第四話 人形供養
河童に右足を取られた行木が登校して来た。
「もう大丈夫なのかよ」
「ああ」
あのヘドロの中で足を切られたというのに破傷風などにもかからず元気そうだった。舟森と笠井、原田が彼を取り囲む。
「義肢に慣れるまでは松葉杖が手放せないけどな」
「見せてくれよ。カッコいいやつか」
「ピストル仕込もうぜ」
騒いでいるグループから距離を取っているのが二人。小埜寺は教科書を広げていて、黒井戸はスマートフォンを操作していた。
そんな様子を、さらに距離を置いて瑠佳は眺めている。
「おい、時宗」
瑠佳が振り返ると教師の久那杜が立っていた。
「なんですか」
「すまないが、理科室の掃除を手伝ってくれんか。友達呼んでもいいから」
「いいですよ」
頷いてから、呼んでもいい友達にみおりは入ってるのかと少し考えた。……いいや、みおりは誰が何と言おうと私の友達だ。瑠佳は自分の頬を叩いて考え直す。
「大丈夫か」
「はい、気合入れました」
久那杜は怪訝な顔をしたが、面倒くさそうに顎を掻いて去っていった。
「ということで、来てほしい」
瑠佳はみおりに話しかけた。
「どうして」
みおりは頬杖をついた。
「友達でしょ」
「友達は選んだほうがいいよ」
爪を見ながら言う。気乗りしない様子だった。
「あの……」
瑠佳が振り返ると犬神がいた。緩くウェーブした薄色の髪は、彼女の控えめな華やかさを表している。
「わたくしは、友達ではなくて?」
「……友達だよ!」
思わずいとおしくなって瑠佳は犬神を抱きしめた。その様子を見てみおりは、むっ、と頬を膨らませる。
「やっぱり行く」
瑠佳とみおりと犬神は昼休み、一階廊下の奥にある理科室へと向かった。
人体模型が動き出した。
「うわーーーーッ!」
突然の怪奇現象に三人は理科室を飛び出した。
「待って、先生は?」
「まだ来てないよ。遅刻魔だし」
「使えないですわ!」
犬神が叫んだ。
人体模型はガタガタと扉を揺らしている。出てこないように三人で抑える。
扉の振動が、ピタッ、と止まった。
「イタズラの可能性ってない? そういうロボットとか」
「それなら操縦者がどこかにいらっしゃるはず」
「よし、とっちめよう」
みおりが腕まくりをする。
扉を慎重に開く。人体模型の姿はどこにもなかった。
「どこへ行ったのかしら」
不意に、異臭がした気がして瑠佳は天井を見上げた。
巨大な蜘蛛が張り付いていた。苦悶する人面の紋様が背中でうねっていた。粘性の糸が垂れ下がってその先に人体模型と骨格標本が吊るされていて、毛深い足がどういう構造なのか天井を穿つことなく張り付いていた。
「ぎゃあーーーーーッ!」
黄色くない悲鳴を上げて三人は廊下を駆けた。
廊下を駆け抜けて教室へ入った。
その頃にはすっかり落ち着いていたので、弁当を広げて作戦会議をはじめた。
「虫が平気な人、挙手」
瑠佳が点呼する。三人の両手は膝や机に乗ったままだった。
「終わった……」
「男の人を呼ぼう。久那杜先生は頼りないからもう一人欲しいな」
みおりが提案する。
「黒井戸くんはどうですの。いつも難しい話をされていますから、大蜘蛛退治についても詳しいかと」
犬神が口元をハンカチで拭う。
「うーん、あれに借りを作りたくはないけどなー」
致し方ないか、と瑠佳はため息をつく。
「土蜘蛛なら源頼光に頼め」
いつの間にか黒井戸が居た。手には弁当を持っている。
「つちぐも、とは天皇に与しなかった土着豪族の蔑称だ。それが物語に記され歌舞伎の演目となって蜘蛛の形を取った」
「じゃあ、妖怪じゃないってこと」
「そうは言ってない。怪異とは人間の情念から生まれるものだからな」
自分の席に座って、弁当を食べ始めた。
「たまには俺を頼らず自分で解決してみろ」
瑠佳は自分の顔を指さして、私に言ったのか、と不満を表明した。
すっかり闘志に火がついてしまった。
「やってみせますよ女子だけで。大蜘蛛退治」
ふん、と瑠佳は鼻を鳴らした。
理科室の前まで来た。久那杜はまだ来ていない。
掃除用具からデッキブラシとモップを手にして、三人は扉の横に張り付いた。
「開けるよ」
瑠佳が扉に手をかける。
ごくり、と三人は喉を鳴らす。
開かれた。
「やああぁ!」
突入。
しかし、土蜘蛛は理科室には居なかった。
「あれ」
みおりが外を指さす。
グラウンドを土蜘蛛が這っていた。人体模型を引きずりながら混乱している様子だ。
「うわ……」
「わたくしたちが来たから移動したのですね」
みおりが窓枠を掴んで外へと飛び出す。
瑠佳もそれにつづき、犬神がもたついたのを手伝った。
「とうりゃ!」
みおりがデッキブラシの角で土蜘蛛を殴る。あまり効いていない。
「こっちくらい見ろっての!」
みおりを認識さえしたらウロの祟りによって倒せるかもしれない。しかし土蜘蛛は目が悪いのかガサガサと足を動かしてトラックを周るばかりだ。
「離れて!」
犬神が叫んだ。
彼女の身体から出て来たのは白い狼のオーラだった。どんどん膨れ上がり、土蜘蛛を飲み込むほどの大きさになった。河童相撲の時に見たあれだ。と瑠佳は思った。
噛みついた。
しかし、土蜘蛛は顎の間を素早く走り抜けて校舎に取り付いた。
「効きませんわー!」
狼の顎を撫でながら犬神は泣いた。
やはり無理なのか。
瑠佳は黒井戸の言葉を思い出す。
土着豪族。物語。歌舞伎。人体模型。骨格標本。
人の情念。
「人形」
瑠佳は閃いた。
「ねえ、人形持ってない?」
犬神が首を傾げる。
「人形でしたら、いつも小埜寺が」
「琴音お嬢様!」
教室の窓から小埜寺が飛び出した。二階から植木にひっかかって、それから落ちる。葉っぱだらけの小埜寺は制服のポケットから何かを取り出した。
「お嬢様、お使いください」
その手には小さなフロッキー人形、兎の赤ちゃんが握られていた。
「いいんですの、大事なうさちゃんなんでしょう」
小埜寺は首を振る。
「構いません。人形をあのようにぞんざいに扱う者を、私は許せませんので」
「……」
犬神はフロッキー人形を受け取って、瑠佳に手渡した。
瑠佳はそれを高く掲げる。
「こっちだ、土蜘蛛!」
ぴくり、と土蜘蛛が反応した。
コンクリートの壁から降り、グラウンドの土を撒き散らしながら、人形を掲げた瑠佳へ走り寄ってくる。
「来ましたわ!」
瑠佳は情念の籠った人形を突き出して走った。土蜘蛛に向かって。
「おりゃあああっ!」
腕が口へと入る。瑠佳は人形ごと飲み込まれていった。
次の瞬間、土蜘蛛がはじけ飛んだ。
その存在が最初から張りぼてだったかのように、紙吹雪となって散ってしまった。
「綺麗」
デッキブラシを抱えて、みおりが呟く。
「結局、土蜘蛛の正体はなんだったんですの」
犬神はたずねた。
「他の土蜘蛛を見ていないから知らないが、学校に出たやつは演劇部の情念だろう」
黒井戸は答えた。
「演劇部ですの?」
「この学校にも昔はあったそうだ。古典芸能から前衛劇まであらゆる演出を取り入れた意欲的な試みをしていたらしい。しかし保護者会には不評。抗議の応酬で迷走していった結果、文化祭の舞台で本物の死体を出して廃部になった」
その時に弄ばれた死体の情念も、絡んでいたのかもな。黒井戸は補足した。
「それがどうして、小埜寺の人形で倒せたんですの」
「人形は情念の塊だ。たとえ学習用に作られた人体模型でも、観測する者の恐怖が擦り付けられる。幼い子どものために作られたフロッキー人形という陽の気が入ったことで浄化されたんだろう」
黒井戸の説明に、へえ、と瑠佳は声を発した。
「まさか自分から食われにいく馬鹿がいるとは、土蜘蛛も思わなかっただろう」
「あれはなんというか、直感?」
「いつか死ぬぞ」
黒井戸はまったく心配していない様子で言った。
へへ、と瑠佳は笑う。
「そういえばさ、犬神さん」
「なんですの?」
瑠佳が指先で頬を掻く。
「ウロに祟られちゃったらごめんね。みおり、嫉妬しちゃうからさ」
「あら、平気ですのよ」
犬神は水筒からお茶を飲んだ。
「わたくし、みおりさんとお話していたでしょう」
「え」
言われてみれば。瑠佳は今までのやり取りを思い出してみる。それから、彼女から現れた白い狼。
「わたくしの家には守護がありますの。ウロを払い落とすことは無理でもやられはしませんわ」
「そう、そっか……それはよかった」
微妙な顔をして、瑠佳は息を吐いた。
つまり、自分以外にもみおりと話せる人間がいるということだ。
瑠佳の心にもやがかかった。
みおりと話していた犬神の姿を思い出すたび、胸が痛む。
「あれっ、これが嫉妬?」
瑠佳は胸をおさえる。
久那杜が教室に現れた。
「時宗、理科室の掃除頼んだだろー。先生寂しかったぞー」
「先生が遅刻したんですのよ!」
犬神が抗議する。
生徒たちが帰宅する。
犬神を送り届けて、小埜寺は自らの家へと帰宅した。
自室に入ると壁に無数のフロッキー人形が並んでいる。そこに一つ分の隙間が空いている。
小埜寺は土蜘蛛に食われた兎の赤ちゃんを丁寧に洗い、乾燥させ、隙間に仕舞った。
「お疲れ様です」
彼は明日持っていく人形の品定めを始めた。
つづく
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