第十三話 夢の地獄めぐり

 少年は細い目で笑ったが、どこか居心地の悪さを瑠佳は感じた。


「僕の名前は方丈誠人ほうじょうまこと、調伏師をしています」


 君たちと同じ高校生ですが。と、誠人は付け加える。


「その調伏師が何の用だ」

 黒井戸は言った。


「ウロに憑かれた少女を探しているのでしょう」

「知ってるの、どこにいるか」

「いいえ、お伝えに来ただけです。これだけ探していないのでしたら、もう考えられるのは……」


 誠人は俯いて頭を左右に振る。


「みおりが、この世にいないって言いたいの」

「気分を害されたなら謝ります」


 瑠佳は口の中を噛む。考えてはいた。ウロに祟り殺された人間の末路を知っているのだ。この世に痕跡も残さず、溶けてなくなることを。

 だがそれなら、ウロも退治されたことになるのでは。


「ウロの気配はまだこの世にあります。他の人間にとり憑いている可能性が高いでしょうね」

 誠人は油断なく言った。

 その細い目の向こうに、鋭い光が見える。


「あなたたちは穢れている。ウロは僕が調伏します」


 宣言すると、誠人は去っていった。


「汚れてるって、そりゃちょっと旅疲れしてるけど、失礼な」

 瑠佳は自分の身体を嗅ぐ。

「そういう意味じゃないぞ」

 黒井戸は言った。


 瑠佳は息を吐いた。

「みおりはまだ生きている」

 黒井戸は横に立ち、眼鏡を上げた。

「直感か」

「そう」

「……非論理的だが、俺もそう思ってる」

 二人はうなずいた。

「わたくしも、信じています」

 犬神と小埜寺もうなずいた。



 四人は旅館に泊まった。

 名物のキノコ鍋が美味しくて、瑠佳は三皿もおかわりした。

 温泉も景色がよくて最高だった。


 旅館を満喫したその夜、瑠佳は夢を見た。

 花畑に立っていて、すぐそばに川が見える。

 対岸で誰かが手を振っている。ああ、去年亡くなったひいおばあちゃんだ。瑠佳は河原へと踏み出した。

 川を渡ろうとすると、腕を引かれた。


「おい」

 眼鏡をはずした黒井戸だった。

「渡っちゃいけない奴だろ。これは」

「え、本物の黒井戸氏」

「そうじゃないならなんだ」


 瑠佳は気が付いた。

 これは夢だが、ただの夢ではない。奇妙な感覚だった。


「夕食のキノコ鍋に当たったんだな。多くの人間が川を渡ってる」

 周囲をよく見ると、旅館で見かけた老若男女が川に足を浸していた。

「まずいって、連れ戻さないと」

「全員は無理だ。……まあ、大丈夫だろう。見ろ」


 対岸に辿り着いた一人の男性が、老婆に蹴り倒されていた。

 まだこっちに来るんじゃねえ。と、しわがれた声が届く。


「よかった」

「……考えたんだが、これはちょうどいい機会だ。地獄めぐりをしよう」

 黒井戸は提案した。

「また、ろくでもないことを」

 瑠佳は呆れていた。


「死者から得られる情報もある。犬神と小埜寺を探すぞ」

「あれ、黒井戸覚えてないの。犬神さんキノコ苦手だから、お鍋食べなかったよ」

「なるほど。探すのは小埜寺だけだな」


 それから河原でフロッキー人形を積んでいる小埜寺を見つけて、三人で川を渡った。

 霧の中を進んでいくと黒い門が見えた。


「閻魔大王の裁判所だ。絵図の通りだな」


 黒井戸はずんずん進んでいく。その後ろを瑠佳と小埜寺はついていく。

 大勢の人間が行列に並んでいた。三人は最後尾に並ぶ。


「裁判所でなにをするの」

「裁判所では生きていた頃の罪が全て記録されている。それによって、どの地獄へ行くかを決定される」

「地獄だけなんだ」

「よほどの人間でなければ極楽には辿り着けない」


 黒井戸の番になった。

 彼の前に鏡が置かれていて、映っていた黒井戸の姿が揺らぐ。

 幼い黒井戸の姿が現れた。古そうな巻物をびりびりに破いている。それを大人に止められている。バチがあたるぞ。と、鏡から声が聞こえた。巻物は地獄の様子を記した絵のようだ。


極苦処ごくくしょへ行け」


 なにか、大きな存在が言葉を発した。

 黒井戸は特に何も言わず、牛頭の獄卒に連れられていった。


 瑠佳の番になった。

 鏡の像が揺らぐ。瑠佳はそれを見るのが怖かった。目を瞑ってしまった。


多苦処たくしょへ行け」


 瞼を開けると、鏡は今の瑠佳の姿を映していた。あの光景をもう一度見ずに済んで、喜ぶべきか懺悔すべきか、瑠佳にはわからない。


「行け」


 声にうながされて、瑠佳は獄卒に左右を固められて歩いた。

 霧の中を進む。

 小埜寺の罪は聞けなかったが、彼はやさしい人だから極楽へ行くのかもと瑠佳は思っていた。



 瑠佳は走っていた。

 大量の亡者に追いかけられて。


「アソボウヨ」

「ネエ、ナンデナイテルノ」


 あの日と一緒だ。瑠佳は自分が参加した『いじめ』と、全く同じ責め苦を味わっている。

 怖い。苦しい。だけど、あの子の恐怖に比べれば、覚悟している分なんてことはない。瑠佳は走った。


 走っているコースの先に、炎に巻かれた影が見えた。

「おい!」

 黒井戸が落ちて来ていた。

 瑠佳はそれをキャッチする。

「あつ、あちちち」

 燃える黒井戸を抱えたまま瑠佳は走った。

 よく見ればコースの周囲は頭や内臓をはじけさせた人間で埋め尽くされていた。コースの脇には断崖絶壁があり、人々が燃えながら落ちてきている。


「グロい……」

「小埜寺を探すぞ」

 地獄に死の概念はない。死ぬほどの痛みが永遠に続くのだ。

「アソボウヨ」

 炎に巻かれながら二人は逃げ去った。


「小埜寺くん!」

 鳥のくちばしに吊り下げられた小埜寺を見つけた。内臓が出ている。

 瑠佳は飛んだ。明晰夢の中でいつもそうしているように、ふわりと宙へ浮かんだ。

 小埜寺を捕らえる。


「うわっ、臭い」

 小埜寺の全身は糞尿に漬かっていた。

「申し訳ありません、それが責め苦の内容ですので」


 亡者から逃げながら、炎に巻かれながら、糞尿の臭いに耐える。その状態で瑠佳は地獄の出口を探した。


「あっちだ」

 黒井戸の炭化した顔が喋った。骨が敷き詰められた地面に、大穴が口を開けていた。

「アソボウ」

「ネエ、アソボウ」

 亡者が追いすがる。

 瑠佳は全速力で、大穴へ向かって飛び出す。


「とうっ!」


 三人は落ちていく。

 落ちていく途中で、地獄の階層が見渡せた。それぞれを黒井戸が解説する。


「今まで俺たちが居たのが等活地獄。殺生を行った者が行く」

 断崖から人々が落とされている。

 瑠佳のように走り回っていたり、糞尿の鍋で煮られている。


「あれは黒縄地獄だ。殺生に加えて盗みを働いたものが落とされる」

 鉄の棘の上を人々が歩いていた。


「衆合地獄。さらに倒錯した行為を行ったものが落とされる」

 熔けた金属を流し込まれ、炎に焼かれていた。


「叫喚地獄。さらに酒の罪を犯したものの地獄だ」

 杭を打たれ、刀で細かく刻まれている。


「大叫喚地獄。さらに嘘をついた者」

 毒蛇や毒虫がたかり身体を食い荒らしている。見ているだけで皮膚が痒かった。


「焦熱地獄」

 溶けた金属や血の河で人々が煮られている。


「大焦熱地獄」

 巨大な炎に焼かれている。熱気が瑠佳たちにまで届きそうだった。


「そして無間地獄、あれが目的地だ」

 黒井戸が指したのは穴の底だった。

 瑠佳は二人を抱えたまま、骨の地面に着地した。

 気付けば黒井戸の炎は消えて、小埜寺の臭気も散っていた。


「瑠佳、疲れたか」

 珍しく、黒井戸は瑠佳の名前を呼んだ。

「いや、別に。なんでだろ」

「今は魂の姿だからな。イメージ次第で百間でも走れる」

 聴きなれない単位を使って、黒井戸は説明した。

 三人は地獄の底を歩く。


「ここが目的地って、どういうこと」

「話を聞きに行くんだ。最初にウロに憑かれた人間にな」

「どうして無間地獄にいるの」


 黒井戸は振り返らない。


「化け物に祟られるっていうことは、それだけの罪なんだ」


 瑠佳は納得できなかった。

 あの黒井戸が、そんなことを言うだろうか。


「あんた、なんか変じゃない?」


 黒井戸は振り返らない。

 瑠佳がその肩に手を置いた。

 その時だった。


「おい」

 振り返ると、両目が潰された黒井戸がいた。黒縁眼鏡が溶けて顔に貼りついている。

 もう一人の黒井戸は、眼鏡をかけていない黒井戸を指した。


「そいつは俺じゃない」


 魂の姿だから見えているのか。目の潰れた黒井戸は言った。


「え、えっ」


 肩に置いた瑠佳の手が沈んでいく。眼鏡をかけていない黒井戸はどろどろと、熔けた金属に変化していく。


「どういうこと」

「仏画を損なう罪は苦悩急処くのうきゅうしょだ。俺はずいぶん前からこっちに落ちていた。そいつはどういう訳か、責め苦から逃れ続けている」

「でも、黒井戸はそれ以外の罪なんて縁がないじゃん!」


 どろどろに手足を取られながら瑠佳は叫んだ。


「お前は俺の何を知っている」


 叫び声が瑠佳の耳に聴こえた。

 泣き叫ぶ声が、瑠佳の耳元で響く。


「やめて、やめて!」


 瑠佳の手足を縛っていたどろどろが形を成した。

 それは顔だった。その口が大きく開いた。

 特別学級の少女であり、椎名であり、口裂け女でもあった。

 妖怪もこっちに落とされるんだ。この状況で瑠佳はどうでもいいことを思った。


「お前の罪は、こんなものではない」

「お前の罪は、許されるものではない」

「お前の罪は、魂の消滅に値する」


 怨嗟の声が瑠佳をさいなむ。


「やめ……て……」


 瑠佳はどろどろに沈んでいく。


 もう、ここまでか。

 罪がすすげるのなら、これでいいか。

 瑠佳は怨嗟に身を委ねようとした。


「立て」


 ささやくような、しかし胸を叩く声は、黒井戸だった。


「立て。そいつはお前が殺した奴らじゃない。ただの、連れて行く魂を探している怨念の塊だ」

「でも」

「でもじゃない。死んでなお誰かの足を引っ張るような奴らなんて、無視したらいい」

「でも……」

「お前の覚悟はそんなものだったのか」


 無遠慮な声が近付いてくる。

 両頬を叩かれた。

 持ち上げられる。目の前に、黒縁眼鏡をかけた黒井戸の顔が現れた。


「お前は古蛇を助けるんだろう」


 そうだ。

 そうだ。助けに行かなくちゃ。

 みおりに会いに行くんだ。私は。


「私は……」


 どろどろが、瑠佳の肌から浮き上がった。


「黒井戸くん」


 黒井戸の手に小埜寺の手が重なった。二人は視線で合図して、瑠佳の脇に手を入れた。


「せーのっ!」


 瑠佳は怨嗟から抜け出すことができた。

 どろどろは骨の地面に沈んでいった。


「しかし、一気にここまで落ちて来たのか」


 黒井戸は大穴の入り口を見上げる。遥か高みに穴の縁はあった。


「お嬢様が心配しております。早く戻らなければ火葬場行きですよ」

「そうだよね。って、向こうの様子わかるの」


 二人は小埜寺を見た。


「ええ、まだ通報はしておられないようですが、時間の問題です」


 小埜寺の様子を見て、黒井戸は指を鳴らした。


「小埜寺、お前を通路にして現世へ戻ろう」


 瑠佳は嫌な予感がした。


「俺たちはなるべく身体が小さくなるように自己をイメージする。俺たちがお前の口に入った後は、お前もお前自身を食らえ」


 嫌な予感は的中した。




 その頃の、現世の様子。


「みなさま……息をしていませんわ……!」


 犬神が青ざめた顔で、布団の上を這っている。

 廊下では客や従業員が駆け回っている。早朝の旅館は、静かにパニックが広がりつつあった。


「小埜寺、小埜寺、起きてくださいまし」


 犬神は小埜寺の頬を叩いて起こそうとしているが、彼もまた呼吸が止まっていた。


「小埜寺、わたくしひとりで、どうしたらいいんですのっ!」


 振りかぶって思いっきり叩いた。

 衝撃で小埜寺の口が開いて、白い煙の塊がふわふわとまろび出た。


「エクトプラズムですわーっ!」


 犬神は布団の中に避難した。

 白い塊は三つに別れ、一つは小埜寺の身体に戻り、一つは黒井戸の身体に、そしてもう一つは瑠佳の身体に入っていった。


「けほっ」


 瑠佳が咳をした。

 布団から犬神が顔を出す。


「瑠佳さん……? 瑠佳さーん!」


 起き上がりかけていた瑠佳に、犬神は抱きついた。

 瑠佳は込み上げるものがあった。

 抱き着かれた衝撃で、頭を揺さぶられたせいで、喉の奥から。


「おろろろろ」

「きゃーっ!」


 あとの二人もそれにつられて、吐いた。


「えれれれ」

「ぼろろろ」

「きゃーっ、きゃーっ!」


 キノコをすっかり吐きだして、三人は復活した。




「酷い目にあいましたわ……」

 温泉に入っていた犬神が戻って来た。

「ごめん」

「申し訳ありません」

「……すまなかった」

 三人は平謝りした。


 犬神はドライヤーを止めて、微笑む。

「三人とも、ご無事でよかったです」

 お風呂へ入ってきたらどうですか。そう言われて、三人も朝の温泉へ向かった。



 集団食中毒を出した旅館の経営を心配しながら、四人は旅立った。


「ちょっと待って」

 瑠佳は言った。

「あの世にみおりは居なかった。だって、死んでいるならきっと私を恨んでるもん」


「そうなのか?」

 黒井戸に問われて、瑠佳は頬を掻く。


「思い上がりかも知れないけど。でもやっぱり、みおりが私の所に来なかったってことは、そういうことだよ」


 犬神と小埜寺が顔を見合わせる。そして、どちらからともなく笑った。


「直感だな」

 黒井戸が言った。

「そう、直感。直感は大事だよ黒井戸氏」


「みなさま、あの世から帰ってこられて、すっきりした顔をしてらっしゃいます」

 犬神が言った。瑠佳は頭を掻く。


「それは吐いたからだろ」

 黒井戸が余計なことを言った。


「ちょっと待って」


 瑠佳がもう一度足を止めた。道の端にお地蔵様が置かれている。

 瑠佳は、それに手を合わせた。



 つづく

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