第74話 旅立ちの歌、未来への約束

 父親と正面から向き合ったことで、蓮くんの中の何かが、確かに吹っ切れたようだった。

 彼はもう、ただの「家出少年」ではなかった。高校を卒業し、この場所へ帰ってくる、という明確な目標を持つ「期間限定の住み込みバイト」へと、その立場を変えたのだ。


 ​東京へ帰るまでの、残された数日間。

 彼は以前にも増して、熱心に仕事に取り組んだ。薪を割り、家を掃除し、モンスターたちの世話をする。その一つ一つの労働が自分の未来を築くための、大切な礎なのだと理解しているかのように、その横顔は真剣だった。


 性格も驚くほど明るくなった。

 リサとお互いの好きな音楽について夜通し語り合ったり、俺に「この豚汁、どうやって作るんだ」と料理を教わったり、モンスターたちと子供のように無邪気に駆け回ったり。


 閉ざされていた彼の心が完全に開かれ、この民宿に本当の意味で溶け込んでいくのを、俺は少しだけ寂しく、そして何よりも嬉しく感じていた。


 ​そして旅立ちを翌日に控えた、最後の夜。

 蓮くんは、俺たちとダンジョンのモンスターたちのために、もう一度だけギターを抱えて、あの泉の広場へと向かった。

 ​彼が奏でたのは、前回と同じオリジナルの曲。だが、その音色は全く違って聞こえた。

 以前のような葛藤や焦燥の響きはもうない。 


 そこにあったのは、未来への確かな希望。そして、この場所で出会った、すべての人々と生き物たちへの心からの感謝。

 温かくて、どこまでも力強いメロディがダンジョンの中に優しく、優しく響き渡った。

 彼の希望に応えるように、ステージの足元に置かれた『音鳴り石』が、今までで一番美しく、鮮やかな七色の光を放っていた。


 ​演奏を終えた蓮くんは、集まってくれたモンスターたちに向かって、仲間のように、にっと笑った。


「また必ず戻ってくるから。そしたら、もっと、もっとすげえ曲、聴かせてやるからな。待ってろよ」


​ 翌朝、蓮くんが旅立つ時が来た。

 彼は、ここに来た時の、あの薄汚れたパーカーではなく、俺が貸してやった、少しだけサイズの大きい清潔なシャツを着ていた。


​「ほらよ。こっちのバス停から町の駅までな」


 俺は、彼に鮭のおにぎりが詰まった弁当と、一枚の封筒をぶっきらぼうに手渡した。


「働いた分の、正当な報酬だ。文句、あっか」


「……ん」


 蓮くんは照れくさそうに、それを受け取った。

 ​リサは彼に一枚のCDを手渡していた。


「これ、あげる! 私が今、イチオシのインディーズバンド! 東京帰ったら絶対にライブ行ってみて! きっと、蓮くんの心に刺さるから!」


 ​バス停までの短い道を三人で歩く。

 やがて、遠くからバスがやってくるのが見えた。​蓮くんは、俺たちの前で立ち止まると、九十度の角度で深々と、その頭を下げた。


「田中さん、リサさん。本当にお世話になりました。俺……絶対に戻ってきます。もっと、もっと、でっかくなって」


 ​彼はポケットからゴブ吉がくれた、あの青い鳥の羽根を大切そうに取り出した。


「これもちゃんと持っていく。俺の生まれて初めてのファンの証だから」


 ​バスの扉が開く。

 彼は最後に一度だけ、俺たちを振り返ると、少しだけ涙ぐみながらも最高の笑顔で大きく、大きく手を振った。

 そして名残惜しそうに、バスの中へと消えていった。


 ​蓮くんを乗せたバスが見えなくなるまで、俺とリサは、ずっと、その背中を見送っていた。


 ​静けさが戻った民宿。

 蓮くんが使っていた物置を改造した部屋は、彼らしく綺麗にきちんと片付けられていた。だが、どこか、がらんとして寂しい。


 その簡素な机の上。

 そこに一枚の折りたたまれた置き手紙と、あの七色に輝く『音鳴り石』が、そっと置かれていた。


 ​俺は、その手紙をゆっくりと開いた。


​『この石は、ここに預かっておいてください。

 俺が胸を張って自分の音楽を誰かに届けられるようになったら。

 必ず、この石を取りに戻ってきます。

 それが、俺の約束です。

 

                佐々木 蓮』


 ​春の訪れを告げる柔らかな風が、窓から吹き込み、その置き手紙を優しく揺らした。


 一人の少年が大きな夢を抱いて、自分の足で旅立っていった。


 そして、このダンジョン民宿は。

 彼の「ただいま」が聞こえる日を、いつまでも、ここで待ち続けるのだ。

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