第13話 癒やしを求めて

 山田さん一家が残してくれた温かい余韻と、健太くんからの宝物のような手紙。


 俺はしばらくの間、その二つを胸に、幸せな感傷に浸っていた。自分のやってきたことが、確かに誰かの心に届いた。その事実だけで、飯が三杯は食えそうだった。

 だが、そんな穏やかな時間は、隣に立つ嵐のような少女によって、いとも簡単に現実へと引き戻される。


「はい、ご主人! 感動の時間はここまで! 次のミッションが待ってますよ!」


 リサが俺の目の前に突きつけてきたスマホの画面。そこには、山田さんとは別のアカウントから届いた、新たなDMが表示されていた。


「この人、山田さん一家とは、ちょっとタイプが違うかもですよ」


 リサが、少しだけ真剣な表情で言う。

 DMの送り主は「アキラ」と名乗る人物だった。プロフィール写真はなく、アイコンは真っ黒。その文章は非常に丁寧だったが、どこか切羽詰まったような、それでいて感情を押し殺したような、不思議な雰囲気を漂わせていた。


『リサさんの動画、拝見しました。あの……静かで、美しいダンジョンで、少しだけ……心を休ませていただくことは、できないでしょうか』


 その一文に、俺は胸を突かれた。


「心を、休ませたい」。


 その言葉が、かつての自分自身と、痛いほどに重なったからだ。


「……分かるな。その気持ち」


 思わず声が漏れた。

 東京で、すべてに疲れ果てていたあの頃。俺も、ただ静かに心を空っぽにできる場所を、喉から手が出るほど求めていた。


「なんか、シリアスな感じですね。大丈夫かな、この人……」


 リサが心配そうに呟く。

 だが、俺の決意は固まっていた。


「いや。俺がこの民宿で本当にやりたかったのは、こういうことなのかもしれない」


 派手で楽しい観光だけじゃない。

 人生に疲れ、立ち止まってしまった人が、そっと羽を休められる「隠れ家」のような場所。誰にも邪魔されず、ただ自分自身と向き合える時間。

 それを提供できるのなら、これほど嬉しいことはない。


 俺はリサからスマホを受け取ると、「もちろんです。何もありませんが、静かな時間だけは、ここにありますから」と、心を込めて返信した。


『今度は、何やらワケありのお客さんが来るらしい』


 その噂は、またしてもあっという間に、この小さな留咲萌町を駆け巡った。だが、町の皆の反応は、前回とは少し違っていた。


「おう、雄介! 今度は心が病んでるってやつか。よーし、なら美味い魚食って元気出させてやれ! 精のつくやつ、用意しといてやる!」


 魚屋の大将は、拳を握りしめてそう言った。彼の不器用な優しさだ。


「まあ、疲れてるのかしらねぇ。それなら、よく眠れるように、ラベンダーで匂い袋でも作ってあげようかしら」


 八百屋のおばちゃんは、聖母のような笑みでそう提案してくれた。


 隣の鈴木さんに至っては、


「そういう時はな、雄介。下手に構わず、そっとしておいてやるのが一番だ。お客さんが話したくなったら、黙って聞いてやれ」


 と、人生の先輩としてのアドバイスをくれた。賑やかな歓迎ではなく、そっと寄り添うような、温かい眼差し。

 この町の懐の深さを、俺はまた一つ知ることになった。


 俺とリサは、次なる客であるアキラさんのために、「癒やし」をテーマにしたおもてなしの準備を始めた。


「食事は、胃に優しいものがいいですよね。バーベキューみたいにワイワイするより、静かに味わえるものが」


「そうだな。地元の野菜をたっぷり使ったポトフとか、どうだろう」


「いいですね! あとは、夜食に出汁の効いた温かいおにぎりとか!」


 無理にアクティビティを詰め込むのはやめよう、という点でも意見は一致した。ダンジョン探検も、本人が希望すれば案内する。

 あくまで、彼のペースを尊重する。「何もしない贅沢」を、最高の形で提供するのだ。



 そして、約束の週末がやってきた。

 前回のように、バス停まで大勢で押しかけることはせず、俺とリサは、家の前で静かに客人の到着を待っていた。


 やがて、一台のタクシーが、ゆっくりと家の前に停まる。

 後部座席から降りてきたのは、仕立ての良いジャケットを着こなした、都会的で洗練された雰囲気の青年だった。歳は20代後半くらいだろうか。だが、その顔色は青白く、目の下には深い隈が刻まれており、ひどく、ひどく疲れているように見えた。


 彼が、アキラさんだった。

 アキラさんは、俺とリサの顔を見ると、少しだけ驚いたように目を見開き、そして、すぐに何かを諦めたかのように、力なく微笑んだ。 


「……どうも。アキラです。お世話になります」


 その声は、まるでガラス細工のように繊細で、今にも消えてしまいそうだった。


 俺の民宿にやってきた、二人目の客。

 彼が一体、何を背負ってこの北の果ての町までやってきたのか、俺はまだ知らない。

 だが、絶対に、この疲れ切った彼の心を少しでも軽くして帰してあげよう。


 俺は、民宿の主人として、静かに誓うのだった。

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