正義の見方
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第1話 天秤とスマートフォン
一
二〇二四年七月一一日 一五時〇〇分 2025年8月10日更新
「お願いします!妻を救ってください。」
時刻はちょうど一五時を回った頃、新宿駅西口から都庁に向けて一〇分ほど離れたところにあるカフェ。その中の一席で中年男性の悲鳴にも近い声が轟いた。
周りの客も怪訝な顔をしながら視線を向けるがすぐに関心を失い、それぞれの仕事や会話に戻っていった。
年齢は四〇代くらいだろうか、柔道でもやっていそうな体格の良い男だ。しかしだいぶ追い詰められているのかスーツの皺が目立ち顔も油で光っている。何日も風呂に浸かっていないのかもしれない、それほどまでに男の表情には余裕がなかった。
「ササキさん、頭を上げてください。中野さんからお話は伺いました、奥様が大変な状況だということはお察しします。ですが一旦コーヒーでも飲んで落ち着きましょう。」
テーブルに頭をこすりつけるように手をついている男、佐々木健次郎は恐る恐ると言わんばかりにゆっくりと顔をあげるが、その顔は悲壮感で満ち溢れていた。
ササキは男に言われた通りコーヒーを一口飲み、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。
「落ち着きましたか?」
ササキの向かいに座るのは二〇代後半の美しい男だ。長い茶髪はカツラか地毛なのか不明だがよく手入れされており、綺麗にウェーブがかかっている。服装は白のカットソー、紺色のスーツというシンプルな格好ではあるが、ボタンの位置を見る限り女性の型を平然と着こなしている、声を聞かなければ男性と分らないそれほど中世的な容姿をしていた。
「ありがとうございます。タカシロさんを中野さんから紹介してもらえたことは本当に幸運でした。どこの病院に連絡しても治せないと断られたので」
妻が通院している病院の中野医師からタカシロの存在を聞き出した。
まだタカシロと出会って一〇分ほどしか経っていない。軽く挨拶をした後、渡された名刺には【鷹城 燐悟】とだけ書かれていた。
「まだ解明されていない新種の病例ですからね、サンプルも少ないですし、ガンのように腫瘍があるわけでもない。対症療法さえないので病院では手の施しようがないんです。」
ササキのどこか余裕のない雰囲気を察したのかタカシロはゆっくりと柔らかい声色で話をした。そうすることで次第にササキは冷静さを取り戻していった。
「早速なのですが、入院する日程はすぐにでもお願いできるのでしょうか?」
タカシロは目を細め、口角が大きく横に伸びた。
「いえいえ、中野さんからどういうお話を聞いているのか分かりませんが、まず私は医者ではありません。奥様をどうするかはササキさん。貴方自身です。」
ササキは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。もちろん自分には医師免許はどころか、そのような専門知識を学んだことなどない。
「いきなりこんなことを言われても分からないと思いますので順を追って説明します。まずこちらの二つの器具をご覧ください。」
タカシロはそう言って足元の鞄から天秤を取り出した。アンティーク調の悪趣味な意匠を凝らした作りをしている。タカシロが片方の皿に青い石を置くと天秤は静かに傾いた。
青い石はサファイアのような美しく形成されておらず歪な形をしていた。ササキはさらに白い正方形の付箋を取り出した。
「一つ目がこの天秤になります。あなたの大切だと思う人の名前をこの付箋にお書きください。大切なご友人、ご兄弟、娘のアヤナ様、山梨にお住まいのお母様でも構いません」
タカシロは取り出した付箋と万年筆をササキの前に置く、混乱した一体この男は何を始めようとしているのだ。
「青い石の反対の皿に名前を書いた付箋を載せてください。天秤が水平なりましたら契約は完了ということになります」
医者だと思い込んでいた男が急に得体の知れない存在に変化した。少しずつ落ち着きをとりもどした精神は再び追い込まれようとしていた。
「この天秤はその方の命をいただきます、その代わり奥様、好美様を救済する力を貸与させていただきます。」
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