聖職者アウルス

ぱぴぷぺこ

第1話 戦場の教会

 冷たい風がすり硝子がらすきしませる。古びた教会の中、まだ若い牧師アウルスは一人、蝋燭ろうそくともしながら講壇こうだんの壁にかかげてある十字架に向かって祈りをささげていた。


 外では数ヶ月にわたる内乱の気配が、山を越えてじわじわと近づいている。


 低く、静かな祈りが礼拝堂に満ちていた。


 教会の中はひんやりしていて、石の床に足音が吸い込まれていく。


 牧師は、ベージュのシャツに薄手のセーターを重ねただけの簡素な服装で、礼拝堂の椅子に座っていた。


 首元からは、簡素な白いストールがかかっていた。

 手には、読み込みすぎて背が割れた聖書を持ち、


「主よ……」


 ――祈りの言葉が次の節に移る刹那せつな


 扉が、鉄を叩くような音を立てて乱暴に開いた。


 祈りを中断し、アウルスが静かに振り返ると、泥だらけの青年が上官らしい男を支え、よろめきながら中に入ってきた。軍服は東部の色。右腕から血を流している。


「……助けてくれ……西の兵が……」


 アウルスは言葉も発さず、すぐに身を起こした。

 祈りの手をほどきながら、白いストールを首から外すと、それを折り畳んで男の腕に巻きつけ、傷口を押さえた。


「急げ。講壇の裏に」


 手短てみじかに告げ、二人を支えるようにして講壇の裏へと案内する。包帯も薬も足りない。だが、今は時間がない。


 そのとき、外から怒号が響いた。


「東の兵がこの中に逃げ込んだぞ!」


 アウルスが扉の方へ歩き出すより早く、銃を構えた数人の兵士が教会内になだれ込んで来た。西の部隊だった。彼らの目は殺気に満ちていた。


「この中に東の兵士がいるな。どこだ?」


 アウルスは両手を上げたまま、静かに告げた。


「ここは神の家だ。銃を下ろしなさい」


 しかし兵士は誰も言う事を聞くものはいなかった。牧師を押しのけ、講壇に足を掛けようとした、

 まさにその時、


しゅ聖名せいなけがす気か? 銃をおろせ! おのれたましいに、しゅ雷鎚らいついを受けたいのか?!」


 礼拝堂に牧師の重い声が響いた。


 その言葉に兵士たちの足は止まり、牧師を振り返った。


 牧師のとがめるような視線にその場の空気が凍りつく。


 兵士たちは何かに触れてはいけない場所にいると気づいたかのように動きを止めた。


 だが、その沈黙を破って、牧師の後方の入り口から重い足音が響いた。 


「ははあ、たいしたもんだな。神の名を使って俺の部下を止めたか。」


 入ってきたのは、筋骨隆々の男。明らかに彼らの上官のウォレスだった。


 彼はゆっくりと牧師の傍まで来ると、少し腰を曲げ、その顔をのぞき込むように言った。


「だがな。言葉でいくさが止まるなら、この世に戦争なんて存在しねぇんだよ。」


 男は牧師の目の前に立ち、わざとらしく銃のストックを地面に叩きつけるように突いた。


 牧師は何も言わずウォレスを見た。その目は害虫でもみるような嫌悪感をはらんだ目だった。


「じゃあ聞くが、もしその“しゅ”とやらがここにいるなら、俺を止めてみせろよ。どうだ?」


 男の挑発的な言葉に、周囲の兵士たちが固唾を飲んで見守っていた。だが、次の瞬間──


 パンッ!!


 牧師の手の甲が男の右頬をはたいた。

 兵士たちの息をのむ声が聞こえた。


「主への冒涜ぼうとくは許しません」


 牧師は男から目をそらすことなくキッパリと言い放った。


「ふざけんな! クソが……!」


 男は腰から銃をぬくと牧師の額にピタリとその銃口を向ける。


 しかし、牧師はまばたきをすることも無くその男から目を離さなかった。


 ◇


  しばらくにらみあいが続いたが、先に折れたのはウォレスだった。


「クソッたれが。丸腰のやつを撃つ訳にもいかねぇからな」


 銃口を天井に向け直したその動作に、アウルスは安堵あんどにその顔をゆるめた。


 その様子を見ながらウォレスがニヤリと笑った。


「あんた、名前は?」


「アウルスだ」


 そう答えた直後、講壇の裏で“カチリ”と金属の小さな音が響いた。


「伏せろ!」


 アウルスを突き飛ばした瞬間、ウォレスの顔の横を銃弾がかすめた。


 東の兵士が撃った一発だった。弾は外れ、天井に当たって石片が飛び散った。


「いたぞ!」


 西の兵士たちが即座に応戦。撃ち合いが始まり、礼拝堂は銃声と怒号に包まれる。


「奴らを逃すな!」


「やめなさい! 神の前で血を流すな!」


 アウルスの叫びは、銃火の轟音ごうおんにかき消された。


「引っ込んでろ!」


 ウォレスの怒声が飛ぶと同時に、流れ弾がアウルスの肩をかすめた。


 途端に、焼けるような痛みが走り、彼は膝から崩れ落ちるように講壇脇へ倒れ込んだ。


 ふらつく視界の中で、礼拝用に用意されていたストールが数本、布のように棚に掛けられているのが見えた。


 手探りで一枚――白いものをつかむと、それを自身の肩に巻きつけるようにして傷口を押さえた。


 布地はすぐに赤く染まり、祈りの象徴だったそれが、血にまみれて重くなっていく。


 だがアウルスの表情に、怒りもなげきもなかった。ただ、痛みに震える手でなおもしっかりとその布を握り締めていた。


 その脇を兵士たちが前進し、撃った兵士を仕留めた。


 ウォレスが駆けつけると、既に祭壇に到達していた兵たちが道を開ける。息絶えた兵士を押し退けると講壇の裏には誰もいなかった。


 辺りを確認すると、脇の扉――かつて聖職者だけが使っていた裏道――への扉が開いたままだった。


「追え! 逃がすな!」


 兵士は一斉に教会を飛び出した。だが、既に夜の闇が迫っていた。東の上官は斜面を滑るように逃げ、闇に紛れて姿を消していた。


 残された西の兵たちは、銃を下ろし、講壇脇に倒れた牧師とその側に立つウォレスの元へと戻って来た。


 ウォレスは忌々しそうに怪我をした牧師を見下ろしていた。誰も何も話さなかった。


 教会には、壊れた窓から夜風が吹き込み、揺れる蝋燭ろうそくの火だけが、まだ祈りの残り香を照らしていた。







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