第六章:勇者カイトの違和感

俺は勇者カイト。この世界を救うべく、八人の美しい乙女たちを率いる、選ばれし存在だ。俺のパーティは、俺を中心に、完璧な調和を保っている。…はずだった。

ヒナゲシの村。最初はただの、辺鄙な田舎村だと思っていた。だが、いつからか、この村は俺たちの活動拠点となっていた。そして、この村に滞在する時間が増えるにつれて、俺は、パーティの女たちに、奇妙な「変化」が起きていることに、気づき始めていた。

最初は、竜騎士のメリルだ。以前のあいつは、いつも俺の後ろに隠れて、オドオドしているだけだった。俺が「竜の世話、しっかりやれよ」と声をかければ、涙目で「は、はいぃ!」と頷くのが常だった。だが、最近のあいつは、どうだ。俺が同じように声をかけても、ただ、「はい、心得ています」と、静かに微笑むだけ。その目に、以前のような、怯えと、俺への絶対的な依存の色が、薄れている。 …ふん、ようやく俺の指導の意度を理解し、それに相応しい振る舞いを身につけたか。手のかかる女だったが、これでこそ俺のパーティの一員だ。俺の教育の賜物だな。

次は、格闘家のフラム。俺の「最高の相棒」。いつもなら、俺が「おう、フラム!」と肩を組めば、「おう、カイト!」と、屈託なく笑い返してきた。だが、この間、同じように肩を組もうとしたら、ビクッと体を硬直させて、俺からサッと距離を取った。顔を真っ赤にして、明後日の方向を向いている。 …フン、なるほどな。ついに、あのフラムでさえも、俺のことを「男」として意識し始めたか。まあ、当然の帰結だな。この俺を、いつまでもただの『相棒』で見ていられる女など、いるはずがないのだから。やれやれ、少し面倒になるな。

剣士のジークリンデも、少し、おかしい。以前の彼女は、俺の作戦を、完璧に遂行することだけに集中していた。俺の「剣」であることに、誇りを持っていたはずだ。だが、最近は、ふとした瞬間に、自分の剣に映る顔を、じっと見つめていることがある。その横顔は、俺の知る、鋼の女騎士のものではなかった。 …まあ、いい。戦いに明け暮れる日々に、少し、感傷的になっているだけだろう。俺という、偉大な男の隣にいれば、女なら、誰だって、そうなる。問題ない。

だが、一番、気に食わないのは、魔女のイザベラだ。あいつは、あろうことか、あの、そばかすだらけの、ただの村娘…リリアとか言ったか、あいつに、夢中なのだ。「私の小鳥ちゃん」などと、気色の悪い呼び名で呼び、片時もそばから離そうとしない。先日など、俺がイザベラに声をかけたというだけで、あの村娘を、背中に隠し、威嚇するような視線を向けてきやがった。

「…おい、イザベラ。お前、最近、あの村娘に、少し、入れ込みすぎじゃないか?」

俺がそう言うと、イザベラは、心底、不思議そうな顔で、こう言い返した。

「あら、カイト。何を言っているの? この子は、私の、宝物なのよ。あなたには、関係ないわ」

関係ない、だと? この俺に? 俺のパーティの魔女が、俺以外の人間を、優先するなど、あり得ない。 …いや、落ち着け。イザベラは、気まぐれな魔女だ。今は、たまたま、あの、珍しい生き物(村娘)が、面白いだけなんだろう。そのうち、飽きるに決まっている。そうだ、必ず飽きる。そして、俺の元に「帰って」くるのだ。なぜなら、俺こそが勇者であり、この世界の中心なのだから。あいつの居場所は、俺の隣以外にあり得ない。

そうだ。全て、問題ない。メリルが成長したのも、フラムが女になったのも、ジークリンデが物思いに耽るのも、イザベラが道楽に耽っているのも。全ては、俺という、器の大きな男が、彼女たちに、良い影響を与えている証拠なのだ。

俺は、宿屋の酒場で、一人、酒を煽った。そうだ、何も、おかしいことなどない。俺のハーレムは、盤石だ。

…なのに、なぜだ。胸の奥に、じわりと広がる、この、焦燥感は。仲間たちに囲まれているはずなのに、感じる、この、言いようのない、疎外感は。

「…気のせいだ」

俺は、もう一杯、酒を飲み干した。グラスに映る自分の顔は、やつれてなんかいない。間違いなく、この世界の主人公、勇者の顔をしていた。

「そうだ、気のせいだ。こんなものは、ただの気の迷いだ。俺は勇者で、この物語の主人公で、あいつらは、俺の物語のヒロインだ。その前提が、覆るはずがない…!」


第七章:聖騎士団長ヴィクトリア

【第一節:揺らぐ「正義」】


私の名はヴィクトリア。元王都聖騎士団長。私が信じるものは、絶対的な正義と、それを成すための、揺るぎない規律。それだけだ。

勇者カイト。彼の力は本物だ。彼の行動が、結果として、多くの民を救ってきたことも事実。故に、私は、彼の掲げる「正義」を見極めるため、騎士団を抜け、彼のパーティに加わった。だが、旅を続けるうちに、私の信念は、日に日に、大きく揺らいでいた。

彼の行動は、あまりに、自己中心的で、傲慢だ。仲間である乙女たちへの配慮に欠け、その場限りの、力任せな解決を「正義」と嘯いている。これは、私の信じる「正義」とは、似て非なるものだ。

このヒナゲシの村での滞在中も、私の疑念は、深まるばかりだった。メリル殿、フラム殿、そして、あのジークリンデ殿までもが、リリアという村娘に、心を許している。この馴れ合いは、規律を蝕む癌だ。いずれパーティの結束を乱し、危機を招く。そう、断定する。私の判断は、感傷に左右されない。故に、絶対だ。

その日、村の広場で、小さな騒動が起きた。一人の少年が、パン屋から、パンを一つ、盗んだのだ。


【第二節:規則と、涙】


私は、即座に、その場に介入した。少年を取り押さえ、パン屋の主人に、謝罪をさせる。少年は、空腹のあまり、つい、出来心でやってしまったと、涙ながらに訴えた。

「法は、法だ。たとえ、どんな理由があろうとも、罪は、罰せられなくてはならない」

私は、騎士団の規則に則り、少年を、村の衛兵に引き渡そうとした。それが、この村の秩序を守るための、私の「正義」だったからだ。パン屋の主人も、村人たちも、私の、厳格で、公平な裁きを、固唾を飲んで見守っている。

少年は、わんわんと、声を上げて泣いていた。その涙は、正しい裁きを前にした、当然の反応だ。なのに、なぜか、私の心の、鎧の隙間を、チリチリと、焦がした。

その時だった。

「待ってください、ヴィクトリアさん!」

人垣をかき分けて、現れたのは、リリアだった。彼女は、私の前に立つと、泣きじゃくる少年と同じ目線まで、その身を屈めた。

「坊や、お腹が、空いてたんだね。辛かったね」

リリアは、少年を、咎めなかった。ただ、その、空腹と、孤独に、寄り添った。そして、自分の懐から、小さな、木の実の菓子を取り出すと、少年の手に、そっと、握らせたのだ。

「これで、お腹の足しにして。でもね、お店のものを、黙って持っていくのは、いけないことだよ。パン屋さんも、一生懸命、作っているんだから。今度は、正直に、『お腹が空きました』って、言ってみようね。きっと、優しいパン屋さんだから、助けてくれるはずだよ」

そして、リリアは、パン屋の主人に向き直り、深々と、頭を下げた。

「ごめんなさい! この子がしたことは、私が、代わりに、働いて、お返ししますから。どうか、許してあげて、もらえませんか?」


【第三節:どちらが「正義」か】


私の「正義」が、少年を、涙させ、追い詰めていた。リリアの「優しさ」が、少年の心を、解きほぐし、パン屋の主人の表情から、険しさを、消し去っていった。

村人たちの視線が、私から、リリアへと、移っていくのが、分かった。彼らが、本当に、求めていたものが、どちらだったのか。答えは、明白だった。

私の信じてきた「正義」とは、一体、何だったのだ? 罪を裁き、規律を守ること。それは、本当に、人々を、幸せにするのだろうか。目の前で、リリアが成したことこそ、真に、この村の秩序を、人の心を、救う、「正義」の姿ではないのか。

私の掲げる、冷たく、硬直した、規則だけの「正義」。リリアが体現する、温かく、しなやかで、人の心に寄り添う「正義」。

どちらが、正しいかなど、考えるまでもない。間違っていたのは、私の方だ。

雷鳴のような轟音と共に、私の世界が、崩れ落ちていく。私が、人生の全てを懸けて、築き上げてきた、信念という名の、壮麗な伽藍が、目の前で、砂の城のように、跡形もなく。


【第四節:あなたこそが、我が「正義」】


その夜、私は、一人、リリアの家を、訪ねた。リリアは、驚きながらも、私を、粗末な木の椅子に、招き入れてくれた。

私は、彼女の前に、騎士の礼を取り、深く、頭を垂れた。

「リリア殿。私は、間違っていた」

私の、突然の行動に、リリアは、おろおろとするばかりだった。

「私は、正義とは、法であり、規律だと信じてきた。だが、違った。真の正義とは、あなたの、その、慈愛に満ちた、心の在り方そのものだったのだ」

私は、立ち上がり、リリアの前に、片膝をついた。そして、腰に佩いていた剣を抜き、柄を、彼女に、差し出した。騎士が、生涯の忠誠を、主に誓う、最上級の儀礼だ。

「え、え…? ヴィクトリアさん、何を…」

「私の剣も、私の命も、もはや、私自身のものではない。それは、あなた様が、示す、光のために、あるべきだ」

私は、リリアの、戸惑う瞳を、真っ直ぐに、見つめ返した。

「どうか、お聞き届けいただきたい。このヴィクトリア・フォン・シュヴァルツェンベルク、今日、この時より、リリア様を、我が、唯一の『正義』と定め、この身、この魂、この剣の全てを懸けて、お仕えすることを、天に、地に、そして、我が騎士の誇りに懸けて、ここに、誓います」

「リリア様」

私の口から、自然と、紡がれた、その響き。ああ、これだ。これこそが、私の、探し求めていた、揺るぎない、答えなのだ。

カイト殿の、空虚な「正義」ではない。この、温かく、か弱く、そして、誰よりも気高い、少女の存在こそが、私が、命を懸けて、守り抜くべき、唯一無二の、光。

私の、新しい「正義」が、生まれた、瞬間だった…

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