元冒険者が待つ宿で、紅茶を一杯いかかですか

海坂依里

第1章「廃墟のような宿屋」

第1話「村人Cには女神様の存在は眩すぎた」

「恐れるな! 我々は共に勝利を掴むのだ!」


 世界を脅かす魔法が現れてからというもの、世界は恐怖と絶望に包まれていた。

 けれど、運命の日は訪れた。


「我々には、異世界から転生してきた勇者様がいる! 恐れるものなど何もない!」


 世界のあちらこちらから集結した兵士たちは、異世界から転生してきたという勇者カイル様を神様のように崇めた。

 異世界転生者と呼ばれる存在が、私たちの世界を救う鍵となってくれたのだった。


(私なんて、いてもいなくても変わらない)


 兵士たちと同じく、私も世界を救うために召集された魔法使いの一人。

 数えきれないほどの戦力が招集されたけれど、その力すべてを結集させたところで異世界転生者様には敵わない。

 勇者様に帯同する私たちは、今日も勇者様のお飾りと国民から揶揄されているらしい。


(早く帰りたい)


 先頭を歩く勇者様の顔を見ることすら叶わない後方で、伸びゆく木々の枝の隙間から見える星々へと目を向けていた。でも、平和な時間というものは長く続かない。


「俺たちなら、絶対にやれる!」

「私たちなら、勝てるわ!」


 一瞬にして、空気が変わった。

 森の中を歩いていた勇者一行は、森の奥に潜んでいる何者かの気配を感じ取る。


(詠唱の準備……)


 もうすぐで魔王が待っている城へと辿り着くはずが、この森そのものが魔王の手先として私たちの進行を阻んでくる。


「rialtanjent」


 杖から放たれた光が仲間たちを守るための壁となり、襲いかかってくる敵の攻撃を跳ね返していく。

 仲間たちは少しでも成果を上げるために戦闘へと集中していくけれど、勇者様の力は仲間たちのやる気を削ぐくらい圧倒的だった。


(勇者様がいれば、世界は救われる)


 敵の軍勢は数を増し、力を増していく。

 仲間たちの体力が限界に近づく中、治癒士たちは懸命に治癒の力を私たちに送ってくれる。

 でも、治癒士が仲間全員を救うことができるなんて、夢物語でしかないと誰もが知っていた。

 傷を癒すという奇跡的な力を持つ治癒士にだって、救える命の数に限界はある。


「っ」


 次から次へと仲間が倒れ、次に死ぬのは自分かそれ以外かという戦況に陥り始める。

 勇者一行が追い詰められているのは一目瞭然だけど、先頭を行く勇者様にとっては取るに足らない戦闘であることに間違いはない。


(それだけ、勇者様は強い)


 剣がかすめる音や、魔法の衝撃がぶつかり合う音と共に、仲間の息遣いが荒くなる。

 希望が薄れていく中、風が囁く声を耳にした。


(っ、助けなきゃ)


 仲間の危機を知らせてくれた風の声を聞き取った私は、膝をついた仲間の元へと駆け寄る。

 詠唱を唱えようとするけれど、魔法使いは守ってもらわなければ自力で詠唱時間を稼ぐことができない。


「ヴァレミ! 逃げて!」


 仲間の声には迷うことなく杖を掲げ、なるべく詠唱時間が短い魔法を選択しようとした。

 でも、強大なモンスターの爪先は私のか細い体を貫いた。


「ヴァレミっ!」


 仲間の叫びが戦場を切り裂くように響いたけれど、その叫びはなんの力にもなってくれなかった。

 戦場で詠唱時間を稼ぐことができない魔法使いに待っているのは死、のみだった。


「ヴァレミっ!」

「早く……逃げて……」


 敵を一掃するのが魔法使いに与えられた役割なのに、その役割を果たすことなく敵の一撃は私の心臓を貫いた。


「ヴァレミっ! ヴァレミっ!」


 仲間たちが私に駆け寄る余裕なんてないはずなのに、誰かが敵の隙を突いてくれたらしい。

 息遣いが聞こえなくなる瞬間を看取ってくれる人がいただけで、私の人生は良いものだったんじゃないかなと思い込んでみる。

 魔物の餌になることなく、静かに森の土へと還ることができたら本望だ。


(次の人生は、平和な世界を生きたい……)


 次に瞼が上に向かったとき、私は新しい人生を始める。

 勇者様は前世で亡くなってから転生したとおっしゃっていたから、私も今度は平和な世界に転生してみたいと思いながら深い眠りに就いた。


「ヴァレミ」

「ん……」


 閉じた瞼が、眩い光が広がったのを感じ取る。


「起きてください」


 視界が開けると、そこには白い衣に身を包んだ女性が私の顔を覗き込んでいた。


「っ」


 髪色は銀糸のように輝き、瞳は深い空の色を思わせる青。

 静かな声で淡々と起きた事実を語り始めていくけれど、頭の中は混乱の二文字で埋め尽くされていく。


「残念ながら、あなたは短い生涯を終えました」


 台座を前に佇む女性をたとえるなら、物語の世界に出てくる女神様だと思った。

 勇者様のような圧倒的な存在感を放っていて、自分のような物語の隅っこにも描かれないような村人Cには彼女の存在は眩すぎた。


「ヴァレミ、あなたの選択は尊いものでした」


 透き通った声で語りかけてくる姿を見て、やっぱり彼女は女神様という存在なのかもしれない。


「その勇気を讃え、あなたには次の人生を……」

「あの、これって、勇者様が辿ってきた異世界転生……」

「はい、その通りです」


 女神様の目を見つめると、女神様は穏やかな微笑みを返してくれた。


「ですが……」

 

 でも、女神様の優しさは底なしというわけではなかった。


「ヴァレミは、異世界を転生するためのお金が足りません」

「…………え?」


 女神様に、なんて言葉を向けてしまったのか。

 そんな後悔を抱いている暇はなく、私は女神様の言葉を解釈するために必死に頭を動かしていく。

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