第5話 死にかけのご令嬢
村の外れに、大きな邸宅があった。
カナと名乗ったメイドは私をその屋敷の中へと案内した。
するともう一人のメイドが出てきて、カナを止めた。カナと違って、目立つ赤のスカーフを腕に巻いている。カナの上司かしら。
「ちょっと、カナ! また一人で出ていったのね。それに、その方はどちら様かしら?」
「チーフ、このお方は聖女様です」
「聖女様? そうは見えないけど……」
「失礼しちゃうわ」
確かに少し、衣服は乱れているかもしれないけど。
「怪しいところですが、もはや猶予はありません。選り好みしている場合ではないかと」
「勝手な事ばかりして! 脅して連れてきたんでしょう? あれが最後の忠告って言ったでしょ? 約束通り、あなたはクビよ」
「私のことなど、どうでもいいのです。別に構いません。これが終わったら、ここを出ていきます」
「アンタねぇ!」
チーフは手を上げて、今にもカナを引っぱたこうとしていた。私は思わず、その手を掴んで止めちゃった。
「落ち着いて頂戴。私は好きでついて来たのよ。この可愛いメイドさんが、素敵な夜を過ごしたいって、誘ってくれたのよ」
「え……?」
こらこら。カナさん、あなたはそうでしたよねって顔してないと駄目じゃない。そんなとんでもなく驚いたみたいな顔されたら、チーフに庇ったのがバレちゃうわ。
「まさか。カナがそんな気の利いたこと……でも、いいわ。どちらにしろ、ここまで来てもらってしまったんだし……聖女様、でいいのよね。うちの無礼者が大変失礼いたしましたわ」
チーフメイドはプロらしく切り替えて、丁寧な口調へと変わった。
「少し、見ていただきたいんですの」
広大な屋敷の中を案内されて、一つの部屋の前に立った。チーフメイドが確認を取ると、三人でその部屋に入った。
その部屋は寝室で、入った瞬間、かなりの瘴気が漂っているとわかった。
ベッドに寝ている小さな女の子は、荒い息をしている。
シーツを被っていない、腕や首、顔には、黒い侵食の跡が広がっていた。
ほとんど死にかけだった。
「……ひどいものね」
「アリアお嬢様は、先週までは普通だったのです。首筋に見えた斑点から、少しずつ広がり始めたと思ったら……全身が侵されるまでそう時間はかかりませんでしたわ」
「この国の聖女は、一体何をしているのかしら?」
「ご存じでしょう? 宮廷付きの聖女様が、一介の被害者風情の相手など、するはずがありませんわ。そう位が高い貴族でもありませんもの……」
「この子の……アリアちゃんの、お母さんやお父さんは?」
チーフが答えてくれなかった代わりに、カナが答えてくれた。
「愚かで非情なご両親どもは、のうのうと王都にいらっしゃいますわ」
「カナ……! 黙りなさい!」
「チーフだってお気づきの筈です。あの者どもは、自分に瘴気が移るくらいなら、娘を見殺しにするのです」
「もう……やめて。アリア様に聞こえたらどうするの……」
チーフは消え入るような声でそう言った。
「……くだらないわね」
「は?」
固まったような無表情が動かなかったカナが、初めて眉をひそめた。いつも人形みたいに無表情だけど……なんだ、ちゃんとそんな顔もできるのね。
「カナちゃん、ちょっとナイフ貸してくれる?」
「貸せるわけがないでしょう。お嬢様に危害が」
「早くして」
半ば奪い取るようにカナのナイフを受け取ると、私は左の掌をスパッと切って、血を流した。
カナの顔が驚愕の色に変わる。
「なっ……! 一体何を!?」
「よく頑張ったわね」
私は指先から垂れてくる血を、少女の小さな乾いた唇に差し込んで、口の中に少しずつ流し込んだ。
「ふふ、赤ちゃんみたいね。いいわ、いっぱい飲みなさい」
アリアは目を閉じたまま、ちゅうちゅうと指から滴る血を吸っていった。
優しく頭を撫でていると、次第にアリアの身体の端、手足の先の方から、金色の光が舞い、瘴気を祓い始めた。
「なんてこと!」
「これは、奇跡……?」
やがて首筋や顔の青黒い痣も消えて、アリアは元の肌の色を取り戻した。
見とれたようにそれを見ているカナに、私は話しかけた。
「カナちゃん。さっき、『自分のことはどうでもいい』って、そう言ったわね」
「え、ええ。私は……ただ、許せなかったのです。無垢なアリアお嬢様が、こんなところで寂しく終わっていくのは」
「お嬢様には自分なんかより価値がある……って?」
「当然です。私など」
「そういうの、良くないわよ。自暴自棄になっちゃダメ。あなたは……ただ、優しいからこの子を救いたかった。それだけよ」
「優しさなど。こんな人形のような私にあるとでもお思いで?」
カナは再び、いつものじっとりとした目つきで、私にそう言った。それがなんだかいつもより無理しているみたいで、私にはちょっと笑えてしまった。
「ふふっ、カナちゃんも……よく頑張ったわね」
「ふぇっ……?」
カナが今までで一番、気の抜けた声を出した時、ちょうど同時に、アリアは静かに目を開けた。
「あれ……?」
「おはよう、アリアちゃん。調子はどう?」
「私……お姉さん、私……何とも無いわ。すっかり治ったんだけど……それどころか体がすっごい元気で……」
「よかったわ。アリアちゃん。よく頑張ったわね……って、そろそろ手を離してほしいのだけど?」
アリアはその小さな体のどこにそんな力があるのよってくらい、強く握って放してくれない。
「いや。離したくない。お姉さん、アリアと一緒にいて?」
「あらあら、甘えん坊さんね。でも、身体は少し弱っているはずよ。起きたばっかりだけど、外は夜だし。もう一度寝た方がいいわ。ほら、手を握っててあげるから」
「うん……一緒にいてね。お姉さんは、私の、メイドになって。それから……ふぁぁ……」
やっぱり体力が低下していたのか、アリアはすぐに静かな寝息を立て始めた。
しばらく手を離せないでいると、もう一方の血が出ている手に、カナがそっと触れた。手当してくれるのかしら?
「……私、あなたがこんな怪我をしなくてはならないなんて、知らなかったのです。痛かったでしょう?」
「大したことないわ」
すると突然、カナは掌から滴る血を、舌を出して傷口をなぞるようにつーっと舐めた。まるでそれが慈しむための手段と思ったみたいに。
何やってるの、この子は。少し焦ったけど、ここは聖女らしく、凛としていなくては。
「ふふ、なぁに? アリアちゃんが羨ましくなっちゃったの?」
「あぁっ、この血は……はぁっ……っ!」
カナはそう言うと、しばらく私の手を持ったまま、荒い呼吸で天を仰いで固まっていた。
少し震えていて、恍惚とした表情にも見えるけど……大丈夫?
でも少し経つと、カナは何事も無かったかのようにハンカチを出して、素早く私の手に巻いて、止血してくれた。急に固まった時は驚いたけど、とりあえず何ともないみたい。
アリアが寝付いたのを確認すると、私たちは部屋を静かに後にした。
扉が閉じた瞬間、チーフメイドはその場に崩れ落ちた。
「あ、ちょっと。大丈夫?」
「うぅっ……! ありがとう……ありがとう、ございます……お嬢様、ほんとによかった……! 私もう、もうダメかと。もうダメだと思ってたのに……!」
チーフメイドは安堵からか、子供のように声を詰まらせて、泣いていた。私も少しほっとしながら、チーフに寄り添って、背中をさすってあげた。
きっとこの人達がいれば、アリアはこの先も安心ね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます