第63話 女王の告白

 吹雪の音が、まるで嘘のように遠い。

 光る苔の、静かで青い光に満たされたダンジョンの中は、世界から切り離された温かい聖域のようだった。


 俺たちはゴブ吉たちが差し出してくれた木の実を、一つ、また一つと分け合って食べた。

 それは少しだけ酸っぱくて、だけど不思議と優しい味がした。


 ​ユキさんの緊張は、もうすっかり解けているようだった。

 彼女は、自分の足元に寄り添うキノコうさぎの親子を穏やかな表情で撫でている。その姿は、この場所にずっと昔から暮らしている妖精のようにも見えた。


​「……すごいですね」


 リサが感嘆のため息を漏らした。


「なんだか、今、この瞬間、この場所にいるのは、世界で私たちだけみたい」


​ その言葉にユキさんが、ふっと儚げに微笑んだ。


「ええ……。本当に、静か。……誰も、見ていない」


 ​その最後の一言に、俺はかすかな違和感を覚えた。


「見ていない?」


 ​俺がそう聞き返すと、ユキさんは何かを決意したようにゆっくりと顔を上げた。

 彼女は隣に座るリサを、そして俺の顔をまっすぐに見つめた。


​「あの……リサさんが、さっき、お話ししていた……VTuberの……」


 その言葉にリサの目が「はい! スノーティア様ですね!」と再びキラリと輝く。

 ユキさんは、一度、ぎゅっと唇を結ぶと観念したように言った。


​「スノーティア・クリスタル……。それ……私、なんです」


​シーン……。


 ​水滴が、ぽちゃん、と泉に落ちる音だけが、やけに大きく響いた。

 それ以外の、全ての音が世界から消え去ったかのような完璧な沈黙。


 ​最初に、その沈黙を破ったのは、俺の間の抜けた声だった。


「へ? ぶいちゅーばー? あの、雪の……女王様が……ユキさんだって? どういうことだ?」


 俺はまだ、ことの重大さを全く理解できていなかった。


 ​だが、隣にいるリサは違った。

 彼女は完全にフリーズしていた。

 その顔は、喜びでも、驚きでもない。ただ、巨大すぎる情報量を脳が処理しきれずに、完全にショートしてしまったかのような虚無の表情を浮かべている。


 彼女は目の前で、どてらを羽織り、頬に涙の跡を残したまま、キノコうさぎを撫でている、か弱い女の子の姿をじっと見ている。

 自分の頭の中に君臨する、クールでエレガントで孤高のバーチャル世界の女王様の姿を必死に結びつけようとしているのだろう。


​ やがて、彼女の口が金魚のように、ぱく、ぱくと細く動いた。


​「…………え………………えええええええええええええええええええええっ!?」


 ​彼女の必死に抑えようとして、それでも抑えきれなかった絶叫が静かなダンジョンの中に、こだました。

 ゴブリンたちがびくっと肩を震わせる。


 ​リサが声にならない声で、わなわなと震えるという、カオスな状況に陥っている間。

 ユキさんは、ぽつり、ぽつりと、自分のことを話し始めてくれた。

 ​人付き合いが苦手で、引っ込み思案だった自分が、唯一、輝ける場所が、バーチャルな世界だったこと。


 「スノーティア」という、自分とは正反対の完璧な女王様を演じることで、たくさんのファンができたこと。

 だが、人気が出れば出るほど、「完璧な女王様」でいなければならない、というプレッシャーが、彼女の心を少しずつ蝕んでいったこと。

 心無いアンチからのコメントに傷つかないフリをしながら、一人で泣いていた夜のこと。


​「本物の、厳しい冬が見てみたかったんです。スノーティアの世界みたいな、冷たくて、孤独な景色を。そうすれば、もっと完璧な女王様を、演じられるようになるんじゃないかなって……」


 彼女は自嘲するように小さく笑った。


「でも、結局、ただ遭難しただけでした。道にも……自分自身にも完全に迷子になってしまって……」


​ そのあまりにも痛々しい告白。

 リサは、もう、ただのファンとしてではなく、一人の友人として、その言葉を涙を浮かべて聞いていた。


 ​俺は、VTuberというものが、まだ、よく分かっていなかった。

 だが、目の前の女の子が、「見られる自分」と「本当の自分」とのギャップに、一人で苦しみ続けてきたことだけは、痛いほど伝わってきた。


 それは、かつて会社の歯車として、自分を殺して働き続けていた、俺自身の姿と、どこか重なって見えたからだ。


 ​俺は気の利いたアドバイスなんて、何も言えなかった。

 ただ、ゴブ吉が差し出してくれた木の実を一つ手に取ると彼女の前に、そっと差し出した。


​「まあ、今夜は、女王様でも、なんでもないですよ」


 俺はできるだけ、ぶっきらぼうに言った。


「ただの遭難者のユキさんだ。そして、あんたは今、ここでちゃんと生きてる。それで十分じゃないですか」


​ その飾り気のない、俺の言葉。

 それを聞いたユキさんの瞳から、再び、大きな温かい涙がぽろりとこぼれ落ちた。

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