、顔を寄せて言う。

「朝から良いもの、見せてもらっちゃったわね」

「良いものというか……そうですね、はい」

「サジャはライラさんの告白にびっくりした?」

「わたし自身は以前教えてもらっていたのですけど、最初に聞いたときはちょっと驚いてしまいました」

「そうね、わたしもちょっと驚いたかも。でもそのうちきっと、それくらい全然普通になっていくんじゃないかしら」

「そうですね。いずれはきっと、そうなるのだと思います」

 サジャは同僚たちから教えてもらった情報をもとに、祭りの見所をひとつひとつ、丁寧に案内していった。

「この仮装行列は、聖リュピアとその仲間たちの王都入りの様子を模したもので……」

 昨日一夜漬けで詰め込んだ知識を披露するうちに、自分もまだ知らなかった王都の顔が見えてくる。半年ばかりこの町で暮らしてきたはずだが、まだまだこの町のことも、この町で暮らす人々のことも知らないことばかりだ。きっと一生かかっても全てを知ることはできないのだろう。体が動かなくなるまで魔王様に仕え続けたとしても、自分は本当の意味で、あの方の心に触れることはできないのかもしれない。与えられた時間も、生まれながらにして背負っているものも、あの方と自分ではあまりに違いすぎる。

 だけどきっとそれは、仕方のないことなのだろう。

「王都の夕暮れってこんな色なのね」

 赤紫の空を見上げながら、アンシルは言う。

「帝都の夕暮れとは違いますよね。わたしも初めて見たときはびっくりしました。……さて、これからどうしましょう、あと一箇所ぐらいなら回れそうですが……」

 そう言ったものの、当初用意していたプランは全て消化してしまった。もうまもなく日が沈むし、いくら頼もしい護衛がついているとはいえ、あまり遠出はしないほうがいいだろう。

「お嬢さん方、ちょっとよろしいかな?」

「あ……ラジン様。ひょっとしてどこか良い場所をご存知ですか?」

 ラジンは以前にも王都に来たことがあるそうで、今日もサジャの説明を補足してくれたり、サジャもサイラスも知らなかった抜け道を教えてくれたりと、さりげなく手助けしてくれていた。

「わしではなく、アインのやつめに行きたいところがあるそうでしてな。ここからさして遠くもないので、是非とも意を酌んでやってくれませんかな」

 ラジンが言うと、当のアインは「え」と呟く。

「あの、ラジン様、それはひょっとしてあの丘のことを言っているのですか?」

「他にどこがあるんじゃい」

「丘というと、港の近くの小高い丘のことですか?」

「そう、そこのことですな。この時間なら、海に沈みゆく夕陽がさぞや綺麗に見えるでしょうて」

 アインは息を吐き、詮方ないと言いたげに首を振る。

「私個人の思い入れで行き先を決めるのは気が進みませんが、師は言い出したら聞かない人ですし、もし良ければお付き合い頂けないでしょうか。何もない場所ですが、師の言う通り景色は美しいです」

 サジャが視線を向けると、アンシルはにこりと笑って頷く。

 アインの言葉通り、そこはまばらな木がぽつぽつと立ち並ぶだけの、一見してうら寂しい印象を与える場所だった。赤紫に染まる海に太陽が沈みこんでいく様は美しく、どこか物悲しい。

 サジャは、その物悲しい景色を見つめるアインの横顔に浮かぶ表情に気がつく。

「あの、アイン様。この場所にどういった思い入れがあるのか、良ければ教えて頂けませんか」

 サジャは我知らず、その問いを発していた。あまり人の事情に立ち入るのもどうかと思ったが、夕暮れを眺めるアインの愛おしさと寂しさの入り混じったような表情の理由を知りたかった。

 アインはふと我に返ったように振り返った後、再び視線を海に戻す。

「ここは、私の父と母が初めて出会った場所なのです」

「アイン様のお父様とお母様が……」

「遥か南から船でやってきた父は、ここよりさらに北からやってきた母とこの地で出会いました。なので、ここまで来れば父と母が結婚した理由もわかるかもしれないと思ったのですが。冷静に考えてみれば、そんなはずはないのですがね。きっと出会った場所が他のどこかであっても、父と母は同じ道を選んでいたのでしょうし。今となっては、本人たちに聞くことも叶いませんが」

 サジャにはそれ以上、彼の心に立ち入ることはできなかった。しかし、まもなく姿を消す夕陽に染まる彼の横顔は、寂しげながら、どこか満ち足りているようにも見えた。

 日が落ちてなお活気の衰えぬ通りを抜け、城へ着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

「サジャ」

 裏門を通り抜けたところで、アンシルはサジャを呼び止めた。

「サジャのおかげで今日一日、とても楽しく過ごせたわ。本当にありがとう」

 深々と頭を下げるアンシルに恐縮しつつ、サジャは裏門の手前の人影にふと目を留めた。

 サイラスとともに、アンシルを守護する剣として影のように付き従っていたランダルトが、門の手前で何やら話し込んでいる。会話の相手は、サジャの見間違いでなければ、門番の片割れであるディアのようだった。帝都一の剣士と、人見知りの門番の少女。なんとも奇妙な取り合わせが、やけに印象に残った。

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