番外編1:祖母の日記(視点:水野小夜子)
昭和二十年、夏。私の世界は、静かに狂い始めていた。十八歳の私は、双子の姉である小百合と共に、この夜鳴村で生きていた。私たちは、いつでも一緒だった。畑仕事をする時も、川で洗濯をする時も、夜、一つの布団で眠る時も。同じ顔、同じ背丈。村の人たちは、私たちを「合わせ鏡のようだ」と微笑んでくれた。その笑顔が、偽りだったと気づくのに、そう時間はかからなかった。
十年に一度の「影踏み祭り」が近づくにつれて、村の空気が変わった。あの優しい笑顔は消え、代わりに、粘つくような視線が私たちに向けられるようになった。特に、姉の小百合に。彼女の方が、ほんのわずかに生まれたのが後だったから。「双子の片割れは、贄になる」――子供の頃から聞かされてきた、馬鹿げた言い伝え。それが、現実味を帯びて私たちの首を絞め始めた。
姉は、日に日に憔悴していった。「影が、私を見ているの」と、夜中に私の布団にもぐり込んでは、震える声で囁いた。彼女は、自分の影が別のものに見えると言った。私が何を言っても、彼女の恐怖は消えなかった。
そして、運命の日。村長が、私たちの家に来た。「掟だ」と、たった一言。父も母も、泣きながら、ただ頭を下げるだけだった。誰も、逆らえない。姉の小百合が、次の依り代に選ばれたのだ。
その夜、私は決意した。逃げよう、と。姉の手を取り、二人でこの狂った村から逃げ出すんだと。しかし、姉は首を横に振った。「私がいなくなったら、代わりに小夜子が連れていかれる。それに、私が贄になれば、村は救われるんでしょう?」彼女は、諦めたように、そしてどこか誇らしげに、そう笑ったのだ。
私は、姉のその言葉が許せなかった。村のため? 冗談じゃない。私たちは、物じゃない。
祭りの前夜。私は、たった一人で家を抜け出した。背後で、私を呼ぶ姉の声が聞こえた気がした。でも、振り返れなかった。振り返ってしまったら、私は二度と逃げられなくなる。ごめんなさい、姉さん。ごめんなさい。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、私は闇の中をひたすら走った。村を抜けるトンネルにたどり着いた時、遠くから、悲痛な夜鳴鳥の声が聞こえた。それは、姉の泣き声のように、私の心をいつまでも苛んだ。
私は、姉を見捨てた。その罪悪感を、私は生涯、背負って生きていく。いつか、誰かが、あの村の呪いを解いてくれる日が来るのだろうか。湖の底で、姉は今も、私を待っているのだろうか。
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