ウンディネ沢魔法工務店

木船田ヒロマル

晴天の霹靂

「キャンセル!? 工区全部を!? 今!?」


 ウンディネざわ魔法工務店、店主のラクサスは彼にしては珍しく大きな声を出して驚いた。三十手前にしては童顔の青年の青い瞳の目は、受けた衝撃の大きさに一杯に見開かれている。


「そうだ。工事はキャンセル。構造物は全て解体して廃材はいざい資材しざいの類は持ち帰れ。これは銀翼騎士団団長、エッケル・バーナード・エルンスト侯爵こうしゃくとしての命令である」

 そろいの鎧と白馬でラクサスを取り囲む十余人じゅうよにん、その頭目の男が横柄おうへいに馬上からそう告げた。

「理由をお聞かせ願いたい!

 これは王国から頂いた正式な公共事業で、……ほら、こちらの事業委託契約書じきょういたくけいやくしょにも実務担当であらせられるフェルナンド子爵ししゃくのサインと花押かおうが……」

子爵ししゃくゥウ? 貴様、エッケル侯爵閣下こうしゃくかっかとそこらの子爵風情ししゃくふぜいとどちらが高貴な身分かの分別ふんべつもつかんのか!」

 侯爵閣下の取り巻きの一人が、明らかに恫喝どうかつの暴言をラクサスに投げつけた。

「そりゃ、理由の説明になっとりゃせん」

 まだ若い店主をかばうように、歩み出たエルフの少女が横暴な馬族たちに問い掛けを重ねる。

「期日まであと十一日。工程は最後の多重たじゅうエンチャントと総合結界制御そうごうけっかいせいぎょ起動施術きどうせじゅつを残すのみ。これは二日あれば完遂かんすいできる進捗しんちょくじゃ。ここに来てキャンセルとは、余程よほどの理由があるのだろうの?」

「なんだァア? 小娘ェエ?」

「良い。特別に答えてやろう耳長のチビ女」

 聡明偉大そうめいいだいにして日輪にちりんの化身たるエッケル侯爵閣下は、その威容いよう尊大そんだいを充分に言葉に載せてお答えになった。

「お前たちがここ一ヵ月作業して汚い石壁を積み上げたこのバインツェルマンシェルの森はな、我々銀翼騎士団のテリトリーであり、その技体ぎたい練成れんせい心身疲労しんしんひろうに対する滋養じように必要な、訓練場であり狩場である。そのような神聖なる場所に、品性のかけらもない、時代遅れな、醜悪極しゅうあくきわまる石壁を築くなど、言語道断ごんごどうだんである。これが理由だ。小さな頭で理解したか? 未開の森の小娘よ」

 エルフの少女は答えなかったが、その手にはいつのまにか小さな錫杖ワンドが握られており、何か精霊語で詠唱えいしょうを始めたようだった。

「いけませんアルビエッタさん!」

 今度は太った中年の僧侶そうりょあわてた様子で駆け寄って来て、エルフの少女の詠唱えいしょうを止めた。

「こやつら話にならん。永遠に石にして埋めた方が世の中のためじゃ」

「そりゃそうかもですが、おっと失礼。相手は仮にも騎士団長の侯爵閣下ですよ! ここは私が話しますのでご自重じちょうください」

「ふん。始祖エルフに誓って言うがろくなことにならんぞ。金にはならず、仕事が増えるだけじゃ」

「誰だ貴様は」

 エッケルはあからさまに侮蔑ぶべつの表情を浮かべながら、太った中年の僧侶に馬を向けた。

「申し遅れました。私は神の恵みと図書の教会の僧侶にして、現在はこちらウンディネ沢魔法工務店で作業計画と神聖魔法魔法付与しんせいまほうエンチャントを担当しております、ヒューベルピョロンと申します」

 ふははっ、と侯爵は哄笑わらった。

滑稽こっけいな名だ」

不随意ふずいいなればお許しを。

 さて閣下。閣下のおっしゃる通り、我らウンディネ沢魔法工務店の面々は、王国より正式の公共事業をたまわり、ここ一ヵ月余りをもってナターラスカヤ平原からバインツェルマンシェルの森を横断するおよそ六千五百メルテの防御壁を築き、エンチャントの準備を進めて参りました。作業に当たりました人足はべ三百人余り。前金は頂いておりましたので日雇ひやといの方々へのお支払いはとどこおりないですが、突然のキャンセルで、しかも工区の全体の完成構造物を全撤去とは余りにもご無体むたいなお話。前金はこれまでの支払いで既になく、我々はどう人を雇って石壁を解体したら……」

「知らん。それはそちらの都合だ。積み上げるより壊すのは簡単だろう。お得意の魔法でなんとかしたら良かろう」

 ゲラゲラと貴族の子息だろう騎士たちから下卑げひた笑いが飛んだ。

「今ひとつ。

 今期の外縁防御壁刷新がいえんぼうぎょへきさっしんは、国家計画の一環であり、その主たる目的は……」

「魔物ワタリからの、国家の防衛であろう。恐れ多くもその一旦を担う銀翼騎士団の長たる私が、それを知らないとでも思ったか無礼者め‼︎」

 エッケル騎士団長は本当に憤慨ふんがいした様子で太った僧侶を怒鳴どなりつけた。


 魔物ワタリとは、この世界の魔物たちの珍しい習性の一つである。

 数年に一度、あるいは数十年に一度、魔物たちが大挙たいきょして列をなし、その生息範囲を移動して勢力図を大きく変えるのだ。いにしえ賢者けんじゃサルナバルによると、これは魔物たちの同族生存競争どうぞくせいぞんきょうそうと種の停滞ていたいを防ぎ、個々ここの種の子孫繁栄しそんはんえいの維持に役立つ本能なのだろうとの分析だが、その道筋みちすじになってしまった集落しゅうらく城塞国家じょうさいこっかはたまったものではなかった。


「これは失礼を。

 魔類観測局まるいかんそくきょくの予報によれば今年のワタリは数百年に一度の……」

「くどいっ‼︎」

 エッケルは抜剣ばっけんし、その切先きっさきを僧侶の鼻先に突きつけた。

委細承知いさいしょうちである! 銀翼騎士団長エッケル・バーナード・エルンストが! 工事を中止し! 構造物や資材の一切を取り払えと命じた! 貴様らはそれに従うのか! 逆らうのか!」

 取り巻きたちも次々と抜剣ばっけんする。

 工務店の面々と作業していた人足たちは流石さすがに動きの一切を止めて息を呑んだ。

「ほれ見ろ。言わんことじゃあない」

 エルフの少女がつぶやいた。

「……分かりました」

 ラクサスは苦渋くじゅうの表情で返事をした。

「工事の中止、構造物及び資材の全撤去。確かにうけたまわりました」

「ラクサス殿……」

 太った僧侶が悲しげに呼びかける。

「良いのです司教しきょう。どんな理由であれ、我々の現場で人の血が流れてはいけません」


 そのやり取りを聞いたエッケルは鼻で笑った。

  (司教しきょう? 間抜けなごっこ遊びだ)


「アルビエッタさんも。ここはこらえてください。余計なことも、もう言わないように」

徹頭徹尾てっとうてつびあいた口がふさがらんのに、これ以上ものが言える道理どうりはなかろう」

 エルフの少女はフードをかぶってきびすを返すと、さっさとかえ支度じたくを始めたようだった。


「エルンストきょう。我々はあなた様の言に従いますが、これは先の契約を反故ほごにし、結ばれる新たな契約です。お手数ではありますが、一筆いっぴつだけサインを」

 ラクサスがそう言うといつの間に用意したものか、書き板にった羊皮紙ようひしの書類がペンと共にエッケルの手元に浮遊して来た。

 それは簡単な内容だった。


〜 ウンディネ沢魔法工務店に発注された王国外縁防御壁の契約を全て無効とし、関連構造物、廃材、資材の全撤去を命ずる。

 キャンセル料は払わず、この命令の結果生じた全ての出来事についての責任は命じた私が負うものとする 〜


「生意気な」

「怖いですか? 魔物のワタリがここに来るのが」

「ふざけるなよ!」


 エッケルは荒々あらあらしくサインをなぐり、書き板ごとラクサスに投げつけた。

 手を止めて、ことの成り行きを見守っていた作業者さぎょうしゃたちが皆一様みないちよういかりにしばり、こぶしかたむすんだ。


「これで満足まんぞくか! 平民風情へいみんふぜいが! 知性ちせい統率とうそつもない魔物どもなど我ら銀翼騎士団の敵ではないわ‼︎ 一週間くれてやる! 石遊びのガラクタを早急そうきゅい撤去てっきょせよ! 一週間経いっしゅうかんたってレンガの一つでも残っていたら、その首と胴とが泣き別れになると思え‼︎」


 エッケルはむちを打ち、馬はいなないて大きく前足を上げた。そのひづめはラクサスをかすめ、ラクサスは思わず尻餅しりもちをついた。僧侶ヒューベルピョロンがラクサスにりその体を支える。


「いいザマだな! 貧乏工務店びんぼうこうむてんが! いつくばってそうしてるのがお似合いだぞ!!!」


 がははは、とエッケルの笑い声が響き、ゲラゲラと取り巻きたちの哄笑こうしょうがそれに続いた。

 ラクサスたちをあざける笑いは森の中にひづめおとと共に反響はんきょうし、やがて遠ざかっていった。


「大丈夫ですか?」

「ええ。ありがとう、司教」


 ラクサスは立ち上がり、ローブの土を払うと、エッケルが残していった契約書けいやくしょ確認かくにんし、理不尽りふじん馬族ばぞくたちが去った方角をにらんだ。


「……ご契約けいやく、ありがとうございました」


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