ストラトキャスター・リバーサイド

 結構トイレを我慢していた俺は、ロビーまで向かって場所を訊いた。間取りは聞いていなかったが、ただ廊下をまっすぐ進めば良いだけだったので迷いはしなかった。

 宿屋の店員であろうやたら気さくなおばちゃんが、俺の身体をぺたぺた触りつつ心配の言葉を掛けてくれたが、色々限界に近かったので挨拶もそこそこに振り切り、建物のすぐそばに設置された公衆トイレ……っぽい施設に入った。

 古臭いが清潔感を感じ、少し安心した。流石に宿屋、清掃が行き届いているのは当たり前か。……勝手な想像しちゃって申し訳ない。


「……ぽっとん……?」


 男女別で、小便器が無いことを除けば日本の公衆トイレと形式的にほぼ変わらないのですぐに馴染めた。

 ただ、いわゆる"ポットン便所"と呼ばれる、都会にはまず存在しないであろう様式の便器が俺の視界に飛び込んできた。それを見て一つ、地球での記憶を思い出した。

 

 父親と、父親の実家について話をしていた時、「オレの実家にはこういうトイレがある」と画像を見せられつつ、やたら詳細に語られたことがある。

 なんで汲み取り式便所について詳しくならないといけないんだ、と当時の俺は思っていたが、なるほどつまりこの時のためだったのか、と納得するわけねえだろばかやろう。

 本来の汲み取り式便所だと汚物を溜め込むためどうしてもニオイがあるそうだが、ここの便器付近はほぼ無臭だった。

 色々なお礼も兼ねておばちゃんに訊いてみると、"ピュリファイドスライム"なる生物を便槽に放っているから、らしい。つまり、"豚便所フール"と似たような仕組みだった。フールとは、まあそういう感じのそれだ。

 ポットン便所は地球発祥。そしてピュリファイドスライムはファンタジー生物。ドリフターの文化とファンタジー文化の融合。アーエールという異世界について、なんとなくどうなっているのかが想像できる一件となった。


◇◇◇


 宿の敷地外に出ると、まず目に付いたのは湖だ。なだらかな勾配の坂を下っていけば水辺まで行ける。

 とりあえず水と戯れるかと、少しばかり重い身体をゆっくり動かし始めた。


 水辺までたどり着き、改めて景色を眺めてみる。


「綺麗だな……」


 そこそこ大きな湖である。全貌は視認できるが、反対側まで向かうにはなかなかに骨が折れそうな程度、と言うべきか。

 その湖をぐるりと取り囲むように建物が建てられており、村の中心部がこの湖であることをすぐに理解できた。


 小舟を漕いでいる村民らしき人がのんびり釣りをしている。手を振ってきたので、少しうっとなったが俺もおもむろに振り返した。……後ろに人はいないので俺に対して振ってるはずだ頼むそうであってくれ。


 少しほとりを歩くと、子供たちがずぶ濡れになるのも気にせず大はしゃぎしているのが見えた。こちらは絶対関わりたくないので素早く距離を取った。


 湖の奥側には大きな滝。湖も含め、ここまで大きなスポットはサバイバル中にも見たことがない。そこそこ感慨深いものがあったが、それよりも気になる物があった。

 中央に小島があり、何か棒状の物が刺さっているのが見える。伝説の聖剣……なわけがない。

 よく見ると、少しだけ青い光を発していた。経験上、青い光はエーテライズの発動光であると分かっていたので、あの棒はエーテライザーだと思われる。どのような効果があるのか不明だが、浄水だとか、あるいはファンタジー的に結界だとか、村の根幹部分に関わっていそうだ。


 エーテライズといえば、タバサは俺を『アーツが使えるようにした』と言っていた。今のところ身体に変化は見られないが、俺も意識すれば"ヒーリング"とかを使えたりするのだろうか。

 なんとなく、手のひらに意識を集中し、太ももに向かって「"ヒーリング"」と唱えてみたが、何も起こらない。詠唱が不必要なタイプであるのは分かっていたので落胆はしないが、詳細ぐらい訊いておけば良かった。


 湖の景色を楽しんだ後、俺は少し坂を上った。

 途中からまばらに整備された道が延びていて、それに沿って歩いてみることにした。

 俺とアオイ先輩がこれまでサバイバル生活をしていた森は"グレイテスト大森林"と呼ばれており、コモルド村はグレイテスト大森林の内部に位置しているそうだ。外周は、いくつかの村の外に続く道を除きほとんど木に囲まれていて、その内部に生活圏が構築されている。


 民家。民家。雑貨屋。民家。酒場。民家。民家。空き地。"リベレーターズギルド"? 市場。などなど。市場ではそうでもなかったが、たまに人とすれ違った時に気さくに話し掛けてきてくれたりもして、正直困惑した。陰キャ寄りな性格なので、挨拶ぐらいなら良いけどそれ以上はちょっとキツイですごめんなさい。


 歩いている内に思ったのが『文字も読める』だ。

 店の看板らしき物には未知の言語が書かれていたが、日本語でないのにぱっと見て理解できてしまった。ギフトもそうだが、便利極まりない。

 神様の思惑など知る由も無いが、それでも何故俺たちをアーエールに送り込んだのかと、何度目かも分からないがついつい考えてしまうのだった。


 更に歩くと、小さな公園のような場所に出た。遊具などがいくつか設置され、ここでも子供たちが遊んでいた。

 ジャングルジム、滑り台、ブランコ。明らかに、ドリフターの知識が使われている。

 ポットン便所もそうだが、アーエール……というよりファンタスティラ王国は結構ドリフターの影響を受けている。タバサから聞いてはいたが、実際に目にしてみると予想以上だ。


 歩き疲れたので、ベンチに座って一休みする。

 宿屋のおばちゃんから持たされた水筒に口をつけ、果実水を音を鳴らして飲む。薄いアップルジュースのような味で美味しい。

 一つ息を吐き、脚を優しく触って調子を確かめているところに、どこからともなく老人がやってきた。にこにこと、穏やかそうな顔立ちだ。


「こんにちは、少年」

「あ……こんにちは」


 本当にこの村は、気さくな人が多いな。

 老……おじいちゃんが「よいしょ」と俺の隣に座る。雑談をしなければならない気配がぷんぷんする。ちょっと困る。


「君はドリフターだね。アヒト君が助けたという」

「あ、はい、そうです」


 会う人会う人に同じことを言われていたため、何故知っているのかと驚くことは無かった。


「大怪我をしていると聞いたが、もう歩いても平気なほどには回復したのだね、安心したよ」

「ありがとうございます」

「タバサ君には私たち村人もとてもお世話になっていてね。話し相手になってくれたり、アーツで怪我の治療も積極的に協力してくれたりね」


 やるじゃん、あいつ。と、上から目線で思ってしまった。友だちか。

 ……友だち?


 それからしばらくおじいちゃんととりとめのない世間話が続いた。


「実は私、ドリフターの息子なのだよ。『お前はニホン人とアーエール人のハーフだ』、と、ドリフターの父は私に言っていたね」

「えっ……!?」


 驚いた。おじいちゃんの姿をよく観察すると、確かにどことなく日本人っぽさを感じる。


「昔から、この国ではドリフターは良き隣人として親しまれ、そして敬われてきたのだ。礼儀正しく、知識を持ち、思慮深く、善性を持つ。そう伝えられてきたし、私たちも身をもって実感している」

「そう、なんですか……」

「この村の村長が、ドリフターなのだよ。彼のおかげで、村での暮らしの質が劇的に向上した」

「ええっ……!?」


 またもや驚愕の事実だ。ドリフターが辺境とはいえ一つの村の代表になっているとは。

 言われてみれば確かにと、公園の遊具を眺める。


「村長の"ジロウ"さんは、本当に素晴らしい方でね。この村がここまでのどかなのは、全てジロウさんのおかげなのだよ」


 "ジロウ"さん。明らかに日本人の名前だ。公園の日本っぽさもそうだが、村から感じる馴染みやすさは、村長が日本人であることに起因しているのかもしれない。


「確かに、住み心地が良さそうです。のびのびできそうっていうか」

「だろう? 元々この村はグレイテスト大森林開拓の拠点とするため領主様が移住者を募ってできた村なのだが、十数年前までは治安が悪くてね。質の低いリベレーターたちが幅を利かせていたのだ」

「それを、村長さんが解決したってことですか?」

「うん。当時有力者だった数名と『対話』し、あっという間に仲を取り持ってしまった。それから彼は、コモルド村を誰もが住みよい村にするべく皆に協力を要請し、開拓のための設備だけでなく、この公園のような憩いの場所を造るなどして、険悪な雰囲気を打破するべく奮闘してきた。その結果が今なのだよ」


 ジロウ氏が、俺のいたような現代社会から流れてきたドリフターだとすると、平和主義であるのは当然だ。そして、そこまで村作りに尽力しているということから、元々は役所だとかで働いていた人なのかもしれないな、となんとなく思うのだった。


 そうやって、子供たちの様子を眺めながらおじいちゃんと世間話を続け、まるで自分が保護者か何かになったようなほっこりとした気分になりつつも、いい時間になってきたので話を切り上げ、宿屋に戻ることにした。


「そうそう、レン君」

「どうしました?」

「アヒト君に会ったら伝えてくれないかね。『話があるので、"リベレーターズギルド"に来て欲しい』と」

「……分かりました、"ジェラルド"さん」


 疑問はあったが、俺は何も言わずに承った。

 そろそろ、限界だったからだ。

 アオイ先輩の顔が早く見たい。不安で不安でしょうがない。良くない妄想が、心をじわじわと侵食してきている感覚。

 やはり、タバサの言う通り、俺は彼女に依存してしまっているのだろう。先ほどまでの良性の気分はどこへやら、だ。

 俺は間違いなく『罰』を受けるべきだ。反省と治療、二つの意味を持つ『罰』だ。

 そんなことを考えながら、宿屋まで急ぎ足で戻るのだった。

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