第5話 了念の語り
了念は、囲炉裏の火を見つめながら、長く静かに息を吐いた。
その顔に刻まれた皺が、火影に揺れる。
「拙僧も、かつては刀を腰にしておりました。……養父を、殺されましてな」
大次郎は湯呑を置き、じっと住職の顔を見つめる。
「養父は、ある御家の勘定方を務めておりました。地味な役目ではありますが、誠実な人で……養父は真面目すぎた人でした。時に“潔癖すぎる”と言われたことも……」
了念は、静かに語を継ぐ。
「ある日、養父が仕事で口論となり……同僚の男に、斬られて命を落としました。拙僧はひとり息子。周囲は当然のように仇討ちを望みました。親戚も、家中の者も……“男の本懐”というやつですな」
「……それで、仇を?」
「はい。江戸に出てきていたその男を突き止め、立ち会いを申し込んだところ……案外あっさりと応じてまいりました。不思議なほど、あっけなく……」
大次郎は黙って聞いている。
「その場で敵を斬った…。そして、国許へ戻り、家督を継ぎました」
そこまで語って、了念は少し唇を引き結ぶようにして、囲炉裏の灰を小さな箸でつついた。
「……ですが、それからが長かった。父が記した帳簿を見ているうちに、どうにも腑に落ちぬ金の動きに気づきました。上役にそれとなく尋ねたところ……長年にわたり、公金の一部が……重役方の“取り分”として抜かれていたのだと申します」
「……!」
「驚いたのは、拙僧が討った相手が、実はその不正を止めようとしていたと聞かされたことです。“公儀に訴えを起こすつもりだった”と……」
了念は、そっと目を伏せる。
「……そして、敵のかつての妻のもとへ足を運び――、話を聞きました。はじめは……口を閉ざしていたのですが、ついには……根負けしたのか、真実を話してくださいました」
「真実……と申されますと?」
「……敵であるその男は、公金の横領を知っており、それを公儀に訴えようとしていた。ところが、拙僧の養父が…………命を落としたと」
囲炉裏の火が、はぜた。
大次郎は、思わず唇を引き結ぶ。
「……そして、拙僧は養父の“仇”を討ったのです。「武士としての習わし」と正しいことと信じて疑わなかったその手で……正しき者を斬った」
了念は、長く目を閉じた。
「ほどなくして、公儀の役人が入り……父の関わった不正も明らかとなって、わたしは御役御免、追放の身となりました」
「……」
「死のうかとも思いました……いや、死ぬべきだったのかもしれません……」
「すべてを失い、生きてゆく望みも、悔いを償う道も見えなかった」
そして了念は、ふと口元にわずかな笑みを浮かべる。
「そんな折、敵の息子が、江戸の道場に身を寄せていると知りました。せめて……討たれて果てようと、江戸に向かったのです。ですが、その子は……拙僧が着いたときには、すでに流行り病で亡くなっておりました」
「……討たれて果てるつもりであったが、すでにその子は他界していた。己への怒りも、憎しみも、その時には、まるで霧のように消えていた。残ったのは――何もなかった。空っぽの己のみでございました」
静寂。
火の粉が、ふと弾けた音が、遠くで聞こえたようだった。
「……死に場所すら失ったわたしは、ただ、歩きました。北へ、南へ……流れ流れて、この寺に辿り着き先代と出会ったのです。」
了念は、にこりと微笑んだ。
「先代は、すべてを聞いた上で、申されました。“ならばその罪も苦しみも、ここで読経と共に生きよ”と。拙僧は、刀を捨て、僧となったのです」
「……正しき仇とは、果たして人か、己の無明か――それを悟るまで、拙僧は経を読み続けておりまする」
「……それが、拙僧の罪であり、悟りでございます」
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