第14話 夢の契約
「きゅ、急にどうしたのよ?何を言って……」
突然の変わりように月和は声を震わせる。
そんな月和に凰介は問いかける。
しかし凰介はそれを無視して一人語る。
「始まりはほんとにただの突発的な現象。お前の脱退という事態は俺にとっては寝耳に水だった。だが、それではい終わりと済ますには勿体なかった」
「ね、ねぇ、ほんとに何言ってるのよ・・・?」
月和は震える声で問いかける。だがそれは言葉の意味を理解していないという訳じゃない。それは願いであった。
だがそれはあっさりと否定された。
「だから、こういうことさ。お前のこの凶事を利用させてもらったってことだ」
彼女の心からスタンドガラスが粉々に飛び散る音がした。
「う、うそ……そん……な……」
「夢だと思いたい、悪夢だと願う、だがこれは現実だ」
凰介はあくまで冷静に返す。
月和の頭の中では今までの思い出が渦のように目まぐるしく巡りまわる。
それこそパイレーツオブカリビアンのあの海の海賊団との決戦の渦のように激しく。
月和は壊れた西洋人形の口のように口を震わせ小さく問いかける。
「じゃ、じゃあ、今日までの…今までの……は、う、嘘…なの……?」
「そんな訳ないだろう?言っておくが俺はお前は敢えて気づ付けようとは思っていない。実際俺はお前を傷つけたことはあったか?」
「そ、それは……でも……分かって…た……なら、前もって…どうにか……」
「それができないと判断したから、お前のその苦痛が結果で終わらない為に、俺はこうして今ここにいる」
「で、でも……あ、あれ……?」
月和はもう冷静な判断が出来なくなっている。
信じられるわけがない。だけど信じられる。それは今までが信じられたから。だから信じたい。だけど裏切られた。利用された。だけどそれは自分の為。
「わかんない……」
理性と本能、合理性と感情性、バランスを取り持つことは極めて難しい二つの相反する心。元が崩れているその心は一度均衡を保ち始めるとそれは極めて難しい判断は的確に決められる。しかし、それが崩れて瞬間、もとに戻った瞬間、決して元の状態には戻らずより悪化する。
「わ、私、分かんないよ。もう、分かんない。ねえ私、どうすればいいの?」
彼女は泣いていた、そして笑っていた。
感情が崩れかけてる。
(あともうひと押しか)
「ねえ、アンタは……私の……味方…?それとも……誰なの……?」
感情が崩れると人はその本性を出してくる。
そしてその時人は自分と向き合える。
「それはお前次第だな」
「…え?」
凰介は答えを与えるのではなく、逆に質問する。
「お前は何者なんだ?全てを失ったお前は何を目指し、何になる?お前にとって味方はどんな奴だ?敵とは?お前が求めてる俺はなんだ?」
「そ、それは……あれ?」
月和の言葉は詰まる。
それもそうだ今の彼女が何者でもない。
アイドルでもなんでもないただの夜忍月和だ。
今まであったアイドルしての価値は消え、残ったのはただの男性関連の邪推だけ。
そんな彼女に一体どんあ価値がある?
「私は……ママに…憧れて……アイドルに……」
「それがお前の夢だったんだよな?」
「そ、そう……だけ…ど……」
「諦めるのか?たった一度の失敗で?」
「で、でも……」
「何も知らない他者に、夢の一歩を潰された。どう思った?」
「それは……く、悔しい……つらい……」
月和の顔からはいつしか壊れた笑顔はなく、ただ泣き顔一色に染まっていた。
その泣き顔はどんな泣き顔かは正確には分からない。
だが、それが人の心を強くする。
「他には?うざくないのか?ふざけるなって思わないのか?死ねと思わないのか?」
「お、お、…………も……」
月和は小さく震える口で何か言った。
「なんて?」
俺は聞き直す。
「だ、だから……思う…思う……うざい……死ね…ざっけんな……なんで私の苦労も辛さも怖さも知らないで!なんで娯楽感覚で!笑って!自信を持って!!承認欲求が満たされて!!!ネタにされて!!!マジで死ねよ!!!死んじゃえよ!!!あは、あははははははははは!!!!」
月和の心を縛っていた楔が完全に壊れた。
「マジでざっけんなよ!!マジ死ねよ!!なんもわかんない癖に!!!アイドルなんて惨めなことばっかで!!!分かる?握手会の時、他のみんなは沢山の列を成して!そこには笑顔のファンがいて!!それみよがしに私の前には誰もいない!!誰もいないの!!!ただ他のみんなを心の中で羨ましながら作り笑顔で過ごす時間が!!練習帰りに倉庫で見える自分のだけ売り残ったグッツを見る惨めさが!!周りにはみんなのグッツを付けてるのにそこにいない自分の姿を見る痛みが!!アンタに分かるの!!!!!」
表に出すつもりはなかったその感情。何も知らない電子の海に住まう悪魔たちに向けるつもりだった言葉。
しかし自然とその顔は言葉、今その場にいるただ一人の男にのみ向けられた。
だが彼は決して動じない。顔色一つ変えず受け止めた。
そして一度吐き出して冷静になった彼女に自分がしたことに恥ずかしさと後悔と恐怖が襲った。
「ち、違う…私は…そんなつもりじゃ……アンタにじゃなくて……!その……ごめん……ごめん…ごめんなさい……許して…許してください……お願いします…見捨てないで………」
それは捨てられた子犬のようだった。
「そうだお前には怒る権利がある。だから夢を諦める必要はない」
月和は鼻を鳴らす。
「だが、お前は些か自分で夢を誤認してる」
「・・・・・・は?」
夢の誤認、それが何を意味してるのか分からなかった。
「お前が初めて母を語った日、あのオーディションの面接の時のことを俺は覚えてる。緊張しながら、口を噛みながら、貧乏ゆすりを耐えようと我慢する姿。そして、母のことになるとそれらを忘れたように嬉しそうに語るお前の姿」
凰介は思い浮かべる。
彼女が初めて部室の扉を叩いた時なことを。
そして一間開けて語りかける。
「誰かに憧れるのいい。けどそれに固執し過ぎるな。お前はその誰かになる為に産まれてきたわけじゃない。夜忍月和という特別が更に特別になる為に産まれてきたんじゃないのか?」
「・・・・・・!?」
その言葉を聞いた時、月和はあまりにも古く、忘れていた記憶を思い出した。
ただ当たり前だった日常。
私がテレビに映ってるママの姿を見てマネしてたあの頃。
『ママ見て!』
そう言って私はママの真似をして、今思えばとても上手いものへったくれもないダンスと歌を披露した。
それを見たママは嬉しそう笑って私を褒めてくれた。
『凄いわよルナ!とっても上手!』
『ほんと!?』
『ええほんとよ』
『えへへ』
嬉しくて昔の私はママに抱きついた。
ママは私を優しく抱きしめてくれた。
そして私はママにこう言った。
『わたし、いつかママにみたいなアイドルになる!』
『えーー、それじゃあママの特別が減っちゃうからダメーー』
『そんなことないよ!ママはずっと特別だもん!』
『もうこの子ったら!!』
ママは頭を撫でて頬をすりすりしてより強く抱きしめてくれた。
そしてママはそっと私に言ってくれた。
『私に憧れてくれるのは母親としてとっても嬉しいわ。でもねルナちゃん。ルナちゃんの
そんなたった一幕の記憶。
当たり前過ぎる日常にあった何故か覚えていた言葉。
その思い出に、月和の目からは涙がスッと流れていた。
「だけど特別には試練がつきものだ。それを乗り越えられるか。そこでその特別が本物か分かる。・・・お前の母親は本物だったのか?」
月和の頭の中に流れてくるもう一つの母親の姿。
髪や肌は荒れに荒れて、自らの爪で綺麗だった肌を傷だらけにして、何も食べず、身体は瘦せ細り、かつての表舞台で輝いていた美しさは完全に失われ、完全に別人だった。怒って物に当ったと思ったら、次は突然泣き出し、そのまた次は叫び、また自分を傷つけて、自分の憧れが壊れる姿が蘇ってくる。
だけどそれでもママはもう一度、アイドルとして表舞台に立った。
その最初の公演の時、ママが私に向かって言った言葉があった。
『ごめんなさいねルナ。恥ずかしいところを見せちゃって。怖かったわよね。泣きたかったわよね。辛かったわよね。ごめんなさい、貴方の夢を汚して』
そう言ってママは私を抱きしめる。
『だから汚名返上のチャンスをくれないかしら?私がもう一度、貴方の夢になれるチャンスを私にくれる?』
その時、私は確か…………。
『うん!!まま大好き!!』
『……!…んふふ、これじゃあ失敗できないわね』
ママは笑ってステージに向かって歩きだした。
「契約だ。もしお前が夢を諦めず求むのならこの手を取れ」
黒い悪魔は手を差し伸べる。
それは後戻りのできない禁断の契約。
しかし、最も彼女の夢を叶えることのできる道である。
「だが、それには対価が必要だ。俺はお前の願いの為に人生を賭けよう。故に求む、俺が欲っするのはお前の半生だ。もし契約を結ぶのなら、この手を取りお前の願いを言え」
「わ、私は・・・・・・」
不安と恐怖が彼女に押し寄せる。
彼から発せられる圧。
しかしその圧は誘いの誘惑。
取れではなく選べと、選択し決断しろと伝えてくる。
「もし契約するのなら俺が叶える願いはお前がここで言ったたった一つだけだ。だからこそよく思い出せ、お前の夢はほんとにアイドルになることなのか?」
心が壊れかけ、自分すらまともに信じられなくなっている心に簡単に入り込まれる疑惑。
そして自暴自棄を誘う。
「全てを失ったんだろ?だったらこれ以上何を失う?俺が憎いか?なら利用しろ。自分の目的の為に俺を利用しろ。そこに人格の信用はいらない。必要なのは利用する価値があるかどうかだ。例え誰が苦しもうが死のうが、最後にお前が幸せならそれはハッピーエンドになr・・・」
バン!
凰介が言い切る前に空いていた手が強く、岩を潰すほどの強さで握られた。
「もう、なんにもわからない。誰を信じていいのかも、生きてていいのかも、生きる意味も、全部
・・・もう、よくわかんない。・・・・・・でも、なんでだろう・・・・・・こんなに辛いのに、苦しいのに、痛いのに、悔しいのに、アンタを信じちゃう。おかしくて、怖いのに、安心しちゃう。離れられない。諦められない。頭の中にずっと流れてるの。無理だって分かるのに・・・もう・・・・・・無意味だって、なのに、止まらないのあの時の記憶が離れないの!!」
声を震わせ、独白し、震える手に熱が籠る。
「ねぇ、私、ちゃんとできるかな?」
神かも縋るような表情で涙を流し、彼に答えを求める。
それに彼は応えた。
「大丈夫さ。必ず叶う。なんたって、その夢を叶えた人を知ってるんだろ?」
涙が流れる。
そして感じる、それに具体性も何もないただその時の思いつき。
だけど心が、本能が叫ぶ、それこそ、私の夢だと!
月和は息を呑み、恐怖を飲み込み、戸惑いを忘れ、雑念を捨て、我儘に答える。
「わたしは・・・・・・わたしは・・・!!!お母さんみたいになりたい!!キラキラと笑って、輝いて!!楽しそうな!あのステージに立ちたい!!わたしの、私の、私の願いは!!あのステージに立てるようになりたい!!!」
吐きそうな喉に耐え、胃が痛み、心臓の鼓動が響き、手足が痺れる。
その一心の願いを聴き、悪魔は笑った。
「安直、感情的、具体性の何もない抽象的な願い。・・・・・・故に、純粋であり、曇りの無い、いい願いだ」
「・・・・・・!?」
なぜだろう。
その言葉だけで何かが報われた気がした。
心臓の鼓動の大きな一拍を感じた。
「契約成立だ。これより俺はお前の夢の為に全てを賭けよう。これからよろしくな月和」
ここに新たな契約が成った。
これにて序章は終わり、本編の幕が上がる。
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