第22話 白熱の紅白戦 2
攻守交代が進む中、青嶋はバックネット裏に来ていた。マネージャーの友希が真剣な眼差しで投球練習を見ていた。青嶋はその横、雨ざらしになって朽ちかかった古い木の椅子に座った。
「冬野はアレ以来どうかな。まだ懲りずにあそこで練習してるか?」
「はい。でも少し練習内容は変わりましたよ。思い切りは投げてません。軽く投げて、跳ね返ってきたボールでバントの処理をする練習してます」
「そうか……あいつも自分の課題を知ったんだな」
「はい。みんなと野球ができて、ようやくわかったんです。一人じゃ気づかなかったことがたくさんあったんです」
「だろうな。鴨川やおじいさん、寺井さんが気にかけていても、やっぱりそれだけじゃできないことが多かったもんな」
「ようやくスタートラインなんです、鷹助は。今がすごく楽しそうだから、私も頑張らなきゃ」
「ありがとうな、鴨川。マネージャー業は大変だろう。俺も仕事を押し付けているしな。二年生の成績をまとめてもらってるが……俺のスコアブック、字が汚いだろう?」
「マジ汚くて解読できないです。ガチで困ります」
「……気をつけるよ」と苦笑いした青嶋は、クイックモーションで投げた鷹助に目をやる。
「さて。冬野はキャッチャーが佐武じゃない時、どんな投球を見せるかな?」
二人が見つめる先で、紅白戦の一回裏の攻撃が始まった。
一回裏の攻撃は、一番ショート、二年生の大木田夢我から始まる。夢我は、左打席に立った。
「冬野!どんとこいよ!」
キャッチャーに入った珠希が鷹助に声をかけてサインを出した。鷹助はサインに静かに頷き、ワインドアップのモーションに入る。初球はアウトコース低めのへの速球。ストライクゾーンギリギリで構えたミットへボールが吸い込まれた。
「ストライク!」
珠希が宣言する。夢我はそれにリアクションもせず、表情も変えずに次の球を待った。
大木田さんは何を待っているんだろうか。ストレートにはさっぱり反応がなかったのを、鷹助は不気味に感じた。
夢我は何のリアクションもせず、ただゆらゆらと力を抜いた構えで投球を待っている。泰然自若の構え、とでもいうべきか。とにかく反応を待つしかない。珠希からもう一度外への速球の要求が来て、鷹助はそれに答える。今度も外への速球、先ほどよりやや甘くなったが見逃してストライク。続く三球目は様子見をしようと外へ外したボール球を投げるも、やはり反応がない。
こうなると変化球待ちの可能性がある、珠希は悩んだ末にインコースへの速球を要求した。肘下あたりへの高めの速球だ。
四球目。要求よりも低いボールになったが、コースは完璧だった。しかし、夢我が動いた。完璧にタイミングが合っていた。振り抜いたバットの芯にボールは当たり、速い打球が一二塁間を抜けた。
「ナイバッチ!!」
ライト前への見事なヒットに、ベンチから割れんばかりの歓声。それをネット越しに見ていた友希は、思うところを話した。
「大木田さん、緩さに似合わないスイングしましたね」
「だな。狙った通りの球が来たんだろうけど、本人ののほほんとした感じからは想像もつかんスイングをするな」
夢我は青嶋が認めるほどのんびりした男だ。基本静かで物腰も柔らかいが、会話のテンポが遅い。そして彼は、とにかく慌てない。何が起きても動じず慌てない男だ。遅刻してきても一切慌てずに歩いてくるほどのんびりしている。待ち球を慌てずのんびり待って振り抜いた、と言えばそうかもしれないなと青嶋は思った。
「鷹助のストレート、見切られてますね」
「そうだな。みんな味方だからある程度見慣れてるが……それもあいつにとっては練習になる。二巡か三巡すると打者が慣れ出す、そういう時にどうやって抑えるかっていうシミュレーションにもなるわけだ」
「確かにそうですね。でも……まだスライダーも練習中だし、どうやって抑えたらいいのか……」
「そこは乗り越えてもらおう。こうして動画を撮っているっていうのは、より正確に自分や相手の行動を見返せる。フィードバックはしっかりできる体制だから、学んでもらおう」
この紅白戦の後、動画を全員に配布する予定だ。現代では、他者からの視点で見る自分をすぐに確認できる時代になった。これを使わない手はないと、青嶋は考えている。
「真剣に無我夢中でやることも大事だが、それだけでは身にならない。みんなには客観的に自分がどうかってことも考えてもらわないとな」
「ほんとそうですね。鷹助にもそうしてもらわないと」
カメラの向こうでは、ノーアウトランナー一塁の場面になっている。鷹助は牽制を何度か入れた後、二番の右打者、新谷央大に外角高めのストレートを投げた。初球はストライクだったが、央大はバントの構えから引いて見逃した。
「送りバントか……?」
鷹助はそう呟く。背後にいる夢我は走る気配がなく、緩く構えてリードを取っている。央大は今度は最初からバントの構えを見せた。二球目を投じようとセットポジションに入った鷹助は横目で夢我を二度見て、クイックモーションで投球する。
「走った!」
ライトからの大声が上がった。走る気配のなかった夢我がいきなりスタートを切ってきた。珠希がそれを確認してセカンドは送球するも、僅かに送球が逸れた。タッチはセーフ。盗塁を許してしまった。
「くそ、走られた……」
これも彼の弱点の一つ。ランナーとの駆け引きである。
盗塁をさせないようにするには、セットの長さを変えたり、速い牽制を入れたりしながら警戒させる必要があり、さらにはクイックモーションも速い必要があるが、このあたりはやはり経験不足の面がある。これは一人では練習できないため、これから経験を積む必要がある。
「鷹助ちゃん!!バッター集中集中!」
走られたのを見て、センターの太一から声がかかる。ノーアウトランナー二塁、ピンチではある。しかし、失点をしなければいいんだ、鷹助は頭を切り替えて央大に向き合う。
央大はまたバントの構え。鷹助はバントをさせにいった。真ん中へあえて速球を投げ込む。バントは成功して打球が三塁線へ転がった。サードの鶴上拓弥がバント警戒でチャージをかけており、鷹助を制して難なく捌き、ファーストでアウトを取った。これでワンアウト三塁。ピンチは続く。
「内野前進で!」
この状況で珠希は、内野に前進守備を指示した。ゴロでの一点を防ぐ体制である。
この場面は最も危険な場面だ。犠牲フライ、内野ゴロ、スクイズ。なんでもあり得る場面。スクイズは可能性が低いが、バットにあたれば得点の可能性が大いにある。望ましいのは三振だ。
優心は打力がそこそこある。全く打てないわけではない。舐めてかかれば大怪我をする、そんなバッターだ。しかし、鷹助には油断がない。彼は三振を取る気満々であった。
初球からスローカーブでタイミングを外し、速球は全てインコースへ。カウントツーツーからの五球目はボール球になるスローカーブ。優心はこれを狙っていたが、タイミングが微妙に合わず空振り三振した。
なんとか乗り切ったが、次は……部内一二を争う強打者、佐武士郎である。
「鷹助……乗り切れるかな」
友希は祈るような気持ちで見ている中、鷹助は士郎が打席に入る前に大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出した。
こんな痺れる場面は何度も経験しなければならない。こうした一つ一つのピンチを乗り切らなければエースナンバーは見えてこない。これは必要な試練だ。こんな強打者を何度も何度も相手にして勝ち上がっていく。これはそのうちの一つだ。
鷹助の眼光がここに来て鋭くなった。
こんな場面後何回繰り返すだろうか。だが、一つずつ喰らうのみ。トーナメントという弱肉強食の世界で、生き残るために。
ノスリは再び羽を広げた。
鷹助は集中力の全てをボールに注ぎ込む。全力の速球を、珠希の構えたミットに向けて叩き込む。
地上スレスレから放たれるボールは、ストライクゾーンギリギリいっぱい、インコース低めへ。ミットに捕球される乾いた後、珠希のストライクコール。士郎が全く反応できないコースへの素晴らしい速球である。
「おお……132キロ……速い」
バックネット裏でスピードガンを持っていた青嶋が、表示を見て感嘆の声を漏らす。球速は132キロ。力のこもった、狙い澄ましたノスリのようなボールがストライクを掠め取った。
続く二球目。今度は外角へのスローカーブだ。目一杯に腕を振って投げたボールは腕の振りと全く球速が一致しない。
だが、士郎はそれをものともしていなかった。これを待っていたと言わんばかりにタイミングが合っていた。ホームベースに覆い被さるほど上げた足が長く耐え、着地と同時に士郎はバットを振った。しかし、バットは空を切る。フルスイングでの空振りであった。
「あっぶな……」
ストライクからボールに外れていくスローカーブだったために、空振りがなんとか取れた。しかし甘ければスタンドに放り込まれる、そんなスイングだ。
珠希はそれを見て、迂闊に勝負できないと判断。外へ一球外すサインを出した。しかし、鷹助はそれを見て首を横に振った。
——ノスリは己の力を誇示しようとしていた。
この強打者を三球三振で仕留める。
彼はそう決めていた。
首を振って出し直されたサインに今度は首を縦に振った。高めへの速球のサインだ。
追い込んで迎えた三球目。全力の速球が地面から舞い上がるように高めへ。
士郎はこの球を待っていた。一つ前のスローカーブへの空振りは演技だ。速球を呼び込むための撒き餌。しかし、狙い通りの速球が襲いかかってくるが、鷹助の速球がそれを上回った。
「ストライク!!」
珠希が捕球する。
「っしゃああああ!!」
鷹助は雄叫びをあげ、グローブを叩いてガッツポーズする。結果は空振り三振。士郎が狙った高めの速球は、力があった。彼の予想の上を行く球質で、顔ほどの高さに来たボール。バットはボールの下を通り、掠りもせずであった。
「やったぁ!!……あっ……」
バックネット裏で、友希が鷹助と同時に、大声で歓声を上げた。この真剣勝負を前のめりに見ていた彼女は思わず歓声を上げてしまい、いつかのように恥ずかしそうに俯いた。
「いや、いい勝負だった。見応え十分だ。監督でなかったら俺も大声出して喜んでるよ」
青嶋は彼女にそう声をかけたが、それは気遣いでもなんでもない。本当にそう思ったからだ。腕の毛が逆立ち、鳥肌が立っている。それほど手に汗握る勝負だった。
超高校級とも言える打者を相手に一歩も引かず、持ちうる全てをぶつけ、最後は首を振って高めの速球で三球三振を取って見せた。まだまだ未熟なピッチャーだが、マウンドで躍動して大器の片鱗を見せつけた彼には、青嶋は期待せざるを得なくなっていた。
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