6,最終試験

 昼過ぎまで王城内で続けられていた勇者オーディションは、しばしの休息の時間を与えられ、舞台を最終試験会場のコロシアムへと移した。日が傾き、空がゆっくりと藍に染まり始める頃だった。

 王都の西端に建つ円形闘技場――コロシアム。

 かつては剣闘士の試合などが行われていた場所らしい。今では年に数度、祝祭や公開試合に使われるだけの、半ば忘れられた施設だ。けれどこの日ばかりは、かつての栄光が仮初めにでも蘇ったかのように、観客席は早々に埋め尽くされていた。

 当然だろう。今年は“ゴードン家の息子”が出場している。王国を象徴する名家の青年が、勇者の座を争う。民衆はそれをまるで国民的アイドルのデビューでも見るような眼差しで熱狂している。

 勇者は毎年一名、必ず選出される。最終選考まで残れば、それだけで“本物”として名が売れる。新たな勇者を中心に編成されるのは、勇者部隊――などという名目の戦力ではなく、さながらアイドルグループだ。本来は国防のための制度だったはずが、今や目的は形骸化し、金と平和ボケに蝕まれている。

 RA照明がコロシアムの中心を白く照らし、空中に投影された巨大なスクリーンには、こう表示されている。

『最終試験:模擬戦トーナメント 開始』

 その下に小さく、注釈が添えられていた。『※敗北を認めるか、戦闘不能となった時点で試合終了』

 完全な興行だ。血も、汗も、歓声も――すべては演出の燃料にされる。それでも。

 それでも俺の中には、妙な高揚があった。ようやくここまで来た、という実感。クレイモアと取引して突破したことを差し引いても、この舞台に立っているという事実が、どうしようもなく、胸を震わせていた。

 残っているのは四人。二次試験を通過したのは三人だけだったはず。にもかかわらず四人だ。その答えはビジョンに映し出されたトーナメント表に示されていた。

 トーナメント表に記された第一戦は、

『ゴードン・ゴドリゲス VS ノアール』

 続く第二戦には、こう記されていた。

『コウノ・セッカ VS ミズナ』

 ……ミズナ?

 あの女の名前が、なぜ。二次試験どころか、一次試験すら参加していないはずのあの女の名が、なぜ。

「では、皆さまお待ちかね――最終試験の概要をお伝えしましょう!」

 コロシアム中央に浮かび上がった投影ビジョンが、音響とともに眩しく明滅した。司会者の明るすぎる声が響くと、観客席の熱気がさらに跳ね上がる。アナウンスの内容は既に周知のはずだが、繰り返すことにも意味があるのだろう。熱狂というのは、同じ言葉を浴び続けることで膨らんでいく。

「ここ、コロシアムを舞台に、四人の挑戦者による、トーナメント形式の模擬戦を行います! 対戦ルールはいたってシンプル。どちらかが“戦闘不能”になるか、“敗北を認めた”時点で決着です! 今宵、今年の勇者が決まる歴史的瞬間を目にするのは、あなただ!」

「第一戦、ゴードン・ゴドリゲス VS ノアール」

「第二戦、コウノ・セッカ VS ミズナ」

 炎のエフェクトと共にビジョンで対戦の構図が演出される。

 やはり、見間違いではなかった。

 あの“ちょっと記憶喪失”の女の名前が、堂々と映し出されている。どういうことだ。

 コロシアムの控え区画から、中央へと続く石造りの通路。俺は壁際に背を預け、頭上に響く歓声を遠くに感じながら、ゴドリゲスとノアールの試合が始まるのを待っていた。

「やっほー。久しぶり」

 声をかけられたときには、もうすでに隣に立っていた。何の気配もなく近寄ってくる。

「……なんでお前が、ここに」

「敗者復活戦。あたし、勝ったんだよ?」

 さらりと告げて、ミズナは自慢げに胸を張った。

 その笑顔は無邪気で、王城の門前で追い払われていた女に違いなく、気だるげな銀髪と赤い瞳を揺らしていた。

「いや、ちょっと待て。お前、試験すら受けてなかっただろ」

「うん。でも、ずっと門番さんにお願いしてたら、なんか“じゃあ敗者復活戦だけ特別に”って。やっぱ言ってみるもんだねえー」

「……は?」

「えっと、出たかったの。どうしても。わたし、生きていくにもお金なかったしさ。勇者に興味はないけど、賞金もらえるし。粘り勝ちってやつ?」

 曖昧に笑うその顔を、俺はしばらく見つめてしまった。こいつ、やっぱり変だ。

「セッカ。あなた、前に会ったことある気がする」

「噴水広場の先で会っただろう」

「じゃなくてえ、もっと前」

「……お前、記憶喪失だったんじゃないのか」

「“ちょっと”ね」

 そう言って笑うミズナの顔は、変わらず屈託がなかった。

「いつから記憶がないんだ?」

「うーん……わからない。でも、昨日の夜かな。この王都の道端で目が覚めたの。それより前のことは、ぜんっぜんっ」

「昨日?」

 思わず語尾が濁る。ビカクが死んだのは昨日、タイミングが、あまりにも一致しすぎている。

 ミズナはそんな俺の動揺など意に介さず、晴れやかな声で言った。

「だからね、セッカ。あたし、やっぱりここに来る運命だったと思うんだよね」

「……」

 “出会うべくして出会った”とでも言いたげなその口ぶりに、返す言葉を失った。

 地鳴りのような歓声が、アリーナ全体を揺らした。

 投影ビジョンには、すでに第一戦「ゴードン・ゴドリゲス VS ノアール」の名が、炎の演出とともに映し出されている。コロシアムの中心へと続く二方向のゲートが同時に開かれ、二人の挑戦者が現れた瞬間、会場の熱気は一気に爆ぜた。

 右から現れたのは、金色の鎧に身を包んだゴードン・ゴドリゲス。肩の羽根飾りが空気を切るたびに魔力の粒子が煌めき、まるで“選ばれし者”の風格を演出している。観客の反応も熱狂的で、まるで勝者がすでに決まっているかのような雰囲気すらある。

 左から現れたのは、漆黒に近い紫髪を揺らす女、ノアール。彼女はゴードンとは対照的に、冷めた表情で観客席など一瞥もせず、無言のまま決戦の地へと歩を進める。ひらりと揺れる上流貴族風の戦闘服は、彼女のRA魔導士としての格の違いを無言で語っていた。

「ゴードン様ーっ!」「ノアール、殺っちまえー!」

 観客の声援は割れていたが、ノアールへの応援はどこか過激で、痛みや怒りが混ざっているように感じた。彼女がこのオーディションに懸けているものの重さを、観客の一部が直感しているのかもしれないし、その美貌から応援している者もいるだろう。あるいは今の王国に不信感を持つものも、今ならノアールという存在を盾に吐き出せる。

「ねえ、どっちが勝つと思うー?」

 ミズナの問いに、俺は少しだけ考えてから答えた。

「ゴドリゲスだろうな」

「ふーん。じゃあ、あのノアールって美人さんは負けるの?」

「……いや」

 そう言いかけて、言葉が止まった。

 あのときの彼女――大岩を切り払ったRAの斬撃。あれは、見せ物ではない。本物の実力者だ。二次試験でも見た、幼き日のRAによる自然現象の操作能力。あれは天性の才覚。そしてあれから十年。さらにその強度は増しているだろう。

 だがゴドリゲスは見た目とは裏腹に、身体強化のRAは本物だ。派手な鎧も、きっと観客を意識した演出の一環に過ぎない。内心では、誰よりも冷酷に勝利を計算している。彼もまた実力者に違いない。

「試合、始まるよ」

 ミズナの声に、俺は前方へと視線を戻す。投影ビジョンが光を放ち、試合開始の合図が鳴り響く。

 いよいよ、最終試験の幕が開く――。

 

 試合開始の合図が、コロシアムに響き渡った。

 次の瞬間、ノアールの足元を風が旋律を描くように立ち上がり、場を殺伐な気配へと変えていく。これから戦いが始まるのだと。

 ノアールは展開した風に乗って妖精の如く上空へ。宙に舞う。ノアールの柔らかな前髪の奥で光る青い瞳が、見下すようにゴドリゲスを見据えていた。

 ノアールの表情に、恐れの色は一切ない。むしろ、舞台に立った喜びをかみしめるような微笑すら浮かべていた。

 風がノアールの周囲を螺旋状に駆けめぐり、衣の裾をふわりと浮かせる。続いて、彼女の背後から透明な水の弧が形成されていく。水流が弧を、次には扇状へ広げ、やがて舞台全体を包む水のドームとなった。

 観客席がざわめく。水はひとつの芸術のようにその形を変えながら、ノアールの意思に応えるようにたゆたう。しかしその膨大な水量を容易く錬成するとは、あまりに桁違いなRA能力だ。

 ゴドリゲスが目を細めた。剣の柄に手をかけながら、まるで歌劇の舞台でも見るかのように、敵の動きを観察している。

 ノアールの表情に余裕があるのは、実力ゆえだ。この場に立つ者の中でも、彼女は最も繊細なRA制御を誇るだろう。水は守りとなり、風は動きを生む。そしてそのふたつが共鳴すれば、精密で鋭利な刃となる。

 ノアールの周囲を覆っていたドーム状の水が、内側から脈打つように波打った。その一部が前方へと押し出され、細く、鋭く、尖っていく。同時に、彼女の指先から放たれたRAの風が、それにまとわりつく。風がそれをさらに細く絞り上げて、鋭利な“水の刃”が形成される。まるで滝の激しい水流を凝縮したかのような、切断力を宿した凶器であった。

 風に加速されたその水刃は、空気を裂くような鋭い音を立てながら、一直線にゴドリゲスへと向かった。

 ゴドリゲスは、その場から動かずにいた。何かを、見極めている。あるいは、ただひとつの隙を探している。しかし観衆の目には、ただ一方的に攻め込まれているようにしか映らない。

「ノアール様!」「がんばれー!」

 黄色い声援が飛び交う中、ゴドリゲスはその水流の刃を受け止める。

 刹那、ゴドリゲスの足元に水しぶきが散った。飛沫――ではない。ノアールが生み出した、水と風のRAの複合凶器。それを剣を抜くまでもなくゴドリゲスが蹴散らしたのだ。

 彼は動かなかった。動かずに、剣の柄に手をかけたまま、冷ややかに視線だけを上げただけだ。何が起こったのか、まるで見えやしなかった。

 ノアールは地に着地し、その様相に悔し気な表情をにじませていた。が、まだドーム状に展開された水は大量にある。天に手を掲げ、それらを制御し、次なる攻撃に備えていた。

 次の瞬間、ゴドリゲスがわずかに剣にかけた手を動かすのが見えた。それだけで、ノアールは即座に地を蹴り、後方へと距離を取る。

 ゴドリゲスはゆっくりと剣を抜いた。

 一閃。

 ゴドリゲスの放った斬撃が空を裂いた瞬間、ノアールのRAで形成されていたドーム状の水壁が、音もなく霧散する。

 水は“斬られた”のではない。“蒸された”のだ。

 斬撃に乗せられた熱波が、一瞬で水分を気化させたのだと気づいたとき、会場には、じめっとした湿気が漂っていた。ゴドリゲスのRAは、斬撃と融合している。その刃が振るわれた瞬間、斬撃の波に乗って、触れたRAを根こそぎ蒸したのだ。

 ノアールはすでに次のRAを練っていた。しかしその構築速度を上回る速さで、ゴドリゲスが間合いを詰めにかかる。

 砂を弾き飛ばしながら地を蹴る。その一歩が、早い。

「前に出るぞ」

 その声が届くより早く、距離が詰まる。

 ノアールは即座にRAで水を錬成し、盾に変えた。渦を巻くように浮遊していた水が、彼女の正面に防壁を形成する。

 だが、それも。

 ――斬られた。

 ゴドリゲスの一閃。水壁が、乾いた音と共に霧散する。

「くっ……!」

 ノアールは咄嗟に風を纏い、身体を跳ね上げるように後退した。さらに風の反動を使って上空へ逃れ、すでに次のRAの構築に入っている。

 互いの展開があまりに早い。

 ゴドリゲスのRAは、見た目とは反して派手な演出も鮮やかな色彩もない。相手のRAを破壊し、封じる。その静謐さに、ノアールが退いたときの怯えに近い表情はうなづける。

 おそらくゴドリゲスにとってRAとは単なる攻撃手段ではなく、斬るための補助装置に過ぎないのだ。ノアールのように自然現象で水や風を錬成するRAの使い方とは大きく異なる。RA-H同士のあまりに高水準な戦いに俺は勝てるだろうかと胸が引き締まる。

 宙に退避したノアールはポケットに指を滑り込ませ、カード型の容器を一振り、無言のままそれを一粒口に含み、ガリっと奥歯で噛みしめ嚥下した。

 途端に、風が渦を巻くように彼女の周囲を舞い、掲げた腕の先で炎が絡まり始める。

 何かが、膨れ上がっていく――そう感じた瞬間には、すでに彼女の掌に巨大な火の玉が現れていた。

 言葉にならなかった。あれはただの火の塊じゃない。

 熱と酸素、重なり合って生き物のような挙動を見せている。ノアールの指先がわずかに震えている。薬の反動か、それとも抑えきれない力の奔流か。

 会場をも飲み込まんとする太陽のような火の玉が高速で練り上げられた。実に5メートル級の、さながら隕石のような火球。

「なんだあれ!」「会場ごとぶっ壊れるんじゃ」「やっちまえー!」

 会場から期待と恐怖が混合した声が溢れる。そしてごうごうと音を立てる巨大火球がそれらを吸い込んでいくよう。

 その大玉がついに、ゴドリゲスへ放たれた。

 火球が、咆哮する獣のように唸りを上げてゴドリゲスへ向かう。

 ゴオオとという音、観客席がざわめきと共に揺れる。

 ゴドリゲスは迎撃の構えを取らなかった。回避するつもりもない。まるで、それを正面から受けると決めていたかのように。

 次の瞬間、ゴドリゲスに火の玉が直撃、そして、爆ぜた。

 炎が彼を呑み込み、視界が白煙に包まれた。観客からどよめきがこだまする。

 煙が、徐々に晴れていく。

 立っていた――焼け焦げた鎧姿のゴドリゲス。

 肩に付けられていた羽根の装飾は、片方が完全に燃え落ち、もう片方も黒く炭化している。

 金の装飾が施された鎧の一部も、熱でめくれ上がり、表面のメッキは剥がれ、地金が鈍く鈍色に光っていた。いや、しかし。彼自身は、ほとんど無傷と言っていいから驚きだ。これがゴドリゲスの得意とする身体強化RAの実力か。

 彼は、首を鳴らした。

「この程度か」

 その言葉が、静まりかえった会場にゆっくりと落ちる。

 ノアールは悔し気な表情を隠せない。

 ゴドリゲスは焦げた鎧の裾を片手で払うと、ゆっくりと前に出た。火傷の痛みすら感じていないようなその歩みは、観客席に戦慄を走らせる。

 彼は足元の焦げ跡に立ち止まり、そこでようやく、右手を持ち上げた。

 何をするのか。俺は思わず前のめりになった。

 その掌の中心に、赤い光が灯る。さっきのノアールの火球よりも、ずっと小さい。手のひらにすっぽり収まる程度の小さな火球。

 まさか、ノアールのやった火のRAをゴドリゲスが使うのか。たしかにゴドリゲスとてRA-H。基本的には身体強化に使用するが、ノアールのような自然現象を再現できないことは意味しない。

 だが、その色には違和感があった。真紅ではなく、まるで濃縮された血のように、粘性すら感じる漆黒の赤。やはり、ノアールほどの自然現象RAはゴドリゲスには再現できないか。少なくとも練り上げる火の玉からは脅威を感じられない。

「え……?」

 俺の隣で、小さくミズナが声を漏らした。

 横目で見ると、彼女はじっと炎を見つめていた。眉間に皺を寄せ、何かを計算するように、あるいは見透かすように。

「あれ、密度だけならノアールのより上だよ」

 次の瞬間、ゴドリゲスの手から放たれた炎が、音もなく飛んだ。爆音も、咆哮も、なかった。ただ、空気が歪んだ。その刹那、ノアールの全身がびくりと震えた。

 彼女は慌てて風のRAを巻き上げさらに上空へ退避する。回避だ。しかし、その風は燃えた。いや、風ごと焼かれて、ノアールは羽を失った妖精のように地面に釘付けになってしまった。動けない。小さな火球は惑星が如く、引力を持ったかのようにノアールを地に引き寄せたのだ。

 見た目は小さな火球だ。だがその一撃はあまりにも重く、ノアールの腹部に直撃。腹にめり込んだ。

「ぐふぅ!」

 ノアールが悶絶する。

 小さくても、その炎は――重かった。密度が、異常だった。RAの密度が桁違いだとミズナが言った。

 ノアールが得意とする領域、それを模した上で、さらにその“中身”で圧倒する。

 まるで一次試験の“逆再現”。あのとき、ノアールは大岩をゴドリゲスを圧倒するよう、あえてゴドリゲスのやった方法の上位互換だと言わんばかりに岩を両断して見せた。そして今、ゴドリゲスは、彼女のRAを凌駕してみせた。

 ノアールの腹部に火球がめり込み、爆発。それは火ではなく、どちらかと言えば鉄球のようだった。瞬間、ノアールが一気に会場の壁まで一直線に吹き飛ばされた。ドゴーンと鈍い音とともに壁には亀裂が刻まれ、その威力の高さが伺える。

 ノアールは膝をつき、立ち上がろうとする。片手で地を支える。だが、それ以上は立てなかった。

 炎の残滓が、ひらひらと宙を舞い、小さな花弁のように降っていた。

「勝者、ゴードン・ゴドリゲス!」

 ゴドリゲスは見た目だけ派手なだけではない。もはや偽りでもないのかもしれない。その真の実力は、たしかに勇者たる素質を持っているとすら思える。これがRAでこの国を、人間界を支配してきたゴードン家の血筋。あまりに、強い。

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