第2話 ご近所カフェの照れ屋くん


 ✻ ✻ ✻



 土曜日の午前十時。

 バス通りに面した新しいカフェへ、私は足を向けた。悠真に頼まれたからだ。


『正式オープン前だけど、来てくれると助かる。お客さんを入れてみないとわからないことってあるからさ』


 今日はご近所の仲良しさんを招待してのプレオープンだそう。行くのはいいけど少し緊張する。桐谷のおばさんに会うのなんて何年ぶりだろう。


 この間、悠真が立っていた歩道で同じように建物をながめた。シンプルであたたかい外観だ。

 白い壁に木の窓枠。軒先には小さな看板――〈laurelローレル〉。月桂樹の葉の冠の中に文字がそっと書かれている。

 大きすぎない窓ガラス越しに中をのぞくと木目のテーブルがゆったり配置されているのが見えた。

 ナチュラルモダンな落ち着いた雰囲気で、壁際にはペンダントライト。隅に観葉植物も置かれている。

 扉を押すと、カラン、と軽やかなベルの音が響いた。


「いらっしゃいませ! ――あ」


 カウンターの奥で、エプロン姿の女性が笑顔を向けてくる。悠真のお母さんだとすぐにわかった。


「由依ちゃん? 悠真に聞いたわよ! まあまあ、本当に大人になって!」

「こんにちは、お久しぶりです」

「よ。いらっしゃい」


 奥の席からも声がかかった。そこにいたのは悠真。テーブルでノートパソコンを開いている。

 休日らしく、ゆったりした長袖Tシャツにジーンズ。だけど近づくと画面に見えたのは絵図面だ。建築士だといったっけ。


「なあに、仕事してるの?」

「ちょっと持ち帰りで。俺はいいからそのへん座りなよ」


 そう言われて、私は隣のテーブルに陣取った。まだ他にお客さんはいないのだけど。

 すると無表情になった悠真が視線を外した。ぼそっとつぶやく。


「……なんでそこ?」

「だって」


 私はやや体を寄せ、声を小さくした。


「そのうちに近所のおじさんおばさんが連れ立って来るんじゃないの? まとめて座れるように空けとかなきゃ」

「あ――まあそうか」


 悠真がはにかんだ笑顔になった。そっぽを向いたまま、ほれほれ、とテーブルにあったメニューを差し出してくれる。


(……なんだ、隣の席にしたから照れてたの? 相変わらずだわ)


 悠真は小学生の頃はモテていた。背が高く、足が速かったからだ。同級生に告白されたらしき場面に出くわしたこともある。その時の悠真は真っ赤になって走って帰ってしまい、女の子は泣いていたっけ。


(真面目で不器用で……でも勉強も頑張ったんだね、こんな素敵なカフェを造っちゃうんだから)


 カウンターから出てきてくれた桐谷のおばさんに、私はカフェオレを注文した。メモを取るやり方は昔風。おばさんはにこやかにうなずいた。


「はーいカフェオレね。お待ち下さい!」

「母さんさぁ、もうちょっと静かに接客しようよ。ここカフェだろ? 定食屋じゃないんだから」

「ええー? 悠真きびしいわぁ」


 息子のダメ出しにも、おばさんはほがらかだ。でも素直に声量は落としている。

 なんだか力が抜けた。いい店だな。そう思った。

 まだ新しい木の匂いがする。すっきり明るいインテリアは居心地よかった。


「……ね、この内装も悠真が設計したの?」

「あー、インテリアデザイナーには相談したけど。うちの親の言いたいことなら俺がいちばんわかるし。通訳ぐらいの感じ?」

「こらっ」


 カウンターからおばさんのツッコミが飛ぶ。私が笑っていると、コーヒーのいい香りがただよってきた。

 やがて運ばれてきたカフェラテはおじさんが淹れているらしい。器を大事に置き、おばさんは嬉しそうだった。


「カフェオレのコーヒーはね、ミルクが合う豆を選んだの。あたしじゃなくてお父さんのチョイスだけど」


 おじさんとおばさん、二人でカフェを開く夢。

 それを息子の悠真が応援し、店の形ができあがった。


(ここはあたたかい)


 家族で作ったお店のオープンに立ち会えるなんて、すごく光栄なことかもしれない。おばさんがカウンターに戻るのを待って、隣にそっと顔を寄せた。


「――ねえねえ、悠真が今日ここで仕事してるの、お店が心配だからでしょ」

「な、なんだよ」


 こそっと言ったら悠真は唇をとがらせた。これは照れ隠しだと思う。図星なくせに。


「何かあった時フォローしてあげたいもんね」

「別に俺は……」

「でもカフェで仕事とか、なんかいいかも。憧れじゃない?」


 私は両手でカップを持つ。ホッとするあたたかさだった。ひと口飲んで微笑む。


「――私この間からリモート増やしたんだ。そしたらお母さんが話しかけてくるし仕事の心配するし。家にいるのも意外と落ち着かなくて」

「それは――親なんだから心配ぐらいするだろ」

「あはは、そうかな」


 言いながら、悠真も気づかわしげに眉をひそめた。仕事の形態変更なんて、異動じゃなければ人間関係か体調不良か。なんにしても悪い理由の方が思いつく。

 だけど悠真は突っ込んで訊いてこなかった。今回のリモートの理由――それは啓介との別れ。再会したばかりの幼なじみ男子には、とても言えない。

 そっとしておいてくれる悠真はやっぱりやさしかった。頬づえをついて私をうかがう。


「……じゃあ、ここに来て仕事すれば?」

「え?」

「もう週明けにオープンするから。いきなり混むわけないし、邪魔にはならないだろ」


 悠真は私の返事を待たずにカウンターの後ろへ声をかける。


「母さーん。由依がリモート勤務の時、この店にパソコン持って仕事しにきても平気?」

「えー? なあに由依ちゃん、悠真に呼び捨てされてるの? 後輩のくせに生意気よ、あんた」

「今そこじゃなくて!」


 ため息混じりの悠真がガックリし、私は笑いこけた。横目の悠真が恨めしそうにする。


「ちゃん付けやめろって言われたからだよ……」

「やめろじゃないでしょ。やめて、て言ったの。命令と要請はけっこう違うから」

「はあ? そりゃそうだったけど」


 言い合う私たちの気勢をそぐようにドアチャイムが鳴る。中高年のおばさま方がにぎやかにご来店し、悠真はスンと仕事に戻った。ご近所さまたちにイジられたくないのだ。なんともわかりやすい。


(……ここに来ていれば、たまに悠真に会えるかな)


 ふとそう思ってしまい、私は慌てた。どういう思考回路だろう。

 でもこの店にいて心がゆるむのは本当だった。来週のリモート予定を考えながら、私はカップを口に運んだ。



 ✻ ✻ ✻



「――おい、由依」


 冷たい声で名前を呼ばれたのは、出勤した日の昼休みだった。もちろんその声の主は、啓介。

 いきなり沼に沈んだような気分になった。わざわざ席に来て、なんだというのか。


「何」

「つんけんするなよ。俺、おまえと別れるなんて返事はしてないんだぞ」

「――」


 私は黙り込んだ。あきれたのだ。

 別れる気などないというの? まだ私を愛してるって?

 ――嘘つき。私と和解したように見せたいだけでしょう。保身のために。


 私がリモートを増やした理由はなんとなく部内に広まっていた。

 おかげで数少ない開発部の女性からは啓介を非難する声が上がっている。例の総務の女と啓介が親密なのではと前から噂があったらしい。


 フロアに人は少なかった。部課長級もいない。誰も啓介をとめてくれない。

 そんなタイミングを狙ったのだろう。残っている部員が耳をそばだてているのがわかった。啓介は私にグイと迫る。


「拗ねるなよ。部内の空気を微妙にしちゃ悪いだろ? 夜、外でちゃんと話そう。おごるからさ」


 啓介の、「夜」という言い方にゾワッとした。しばらくそういうこともなかったから欲求不満なだけだと思われたのかもしれない。

 そんなの全然違う――私はもう、この人のことが嫌いだ。

 あらためてそう気づき、悲しくなった。


「――私、拗ねてなんかない。そんなこともわからないからフラれるんでしょ。業務以外は話しかけないで」


 私はなるべく強いまなざしで啓介を真っ直ぐ見る。キッパリした拒絶に、啓介の顔が怒りで赤くなった。


(大丈夫。ここで暴力なんて振るえない。そこまで馬鹿じゃない……はず)


 フイと私が背を向けると、啓介は一瞬荒い息を吐いて廊下に出ていった。


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