11. 狩猟祭2
***
ハンカチ攻撃を華麗に退けた皇帝の目に、ふとその姿が止まった。こっちはこっちで、懲りないものである。
横恋慕しているリュシーに声をかけたいのか、ヴィクトルがやや距離を置いたまま近くをウロチョロしていた。されど皇帝ルシアンがいるのでとても寄って来られず、目が合うなり慌てて一礼をし、逃げるように大公一家の席まで走っていった。
ルシアンはリュシーを主催席まで丁寧にエスコートするなり、やや意地悪な気持ちで彼の後を追うことにした。あまり良い趣味とは言えないが、ヴィクトルをからかうのは皇帝ルシアンの愉しみのひとつなのである。
場には思わぬ人がおり、皇帝は目を丸くした。
「? 珍しいな、そなたは参加しないのか?」
大公がいた。いつもなら馬と共にいる時間だ。大公は祭好きで、狩猟の腕も高い。ほぼ全参加である。
「やや体調が芳しくなく、今回は妻子とこちらで控えていようと思います。私のぶんも、息子がしっかりと励んでくれることでしょう」
確かに、少し顔色が悪かった。珍しいこともあるものだ。
奥方はいつもの通り静かに礼をしており、次男ヴィクトルとその双子の姉であるベレニスも慌てて皇帝に礼をした。
「そうか、残念だ。だがルロワが出るなら、私も気を引き締めねばならんな」
「そう仰っていただけると、息子にとっても励みとなりましょう。狩猟の腕はなかなかのものですから」
祭を盛り上げてくれるとよいのですが、と大公は父親の顔になった。
大公はたまに、こうやってときどき穏やかな顔をする。妻子の話になると特にそれが顕著だった。
隠しきれない権力欲さえなければ、これもそう悪い親ではなかったろうに、と皇帝はどこまでも残念に思った。
「ベレニスも来ていたのだな」
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます」
パーティーの折にも思ったが、この子を連れてくるとは意外だった。
この娘とヴィクトルは愛人の産んだ子であり、正妻である大公夫人との子どもではない。本来ならどちらもこの場にはいられないはずだった。
ヴィクトルは男子であったからか生まれてすぐ夫人の養子とされたが、ベレニスはずいぶん遅れて養子になった。おそらく大公は政略結婚でも企てているのだろう。
人懐こく明るいヴィクトルと違い、そしてルロワに聞いていた雰囲気とも違い、ベレニスはずいぶん大人しい子であった。お転婆だと聞いていたのだが、挨拶したきり黙って微笑んでいた。
受け入れた真意こそ不明であったが、夫人がこのふたりを迎えたなら、大公がなにを企てていたとしてもそう悪いようにはしないだろう。
どことなく距離があるところを見るに、この母子はいまだあまり打ち解けていなさそうではあるが。
養子云々も、また大公の独断だったのだろうかと悩む。実は愛妻家な大公に愛人がいたことも驚きだったのに。夫人に引け目があるはずなのに、そこまでの勝手を押し通すものだろうか。
子どもも愛人もいない皇帝には、考えても見当のつかないことだった。
居心地が悪そうに、ひとりソワついているのを見て、意地悪な心がもたげてきた。
「ヴィクトル、そなたは参加しないのか?」
「え。僕はまだ12歳です、狩りなんてとても」
「そうか? 私が12の頃はすでになんでも狩っていたが」
陛下と僕ではとても同じようにはいきません、と述べるのを、大公は急に不機嫌な顔で見た。
皇位を狙う大公からすれば、自分の息子が自ら皇帝に劣る発言をするだなんて、屈辱的なことなのだろう。
私の悪戯心のせいで、後で叱られては可哀相だなと思った。
「ではどうだ、なんなら私に付いてくるか? クマを仕留めるところを見せてやる」
目を剥いたのは、大公であった。
「いけません、陛下! ヴィクトルはまだ幼く」
「大公が子煩悩であることは私とて知っているが、いつまでも可愛がるだけでは頼もしく育たんぞ。なにもクマを狩れと言っているわけではない、森を歩くだけでも学べることはある」
馬には乗れるのだろう? と問うと、ヴィクトルは目を輝かせおずおずと頷いた。
好奇心旺盛な年頃だ。家族や夫人方に混ざってお茶をしているより、森の中を散策する方が楽しかろう。案の定その目は、皇帝の思わぬ提案にすでに浮き足立っていた。
「でしたらルロワに付いていかせます。陛下のお手を煩わせるまでもありません」
肩を竦めるほかなかった。
ルロワは崖でも平気で登る、皇帝ルシアンでさえも一目置く優秀な騎手である。それこそ、初心者のヴィクトルについてゆけるわけがない。
「あれはそなたに似て、勝負事になると脇目も振らぬ男ではないか。どこぞに置いていかれては戻って来られんぞ。
私とならば、掃いて捨てるほど護衛騎士もついておるし、ひとり増えたところで大して困りはせん」
ですが、と大公はいやに難色を示した。夫人は静かな瞳でやりとりを見守っていた。
皇帝は、しかたなしにヴィクトルを見た。決める権利は本人にある。
「で、どうする。ここで家族団欒をするのも悪くはなかろう。だが私の次の気まぐれが、いつになるかわからんぞ」
「……。ご一緒したいです」
「、ヴィクトル!!」
「陛下のお邪魔にならぬよう、足を引っ張りそうになったら先に戻って参ります、お約束しますから! お願いします父上」
青くなりもはや言葉もない大公に、夫人は軽く息をつくとヴィクトルの肩に手を置いた。
「……陛下のお手を煩わせることのないように」
「! はい、母上」
照れた顔をしたヴィクトルを見て、大公は口を噤んだ。
「この皇帝が、責任を持って預かるゆえ心配するな。ヴィクトルは着替えて馬を用意してまいれ。森へは、護衛連中に混ざって後から付いてくるように」
視界の先で、リアムが必死になって皇帝に合図を送っていた。わかったわかったと曖昧に手を振った。夫人と話す時間がなかったではないか。
夫人は中央貴族の出身で、先日ルシアンに後継について進言してきた侯爵の妹である。あの侯爵は忠臣のひとりなので、夫人にも礼儀は尽くしたかったのだが。
「そろそろ時間のようだ。では、夫人も楽しんでくれ」
「陛下のお心遣いに感謝申し上げます」
皇帝が去るなり、僕も準備してきます、とヴィクトルはご機嫌で駆けてゆき、この父が手伝ってやるから待ちなさいと、大公も慌てて追いかけていった。
その背から視線を外すと、夫人はやや俯くベレニスをちらりと見やった。
「……残念ね。貴女もあれと一緒に行きたかったのではなくて?」
ベレニスは小さく首を振った。
戻ると侍従リアムが、「時間が押してますよなんですかさっきのは陛下は私も未婚なのをご存知ないのですか」云々と盛大に文句を垂れながら、「そろそろ開会の宣言を」と皇帝を促した。
見渡すも、馬の手綱を引いた紳士も観覧に来た淑女らも、例年よりほんの少し盛り下がっているように見えた。
……気温だな。おそらく肌寒いせいだろう。
追加で火を熾すよう、皇后が先ほど指示していたので淑女側は平気だろうが、男どもの士気がイマイチ低い。
皇后が時間を割いて準備をしたのに、しっかりと盛り上げねば、まかり間違って彼女のせいにされてしまいかねないではないか。
皇帝は声を張った。
「――この皇帝より大きな獲物、もしくは珍しい獲物、また、多くの獲物を得た者は、特別に望む褒美をつかわす! 王座以外のものなら、可能な限り叶えてやろう!」
場の連中の顔はパッと華やぎ、それぞれ嬉々として馬に跨った。
リアムが(誰が帳尻を合わせると思ってるんですか??)と、今にも叫びだしそうな顔をしていたが、ルシアンは見て見ぬふりをした。
心配性の侍従は青くなっていたが、まったくの杞憂である。この皇帝ルシアン、趣味で頻繁に行くほど狩りが大得意、誰にも負けない自信があった。
飛び出てきた獲物の目玉を射られるくらい、正確かつ命中率も高いのだ。誰にも負けたことがないし、今回も負ける気が一切しない。
ファンファーレと共に開始の旗が振り降ろされるなり、紳士らは馬に鞭打ち颯爽と駆けだした。
森へと一斉に入った彼らを見送り、皇帝はその場でひとり目線を空へと上げ、矢をつがえた。不思議そうに見守る淑女らの視線の中、ごく落ち着いた顔で狙いを定め、放つと、頭上を横断していた鳥がバサリと落ちてきた。
観覧の場から、大きな拍手と歓声が上がった。
ルシアンは倒れ伏した鳥から鮮やかな羽を1枚抜くと、愛想よく手を振りつつ皇后のもとへと歩いた。
「いくらか彩りになるかと思ったが、そなたの華やかさには敵わんな」
皇后の被っていた帽子の羽に追加で差し込むと、その顔は途端に真っ赤になった。愛おしくなりその頬をなぜた。
見ていた周囲から黄色い悲鳴が上がり、「お幸せそうね」「なんというご寵愛」などとあれこれ言われるのを聞き、皇帝は満足した。
――これで、私がこの場から離れても、皇后へ詰まらぬ嫌味を言える者はいまい。
仮にいたとしても、いま好意的な目で我々を見つめている淑女たちが、意地の悪い輩から皇后を守ってくれるだろう。
皇帝は淑女らを振り返り、実に愛想良く手を上げた。
「では引き続きみなも楽しんでくれ。皇后と共に暖かくして、くれぐれも風邪など引かぬようにな。この皇帝との約束だ」
馬に乗り改めて皇后へも手を振ると、皇帝はようやく森へと馬首を巡らせた。
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