第五話 口裂け女の追い込み漁
赤く、夕暮れが街道を照らす。
陰が落ちる裏路地に、マスクをした女が立っていた。その目元は恐ろしくなるほどの美人で、長い髪はばらばらに伸び、この暑い時期だというのにロングコートで身体を覆っている。
女はマスクの下で笑ったようだった。
『ワタシ、キレイ?』
女は問いかける。
喫茶店に烏鷺山高の生徒が集まっていた。
「口裂け女が出た」
黒井戸はストローでオレンジジュースを飲む。
「昭和に流行った都市妖怪代表のような存在だ。都市部に現れて『私、綺麗?』と問いかけて来る。そこで普通の返答すると殺されてしまうという理不尽な相手だ」
「目撃者はどうやって生還したの」
瑠佳はショートケーキを掬いながらたずねた。
「幸い、対策を知っていた。そいつの祖母が怪談マニアだったそうだ」
黒井戸は図書館でコピーした町の地図を取り出した。
生徒たちはケーキ皿やグラスを端に寄せて地図を広げる。
「口裂け女追い込み漁作戦を決行する。走りで奴には追い付けない。遭遇したら『ポマード』と叫びながら三人以上で囲み、烏鷺山高まで追い込むんだ。そこでウロに祟らせる」
マジックで打った印を指しながら黒井戸は作戦を伝える。赤は目撃場所、青は生徒の初期配置だ。町全体を囲んで口裂け女を追い込むように配置している。
「生徒だけだと足らなくない?」
烏鷺山高校の生徒は十人しかいない。
「地元の商工会に呼びかけて人手を確保した」
一大プロジェクトになっている。
瑠佳は口裂け女に少し同情した。
「ところで、ポマードって何?」
瑠佳はケーキを口に入れた。
「自分で調べろ」
公民館でリハーサルが行われた。
「ポマード、ポマード、ポマード!」
中年の男性が叫びながら両手を広げて駆ける。
それに呼応して脇に待機していた老婆や生徒が参加する。
「ポマード、ポマード、ポマード!」
「ポマード、ポマード、ポマード!」
「ポマードぉ!」
「口裂け女じゃなくても逃げると思う」
瑠佳は素直な感想を述べた。
ビール瓶の箱に立って黒井戸が二次元バーコードのポスターを掲げる。
「これは位置情報と連携し、音声通話もできるグループチャットアプリです。全員のスマートフォンに入れてください。報告が無い場合はスピーカーをオフにするように」
作戦発案者の黒井戸が場を取り仕切っていた。
「重要なことを言います、決して無茶はしないでください。必ず他者と連携して、自分の命を優先してください」
黒井戸はたまにまともなことを言うな。と瑠佳は思った。
おにぎりとお茶が配られ、リハーサルは和気藹々とした空気で終わった。
「みおりも来たらよかったのに」
瑠佳は呟く。
「ああ、古蛇さんのところの」
「あの子も気の毒だねえ。まあ、今回の作戦の肝なんだけど」
豆腐屋の原田夫婦が答えた。二人に囲まれて十人の生徒のうち一人、
「ごめんな。うちの両親デリカシーねえんだ」
「ううん、気にしてない。みおりのこと、何か知ってるんですか」
瑠佳はお茶の紙コップを手に、膝を寄せた。
「生前葬を済ませたからってんでね、墓所から出ようとしないのよ。両親がお弁当を届けてくれてるけど」
「たっくんが死んだこと、よほどショックだったんだろうな」
「たっくん?」
瑠佳は首を傾げる。
「古蛇
弟がいたんだ。瑠佳は初めて聴いた。
「去年、交通事故でね。原付だったか」
「本当に気の毒にねえ」
瑠佳はみおりが墓に泊っている理由を知ってしまった。
墓を見つめて何かを探しているのも、弟のたっくんが関係しているのだろうか。
作戦本番である日曜日。
瑠佳はチャットアプリを開いて配置につく。速度を考えれば自転車を持っていったほうがいいかと提案したが、逃げる時に邪魔になると黒井戸に止められた。
脚のストレッチをして走る準備をする。
口裂け女の目撃情報はまだ入っていない。
「あ」
瑠佳は見た。
雑貨屋の陰の中。この暑い時期にラクダ色のロングコート姿で、口元をマスクで隠した、ばらばらに伸びた長い髪。
なにより、人間の気配がしない。
「ワタシ、キレイ?」
口裂け女がマスクに手をかけた。
間髪入れず瑠佳は叫んだ。
「ポマード!」
瑠佳は意味を知らないが、口裂け女が嫌う言葉だ。
相手がひるんだのを見て瑠佳は繰り返す。
「ポマード、ポマード、ポマード!」
叫びながらスピーカーをオンにする。この魔除けの言葉は符号でもある。アプリ上の地図に赤い印が打たれた。口裂け女の位置情報だ。
口裂け女が踵を返して逃げ始めた。瑠佳はそれを追う。
「ポマード!」
「ポマード!」
脇道から中年男性と黒井戸が出て来た。
周囲に待機していた人々が一斉に集まってくる。全速力で瑠佳は追う。
口裂け女は恐ろしいスピードで逃げ去っていく。が、その道は烏鷺山高校に続いている。
「上手くいった」
黒井戸が笑った。
その時だった。
「ワタシ、キレイ?」
「!」
黒井戸の身体が止まった。脇道の暗がりに釘付けになっている。
瑠佳は駆け寄った。
「しまった……!」
「ワタシ、キレイ?」
口裂け女が居た。ロングコートの色が緑がかっている。別個体だ。
マスクに手をかけている。
「ポマード!」
固まっている黒井戸のかわりに瑠佳が叫んだ。
ハッ、と我に返った様子で、黒井戸はスマートフォンのスピーカーをオンにした。
「口裂け女は複数いた!」
逃げていくもう一人の口裂け女を追い込む。しかし隊列が崩れているために指向性がずれていく。
「もう一度言う、口裂け女は複数いた、全員逃げろ!」
黒井戸は作戦の失敗を伝えた。だが、遅かった。
「ワタシ、キレイ?」
白いコートの口裂け女が病院の前に現れた。
「ワタシ、キレイ?」
青いコートの口裂け女が魚屋の前に現れた。
「ワタシ、キレイ?」
赤いコートの口裂け女が肉屋の前に現れた。
次々と、スマートフォンが赤く染まっていく。
「ワタシ、キレイ?」
「ワタシ、キレイ?」
「ワタシ、キレイ?」
気付けば追い込んでいた人間たちが、口裂け女たちに追い込まれていた。
「こ、こんなに居たなんて」
「くそっ、駄目か」
黒井戸が悪態をつく。
ポマードと叫ぶ声も弱まっていく。生徒と商工会のメンバーは広場に集められてしまった。
「殺されるの、っていうか、口裂け女ってどうやって殺しにくるの」
「大抵は刃物だ。その合図は……」
口裂け女がマスクに手をかける。
「ワタシ、キレイ?」
恐れをなした中年男性が、思わず口走った。
「き、綺麗です……」
口裂け女たちが一斉にマスクを外した。
「コレデモカアアアアッ!」
その口は耳元まで裂けている。赤いケロイド状になった傷跡がぬめるように光っていた。
包丁を、ナイフを、断ち切りばさみを構えて彼女たちは向かってくる。自分と同じ顔にするために。
瑠佳は顔を背けた。
その時。
「アギッ」
口裂け女の一人が倒れた。包丁が落ちる。
「現代妖怪ごときが、我が家の守り神に勝てるものですか」
犬神が白い狼を出して口裂け女を蹴散らしていた。
「みなさん、もうひと踏ん張りですわ!」
人間たちはその言葉で、再起した。
犬神を先頭に口裂け女の群れを突っ切る。
「うおおおおおお!」
「ポマード、ポマード、ポマード!」
「ポマード、ポマード、ポマード!」
「ポマードぉ!」
肩を組んで呪文を唱えながら、口裂け女たちを追い込み返した。
広場の裏は烏鷺山高校の墓地だった。口裂け女たちがフェンスを越えて逃げる。
その先には、みおりが居た。
「やあ、ようこそ」
制服姿ではなく白いシャツとスラックスを履いていた。
口裂け女はマスクがすでにないにも関わらず、あの言葉を発した。
「ワタシ、キレイ?」
「ワタシ、キレイ?」
「ワタシ、キレイ?」
みおりを取り囲む。
「綺麗だよ」
中性的な美を湛える少女は腕を差し出す。
刃物の切っ先がみおりへ集中する。
口裂け女たちの口から黒い液体がこぼれ出た。腐ったような悪臭が墓場に立ち込める。
「げぼっ」
「ごばば、ばばばばば」
「おろろろろっ、ろっ」
ウロに祟られて口裂け女たちは次々と、黒い液体を吐き出して爆散した。
黒い液体だらけになったみおりは、貰ったバスタオルで顔を拭いた。
「おつかれ、みおり」
「お疲れ様ですわ」
瑠佳と犬神が労いの言葉をかけた。鞄から追加のタオルとペットボトルの水を取り出す。
濡らしたタオルで髪に粘りついた液体を拭い取る。
「あんまり疲れてないけどね」
みおりはうつむきがちに微笑んだ。
「……あのっ、みおり」
フェンスの向こうでは、黒井戸が商工会の大人たちにもみくちゃにされている。やがて胴上げが始まった。
「みおりがここにいる理由、知っちゃった」
放り投げられる黒井戸を横目に、瑠佳は続けた。
「へえ、何」
「弟さんのこと、気にしてるの」
みおりの表情が固まる。
冷たい視線で瑠佳を見つめている。
夏も迫る時期だというのに、空気が凍ってしまったかのようだった。
「弟が、どうしたって」
瑠佳は怖気づきそうになったが、隣の犬神は完全に背中に隠れていたが、言葉を続けた。
「こ、交通事故で亡くなったって、それだけ」
冷たい視線が和らいで、微笑みが戻った。
「そう」
短く言って、みおりはバスタオルを身体に巻いた。
「えっ、ちょっと、ここで着替えるの!?」
「いつもやってるし」
「待って待って、バスタオルもう一枚使うね!」
鞄からバスタオルを取り出す。瑠佳と犬神は協力して目隠しを作った。
みおりが笑う。
口裂け女は根絶されたのか、また別の町へ繰り出したのかわからないが、それからしばらくは町に出なくなった。
瑠佳はスマートフォンで検索して、ポマードが整髪料のことだと知った。
つづく
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