美術部展覧会
楽しい夏休みが終わり、パルフェ学園の美術部展覧会の日がやってきた。
パルフェ学園の美術部展覧会は、教師や生徒だけでなく一般客も気軽に入場できる。
ミカソ先輩が展示物の最終チェックをして、部員たちに指示を出した。
「持ち場と当番の時間は配った表を見てください。展覧会に来てくださった方々には、しっかり挨拶するようにお願いね」
ロマが少し緊張しながら持ち場にいると、入り口の扉からソルティ先輩が来てくれたのが見えた。
「先輩、来てくださってありがとうございます!」
「ロマ君の絵が観たくて、この日を楽しみにしていました」
ロマはソルティ先輩と一緒にしばらく過ごす。
「ロマ君の作品はどれも観ていると心が穏やかになる絵ですね。もし良ければ、今度ロマ君に絵を描いて頂きたいのですが……だめでしょうか?」
「えっ?もちろん良いですよ!先輩のために描きたいです!」
「嬉しいです。ありがとうございます」
普段感情が顔に出ないソルティ先輩が、優しく微笑んだ。
俺の絵で喜んでもらえるなんて、嬉しすぎるよ。
その後、ロマの母親も来てくれて、緩やかに午前中が過ぎていった。
広い講堂の壁や至る所に作品が並び、差し込む午後の日差しが絵の表面に柔らかい光を落とす。
ざわめく人の群れの中を歩くと、絵の具の匂いや新しい木枠の香りが混ざり合い、少し酔うような感覚になる。
展覧会の時間も終盤に差し掛かっているのに、来場者は結構多く、時間があっという間に過ぎていくようだった。
ポスターやチラシ作りを頑張った甲斐があったかもしれない。
ロマは来場者を案内しながら、観客が密集している一角に目を留めた。
そこには――シキの作品があった。
展覧会は元々、シキの絵の注目度が高かった。
桜並木を描いた大きなキャンバス。
淡い桃色が枝いっぱいに広がり、風に揺れる花びらが画面の外へ飛び出していくようだった。
奥行きのある構図で、桜の下に立つ人物は、茶髪と水色の髪の少年が二人、道の向こう側へ駆けていく。
それがかえって、観る者ひとりひとりをこの道に自分も立っている感覚へと誘っていた。
「すごいな……」
ロマは思わず足を止める。
見知らぬ保護者や生徒たちが次々と足を止め、写真を撮り合っている。
ひとりの教師が口にした。
「今年の総合評価は……やはりこの絵が一番だったか。桜並木の光と影が一瞬を生き生きと切り取り、見る者をその場で魅了する」
その言葉に、ロマの胸の奥がざわりとした。
「ロマ」
名前を呼ばれて振り返ると、後ろに立っていたのはシキだった。
「……総合評価、僕が一番だった」
いつもの落ち着いた声なのに、微かな苦味が滲んでいる。
「もう発表があったんだ。シキ君、嬉しくなさそうだね?」
ロマが素直に疑問を投げかけると、シキは目を伏せた。
「喜べないよ。ルキの方が美術一筋で一所懸命やってきたのを見てきたし、先輩方も頑張っているのに……僕は今、格闘技の方に心が傾いていて中途半端だ。それでも僕が評価されるのは……」
彼は桜の絵を見上げたまま、吐き捨てるように言った。
「……父さんや母さんが美術教室の先生をやってるから、教師たちがそういう評価してるんじゃないかって思うんだ」
ロマの胸が締め付けられるような気持ちになる。
「シキ君が中途半端だなんて、俺にはそう見えないよ。誰よりも努力家で、どっちも全力で取り組んでいるじゃないか。それに……美術の評価なんて、曖昧だよ」
ロマはぽつりと口を開いた。
「え?」
「俺さ、初等部の頃は美術の評価良かったんだ。でも中等部に入って先生が変わったら、普通になった」
ロマは笑って肩をすくめた。
「先生が変われば評価も変わる。要は先生の“好み”に合わせればいい点数がもらえたりすることもあるんだって知ったよ」
「……」
シキは黙って聞いている。
「でもね、人の心を少しでも動かせたなら、それが一番すごいことなんじゃないかな。シキ君の桜の絵、みんな立ち止まって笑顔で見てる。それって、誰でもできることじゃないよ」
しばしの沈黙ののち、シキが口を開いた。
「……ロマに言われると何でも納得しちゃいそうで、なんかずるいよ」
力が抜けて安心したようなシキの声音に、ロマは微笑んだ。
シキも紫色の瞳でロマを穏やかに見つめる。
少し気まずくなって視線を逸らしたロマの目に映ったのは、自分の作品だった。
キャンバスには、夏の日にシキとルキと三人で行った海辺が描かれている。
青い空と海に光る波打ち際、砂浜で遊ぶ兄弟の姿を描いたその絵は、無意識にルキの姿を丁寧に塗り込んでいた。
もしシキ君の絵が中途半端なら、俺の絵なんてもっと中途半端じゃないか。
そして、ロマの絵の隣に掲げられているのが、ルキの作品だった。
深海をイメージした抽象画。
黒に近い濃紺をベースに、光の筋のような白や群青が重ねられている。
その混沌の奥から、何か深海魚のような生き物がこちらを見返しているような気配があった。
観る者の心を吸い込み、静かに揺さぶる。
「ルキ君の絵……孤独を感じる青だ」
ロマは思わず呟く。
胸の奥に波紋が広がり、視線が離せなくなる。
ルキの絵に気を取られていると、講堂の扉が開き、会場の空気が一瞬で変わったのを、ロマははっきりと感じた。
落ち着いたスーツを着た紫色の髪と瞳の男性と、柔らかな桜色の髪を結ったワンピース姿の女性が訪れた。
レキ先生とアリア先生。
シキの両親であり、この街で名の知れた美術教室の先生だ。
二人が足を踏み入れただけで、展示室のざわめきに不思議な重みが生まれる。
……すごい存在感だ。
レキとアリアはまっすぐシキの作品へ向かい、桜並木の絵の前で足を止めた。
鮮やかな桃色に包まれたキャンバスを前に、レキは静かに頷き、アリアは優しく微笑んでいた。
シキは両親の元へ駆け寄り、ロマの耳にシキの笑顔混じりの声が届く。
「父さん、母さん……来てくれてありがとう」
その笑顔を見ながらも、ロマはふと違和感を覚える。
……シキ君の目、少しだけ揺れてる? 本当に嬉しいだけじゃない気がする。何だか後ろめたそうな感じだ。
レキ先生の空気が変わったのはその次だった。
ルキの展示の前。
濃紺と群青が絡み合う抽象画、深海を描いたその絵の前で、レキの足が止まる。
ロマは一歩下がり、様子をうかがった。
レキの表情は読み取りづらい。けれど、瞳が絵に縫いつけられたように動かない。
……すごく、心を打たれてる?それとも……別の感情?
その沈黙に、ロマの胸がざわつき、思わず声をかけてしまった。
「こんにちは! シキ君にはいつもお世話になってます、ロマといいます。どうぞゆっくりご覧になってください!」
自分でも少し大げさなくらい明るく振る舞ったが、レキはその言葉にハッとしたように息を吐いた。
その瞬間の張りつめた気配は、ロマの肌にまだ残っている。
「ロマ君、こんにちは。ありがとう……この絵を描いたルキ君はどこに?」
低い声に促され、ロマは慌てて指を差した。
「あちらです! ルキ君の絵、ほんとすごいですよね!」
ルキの前に立ったレキは、言葉を選ぶように口を開いた。
「ルキ君……君の絵は素晴らしい。心を思わず揺さぶられたよ」
その一言に、ルキの肩がわずかに震えるのを、ロマは見逃さなかった。
「あ……ありがとうございます」
ルキはラベンダー色の瞳を少し覗かせ、嬉しそうに見えた。
「僕の美術教室に来ないか? 君の実力なら、もっと成長できる」
レキの声は冷静で、美術教室の先生としてルキに興味を持ったようだった。
ロマの胸が詰まる。
……父親としてじゃなく、先生として……か。
ルキは静かに
「……考えてみます」
と答えた。
その声音に押し殺されたものを感じ、ロマは思わず拳を握りしめた。
続いてアリアがルキの前に立つ。
「ルキ君の絵……とても素敵ね。素晴らしい才能を感じたわ」
その言葉は柔らかかったけれど、どこか距離を取っているようにも聞こえた。
「……応援しているわ」
ルキは居心地悪そうに「ありがとうございます」と答える。
けれどロマには、その背筋の硬さが痛いほど伝わった。
シキが駆け寄ってくる。
「母さん、ルキの絵、めっちゃいいよね!」
アリアは優しく微笑む。
「そうね、シキ。あなたもルキ君も、素晴らしいわ」
――けれど。
ロマの胸には二人への言葉の温度差が、はっきりと刺さって残った。
もしルキ本人だったら尚更辛いだろう。
シキはルキに純粋に笑いかける。
「ルキ、父さんが絵褒めるの、ほんとにすごいよ!」
「……ありがとう」
かすれた声だ。
だが、その瞬間だけルキの表情が少し緩んだ。
ルキは外の空気を吸ってくると言い、講堂を出ていく。
展示会場の講堂から少し離れた廊下。
窓からは夕方の光が差し込み、柔らかなオレンジ色の光と影が床に延びていた。
ルキは壁に寄りかかり、深く息を吐いていた。
「……やっぱり、俺は……」
震える声で呟いた瞬間、ロマはルキに近づく。
さっきのレキ先生たちとのやり取りが胸の奥で何かが引っかかっているようだった。
「ルキ君、大丈夫?」
ルキがロマの方に振り返る。
「お父さんのこと……」
ルキは視線を逸らす。
「……別に大丈夫。俺にとって、あの人は先生だから。でもあっちから話しかけてくるなんて驚いた」
「先生としか思ってないなんて嘘だよね?」
ロマは一歩踏み出し、ルキの前に立った。
「さっき、“ありがとう”って言ったとき嬉しそうだったよ」
その言葉に、ルキの肩が小さく揺れる。
だが唇は固く結ばれたまま、何も返さない。
ロマはため息をつき、軽く笑った。
「……俺の前では無理しないでよ、ルキ君」
ルキが僅かに声を絞り出す。
「やっぱり父さんは俺のこと……絵が描ける他人って思ってるんだなって思って……」
「そんな……」
そして、ロマは少し声を落とす。
「ルキ君……俺は、君の絵を見て泣きそうになった。深い海の孤独に沈みそうになる感じがして……でも希望の光があるってまだ信じてるように思えて……」
ルキは驚いたように目を見開いた。
「ルキ君……お父さんがどう思おうと、俺は君をちゃんと認める。君の絵も、君自身も、全部だ! お父さんの代わりにはなれないけど、大事な友達として!」
真っ直ぐな眼差しに射抜かれ、ルキの胸の奥が熱を帯びて、いろんな感情がこみ上げるような表情になる。
「ロマ……なんで、そんなに俺に……」
「なんでって……ルキ君の絵が好きだから、かな」
ロマは笑いながらも、視線を逸らさなかった。
ルキの頬がほんのり紅潮し、唇がかすかに震える。
「……絵が好きなのかよ」
小さくルキが何か呟いた。
ロマは迷わず近づき、ルキの手を取った。
少し冷たい指先。
「今度は俺がそばにいさせて。俺が辛かった時、ルキ君はいつもそばにいてくれたじゃないか」
廊下に溶け込む夕闇の中、ルキとロマは互いの手を握ったまま、しばし言葉を失っていた。
思わず手を取ってしまったけど、気持ち悪がられてないかなと心配になってきた。
空気は静かで、外の虫の声だけが遠くから響いてくる。
ルキが小さく息を呑む。
「……ロマ、お前って……本当に、変なやつだ」
照れ隠しのような声音だった。
ロマは緊張しながらも微笑んでゆっくり手を離す。
「ただルキ君のそばに居たくて……気持ち悪かったかな、ごめん」
「そんなわけな……!」
ルキが離れたロマの手を再び握り返し、あと一歩で身体が触れ合ってしまいそうに近づいたとき――
「ルキ、ロマ?」
シキの声が廊下に響いた。
二人は同時にびくりと肩を震わせ、慌ててルキは手を離した。
夕暮れの光の残滓の中、シキがこちらへ小走りで近づいてくる。
「……ここにいたんだね。探したよ」
安堵と同時に、少し心配そうな顔。
ルキはわずかに耳まで赤くして、壁にもたれたまま視線を逸らす。
「……ちょっと外の空気吸ってただけだから」
その声はどこか不自然に落ち着こうとしている。
ロマも苦笑して頭をかいた。
「ごめんシキ君、俺もついて来ちゃって……」
シキは二人を順に見てから、ふっと小さく笑った。
「……そっか。ならよかった。展覧会の片付けの時間だから、戻ろう」
気まずい沈黙が廊下に流れた。
夕闇はさらに深まり、ロマとルキは互いに視線を交わすことなく、黙って頷いた。
シキが先に歩き出し、ルキの後ろ姿を見ながらロマはゆっくりと追いかける。
ルキ君がさっき言いかけた言葉……俺のこと気持ち悪いと思ってないってことで良いんだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます