第014話 昼食
城壁の外の広場で、アルたちが楽しそうにヴェルクと喋っていた。
立っているだけで無自覚に畏怖を振りまくっている。周辺には人だかりができていた。
「結構陽が出てますけど、大丈夫なんですか? リーネさん」
「帽子があれば平気!」
「でも夜行性って聞きましたけど」
「……大丈夫! コーヒー三杯飲んだから!」
リーネは腕を組んで、プイッと顔を背けながら答える。
目の下にはクマが浮かんでいる。たぶん、昨日から徹夜だ。明らかに無理をしている。
さっそく旅に支障が発生している。感情に振り回された結果だ。
「どうして不機嫌なんですか?」
「君がヴェルク君を見捨てたと思ってるみたいだねぇ」
「思ってるんじゃない。事実でしょ」
アルは肩を竦める。
こちらとしてはどう思われようが構わないけど、出発前から体調を崩されるのは困る。どうにかしてリーネは休憩させないと。
「リーネちゃん、そんなに怒らないでください。ルウちゃんはずっと聖堂でヴェルクちゃんの家族を探していたんですよ。ルウちゃんは仕事熱心な人ですが、それだってヴェルクちゃんのためを思ってのことなんです」
「エルフィさん、余計なことは言わないでいいですよ」
「え? そうなの?」
こちらを振り返ったリーネはパッと明るい表情になっていた。
「リーネさんも真に受けないでください。俺は仕事をしているだけで、ヴェルクがどう思おうが何も関係ないですから」
「なーんだ! そうだったのかぁ! アルが言っていた通り、ルウはツンデレだったんだなぁ! そうかそうかぁ!」
「……」
勝手にツンデレ認定されるのは心外だけど、機嫌がよくなったのだから良しとしよう。
「で、そちらも進展はなかったわけですか?」
「いいえ、あったわ!」
「え……本当に?」
さっきエルフィは何も進展がなかったって言ってたけど……。
やっぱり高位の魔術師に本気を出したら、捜索なんて一瞬で終わってしまうんだろうか。
「ヴェルクと武器屋に行って、似合いそうな剣を買ってあげたわ! それと、本に興味がありそうだったから本屋にも行ったし、服屋にも言ったわね。アルのお下がりもいいけど、私は魔術師っぽい服を着せたかったしぃ」
「……それで、進展は?」
「ヴェルクと仲良くなれたわ! 大いなる進展でしょ!? どう、羨ましい!?」
少しでも抱いてしまった劣等感をどうしてくれる、ポンコツ天魔導師め。
ただデートしてるだけじゃないか。浮かれ過ぎだ。
俺は空を見渡した。
太陽の位置からいって、もうすぐ正午だ。
遠征の出発時刻は九時。すでに大幅に越えている。
「はぁ……」
遅刻。
それは仕事をする上で、絶対にあってはならない惨事。
俺は首を横に振る。気落ちしても仕方がない。
とりあえず、こいつらに何か栄養を取らせないとな。
勇者一行なんて、放っておいたら飲まず食わずでいつまでも活動し続けそうだし。
出発前から不健康になってもらっちゃ困る。
「このまま、避難民の仮居住区で聞き込みをしたいところですが……そろそろお昼です。どこかで食事でもしましょう。ヴェルクも、そろそろお腹が減ってるでしょうし」
「減ってない!」
「市場に行ったら美味しい料理を出すお店があるよ」
「減ってない!」
「いや、でも……」
聞く耳を持たないといった感じのヴェルクは、俺の元へかけ走ってくると、また脛を蹴る。──いや、蹴ろうとしたが、今回は予測ができたので簡単に避けてしまった。
すると、それが気に食わなかったヴェルクは、俺の股間に向かって思いっきり頭突きしてきた。
「ぐぁっ!?」
息が止まるくらいの強烈な痛みに意識が引っ張られ、全身の力が抜けていく。
倒れた俺なんてお構いなしで、ヴェルクはリーネの背後に逃げていく。
「うわぁ……大丈夫かい? ルウ君」
血圧が低下することで視野が狭窄し、冷や汗も止まらない。この世の全てを恨みたくなるような時間を共有できるのは、アルだけだった。
「アルさん……どうやったら、ここを鍛えられるんだ?」
「それはもう、血のにじむような鍛錬が必要だね。やってみるかい!? マニアックな部位だけど、だからこそ鍛えがいがあるんだよ?」
「いや……遠慮しとくよ」
と思ったけど、全てをトレーニングで解決しようとする人間とは、感覚の共有はできても、共感はできないらしい。
「ヴェルク、ご飯はちゃんと食べないと」
「そうだぞ、ヴェルク君! 食事は筋肉の源だ! 低脂質高たんぱくの食材を食べるのが基本だ! よかったら、僕の勧めのお店を紹介してあげるよ!」
「筋肉のために味を犠牲にした料理なんて嫌よ。ヴェルクは食べ盛りなんだから、食事を楽しまないと」
神経反射的に蹲ってしまう俺を他所に、勇者一行はヴェルクの説得で忙しかった。
「わかった……でも、食べるならお肉がいい。血が滴るくらいのレアなお肉が食べたい」
「それなら新鮮なお肉が食べられる場所がですね」
「僕に任せてくれ。いいお店を知ってるんだ」
「味気ない食事じゃないの?」
「大丈夫。普通の料理屋さんだよ」
「じゃあ、みんなで行ってみようぉ!」
「「おおー!」」
ようやく立ち上がれるくらいに回復した時には、勇者一行は走り出していた。俺はまだ痛みの余韻を引きずっていて、内股で少しずつしか歩けなかった。
くそ、はしゃぎやがって……仕事なんだぞ……。
「まぁいい……とりあえずこれで、リーネさんを休憩させられる」
しかし、「血の滴るくらいのレアなお肉」って、いきなり思い浮かぶ注文じゃないよな。食べた経験がなきゃ、出てこない。
少なくとも貧しい農民では新鮮な肉にありつくのも難しいはずだ。ヴェルクは富裕層の家の子だったのか。これも一つ、手掛かりだな。
市場で入ったのは剣の刺さった酒樽の看板が目印の「マグノア」という食事処。
銀貨一枚、千アーディで味しい料理がたらふく食べられる。味も量も最高。大食漢が多い冒険者も御用達のお店だけど、アルのような貴族がこんな大衆店を知ってるのは少し意外だった。
「店主君! 特性筋肉チキンセットを一つ!」
「あいよ! 他はもう決まってるのかい!?」
カウンター越しに店主の小気味よい声が聞こえてくる。
「やっぱりそういうお店なんじゃないの?」
「いやいや! 他にも普通のメニューはあるよ! 僕のは特別メニューなんだ」
特別メニューを用意してもらえるくらい常連なのかよ。もしかすると、ずっと以前からこのお店ですれ違ってたりしたかもな。
リーネはカウンター席の横に立てかけてある品書きに目をやる。
「ん、高貴なる私に相応しい、美味しそうなメニューが一杯あるじゃない。……ハッ! そういえば、ここの会計は誰が持つのかな? 私は実家が最近火事になったから、お金はないわよ?」
「リーネちゃんのご両親は王城にお住まいでしょう?」
金を払いたくないばかりに嘘までつくか。意外とセコいな天魔導士。
「一応、ヴェルクの家族探しは仕事なので、経費で落とせます。軍資金はあるので、気にしないでください」
「さすがはルウ! 我らが有望な参謀は二手三手先を読み、すでに資金源を確保しているのだ! ということで、私はこのジャイアント・デラックス・ステーキを頂きます!」
「ここの料理、けっこう量ありますよ。食べきれますか?」
「大丈夫です。リーネちゃんが食べきれなかったら、私が食べますから。じゃあ私はウルトラ・ジャンボ・パフェ」
パフェなんて洒落たものが、このお店にあったのか。
「それは食後で、最初にスティールクラブの鍋とビッグマウンテンバーガーをください」
このお店が普通のメニューでも量が多いってことを知らなかったとしても、頼み過ぎだ。
元は貴族だから、食べ残すのは当たり前だったりするんだろうか。
俺が食費を持つ訳じゃないし、いざとなれば他の客に分けてしまえばいいか。ちょうど冒険者風の男性客が数人いる。彼らなら食べ残しだろうと気にしないだろう。エルフィのような美人が食べ残したものなら、なおさら。
「……サンドウィッチとコーヒーを」
「ルウ君。もっと食べないと、筋肉が小さくなっちゃうよ。ただでさえ有酸素運動ばっかりなんだから」
「あまり食べ過ぎると集中力が散漫になりますから、仕事中は腹八分目にしておくんですよ」
「真面目だなぁ」
「普通に仕事をしているだけです」
しばらくすると、次々と料理が運ばれてきた料理でテーブルは一杯になった。
ヴェルクは当初の注文通り、レアに焼いた牛ステーキを食べる。
ナイフとフォークの使い方に慣れている。
下流の農民や商人の家じゃ、こうは育たない。
実例は俺。
幼少期から冒険者の遠征に同行していると、サバイバルナイフ一本で焚き木の調達から、調理、食事まで済ませるので、昔はフォークの使い方すら怪しかった。
「ん~、やっぱりここの料理は美味しいなぁ。食材が良質のなのがよくわかる」
蒸された鳥の胸肉に大量の野菜、豆類、ゆで卵が一つの皿にまとめられ、横にはコップ一杯の牛乳。皿の端にはヨーグルトとレモンとすり潰した香草を混ぜたソースが入っている。
低脂質、高たんぱくで栄養を補給する。完璧な筋肉食と言って差し支えない料理が、皿の上で理想郷を作っていた。
「ホント、凄く美味しいです」
エルフィは──食べていた。
殻が鉄のように肩い蟹、スティールクラブの鍋をものの数分で平らげ、杭を刺さなきゃ自立できないほど高いバーガーを上から一段ずつ崩壊させている。笑顔で、とても楽しそうに。
細い体のどこにそんな量が入るのか。全ての栄養が胸とお尻にしか行っていないと思われる。
「私……やっぱりいらない……ウッぷ……」
大きなステーキを目の前にして、リーネは吐き気を催しているようだった。
「寝不足ですか?」と、俺は質問してみる。
「ちがう……」、苦し紛れにリーネは答える。
一瞬のことだったが、ゲップを出す口の端から、小さな火が出ていた。
火でも吹くのか? 吸血鬼は。
「歩いている間は活動的だった脳が、休憩をしたのをキッカケに疲れを自覚し始めたんでしょう。ヴェルクの家族は俺たちで探しておきますから、リーネさんは王城で待機していてください」
「大丈夫だって……回復すれば問題ない……エルフィ」
「そういうやり方は、あんまりオススメはしませんよ。ルウちゃんの言う通り、ちゃんと睡眠はとらないと」
「ヴェルクを放ってはおけないでしょ。お願いぃ~、エルフィ~」
話が見えてこないな。回復の仕方にいいも悪いもないと思うけど。
エルフィがやれやれといった様子でナイフとフォークを置くと、気怠そうに駄々を捏ねていたリーネが。自分の右腕に噛みついた。
「ハブッ! ムニョムニョムニョ……」
リーネの犬歯が皮膚を貫通し、流れ出る血を飲んでいる。
「アクエラ、ヴェントラ。リーネちゃんの体を癒してあげてください」
エルフィが言うと、リーネの体が金色に光り始める。
俺の目には見えないし、魔術でもなければどういう仕組みかもわからないけど、精霊がリーネの体を回復させているみたいだ。
自分の血を胃袋に入れて、失った血液を精霊で回復させている。寝不足が食欲不振の原因なら、精霊で体力を回復させるだけでいいはずだ。
──吸血衝動。
半吸血鬼として無尽蔵の魔素を手に入れた代償とでも言うべきか。疲れた時に出るってリシアが言ってたな。
ある程度は自分の血で誤魔化せるんだろうけど、回復する術がなかったら、最悪の場合、誰かの血を提供しなきゃいけないかもしれないな。仕事のためなら俺は喜んで差し出すが、血の味に美味しいとか不味いとかはあるんだろうか。
つくづく集団行動には向かない体質だ。
圧倒的な魔術は、何を差し置いても貴重だけど。
「エルフィ、これ食べて……」
「ありがとうございますぅ! 実は少し遠慮してたから、物足りないなと思っていたんです!」
「遠慮していた……だと……?」
エルフィは特大のステーキにまで手をつけ始めた。見ている方が胸焼けしてくる。
キリキリと、チリチリと、いや……バチバチ?
最初は熱々の鉄板の上に寝転ぶステーキの脂が音を立てているのかと思った。
しかし、違う。
断続的な刺激のある音に目を向けると、十数個の火花が宙に浮いているのが見えた。
ダイナマイト。
凶器に囲まれていると気づいた時には、火のついた導火線が僅かばりしか残っていなかった。
俺は魔術も魔力体術も使えない。実行に移せるのは一度きりの短い行動のみ。爆発から身を挺して守れるのは一人だけだ。
案内役の仕事を優先するなら、勇者アルを守るべき。だけどアルなら俺が何もしなくても、無傷で生き残れるはずだ。リーネ、エルフィも同様。
迷子を家族の元へ送り届ける。その仕事を遂行するなら、守るべきはヴェルクだ。
俺は咄嗟にヴェルクへ抱きつき、ダイナマイトに背を向けた。
強烈な閃光、衝撃音が内臓を揺らす。辺りは一瞬にして黒い煙に支配された。
普通なら、煙に包み込まれる前に俺の体は吹っ飛んでいるはず。でも実際は、煙は俺を避けるように流れており、衝撃もなにもない。
砂金をちりばめたような青い膜が、球体状に展開されていた。
球体の表には風が発生しており、煙は外へと流れていく。
見ると、似たような球体が店主や他の客にもそれぞれ展開されていて、負傷した人は誰もいないようだった。
精霊の力か。
エルフィは命令も詠唱もしていない。
自動的な守護。精霊にも自我があるってことか。
煙が晴れると、店の外に怪しげな人たちが立っているのが見えた。
服装はボロボロで、何日も同じ服を着続けているような感じ。布で口元を隠していて、こちらに向けられている視線には、確かな殺意が込められている。
「昨日の人攫い君たちの仲間かな?」
「お茶に誘われても、ついて行くのはナシだからね、エルフィ」
「ついて行くのがダメでしたら、こちらでお茶をご用意すれば問題はないですよね?」
「歓迎する気!? あんな絵に描いたような悪っそうな人たちとお茶して何が楽しいのよ!」
「悪いことができるのは元気な証拠ですよ。元気なことは、とても素敵なことです」
「アンタは私と同じく高貴な存在だけど、その価値観は一生経っても理解できそうにないわね」
「二人とも、今はそんな話をしている場合じゃないでしょ!?」
その時、ダイナマイトの爆発によって傷ついた建物の柱がバキバキと音を立てて折れた。
天井が落ちてくる。俺の足では飛び込んでも、脱出は間に合わない。
他の客たちが身を伏せる中、アルはゆっくりと立ち上がり、右腕を上げた。
肘の屈伸で衝撃を和らげつつ、五本の指で受け止める。
天井が──静止した。
「おお! いい感じの重さ! 指の筋トレにはなるかも!」
アルはもう片方の手で、デザートに用意されていたバナナを頬張っている。ゴリラめ。
「ああ、あの人たちの血を吸えばよかったなぁ……いや、不味そう。
まだ気怠さが抜けきらないリーネが人差し指をクルッと回す。
遠くから轟音が聞こえてきたかと思うと、表通りを幅いっぱいに占領する巨大な岩の獅子が、炎の推進力で低空飛行し、賊を蹂躙した。
「フロナ、お店を支えてください」
エルフィの声に呼応するように、四方から巨大な蔓がニョキニョキと生え始め、建物の二階部分を侵食する。互いに巻きつくように捻じり合う蔓が、建物の柱になった。
なお、その間もエルフィは切り分けたステーキをパクパクと食べていた。蔓の成長が止まった時には、ナプキンで口を拭きながら「あ~、美味しかったぁ。ごちそうさまでしたぁ」と丁寧に挨拶をする始末。
「あ、ああ……それは何よりだ……」
腰を抜かしている店主は、そう答えるので精一杯だった。
かくして、訪れる沈黙。
普通なら数十人の死傷者を出しているはずの惨劇は、勇者一行の所作ひとつで防がれた。食後の運動にすらなっていない。
「わ、わぁあああああ!」
「ヴェルク!?」
事態が治まったと思ったら、ヴェルクが店外へ走って行ってしまった。
恐怖で冷静さを失ったのか。
まだ賊は近くにいるかもしれない。走ろうとしたところで支払いを忘れていることに気づく。
「これ、代金! ごちそうさま!」
「ま、まいどありぃ……」
金貨一枚をテーブルへ置きに戻った後、ヴェルクを追いかけた。
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