村の選択
夜更け、旅の一行はようやく村の門前へとたどり着いた。
松明の炎が揺らめき、木製の門を守る門番の顔を照らす。
彼は炎に照らされた姿を凝視し、次の瞬間、声を震わせた。
「……グラフか!? 本当にお前なのか!」
男は松明を地面に突き立て、駆け寄った。
力強く肩を掴み、何度も揺さぶりながら叫ぶ。
「生きていたんだな……! 無事でよかった……!」
グラフはその手を握り返した。
だが胸の奥では、歓喜に浸るよりも先に神殿の書庫へ急ぎたい思いが膨れ上がっていた。
かつて目にした古い文献の記憶がよみがえり、そこに確かめるべき答えがあると直感している。
さらに、あの一団が再び姿を現すのではないかという警戒が、喜びに影を差していた。
その場の光景を見た村人たちが次々と駆け寄り、歓声が広がっていく。
「帰ってきたぞ!」
「本当にグラフが戻った!」
その叫びは夜闇を突き抜け、家々に伝わっていった。
戸が開き、裸足のまま駆け出す子供たち。
眠そうに目をこする若者が息を呑み、年老いた者は杖を手に震える声をあげる。
女たちは急ぎ身を寄せ、旅人たちの泥に汚れた姿を見て涙を流した。
誰かが手を打つと、次の瞬間、村全体がどよめきに包まれた。
抱きつく子供、泣きながら肩に縋る老人、興奮して声を張り上げる若者。
冷えた夜気に、泣き声と笑い声が入り混じって広がっていく。
遅れて駆けてきた者たちも合流し、歓喜の輪は膨らみ続けた。
やがて「祝いだ!」と誰かが叫び、別の者が酒樽を転がし出す。
即席の台が並べられ、子どもたちが走り回り、大人たちは次々と手を動かしていく。
村は一夜の宴へと姿を変え、喜びの炎が夜空を焦がしていった。
宿屋の食堂は、祭りの夜のような熱気に包まれていた。
長机の上には肉と香草の煮込み、焼き立てのパン、泡立つ酒が惜しげもなく並び、村人たちの杯が次々と掲げられる。
「よく戻ったな、グラフ!」
「無事で何よりだ!」
人々は口々に声をかけ、杯をぶつけ合った。
笑い声と歓声が梁を震わせるほど響き渡り、宴は彼の帰還を祝う場と化していた。
その中心に座るグラフは、差し出された杯に軽く口をつけてはいたが、笑顔はどこか曇っていた。
心はここにあらず。
神殿の書庫に眠る古の記録を一刻も早く確かめたい。
さらに、あの一団の影が脳裏から離れず、歓声の中でも背筋の緊張を解くことはできなかった。
一方で、食堂の端では別の意味で賑わいが広がっていた。
グランは大皿の肉を豪快に掴み、噛み砕いては骨を鳴らす。
その迫力に村人が歓声を上げると、次の大皿を豪腕で引き寄せる。
皿の山は瞬く間に消えていった。
隣のミラもまた、子どものような笑みで串を次々と口に運んでいた。
盛られた料理は、彼女の前に置かれた途端、魔法のように姿を消す。
その光景に、子どもたちは数を数え、大人たちは笑いながら皿を差し出す。
「……底なしだな、あの二人」
セトが肩をすくめて呟く。
「見てるだけで胃がもたれるわよ……」
サリオンがため息を漏らすと、二人は苦笑を交わした。
賑やかな輪の片隅で、アマンダはひとり席に沈んでいた。
杯を手にしても口をつけず、炎の明かりから一歩退いた暗がりに身を置いている。
胸の奥では、あの囁きがまだ消えずにまとわりついていた。
しかも今は、以前とは違う調子で語りかけてくる気がする。
それが何を意味するのか、彼女には分からなかった。
笑い声に照らされた横顔に、笑みはなく、孤独と不安の影だけが落ちていた。
やがて夜も更け、宿屋の主人が声をかけた。
「さぁ、部屋を用意してある。今夜はゆっくり休むといい」
食堂の熱気を背に、一行は立ち上がり、主人に導かれて階上の部屋へと向かう。
背後にはまだ歌声と笑いが響いていたが、扉を閉じた瞬間、喧騒は遠ざかり、静けさが彼らを包み込んだ。
女性陣の部屋。
アマンダはベッドの端に腰掛けたまま、膝の上で両手を強く握りしめていた。
視線は落ちたまま、何かを振り払うように小さく肩が震える。
その様子に、ミラが心配そうに覗き込む。
「アマンダ、さっきから元気ないね」
アマンダはすぐには答えられなかった。
沈黙の中で唇がわずかに動き、押し殺した声が零れる。
「……囁きが……」
そのか細い言葉に、ミラは首をかしげて耳を傾ける。
「ん? いま、なんて?」
アマンダははっと顔を上げ、慌てて笑みを作った。
「いや……その……“おかえり”って言葉が、羨ましかったんだよ」
苦しいごまかしだったが、ミラはそのまま受け止め、優しく微笑む。
「そっか……でも、あたしはアマンダがここにいるのが嬉しいよ」
アマンダも救われたように微笑みを返す。
けれど胸の奥では、あの夜に耳へ忍び込んだ声の残響がまだ消えていなかった。
その沈黙を破るように、アマンダがふと口を開く。
「……そういや、ミラ。あんた、馬とか……妙にうまく扱うよな」
「え?」
「森でだってそうだったろ。暴れてた馬も、あんたが撫でるとすぐに落ち着いた。……普通じゃないよ」
ミラは少し考え込み、困ったように笑った。
「小さいころから、なんか……動物とは通じ合えるみたいで。言葉じゃないけど、気持ちが伝わる感じがするんだ」
アマンダは目を細めて頷く。羨望の色が隠せない。
「……そういうの、あたしにはない力だね」
ミラは視線を落とし、布団の端を指でいじりながら小さく付け足す。
「でも……ときどき思うんだ。通じ合ってるんじゃなくて、あたしの方が守られてるんじゃないかって」
アマンダは返す言葉を見つけられなかった。
羨望と安心と、そして自分にない強さへの痛みが入り混じり、胸の奥が静かに疼いた。
男性陣の部屋。
薄暗い部屋の灯りの下、四人はそれぞれの場所に身を落ち着けていた。
しばらく沈黙が続いたのち、グラフが真っ直ぐ前を見据えたまま口を開いた。
「……明日の朝一番で神殿へ行こう」
緊張を帯びた声音に、サリオンが軽く肩を竦める。
「分かってるわよ。でも今は休むのが先。気を張り詰めすぎても体がもたないわ」
セトは椅子に深く腰を預け、重く息を吐いた。
「……そうだな。今日はもう動けないよ、クタクタだ…」
それだけを言うと、手にした杯を机に置き、以降は会話から退いた。
沈黙を割るように、グラフが低い声を続けた。
「……あの一団のことだが…目的が掴めんな……」
グラフは杯の中の酒を少し口に流し込む。
「まぁ、ペンダント狙ってるのはわかってるのよね…後はアマンダちゃんも狙ってるのか、よね……」
サリオンは杯を傾けてるグラフを見ると、視線を窓に移した。
「俺達も狙われてるかもしれんぞ?」
グラフは杯の残ってる酒を揺らしながら可能性を示す…
「でも襲ってくる気配はないのよね…まぁ理由はどうあれ、警戒は続けないと駄目って事には変わりなないわ」
サリオンはこれまでの一団の動きを思い出しながら見つめる夜空と重ねていた。
二人は声を潜め、短く言葉を交わす。警戒を解くわけにはいかない、と。
その間、布団に横たわったグランは寝返りを打ち、背を向ける。
掛け布を頭まで引き寄せる仕草に、苛立ちと不機嫌さが滲んでいた。
やがて会話は途切れ、静かな夜気が部屋を満たした。
宿の外では風が鳴り、村の灯火が一つ、また一つと消えていった。
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