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 意図していなかったセッションライブが終わり、汗をかきすぎた俺たちはシャワーを浴びた。

 普通に公営プールのシャワー室のような設備だったが、もはや驚くことは無かった。アメニティも整っていたし、まんまドライヤーなエーテライザーもあったが、いちいちツッコんでいたらキリがない。

 怪我については、お湯を浴びていると少ししみたが、既に擦り傷のような状態だったので簡単に我慢できた。


 部屋に戻ると、アオイ先輩がソファに座って、食堂から借りてきたのであろうアコギを弾いていた。指弾きで、適当なコードを繋いだアルペジオで、部屋にメロディを響かせている。俺よりも風呂から上がるのが早いのはまだまだ弾き足りなかったからだろうか。

 光源がランタンのみで薄暗かったが、慣れた人なら真っ暗闇でも弾けたりするので、アオイ先輩なら問題無い。


 俺に気付いたアオイ先輩は、すぐに演奏を止めてアコギを隣に置き、俺の元へ駆け寄ってくる。興奮冷めやらぬ、といった面持ちで、俺の手を取ってぶんぶんと振る。


「スゴかった。本当にスゴかったよ、レンくん!」


 ライブが終わった後、アオイ先輩ともども周囲から褒めちぎられ、もみくちゃにされ、大変だった。

 若干落ち着いた頃にタバサから「シャワー浴びてきなさい」と指示され、逃げるように食堂から脱出してから今に至るわけだが、それまでの間、アオイ先輩とじっくり話せていない。彼女とは、話したいことがたくさんある。


「アオイ先輩。俺、本当に、楽しかったです。こんな所でアオイ先輩とセッションできるなんて、思いもしなかった」


 いや言葉下手かよ俺。


「私も、楽しかった。レンくんがあんなに情熱的にギターを弾くの、初めて見たよ」


 確かに俺は、情熱的どころか、昂りすぎて大変えげつない状態になっていた。

 最初はただ、憧れの先輩の胸を借りるという気持ちで望んでいたのに、思うがままに暴れ、笑い続ける"狂い姫"を見ている内に、ふつふつと、表に出してはいけない類の、本能めいたモノが浮かび上がってきていたのかもしれない。


 自分が自分でないかのようで、恐ろしくもあった。

 しかし同時に、最高に気持ちが良い、と思ってしまったことも確かだ。

 同級生バンドのヘルプとしてライブに出演したことはあるが、あんな気分になったことは無い。


「特に後半。ほんとにスゴかった。私、レンくんに食べられちゃうかと思ったよ」

「その節はどうもすいませんでした」

「ううん。私ドMだから。あんなコトされたら、もう、大変です」


 ため息を吐き、お腹をさするアオイ先輩。その表情は、いやらしい妄想に現を抜かす中学生男子のそれだった。バンドマンは変態率が高いと聞くが、彼女も例に漏れずそういう感じだったりする。猥談好きだしな。ドMなのは初耳だけど。


 しかし、俺にSっ気なんて無いと今まで思っていたが、あの時は完全にアウトなレベルで極まっていた。

 酒に酔っていたのか、楽しすぎるセッションに酔っていたのか、あるいは両方か。なんにせよ、また楽器に触れたい。地球で暮らしていた時のように、一日中、ギターを弾き、ベースを弾き、ドラムを叩いていたい。

 そして、またアオイ先輩と、遊びたい。

 未だ燻る熱は、二人きりでの打ち上げをする十分な動機となった。


◇◇◇


 俺たちは交互にギターをつま弾きながら、語らっていた。壁掛け時計を見ると、既に12時を回っているのが確認できる。……もう突っ込まない。

 なんだかんだで、かなり消耗している。テンションが高かったのは最初のうちだけで、その後はゆったりと、つれづれなるままに話をしていた。


 もうそろそろ寝ようかな、と思った時のことだった。


「……レンくんにとって、音楽って何?」


 手癖なのだろう、持っているギターで同じフレーズを繰り返しながらアオイ先輩は訊いてきた。


「……分からないです。ただ、物心ついた時から音楽に囲まれてて、そこにあるのが当たり前だった、って感じですかね。答えになってるか分からないですけど」

「……そう、なんだ」


 それだけ言うと、押し黙った。何か、気に障ってしまったのかと焦ったが、彼女の顔を見てそれは無いかと思い直す。彼女は、微笑んでいた。


「アオイ先輩は、どうですか?」


 俺も、同じ質問をする。


「……『逃げ』、かな」

「『逃げ』?」

「うん」


 逃げ。逃避行動。

 アオイ先輩は、何かから逃げるために、音楽をやっていた、ということなのか。

 少し待つと、彼女は再度口を開いた。


「分からないの。自分が、どこに向かえば良いのか。どうしたら良いのか。何が正しくて、何が間違っているのか、何もかも、分からない」

「……」

「でも、それで良いの。私は一生、迷ってないといけない。そうしないといけない。でもやっぱり、迷い続けるのは辛いから。だから私は、音楽に逃げてしまった」


 何を言っているのか、よく分からない。

 そのまま、ギターの音は、止まる。

 彼女は、笑っている。


「本当は、逃げちゃいけないの。皆は良いけど、私はだめ。私はクソな人間だから。悪い人間だから。なのに私は、今も音楽に逃げてる。逃げちゃいけないってことから、逃げてる。私はレンくんを酷い目に合わせたのに、役に立てなかったのに、私のせいなのに、『罰』を受けてない。『罰』を受けなきゃ。タバサの『罰』じゃ、全然足りない。私はレンくんよりも酷い目に合わないといけない。壊して欲しい。レンくんに壊して欲しい。今度はちゃんとできるように頑張るから。レンくんが幸せになれるように頑張るから。私は──」

「アオイ先輩!」


 言葉を紡いでいくたびに、加速度的におかしくなっていく様子を見た俺は、テーブルの向かいにいる彼女の両肩を強く掴んだ。低いテーブルに足を載せてしまったが、そんなことを気にしている場合ではない。


「落ち着いて。落ち着いて、ください。アオイ先輩は、クソなんかじゃない。悪い人なんかじゃない。俺を、いつも助けてくれるじゃないですか」


 アオイ先輩の過去に何があったのかは、分からない。だが今、一つ気付いたことがある。

 彼女は今、自傷行為をしている。身体ではなく、心を。


「辛いことがあったなら、音楽に逃げたっていいじゃないですか。音楽って、世界一がいくつでも共存できるんですよ。相容れないことを、いくつでも受け入れてくれる器の広さが、音楽にはあるんです。それに、アオイ先輩には俺がいます。俺は、アオイ先輩のことならなんでも受け入れます。アオイ先輩のためならなんでもします」


 自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。それでも、必死にアオイ先輩の心に届く言葉を模索する。


「俺は、アオイ先輩のモノだから」

「……」


 この一ヶ月で、大分精神が鍛えられた。いや、狂った、と言うべきか。

 決定的だったのはやはり、人を殺したことだろう。あれ以来俺は、現代社会で培ってきた倫理観やら何やらが少し歪んでしまっている。

 アオイ先輩を守るためなら、人を殺すことも厭わない。事前にも覚悟していたことだが、事後である今、それは明確な形となって俺の心に刻まれている。


「……レンくんは、やっぱり、『善い人』でいようとするんだね」


 ギターをソファに置き、肩を掴んでいる俺の手に自分の手を乗せた。


「ベッド、行こう?」

「……はい」


 添い寝をご所望か。そう思い、手を繋いだままおもむろにベッドまで向かう。

 スリッパを脱いで仰向けになると、腹の上にアオイ先輩が乗ってきた。いつか見たような光景だなあと、冷静になれている今の自分が怖い。ピュアボーイの俺はどこに行った。



「レンくん。私と、エッチしよう」



「……………………………はい?」



 いや。いや。いやいやいやいや。

 突然何を言い出すんだこの人!?


「……んっ」

「うぉうっ!?」


ゆっくりと倒れ込んできたアオイ先輩が、俺の右耳を甘噛みしてくださり、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ねえレンくん。好きにしていいんだよ、私の身体」

「あー、いや、その、それは……」


 心臓の鼓動が早すぎる。間違いなくこれ16ビート刻んでる。

 アオイ先輩の息遣いが、身体の温かさが、胸の感触が、匂いが、俺の守りを秒速で崩してきている。


「私とエッチ、したくない?」

「いや、その……したくない、わけじゃ、ない、ですけど」

「なら、しよう?」

「いや、その……」


 いや、その、しか言えてない。語彙力部隊たちは現在全員酔いつぶれているようだ。


「私はね。レンくんに、少しだけ壊れて欲しかった」

「……え?」


 いきなり、何を言ってるんだ。


「だからレンくんに、あの二人を殺してもらいたかった」


 全然、意味が分からない。


「実際、それは上手くいった。だけどそのせいで、レンくんは大怪我して、死にかけて。レンくんは、私に『罰』を与えないといけないの」


 違う。アオイ先輩のせいじゃない。


「レンくん。私の身体、使っていいよ。好きにしていいよ。何をしてもいいし、なんでもするよ」

「そんなこと、言わないで欲しい」


 俺は、アオイ先輩を、ゆっくり押し戻した。息が掛かるくらいの近さで、見つめ合う。


「アオイ先輩だけで背負わなくて良い。俺も一緒に背負います。アオイ先輩が『罰』を受けたいのなら、俺も受けます。俺は、アオイ先輩と対等でいたいから」

「……」

「アオイ先輩。俺は、アオイ先輩とエッチしたいです。だけど、これだけは、言わせてください」


 こんな場面で伝えるべきことじゃない。だが、もう限界だ。

 憧れていた。淡い恋をしていた。だからこそ、何も起こらず終わるはずだった。

 なのに、あの時、俺のことを好きだと言ってくれて。霧のような想いは、炎のような激情へと変化した。

 度し難いほど都合の良い考え方で、我ながら嫌になってくる。相手が好意を持ってくれたから、それなら自分も、なんて、卑怯じゃないのか。

 分かっているのに、耐えきれない。するなら、ちゃんと、対等になってからだ。


 もういい。無理矢理にでも、言ってやる。自分の想いを、伝えてやる。


「俺は、アオイ先輩のことが、──っ!?」


 言い切る前に。


 口を。塞がれた。


 俺の顔からゼロ距離に、アオイ先輩の顔がある。

 生々しく、艶めかしい感触が、口内を。え? あ? え?


「んっ……」

「あ……?」


 パニック。パニックしている。これはパニックだ。口パクパクパニックだ。


 続けて、更なるパニックが、俺を襲う。


「あー、んっ」

「いぃっっっ!?」


 右側の首筋を、痛いくらいに噛んできた。パニックにパニックが重なり、パニパニパニックだ。3パニになっちゃった。

 パニパニパニパニしていたが、首からわずかに、青い光が発生するのが見えた。え? アオイ先輩も変異者になったの? マジ? 一気に100パニいっちゃうそれ。


「あっ……はっ?」


 いきなり、身体が熱くなる。そして、俺の首から離れたアオイ先輩は、俺を扇情的な目つきで眺めている。何かを、待っているかのような。


 いや、これは。

 知っている。

 タバサに噛まれた時の、あの感覚だ。


 ほら、キた。キてしまった。


 アオイ先輩が、いつもより何倍も魅力的に見える。普段もかわいすぎていたたまれなくなることも多いが、その時の比ではない。

 欲しい。アオイ先輩が、欲しくて欲しくてたまらない。かわいい。かわいすぎる。マジで、かわいくてかわいくて仕方がない。ヤバい。触れたい。抱きしめたい。押し倒したい。もっともっと。壊れるぐらいに、俺を、彼女に、重ねたい。


 ダメ押しがあった。

 俺の上にまたがるアオイ先輩は、ゆっくりと服を脱ぎ、下着も外していく。

 さらけ出した身体は、あまりにもそそる形をしていた。


「お願い。私を、使って。私を、壊して。私を、レンくんの"モノ"にして」


 俺は、この瞬間、また少し、壊れた。

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