張り詰める森の中で

森は沈黙していた。


木々の枝葉が重く垂れ下がり、鳥も虫も声を潜めている。


その静けさが逆に不気味に感じられる。


まるで世界が息をひそめて、何かを待っているような、そんな空気が広がっていた。


一行は足を止め、誰もが息を詰めて周囲を探った。


目の前にはまだ、さきほど見えた“男”の姿が、残像のように焼き付いていたからだ。


グランは低く舌打ちをし、大剣を抜いた。


その刃の輝きが一瞬、暗い森の中で光を放つ。


「今なら追いつける……!」


だがその意気込みも、すぐにかき消される。


前に出ようとする肩を、サリオンが横から押さえた


。目を見開き、冷徹な眼差しでグランを見つめる。


「ちょっと待ちなさい。飛び出す前に、守るものがあるでしょ」


その声には、普段の軽い調子とは違う鋭さがあった。


サリオンの目に光るのは、戦闘への冷静な意志とともに、仲間への強い責任感だった。


グラフが静かに口を挟む。


「彼女を逃がす態勢を整えるのが先だ。……奴ら、何が目的だ?」


その声の低さに、グランは唇を噛み、剣を下ろすしかなかった。


心の中で再び湧き上がる怒りを抑え、彼は周囲を警戒しながら立ち尽くす。



その間にアマンダは、グラフに促されて馬に乗せられていた。


しかし、馬は耳を伏せ、鼻息を荒くして落ち着かない。足を踏み鳴らし、今にも駆け出しそうに暴れる。


アマンダの緊張がそのまま馬に伝わったかのようだった。


「……大丈夫だよ」


ミラがそっと馬の首筋に手を当てた。


その優しい手のひらが、馬の温かい皮膚をなでると、少しずつ馬は荒い呼吸を鎮めていく。


その優しさに、アマンダだけでなく、仲間たちも驚きの表情を浮かべていた。


普段は笑顔を見せることが多いミラが、こんなにも冷静に、そして真剣に対応する姿は、誰もが予想しなかったことだ。



わずかな和らぎが生まれたその瞬間も、すぐに消え去る。


サリオンがじっと耳を澄ませ、目を細める。


「……違和感が……消えた?」


その言葉に、再び周囲の空気が張り詰める。


気配が消えたことに、ほっとするよりも不安が募る。


見失ったのか、それとも狙いを変えたのか。誰も答えを持たない。



その沈黙を破ったのは、グラフの低い声だった。


「ならば今のうちに距離を稼ぐべきだ。このまま強行軍で進もう」


一呼吸おいて、仲間の目を見渡す。


その表情に迷いはなかった。


先に決めた集合地点、その重みが胸に響く。


誰もがそれぞれの役割を果たす覚悟を決めていた。



一行は森を急ぎ抜ける。


かつて街道だった痕跡──草に覆われかけた道に、馬車の轍が微かに残っている。


だが人の往来はほとんどなく、静寂が辺りを支配していた。


足元から響く足音が、さらに大きな静けさに包まれていく。


グランは悔しげに剣を握り直し、セトは弓を番えたまま歩き出す。


ミラは馬の傍を離れず、落ち着きを取り戻した馬を見守りながら、


まるでそれが何よりも大事なことのように感じている。


サリオンは最後まで森の奥を振り返りながら、静かに吐息を漏らした。


周囲の異常に敏感に反応しながらも、何も見つけられないことに苛立ちを感じていた。



アマンダは馬上で唇を噛んでいた。

胸の奥にはまだ、あの囁きが残っている──


契約が……成されぬ……。


声の主も意味もわからない。


しかし確かに、耳の奥で響き続けていた。



──今いけるところまで歩を止めぬと決めたその顔には、決意と不安が入り混じっていた。


張り詰めた緊張を抱えたまま、彼らはさらに奥深くへと進んでいった。

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