第31話 優しい日常
「「「本当に、ごめんなさい!」」」
朝早くから修道院の厨房にひと際大きな声が響いた。
それも一人ではない——何人もの女性の声がほぼ乱れることなく重なっていた。
謝罪の相手は、俺——アシュリー・フィリウスだ。
「え、え~っと……。どうしたら良いの? これ」
困惑する俺を他所に、頭を下げた修道女たちは微動だにしない。
とにかく、このままというのもマズイ気がする——彼女たちに頭を下げるのは止めてもらおう。
「あ、あの~、俺――じゃなくって、”わたし”はもう、修道女じゃないので謝罪とかされても困るな~、なんて……」
彼女たちの勢いに気圧されながらも、自然と言葉遣いに気を配っていた。
何故かそれを見たラフィニアが俺の頭を撫でてくる。
「な、なんだよ——じゃなくって、何? お姉ちゃん」
「えへへ、アシュリーちゃんってば、可愛くって♪」
なんとも腑に落ちないラフィニアの反応に首を傾げつつ、今の自分の姿を見下ろす。
ボロボロだった守護者の服はティミシアさんが持ち去ってしまった。
特に着る服の無かった俺は、仕方なく修道服を着ている。
——だが、修道女という役目に戻るつもりは無かった。
そう思っていたのだが——
「——皆さん、今日からアシュリーさんが復帰するので、いつまでも頭を下げていては、お勤めになりませんよ」
厨房に繋がる廊下から、良く通るアルトボイスが響いた。
硬質な石床を叩く規則的な靴音——頭を下げていたシスター達に緊張がはしる。
この抑揚のない、平坦でありながら人を威圧する声の主は——
「アシュリーさん、いつまで呆けているんですか? 今日からお勤めに復帰でしょう?」
俺の教育係——という名の恐怖の対象、”マーシー・ハンナワルト”さんだ。
「え? で、でもわたしは──」
「ふふっ……」
突然、笑みをこぼしたマーシーさんの様子に首を傾げる。
「あの? 何かおかしなこと言いました?」
「いえ、ちゃんとわたくしの教えを守っているアナタを見ると、少しだけ嬉しくなったのですよ、アシュリーさん」
「はぁ……そうですか」
呆気にとられる俺を他所に、珍しくマーシーさんの表情はほんの僅かに、ほころんでいた。
けれど、俺はここに居るべきじゃない——そう伝えようとするも、それはマーシーさんによって遮られる。
「——とはいえ、病気から復帰したばかりです。今日一日くらいは、お姉さんと街で羽を伸ばすことを許可します」
「お姉さん? あ、ラフィか……」
ふと横を見ると、ラフィニアのジト目が俺を捉えていた。
「アシュリーちゃん? 私のこと何だと思ってたの?」
「……妹?」
そう口に出してすぐに後悔した。
ラフィニアの目がスッと据わったからだ……。
「妹はアナタでしょ? ”可愛い”アシュリーちゃん?」
ニッコリと笑みを浮かべつつ、”可愛い”を強調して口にしたラフィニアの目は笑っていなかった。
二人のやり取りを静観していたマーシーさんがそっと近寄り、俺の耳元で囁く。
「アナタがラフィニアさんを守るなら、近くにいた方が都合が良いでしょう?」
「……はい。出来ることなら……」
「ならば、わたくしに任せない。アナタは彼女が聖女になるその時まで、一番近くで役目を果たすべきです……」
そう言ったマーシーさんは屈んでいた上体を伸ばし「それに——」と言葉を続けた。
「アナタには、まだまだ淑女が何たるものかを叩き込んで差し上げないといけませんので」
「ふぇ? おr——じゃなくって、”わたし”はちゃんとやってますよ?」
身に降りかかりそうな火の粉を払うため、「ちゃんとやってます!」アピールだけはしておく——
ふと見たマーシーさんの表情は、珍しくイタズラ心の覗く顔をしていた。
「そう思っているのはアナタだけでしょう……ですよね、ラフィニアさん?」
「はい♪ アシュリーちゃんはもっと、も~っと女の子修行すべきだと思います!」
「ラフィ! おま、裏切ったな!?」
「おや? 早速減点ですね、アシュリーさん」
「ひっ!?」
底冷えするようなマーシーさんの視線に背筋が凍る。
こうして俺の日常は——いや、わたしの日常は戻りつつあった。
ラフィニアの裏切りにより、女の子修行という以前より厳しい試練を突き付けられながら——。
「ちょ!? ホントにやめっ! それは恥ずかしいって!」
「だ~め! この服着てお出かけするの!」
また慌ただしい日々がやって来る——。
そう思うと、うな垂れつつもどこか嬉しく感じる、わたしがいた——。
▽ ▽ ▽
——ソフィア視点——
晴れた朝だというのに、厚手のカーテンが書斎を薄暗くしていた。
ふと視線を前にやると、ローテーブルに資料や文献をばら撒いた光景が広がっている。
その先には肩を落とすティミシアは一言も発しないままだった。
書斎にある時刻用の魔法具が時を刻む。
その規則正しいリズムが、室内で唯一の音だった。
ワタシとティミシアは、その中で言葉を口に出せないまま時間を消費していた。
ふと、手元の魔法研究資料から目を上げると、ティミシアと視線が交差する。
「結局、アシュリーとアシュタロトの対消滅は避けられん、か……」
「ええ、現状では打つ手が無いわ」
「あのラフィニアの行使した神聖魔法ですら、効果が無かったのか?」
「そう、ね……。魔法自体が不完全だったのもあるけど……そもそもアシュリーの異変は人の身に余るわ」
ティミシアは「お前でも救えないのか?」と、刺すような視線で語りかける。
「悪魔が封印の術式を内包するなんて、理解の範疇を超えた現象よ……」
ワタシは彼女の鋭い視線から、逃げるように目を逸らした。
「もし、アシュリーを救えるとしたら、それはもう”
「……人としての時間を超えた、お前ですら無理だと言うのか?」
「ええ、ワタシではアシュリーを救えない。悔しいけれど、ね……」
ふと我に返ると、無意識に唇を噛んでいた。
迎えに座るティミシアも、力なく肩を落としている。
「また、救えないのか我々は……」
ティミシアの悲痛な呟きが、室内で小さく反響した。
確かに、現状ではアシュリーを救えない。
常識というものの概念を超えてしまった現象が、ワタシたちに立ちふさがる。
唯一、可能性があるとすれば——
「「ラフィニア」」
ワタシ達の声が重なり、静かな視線が交差する
「……やはり、ソフィアも同じ考えか」
「もし、あの子が神々の楔を超えられるなら、あるいは……」
するとソファに背を預けたティミシアが「ふむ……」と頷く。
一拍の間を置いて、彼女は身を乗り出すようにワタシを見つめた。
「それに、アシュリー自身も常識の範疇に収まるヤツじゃないぞ? きっと。あの子たちには、未来を変える”何か”がある——」
ティミシアが仄かな笑みを浮かべ、「そう信じてみたく、ならないか?」と熱っぽく語った。
「そうね……」
「それにだ、アシュリーには
立ち上がったティミシアは、含みのある視線でワタシを見下ろしている。
こういった時の彼女は、昔からワタシに何かを要求する時だった。
短く息を吐きながら一つの論文を見やる。
そこには——『封印魔法がもたらす可能性 著:グイード・ファステクト』と書かれていた。
「アシュリーに封印魔法を教えろと?」
「ああ。面白くなりそうだろう?」
「彼女に神聖魔法は使えないわ……」
「だが、ヤツはその術式そのものなんだぞ?」
ティミシアはローテーブルに手を付き、ズイっと詰め寄ってくる。
「それにワタシが言っただろう? 『常識の範疇に収まらない』とな」
「…………本気なのね?」
「ワタシはいつでも本気だ」
ティミシアのターコイズブルーの瞳が、ギラギラと興味の光を宿している。
わずかな時間、目を伏せて思案する。
再び開けた視界の先には、変わらずワタシを覗き込む
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