第3話 脈動

 ラフィニアが大きく息を吸い、俯いていた顔を勢いよく上げる。


「ごめん、アシュ。私行かなきゃ!」


 真っすぐに俺を見据えたラフィニアの声と瞳には決意の感情が宿っていた。 

 だが頬に残った涙の跡が痛々しい。


「でも、待っててね! 絶対に帰って来るから。そしたら、封印の解き方を一緒に考えようね?」

「あ、おい!? ちょっと待て! ラフィニアッ!」


 俺の制止の声も届かず、彼女は廃教会の外へと駆け出して行った。

 衝動的に追い掛けようとするが、封印の鎖が俺をこの場に縫い留める。


 ここから出る事すら出来ない。そのもどかしさが胸を締め付け、たかぶった感情と息苦しさで涙が溢れそうになった。


「何か、何か無いのか?……どんな些細なことでも良い! 何か俺に出来ることって無いのかよ!」


 俺の独白は石造りの壁に反響するだけで、虚しく消えた。

 焦燥に駆られて魔法陣の壁に拳を叩きつける。だが、不可視の壁は何事もなかったように佇んでいる。


 その時だ。視界の端で黄ばんだ羊皮紙が風に煽られ、カサカサと乾いた音を立てていた。 


 例の胡散臭い――ラフィニアが持ってきた羊皮紙だ。


 魔法陣の外にあるせいで触れる事は出来ないが、内容を読むくらいなら出来そうだ。

 本来なら読んでる時間も惜しい。可能ならラフィニアの元に駆けつけたいが今の俺に出来ることなど殆ど無い。


「微妙に、遠いけど………確かに『神聖魔法と封印術式』って書いてあるな」


 意味不明だった文字や記号も”アシュタロト”の記憶が読み解いてくれる。今では羊皮紙に書いてある難解な文字列もすらすらと読めている。

 

 問題は、この羊皮紙に書かれている事がどこまで信用できるか……。

 それでも封印解除のヒントくらいには、とわらにもすがる思いで身を乗り出す。

 限界ギリギリまで四つん這いの姿勢のまま羊皮紙ににじり寄り、不可視の壁に額を押し付けながら読み始めた。


「なになに? ――『神聖魔法とは、”聖女”のみが使える奇跡の総称で、その血に宿る魔力(神聖力)は数々の奇跡を――――』長ぇな……」


 学者の論文か、と思うほどの長い文章に辟易へきえきとし始める。

 焦りばかりが募っていった時――文末の一節が目に留まった。


(ん? これって……)


――『国家規模の封印には聖女の”血”と、神聖魔法が必須である。その封印は聖女の力無くしては解けず、国家の安寧を支える要として――――』


「つまり、封印の鍵は”聖女の血”ってことか? ……嘘だろ?」


 文章を読み終えた瞬間、心が重く沈んだのを感じる。


「これ、俺……詰んだ?」


 名前付きネームドの悪魔の封印。まさに聖女が力を振るうべき事柄だろう。

 その突き付けられた事実に、目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。


 ラフィニアのいるルース村は「エレレート聖国」という国に属する農村だ。

 この聖国は代々聖女を国主として運営してきた国だ。


 現在の国主、歴代最強の聖女ソフィア・エレレート。数多の英雄譚を持つ人物らしい。

 そんな一国の至宝とも言える最重要人物に「封印解いて!」などいえるはずも無く……。


「そんなこと頼んだら、更に奥深くに封印されるんじゃ……。いや、むしろ消される可能性だって……」


 嫌な想像が頭をよぎり、ぶるりと身が震え上がる。


 羊皮紙を読み終えて得られた情報は「絶望的な状況」という虚しいものだった。


 だが今は――俺の事よりラフィニアだ。魔物の群体スウォームが彼女の村に迫っている。

 アイツが無事で帰って来る保証など、どこにも無い。

 そして今の俺には何も出来ない……。


「くそっ! 異世界こっちで最初の友達を、こんな事で失うのかよ!」


 再び不可視の壁を殴り付けるも、その音は響きすらせず廃教会は不気味なほどの静寂が支配している。


 周りを念入りに見回しても、抜け穴など無い。

 時間と共に焦りばかりが募っていく。

 


 ――その時だった。低い駆動音のような響きが小さく空気を震わせた。

 それは一定のリズムを刻み、脈打つように耳に触る。


「……何の音だ? ちょっと、気持ち悪いなコレ」


 その後も一定のリズムを刻んで脈動し続ける。

 辺りを見回すと、あの羊皮紙が音に合わせて淡く赤い光を空気に滲ませていた。


「あの羊皮紙か! くそ、やっぱり胡散臭いじゃねぇかよ!」


 俺には羊皮紙を破り捨てる事はおろか、触れることも出来ない。

 歯噛みする以外、なにも出来ない事がもどかしい。


「にしても心臓の鼓動みたいだな、この音……。しかもずっと同じテンポ……」


 身体の奥に響くような低音が、鼓動のように規則的なリズムを刻み続ける。

 この不気味な脈動に、ふと直感がささやいた。

 

「もしかして……何かを呼んでる?」 


 仮にこれが――前世で言う――発信機のような役割をしているなら。

 もし誰かに、何かを“”のだとしたら……帝国か、もしくは神託の書簡を送った誰かか。

 いずれにせよ碌でもない連中に違いない。


「このまま放置はマズイ気がする! せめてラフィニアが居てくれたら……」


 だが、その言葉も後の祭りだ。

 これがどういう影響を及ぼすのかは分からない。だが、何も知らずに村に向かったラフィニアを思うと胸が締め付けられる。


「頼む……お願いだ! 無事に帰って来てくれよ、ラフィニア……」


 そう祈ることしか、俺に出来る事はない。


 祈る俺の近くでは、不穏な脈動がいまも刻まれている。


 まるで破滅のカウントダウンかのように…………。

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