第二章

第29話 環の日常

連続通り魔事件から約2週間後。

環は高校2年生になった。

クラス替えがあり、仲のいい子と同じクラスになれた。

1年生の時よりも、学校生活の悩みは減った。

普段は、吸血鬼用の日焼け止めやら血液パックやらで普通の女子高生と同じ生活を送れるようになった。

吸血鬼になる前とほとんど変わらぬ生活を送れている。



―――しかし、

放課後にはほぼ毎日、十三課の訓練施設に通い、対怪異向けの訓練を行っていた。



例えば射撃訓練。

環は、もちろん銃など扱ったことがなかった。

十三課で扱い方について講義を受け、初の実弾訓練を行うために射撃場に足を運んだ。


背後で玖狼が壁に寄りかかって腕を組み、シエラが椅子に座り、環の様子を観察していた。


環は、耳当て(イヤーマフというらしい)をして、ぎこちなく銃を構える。

額には汗。

引き金を引く手も緊張で汗ばんでいた。


「よ、よし……」

的に狙いを定めて、


―――バンッ!


「わっ!」

反動に押されて尻もちをつく。

硝煙の匂いが辺りに立ち込めた。


玖狼は腹を抱えて笑い、銃をひょいと取り上げた。

「おいおい、あぶねーな。

的より床のほうがダメージ食らってんじゃねーか。敵と戦う前に自滅してどうすんだよ」

弾丸は的を大きく外れていた。

「う、うるさい!」

環は真っ赤になって立ち上がる。


「動かない的に当てるなんて簡単だろ」

玖狼は環から奪った銃でダンダンダン!と3発ほど撃ち、すべて的の中央に当てていた。

「ほらな」

玖狼は得意気に環を見下ろした。

「…ぐぬ」

環は言い返す言葉がなかった。

シエラは口元に手を当ててクスクスと笑った。

「環、撃つ前にもっと足を踏ん張るといい。ほら、こうやって……」

シエラが横に立って見本を見せてくれる。

「は、はい…」

環は玖狼から銃を奪い返し、見様見真似で同じように構える。


そして、的に狙いを定めてもう一発撃った。


―――ごちっ

「あだっ」


今度は反動で自分の手が額に飛んできた。

玖狼は笑いすぎて呼吸困難に陥っていた。



---


また別の日。

その日は体術訓練を行うために、道場のような場所に来ていた。


道場の中央で、玖狼と環は対峙していた。

二人とも動きやすいようにジャージを着ている。

体術の講義も受け、理屈は頭に入っているはずだ、と環は意気込む。


「思いっきり来いよ」

玖狼はにやりと笑いながら、ちょいちょいと指を曲げた。

「いいの?くろー、怪我するかもよ」

環は挑戦的な目で玖狼を見た。

吸血鬼の力で、やりすぎてしまわないだろうか?とも少し思った。


「ばーか、お前の攻撃なんか当たんねーよ」

玖狼が舌を出した。


「痛い目見ても知らないから!」


むっとした環は、そう言うと同時に玖狼に向かって拳を突き出した。


だが玖狼は、まるでそう来ることがわかっていたかのように、環の腕をいなす。


そして、そのまま環の腕を掴み、ひねり上げた。

一瞬の出来事だった。

「いたたたただだ!!」

「お前はいつも力任せなんだよ」

言いながら、ぱっと手を離す。

玖狼は余裕の表情で環を見下ろした。

環は悔しそうに玖狼を見上げる。



間髪入れずに、今度は不意打ちで渾身のハイキック。

だが玖狼は軽く体をひねり、蹴りを躱した。

そして環の軸足をローキックで蹴り飛ばした。


「わっ!」

ドサッ。

環は転倒し、床に頭をぶつけた。


その様子を十三課のメンバーは面白がって、わいわいがやがやと観戦していた。

シエラが「今日も元気にやっとるな」とにこにこしながら呟く。


「いったぁ……!」

環は頭を押さえながら立ち上がる。

「ほらな。頭に血が上って突っ込んでも無駄だって」

「まだ!」

環はふらつきながら再び突撃。

今度は一直線にタックルを仕掛ける。


玖狼はため息をつき、突っ込んできた腕を掴むと、その勢いを利用し、軽々と背負い投げした。


―――どすっ

「ぐえっ!」


環は見事に宙を舞って強かに背中を打ち付けた。

そのまま呻きながら床に転がる。


周囲から歓声が上がった。

シエラもけたけた笑いながら拍手をしている。

「おお、今のは綺麗に決まったな! 教本に載せたいくらいだ」

「だろ?今の誰か動画に撮ってた?」

美琴が、タブレットでしっかり撮影していた。

「うう、なんでこんな晒し者に…」

環は、床に転がりながら顔を覆った。


(こんなところ、ノエルが見たらなんて言うか…)

恥ずかしさと悔しさでしばらく起き上がれなかった。


---


環がぐちゃぐちゃになった髪を直しながらへたり込んでいると、美琴が記録用タブレットを閉じた。

「まあまあ、最初はそんなものよ。続けていれば必ず形になるから」

「……ほんとに?」

「ええ。きっと」


玖狼がにやりと不遜な笑みを浮かべた。

「今はサンドバッグにしかなんねえけどな」

座り込む環を足でつついた。

「次は絶対ボコボコにしてやる!」

環はその足を、手でバシッと叩いた。

「おう、やってみろよ」


シエラは微笑みながら頷いた。

「その意気やよし」


「元気ねえ」

(この調子で実践大丈夫かしら…)

――美琴は心の奥でそう思った。



***


訓練後、夜。

帰宅すると、すでに21時を回っていた。

環は、相変わらず玖狼とシェアハウスでの生活を送っている。


環の1日は忙しい。学校の宿題やテスト勉強に避ける時間は今しかない。

リビングのテーブルに教科書とノートを広げていた。

シャープペンシルの先をカリカリ動かしていると、ソファでごろ寝していた玖狼がふらりと起き上がる。

手には缶のチューハイを持っていた。

玖狼は酔うといつも以上に絡んでくるので、非常に面倒くさい。

今日もいつものごとく酔っぱらいが絡んできた。

顔が火照って目がとろんとしている。

一缶しか開けていないで、この酔い方なところを見ると、酒はそんなに強くないのだろう。


「なぁ……たまぁ……」

「なに。酒くさ」

環は顔をしかめながら、玖狼から距離をとった。

「お前ぇ……字ちっちぇーな……。アリの行進かと思ったぞ」

「うるさい!宿題してるんだから邪魔しないで」


酔っ払った玖狼はどかっと環の隣に腰を下ろすと、勝手にノートを覗き込む。

環が「ちょっと!」と取り上げようとするより早く、低い声でぼそりと呟いた。


「ここ、解答ミスってんぞ。係数忘れてんだろ」


「……えっ?」

慌てて見直す。

「ほんとだ」

確かに玖狼の言う通りだった。

環は驚きに目を丸くする。


「玖狼って、もしかして……頭いいの?」

「はぁ? "もしかして"とはなんだ。」

「だって自分のこと全然話さないじゃん」

「俺はなぁ――慶陽大だ」

「……慶陽大って!え、あの有名な?」


得意げにニヤリと笑った玖狼は、そのまま環の頭に腕を乗せてくる。

「どうだ、俺を敬う気になったか?」

「重っ!酒くさっ」


環がぶんぶん振り払おうとする横で、テーブルの上に転がっていた玖狼のスマホが震え出す。

画面には「十三課 羽柴」の文字。


環と玖狼は顔を見合わせる。

緩んでいた空気が、一瞬にして張り詰めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る