名護 蓮:I was music
――中学卒業後の、春休み。
「蓮。良いか」
「……何? 父さん」
自宅のプライベートスタジオでのギター練習が一段落ついた時、父さんが声を掛けてきた。
「お前、高校入ったら軽音楽部に入れ」
「……なんで?」
まるで必要性を感じない。俺の心に最初に浮かび上がってきたのは、そんな否定的な言葉だった。
「別に家で練習できるし、学校でバンドも組む気無いし。むしろ部活に入ったら、逆に練習サボりそうな気がする。遊びに現を抜かすわけにはいかないだろ」
「なんでオレの息子なのにこんなクソ真面目に育っちまったんだ……嘆かわしいぜ全く……」
真面目なのは良いことだろと反論したいが、余計な口を挟むと面倒くさいので何も言わない。
「……良くはないが、まあいいか。蓮、お前の将来の夢はなんだ?」
「音楽で食っていくこと」
「おう、知ってる。そんでオレは、プロのミュージシャンだ。オレの言いたいことが分かるか?」
「父さんの言うことを聞け?」
「そうだ。脳死になれって言ってるわけじゃないがな。ぶっちゃけ、お前もう技術的にはほぼプロ級なんだよ。後は適当に練習続けて、ビジネス的な知識を学べば食っていける。オレがバックにいちゃってるしな。ただ、お前には足りないモノがある」
「足りないモノ?」
「それを手に入れるために、軽音楽部に入れ、だ」
なんとなく、言いたいことが分かった。
「もしかして、人生経験とか、そういう話? 逆に遊べってこと?」
「お前、達観しすぎじゃないか……本当にガキかよ……ええい、まあそういう話だ。青春してこい」
「でもなぁ……人苦手だし」
「そっちが本音だろ、全く……とにかく、先人の話は聞いとくべきだぜ、蓮」
「……なら、父さんの話をちゃんと聞かせてよ。父さんの学校での話とか」
「それ言ったらほぼ母さんの話になるが良いか? 親のリアルラブコメ聞きたいのかお前?」
「それはキモいっすね……」
「はっ倒すぞこら。ただまあ、一つ言うなら、お前にはもうちっとマクロな視点で人生考えてもらいたいんだよな」
「マクロな視点……」
「ああ。夢を一心不乱に追いかけるのは悪いことじゃないけどな、人生ってのはそんなシンプルなモノじゃない」
人生。
俺は将来、音楽で食っていきたい。
音楽作家として、スタジオミュージシャンとして、スクール講師として、動画配信者として。なんでも良いが、とにかく音楽に関わる仕事がしたいのだ。
そのための努力は十分にしている。それは自信を持って言える。
ただ、確かに父さんの言う通り、ある意味学生としての本分は果たせていないのだろう。自分の性格上、なかなか難しいことではあるが。
「他人の生き方も知っておけ。自分の生き方とすり合わせてみろ。そしたら、見えてくるモノがある」
「……よく、分からないんだけど」
「分からないならなおさらだ。とりあえずの一歩だよ、部活は」
俺に親しい友人はいない。恋人もいない。仲の悪い人もいない。浅く広くでもないし、深く狭くでもない。
目立つことはなく、いつも流れに任せる。ただ、こちらから必要があって人に話し掛けると、少し怖がられているような反応をされることが多い。顔のせいか、話し方のせいか、雰囲気のせいか。少し悲しい気もするが仕方がない。結局のところ、それならそれで都合が良いと思ってしまう。
人が苦手というのは正確ではなく、どちらかというと他人に興味が無い。楽器と戯れていた方が楽しい。物語を頭に取り込んでいく方が楽しい。自分の行きたい道は、早い段階から決まっている。いくつかの要因が重なり、こんな人間が出来上がった。
父さんは、俺に何をさせたいのか。分かるような、分からないような、なんとも言えない気分になる。
「……入るけどさ、部活。父さんの言うことだし」
否定的な感情はある。とはいえ、育ての親であり、人生の先輩であり、目指すべき場所で実際に活動している人の言うことだ。断るという選択肢は無い。
「流石。愛してるぜ、蓮」
「いきなりキモすぎる……」
「親からの愛の言葉をキモいだと。小僧、表に出ろ」
「練習に戻っていいですか?」
「真面目か!」
◇◇◇
俺は、恵まれている。尊敬できる両親の元で産まれ、物心付く前から楽器に囲まれて育ち、そのまま楽器が好きになり、将来の夢は決定し、そこから不自由など何一つ無くここまで来れた。
家族仲は良い。学校での人間関係は薄いが、自分の性格上問題無い。家計的な問題は一切無い。衣食住は十分以上に与えられている。
今の時代では珍しい、裕福そのものの生活をしてきた。俺はそれを、普通のことだと思って生きてきた。
だが、SNSやネットニュースなどを見ていると、俺よりも圧倒的に辛い環境に身を置いている人が、非常に多いことに気がついた。
貧困、病気、いじめ、誹謗中傷。探そうとするまでもなく、ありとあらゆる社会問題が俺の目に飛び込んでくる。
『かわいそうだ』と思った。『助けたい』と思った。
俺の頭の中で、『ノブレス・オブリージュ』という言葉が反芻していた。
読んでいた小説に出てきた言葉だ。『裕福な人間は、そうでない人間を助ける義務がある』という意味だったか。
俺は、他人に興味が無い。なのに、こんなことを思ってしまったのは何故なのか。
『義務』だからだろうか。それとも、本心で『助けたい』と思ったからだろうか。
いずれにせよ。
上から目線の、善人気取り。安全な立場にいるからこそ言える、酷く浅はかな感情だった。
俺は子供で、何もできない。『かわいそうだ』『助けたい』と思うだけで、何もしない。
だから、特に何も起こらない。俺は、おぼろげな罪悪感を持ったまま、自分のためだけの日常を繰り返していた。
◇◇◇
俺が四季先輩を初めて見たのは、入学式が終わった日の夜。動画サイトに投稿されていた、軽音楽部のライブ映像。見た、ではなく観た、だ。
部室と思われる場所で、いくつかのバンドが一曲だけコピー曲を演奏していくという、ライブというよりは部活紹介が目的なのであろうその動画の中で、一組だけ異質なバンドがいた。
明らかに高校の部活レベルではない。メンバーそれぞれの技術力も表現力も高く、デビューしていると言われても信じられるほどにクオリティがずば抜けていた。
そして、その中でも更に際立って目立つメンバー。ギターボーカルを担当していた、四季先輩だった。
この人、イカれてる。
率直に、そう思った。
感情のままに歌い、弾き、そして狂ったように笑う、天才型アーティストの気質を持つ人。
そもそもライブの経験など無い俺だったが、こんな表現俺には絶対に無理だ、と一瞬で理解させられてしまった。
俺に個性なんて無い。俺に素質なんて無い。俺は、彼女のようなアーティストにはなれない。彼女を観て、改めて自分の目指すべき場所が鮮明になる。
しかしこの時、知らない感情が芽生えた。
彼女のことが気になる。彼女のことが知りたい。彼女と、話してみたい。
いつからギターボーカルをやっているのか。普段どんな練習をしているのか。オリジナル曲は作っていないのか。プロを目指しているのか。
どうすれば、あなたのようなカッコいいバンドマンになれるのか。
目指していないのに。訊く意味など全く無いのに。
まるで、憧れているみたいに。
TVやネットで活躍する有名人への憧れとは、本質的に違う。
生まれて初めての、特定の個人に興味を持った瞬間だった。
◇◇◇
どうせ俺には無理だと分かっていても、憧れてしまう。
そしてその感情の一部は、いつからか、諦めが前提の恋心へと変遷していた。
そう、俺は、最初から諦めてしまっていた。だからこそ、彼女に踏み入ることは無かった。彼女に憧れるだけで、恋をするだけで、何もせずに終わっていた。
部活に入って一年が経っても、ひたすら自分のためだけに努力していた。父さんの言っていた、『見えてくるモノ』さえ探さずに、相変わらず、流れに任せっぱなしだった。
いつもそうだ。自分からは、他人に関わろうとしない。『助けたい』誰かがいても、『話したい』人がいても、実際に行動には移さない。
俺は、こんな自分がずっと嫌いだった。
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