第十四話 こっくりさんタイムアタック

 冬休みが終わる。瑠佳たち四人は町へ戻ってきた。

 暗雲立ち込める烏鷺山高校の墓地、その入り口には、方丈誠人が立っていた。

 彼の周りには十人の僧侶が立っている。それとわかるのはにじみ出る気迫からである。彼らは白装束や革ジャケットなど多様な服装をしていた。


「おや、またお会いしましたね」

 誠人は細い目で瑠佳を眺める。


「禊が済んだようで、なにより」


 胸の前で手を合わせた。僧侶たちも呼応する。

 瑠佳は無視して疑問をぶつけた。


「烏鷺山高校になんの用」

「聖典を探しに来ました。ウロ調伏のためにね」


 ウロ調伏の聖典は、烏鷺山高校にある。舟森の祖父が残した遺書の内容は、既に知られているようだった。

 僧侶たちは念仏を唱えながら墓地へと踏み入る。砂利を踏む音が続いていく。


「それにしても、すごい妖気だ。まずは周辺の掃除からですね」


 瞬間、僧侶たちの頭部が消えた。

 墓石の上から、ビョウ、とこの世ならざる獣の声がした。

 十人分の血しぶきが墓を染める。

 それを高校生たちは間近に見ていた。


「態勢を整えます」


 誠人は撤退した。



 瑠佳たちは首を取られることなく登校できた。


「誠人より先に聖典を探し出す! そして、みおりも見つける!」


 瑠佳は教室の中央で宣言した。が、すぐに首を傾げる。


「どうやって探そう」

「こっくりさんに聞こう」


 黒井戸はノートの一ページを破る。五十音表と数字、『はい』と『いいえ』、そして鳥居の絵を書き込んだ。


「起源は西洋のテーブル・ターニングという降霊術だ。科学的な説明を付ければ人間の身体が潜在意識によって無自覚に動いているとか、憑依されたと思い込む自己催眠によるとか……また、複数人に同じ症状が出る感応精神病の発生もある。だが、この学校でやるからには何か降りて来るだろう」


 五円玉を鳥居の絵に乗せて、生徒たちが取り囲む。


「十人でやるのは難しいな。五人が代表して残りは肩に手を置け。絶対に手は離すな」


 黒井戸、瑠佳、小埜寺、舟森、村前が五円玉に指を置き、残りはそれぞれの肩に手を置いた。


「で、聖典とみおりどっちを優先する」


 黒井戸は瑠佳にたずねた。


「……聖典で」

「なぜだ」

「聖典を手に入れたら、みおりも現れる気がする。私の直感」


 瑠佳の言葉に、黒井戸は何も言わなかった。代わりにこっくりさんへの呼びかけを始めた。


「こっくりさん、こっくりさん、おいでになられましたら、はい、へお進みください」


 五円玉は、ゆっくりと動き始める。『はい』に止まった。


「こっくりさん、こっくりさん、聖典がある場所を教えてください」


 五円玉はずるずると、『し』へ止まり、次に『ね』へ止まった。


「対話くらいしろ」

 黒井戸がぼやいた。

 その時、甲高い鳴き声と共に紙から巨大な狐が飛び出した。

 犬神の白い狼が現れて、狐を食い破った。

 ばらばらにちぎれて空気に溶けていく。


「これは使えるかもな。ついでに学校の浄化もしてしまおう」


 生徒たちはこっくりさんを続行した。



「こっくりさん、こっくりさん、聖典がある場所を教えてください」

 電灯が一斉に明滅して、部屋の隅に赤い服の女が現れた。

 白い狼が爪で引き裂いた。


「こっくりさん、こっくりさん、聖典がある場所を教えてください」

 黒い髪が天井から垂れ下がり、生首が落ちて来た。

 白い狼がくわえて窓の外へ投げ出した。


「こっくりさん、こっくりさん、聖典がある場所を教えてください」

 天地が逆転し五円玉から指が離れそうになった。

 白い狼が生徒たちを支えて一声鳴くと、正常に戻った。



「ここに集っている化け物は、どいつもこいつも聖典の在処を教えたくないらしい」

 黒井戸が呟いた。

 生徒たちはすっかり肝が据わっていて、一丸となってこっくりさんを続けている。

 怪異の襲撃は続いた。何十、何百と怪奇現象が立ち現れては狼に退治されていく。


 千一回目。

 五円玉が『ち』『か』『し』『つ』と順番に止まった。


「地下室」


 瑠佳は理科準備室の地下室の噂を思い出す。

 不意に、じっとりとした感触が手元に現れた。

 くすぶるように紙が黒く変化していく。しかし灰にはならず、腐った臭いを放つ黒い液体に変わっていく。

 紙だったものはこの世から消滅した。


「ウロだ」


 五円玉から手を離して、黒井戸は液体を払い落とした。


「自分からヒントを残していったの?」

「なにかの罠かもな」


 黒井戸は机を雑巾で拭いた。



 瑠佳たちは理科準備室へと向かった。

 壁一面を埋める棚には試薬や胎児の標本が置かれており、埃をかぶった人体模型の予備もあった。


「地下室への入り口、ありそう?」

 瑠佳がたずねる。

 黒井戸と小埜寺は頭を横に振る。


「棚も動かしてみるか。小埜寺、そっちを持ってくれ」

 黒井戸が棚の角を持つが、瑠佳はそれを止める。


「地下室を見つけた先輩たちは、部屋に入っただけで見つけたんだよね」


 小埜寺もうなずいて同意した。


「棚を動かしたり、特殊な行動はしていないと思います。ただ、地下室があったと」


 黒井戸と瑠佳はあごに手を当てる。小埜寺は胸ポケットのフロッキー人形を撫でた。


「床を壊すのは、どう?」

「馬鹿なのか?」


 瑠佳の提案を黒井戸が一蹴する。

 拳を振り上げる瑠佳を小埜寺が制止する。


「なんらかの条件があるのかと。誠人くんは、ウロ退治に穢れが関係あるように言っていましたね」

「穢れか……そういえばミソギが済んだって言ってたけど、それってどういう意味?」

「禊とは神道の言葉で、罪や穢れを落として身を清める行為だ。自覚はないが、俺たちはこの間の地獄めぐりで穢れが落とされたのだろう」

「……」


 瑠佳は目を瞑る。


「聖典よ、現れろ!」


 叫んだ。

 何も起こらなかった。


「業者に呼び掛けて床を開けてもらおう」

「ちょっと、待ってよ。なにか言ってよ恥ずかしいから」


 準備室から出ようとした、その時だった。

 棚から実験器具が落ちて来た。


「わっとと」


 瑠佳は受け止めようとする。

 足元が沈んだ。


「あれっ」


 床材の中へ沈む。

 木の中へ沈む。

 コンクリートの中へ。

 冷たい液体が耳の中に入って来て、身体が硬直する。プールでおぼれた時のことを瑠佳は思い出す。あの時は友達がすぐに助けてくれた。友達が……


「助け、っ」


 世界が一変する。





 知らない場所に瑠佳はいた。


「ここは……」


 四方に小さな何かが並んでいて、びっしりと天井まで埋め尽くしている。それは木彫りの仏像だった。香木の臭いが瑠佳の鼻を突いた。

 部屋の中央に等身大のそれが座っている。枯れた木のような材質で、これも仏像なのかと瑠佳は一瞬勘違いした。

 人間だ。

 元は人間だった、蝋化した、死体。


「おい!」


 天井から黒井戸の声がした。ドンドン、と叩いている。

 ここから瑠佳は落ちて来たのか。どうやって。


――瑠佳――


 名前を呼ばれた気がした。天井を見上げていた顔を下ろす。黒井戸の声と天井を叩く音はまだ響いているが、遠ざかっていく。

 目の前にいるのは、死体だ。

 いや。

 違う。


――瑠佳、渡すものがある――


 瑠佳の頭に声は直接響く。

 一歩、前へと踏み出した。

 人間は、この状態で生きていられるのか。そういうことではないのだろう。魂が、祈る意志が、今日まで繋ぎとめていたのだ。

 その手にあるのは一巻の巻物だった。

 瑠佳は、乾いた音と共に、それを抜き取る。


――頼んだ――


 声は言った。





「おい!」


 黒井戸の顔が目の前にあった。気が付けば瑠佳は理科準備室の床に寝ていた。


「夢……?」

「何をのんきな。頭は大丈夫か……それはなんだ」


 瑠佳は起き上がる。

 その手に巻物がある。


「……お墓で人は死んでいない」

「何?」


 両手で固く握る。


「みおり」


 瑠佳は意を決して、巻物を広げた。

 一切、読めなかった。


「……」

「読んでやろうか」


 黒井戸がスマートフォンを取り出した。くずし字辞典アプリを開く。


「棚の上に有ったとはな」


 解読しながら黒井戸は言った。

 瑠佳は頭をかかえ、あの部屋を思い出す。


「棚の、上じゃないと思う。気が付いたら変な部屋にいて、これを渡したいって……」

「どこにあったかはどうでもいい。ウロ調伏の詳細がここには書かれている」


 黒井戸は巻物を閉じた。


「偽書でなければ、これは烏鷺寺の高僧の直筆だ」


 それで瑠佳は確信した。

 あの時、瑠佳の目の前にいたのは、ウロを調伏したという高僧その人だったのだ。


「助けられるの、みおりを」

「それはわからん。これを実行するには準備が必要だ」


 黒井戸の言葉にうなずく。瑠佳の決意は固かった。


「絶対に、実行する」



 教室に戻って、黒井戸が巻物の内容を解説した。


「村の人間は、ウロに憑かれた者を贄とした。それを後悔していて、高僧に頼った」


 生徒たちは真剣な表情で聴いている。


「巻物には、ウロを祓い落とすために考えられた方法がびっしり書かれている。全て試していたら切りがない、有効と思われるものを選別する必要がある」

「どうやって」

「お前が決めろ」


 黒井戸は、瑠佳を見つめて言った。


「ウロは古蛇に取り憑いた。そして一年半もの間、祟り殺さずにいる。古蛇の性質と深く結びついていると考えていい。あいつ自身が嫌がるものを、お前が考えて導き出せ」

「私がやるの」

「ああ。たとえ殺されても、古蛇を助け出すんだ」

「……殺されたくはないかな」

「じゃあ、必死でやれ」


 瑠佳はうなずく。


「古蛇をおびき出す方法について、ひとつ提案がある」


 黒井戸は結界の御札を取り出し、教室の四隅に置いた。



 瑠佳は走った。

 校舎を走った。

 廊下の角から舟森が飛び出した。彼が向かってくるのを見て、瑠佳は踵を返してまた走った。


『鬼ごっこをやる』

『鬼ごっこを?』


 先ほどの会話を瑠佳は思い出す。

 こどもの遊びには、霊的ななぞらえをしているものがいくつかある。

 鬼とはぬという言葉、つまり『そこにいないこと』から転じたという説があり、祖霊を表す言葉として使われた歴史がある。

 これを鬼ごっこに絡めて使うのが、黒井戸の計画だった。


 鬼の印には聖典を使った。掴まった者は鬼から聖典を渡されて、次の鬼になる。

 これを繰り返しているうちに、聖典を回収しようと、ウロに憑かれたみおりが出て来るはずだ。

 階段から笠井が飛び出してきて、瑠佳は一瞬止まる。

 舟森の手が瑠佳の腕に伸びる。


「タッチ!」


 宣言。瑠佳は惰性で壁にぶつかりそうになりながら止まる。笠井はもう来た道を戻って逃げていた。舟森が尻ポケットから聖典を取り出した。


「古蛇は来るぜ」

「うん」

 瑠佳はうなずく。聖典を受け取って、走った。


 理科室の前を通った。原田たちがいる運動場を通った。ベートーベンが眠る花壇の前を通った。黒井戸がひとりかくれんぼをした体育館を通った。みんなで泊まったお墓を脇目に走った。


 瑠佳は走った。

 駐輪場の前を通って、腐った葉っぱを踏みながら走った。

 桜の木がある校舎の入り口に、背の高い中性的な少女がいた。


「みおり!」


 みおりは走って逃げていく。

 瑠佳はそれを追いかける。

 聖典は瑠佳の手に有る。ウロはこれが目的だ。それでも、みおりは本気の様子で逃げていく。


 校門を越える直前で、瑠佳は追いついた。


「タッチ!」


 同時に、瑠佳の口から黒い液体が噴き出した。



 つづく


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る