第71話 ダンジョン・アンプラグド
リサに「ダンジョンでライブをしてみないか」と、とんでもない提案をされてから、数日が過ぎた。
蓮くんは、口では「やるわけないだろ」と突っぱねながらも、その手つきは、明らかに変わってきていた。
薪を割りながら鼻歌でメロディを口ずさんだり。モンスターの世話をしながら、指先で何かのリズムを刻んだり。
そして、夜、皆が寝静まった後。
物置を改造した彼の部屋からは、毎晩、小さな、しかし確かな熱量を帯びたギターの音が漏れ聞こえてくるようになった。
誰かに聴かせるためのものではない。彼自身の内側から溢れ出てくる衝動を必死に音にしているような切実な響きを持っていた。
そして雪解け水がキラキラと日差しを反射する、ある晴れた日の午後。
蓮くんは、俺とリサの前にギターを抱えて立つと、顔を真っ赤にしながら、ぼそりと、こう言った。
「……別に、あんたたちのために弾くんじゃないからな。モンスターたちが聴きたいって言うなら……まあ、一曲くらい弾いてやっても、いいけど」
そのあまりにも不器用で、可愛らしい強がりに、俺とリサは顔を見合わせ笑いそうになるのをぐっと堪えた。
「そうか。じゃあ、行くか。観客たちが待ちくたびれてるだろうからな」
俺がそう言うと、蓮くんは、こくりと小さく頷いた。蓮くんを先頭にダンジョンの中へと入っていく。
今回の目的は探検ではない。ライブだ。
その噂をどこで聞きつけたのか、ダンジョンの入り口には、すでに数匹のゴブリンたちが、そわそわと集まっていた。彼らは、俺たちの姿を見つけると、まるでプロモーターのように我々を奥へと案内し始めた。
そして、たどり着いたのは、もちろん、あの泉の広場だった。今日の広場は、いつもとは、少しだけ様子が違っていた。
一番奥の、少しだけ高くなった岩が、まるで天然のステージのように、光る苔で、ひときわ明るく照らし出されている。
そして、そのステージの前には、ダンジョン中のモンスターたちが、お行儀よく、興奮を隠しきれない様子で大集合していたのだ。
最前列には、プルとその仲間たちが、ぷるぷると体を揺らしながら陣取っている。
その後ろには、ゴブ吉を筆頭としたゴブリンたちが、どこからか拾ってきた木の実を抱え、きちんと体育座りで待機。
少し離れた岩陰からは、キノコうさぎの親子が、小さな顔を覗かせている。
まさに世界で一番、ピースフルで優しい観客たちだった。
「……なんだよ、これ」
蓮くんは、その予想外すぎる歓迎に呆然と立ち尽くしている。
リサが背中を、ぽん、と優しく叩いた。
「ほら、みんな、待ってるよ。蓮くんの一番最初のファンたちが」
蓮くんは、一度、ぎゅっと唇を結ぶと覚悟を決めたように、ステージに見立てられた岩の上へとゆっくりと上がった。
そして客席を見渡し、一つ大きく深呼吸をする。
静寂。誰もが固唾をのんで、彼が音を紡ぎ出す、その瞬間を待っていた。
やがて蓮くんの指先が、ギターの弦を優しく、力強くかき鳴らした。
ダンジョンの中に響き渡ったのは、彼がこの数日間、ずっと部屋で練習していた、オリジナルの曲だった。それは歌詞のないインストゥルメンタルの曲。
泉の広場の天然のリバーブが、彼の拙いアルペジオを、まるで教会のパイプオルガンのように荘厳で美しい響きへと変えていく。
そのメロディは、彼の人生そのものだった。
東京のコンクリートジャングルで感じていた息苦しさと孤独。
父親への反発と、ほんの少しの寂しさ。
そして、この北の果ての町で出会った不器用な大人たちと、優しいモンスターたちとの温かい交流。喜びも、悲しみも、怒りも、希望も。
彼の、ありのままの感情のすべてが音の粒となって、洞窟の中に満ち満ちていく。
観客たちは、ただ、静かに、その音に耳を傾けていた。
プルは心地よさそうに体をゆらゆらと揺らし。
ゴブ吉は目を閉じて、その旋律を噛みしめるように聴き入り。
キノコうさぎは、母親の背中に、すり、と顔をうずめている。
俺とリサも、そのあまりにも美しく、どこまでも正直な音楽に、ただ、心を奪われていた。
彼を家出少年だなんて、もう誰も思わない。
このステージに立っているのは、紛れもない一人の誇り高き「ミュージシャン」だった。
やがて、最後の音が静寂の中に優しく溶けていく。
一瞬の静寂。
そして、次の瞬間。
ぷるるるるるるる!
キィィーーーッ!
ぴょん、ぴょん!
モンスターたちの言葉にならない、心の底からの「ブラボー!」が、嵐のような拍手喝采となって洞窟の中に響き渡った。
蓮くんは、その光景を信じられないといった表情で、ただ呆然と見つめていた。
そして、その目から、またぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。
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