知らぬが仏

「………………」


 翌朝。

 遠乗とおのりの訓練のついでに、必死で石壁を片付けているであろう無礼な平民たちに身の程を教えてやろうと、昨日の現場まで騎士団の兵たちを連れてやって来たエッケルは言葉を失った。


 昨日まで確かにあった、高さ二十四メルテ、奥行き十八メルテ、総延長そうえんちょう六千五百メルテの石壁が影も形もなく消え去っていたのだ。


「エ……エルンスト団長」

 最近入団したばかりの若い騎士、レオハルトが不安そうに声を掛けた。

 エッケルはそれを無視し、信頼できる古株の部下の名を呼んだ。

「ヒルスタイン! イードワド!」

「はっ!」

「ここに!」

「ここから石壁のあった跡を北上し、ナターラスカヤの工区終わりまで石壁が消えているのか確かめよ。途中に廃材置きやボタ山があればイードワドが引き返して報せ。隣の工区の壁までを必ず確認し、一切の様子を持ち帰れ」

御意ぎょい!」

承知しょうち!」

「アーンズバック!ライバッハ!」

「はい!」

「なんなりと!」

「お前たちは南だ。バインツェルマンシェルの森の切れ目まで南下し、石壁の有無を確認せよ。途中何かあればライバッハは引き返せ。アーンズバックは何があろうと工区終わりまでを見て帰れ」

おおせのままに!」

「一命に換えても!」

「ゆけ!」

 エッケルの号令で四頭の馬が四人の騎士と共に駆け出して行った。

「団長……もし、全ての石壁が一夜の内に全く跡形もなく消え去っているとしたら……」

 レオハルトは、一度無視されても自分の不安を打ち明けるのをやめなかった。

「我々は、とんでもない力を持った相手に、喧嘩けんかを売ってしまったのでは……?」

「………………」


「エッケル! そこにいるのはエッケルと銀翼騎士団か?」


 その時、エッケルにとって馴染なじみ深い声が彼の名を呼んだ。

「……父上」

「おお、おお、やはりエッケルじゃ。助かったわい」

 深夜の闇のように真っ黒な巨馬にまたがって現れたのはエッケルの父、エルンスト家の現当主、アルゲマイネ伯 アーネスト・ジョシュア・エルンスト侯爵である。

外縁防御壁がいえんぼうぎょへき進捗しんちょく視察しさつにな。オーラフと共に森に入ったが二人とも森林行しんりんこう久々ひさびさでな、道に迷うて行けども行けども壁に辿り着かん」

 かっかっか、と当代の侯爵は馬上で笑った。

 その隣では、栗毛くりげの馬にまたがった侯爵の忠実ちゅうじつ執事しつじである初老の紳士が、申し訳なさそうにお辞儀おじぎをした。

「この辺りで完成間近なはずなのだが……この森はそなたの庭のようなものであろう。すまんが案内してくれぬか」

「その必要はございませぬ、父上」

「??? どういうことじゃ?」

「あのような時代遅れの石壁は景観けいかんそこねるのみならず、我ら銀翼騎士団の活動の邪魔になるだけ。よって、工事は中止させ、石壁は担当業者に命じて撤去させました」

「……なんじゃと?」

「なに、心配には及びませぬ。魔物ワタリなら我々銀翼騎士団が……」

「このッ!!!お、ろ、か、も、の、がァァァッッ!!!」


 直前まで笑っていたアルゲマイネ伯の怒声どせいがエッケルをえた。その余波で、銀翼騎士団全員がすくみ上がった。


「エッケル! 貴様勝手な判断で国家の大事の公共事業を妨害し、あまつさえ完成間近だったはずの石壁を撤去させたというのか!?」

「は、はぁ、しかしこれは……」

「馬より降りて手甲しゅこうを解けぃ‼︎」

 侯爵の怒りは収まらず、エッケルは言う通りにするしかなかった。

 馬を降り、手甲しゅこうを解いたエッケルの鼻先に、エルンスト家伝家けでんか細身剣レイピア切先きっさきが突きつけられた。

「ここからは親子にあらず。アルゲマイネ伯エルンスト侯爵が、銀翼騎士団団長に問う。いのちかるものとして、心して答えよ」

 エッケルは息を飲んだ。

 背中に嫌な汗が湧き上がる。

 父がエッケルをこのように扱うのは初めてのことであった。

「わしは工事を請け負ったウンディネ沢魔法工務店を良く知っておる。エルンスト家とはお互いに先先代からの付き合いじゃ。当代の店主ラクサスも実直で真面目な魔導士で、決して契約を途中で投げ出すような男ではない」

 ゴクリ、とエッケルは喉を鳴らした。

「今回、西側外縁防御壁施工事業にしがわがいえんぼうぎょへきせこうじぎょうの責任者はフェルナンド卿で、ウンディネ沢魔法工務店はフェルナンド卿との事業請負契約じぎょううけおいけいやく締結ていけつしていたはず。おぬし、それを破棄はきさせたのか?」

「……はい。工事を中止し、一切を撤去せよ、結果には私が責任を負う、という新たな契約を結び……」

 そこまでを聞いてオーラフが急に落馬した。あまりのことに気を失ったようだった。銀翼騎士団の騎士が二人、馬を降りて気の毒な執事しつじ救護きゅうごに当たった。

「キャンセル料は? わしの知る所では石壁はほぼ完成していたと聞いていたが」

「……払わない、と押し通しました」

「ラクサス殿はそれを? 受け入れたのか?」

「不満げではありましたが、抜剣ばっけんしたところ……」

 ヒュッとレイピアがなり、エッケルのひたいけた。たちまち血が玉となって傷口にあふれ、エッケルの鼻筋はなすじを伝ってあごから落ちた。

是非ぜひもない。我が子ながら見下げ果てた奴よ。わしには良い顔を見せておったから放任ほうにんしていたが、どうやら間違いだったようだ。鎧を脱げ。たった今、貴様の銀翼騎士団団長ぎんよくきしだんだんちょうにんく」

「なっ……! 父上! それは」


「団長ー!」

 その時、南に斥候せっこうに出した二騎が帰って来た。

「アーンズバック、ライバッハ、南の斥候せっこうより戻りました。バインツェルマンシェルの森の切れ目まで走りましたが石壁は影も形もなく、石材せきざい一つ、くさび一本落ちておりませんでした!」

「う……うむ、ご苦労」


「ヒルスタイン、イードワド、戻りました!」

 北に出した斥候せっこうも戻って来た。

「ナターラスカヤ平原、石壁は見当たりません。地面に建造物の跡すら残っておらず、一夜のうちに一体どのようにあれを消し去ったのか……」


 エッケルは南北の斥候せっこうからの報告を聞いて閃いた。

「父上! 完成間近などとはデタラメで、奴らは最初から工事などしていなかったのでは……‼︎」

 エルンスト侯爵は哀れみの眼差まなざしで元騎士団長を見下みおろして深いため息をついた。

「貴様は自分のしでかした事の重大さがまだ分かってないようだな。明後日あさってには国王陛下の名代みょうだいとして皇太子殿下こうたいしでんかがここに視察に来られる」

「こ、皇太子殿下こうたいしでんかが!?」

「今回の外縁防御壁事業がいえんぼうぎょへきじぎょうはそれだけ国家の威信いしん安全保障あんぜんほしょうとが懸かったものだったという事だ。それを貴様は思い上がった勝手な判断で台無しにしたのだ」

「ぐ、ぐひィ……」

 エッケルは何かを言おうとしたが、のどの途中から妙な音がしただけだった。

「鎧が脱げたなら騎乗せよ。銀翼騎士団は一度わしが預かる。お前たちもついてまいれ」

「ど、どこへ行くんです?」

「決まっておる。ウンディネ沢じゃ。工務店の方々に謝罪し、今一度いまいちど外縁防御壁がいえんぼうぎょへき施工せこうしてもらうのじゃ」

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