第30話
呆然としていた花織だが、再び覚醒するのに時間はかからなかった。
飛び跳ねるように身体を起こし、次に自分がしなければならないことを模索する。
この広場の出入り口は二つ。清心が現れた北口と反対側にあった南口である。
しかし、どちらの出入り口もパニックを起こした観客たちで埋め尽くされ、非常に危険な状態にあった。逃げ惑う人々で小さな出入り口が完全に閉ざされている。
「運営委員会の人間は何をしているの? ちゃんと誘導しなさいよ」
広場内の騒ぎは想像以上に深刻だった。火事にでも見舞われたように黒煙が蔓延し、悲鳴や嬌声があちこちから聞こえてくる。
花織は死人や重傷者が出ていないことを祈りながら、視線を横に向けた。通常の出入り口が利用できない今となっては、広場を囲っている柵を乗り越えて脱出するしかない。
花織は脱兎の如く走り出した。すでに視界には三メートルほどの高さがある柵を捉えている。
目一杯助走をつけた花織の身体は、巨大な柵を目の前にして跳躍した。一気には乗り越えられないので壁の表面を何度か蹴って足掛けにする。柵の一番上にまで到達すると両足を揃えて柵を乗り越え、そのままふわりと地面に着地した。
「脱出成功」
呟くなり花織は首を動かして周囲の状況を把握した。
歩道に降り立った花織だったが、やはり通行人たちも皆足を止めて広場を眺めている。広場内ほどパニックにはなっていなかったが、この様子ならば数分もせずに警察や消防が駆けつけてくるだろう。
花織は再び走り出した。目指すは清心がいた北口方面である。
確実に北口方面はパニックを起こした人間たちで溢れ返っているだろうが、その近くには清心と清心の命を狙った中国人の男がいるはずである。
東口方面の歩道を自慢の俊足を駆使して走っていた花織だったが、角を曲がる寸前に視界の端に異様な光景が飛び込んできた。無意識に花織は身体に急ブレーキをかける。
「……ん?」
花織の視界には、歩道から直線距離にして数十メートルの場所に市役所の駐輪場が見えていた。そしてその駐輪場には、金色の髪をした人間が見慣れた服装をした女性を肩に担ごうとしていた。
「ま、正美?」
遠くからなので顔までは確認できなかったが、服装や体型を見る限り正美としか思えなかった。それに正美は、慎太郎の会話の後に気分が優れないからという理由で広場から抜け出している。
他人の空似。一瞬そう思った花織だったが、すぐに考えを改めた。幼い頃から鍛えられた武術家としての本能が最大限に警告音を発したからだ。
嫌な予感がする。それもすぐに駆けつけなければ一生後悔するほどの嫌な予感が。
その瞬間、目的が変更した。まずは駐輪場にいた人間が正美かどうかを確認したい。それに金色の髪をした人間はどう見ても誘拐行為を取っていた。人間を肩に担いで移動するなんて普通ではない。
すぐ目の前の角を左に曲がれば北口方面の出入り口に到達するが、花織は曲がらずにそのまま真っ直ぐ突き進もうとした。その直後である。
一台の小型トレーラーが花織の後方から猛スピードで現れ、まるで花織の進行を邪魔するように目の前で停車した。花織は不意の出来事に驚き尻餅をつく。あの数メートル進んでいたら轢かれていたかもしれない。
「コラッ! 危ないじゃないッ!」
すぐさま立ち上がった花織は、拳を振り上げて怒声を発した。暴走トレーラーを運転していた運転手に文句を言おうとしたとき、ガチャと荷台の扉が開かれる気配がした。
花織は一歩後方に後退さった。荷台の扉が勢いよく開かれ、中から異形な物体が飛び出してきたからだ。
全身黒ずくめの不細工な宇宙服を着た人間。それが花織の第一印象であった。
異形の物体は大きく両手を広げながら花織に向かってくる。走っているようだが思いのか速度は遅い。しかし不気味度は満点だった。
「この――」
花織は無造作に間合いを詰めてくる異形の物体に対して攻撃を決意した。
相手の距離を考え、前のめりの状態で素早く踏み込んでいく。そして相手が攻撃の間合いに入った刹那、身体を回転させて蹴りを放った。遠心力を最大限に生かして攻撃する後ろ蹴りである。
体重が乗った花織の後ろ蹴りは異形の物体に深々と突き刺さった。カウンター気味に命中したこともあり、異形の物体は空を飛びトレーラーの側面に衝突する。
「何なのこの化け物は?」
手応えは十二分にあった。にもかかわらず、異形の物体は何のダメージも受けてないのか悠々と立ち上がってくる。
花織は右拳を脇に添えると、異形の物体に突進した。
身体が重いのか異形の物体の動きは鈍い。だからこそ花織は完全に立ち上がってくる前に一気に畳み掛けようとした。その直後、
「ちょっと待ったッ!」
異形の物体は頭をすっぽりと取って高らかに叫んだ。花織はギョッとなり、正拳突きの構えのまま立ち止まった。
「ゆ、勇二?」
「そうだ。俺だよ、大道寺勇二だよ」
頭に被っていたヘルメットを脱いだ勇二は、花織に向かって必死に手を振っている。攻撃する手を止めてくれと言っているのだろう。
「アンタ、何なのよその格好は?」
花織は勇二の全身に視線を彷徨わせた。勇二自身は細身の身体なのだが、今着ている宇宙服のようなものは分厚いので一回り身体が膨らんでいる。それにヘルメットを取った勇二の顔には玉のような汗が浮かんでおり、通気性は最悪だと物語っていた。
勇二は立ち上がり、ピンと立てた親指を自分自身に向けた。
「よくぞ聞いてくれた。これこそ大道寺コーポレーション技術開発局に作らせたフルボディアーマー〈花織の攻撃を完全に防御しよう。Ⅰ号〉だ。フルフェイスのヘルメットは強化プラスチックと強化アクリルをレジン加工して、身体を覆っているアーマーは軍用のベストをセラミック・プレートやスペクトラ繊維で改良した。これは大口径の弾丸すら表面でストップさせる画期的な――」
得意げに喋り続ける勇二に苛立った花織は、剥き出しだった顔面に掌底を放った。鼻先に掌底を食らった勇二はよろめきながら後方に派手に倒れる。
「ベラベラと五月蝿い! こっちはそれどころじゃないのよ!」
「ど、どういうこと?」
のそっと顔だけを向けた勇二を無視して、花織はトレーラーを迂回して道路に出た。そこから駐輪場を見渡したが誰もいなかった。
「――もうッ!」
その場で地団駄を踏んだ花織は急いで駐輪場に向かった。自転車よりもバイクが多数置かれている駐輪場は、広場とは違って不気味なほど静寂に包まれていた。遠くのほうからは逃げ惑う人々の声が聞こえてくるが、ここからでは対岸の火事のように思える。
駐輪場の中を花織は慎重な足取りで調べていく。そこに一足遅く勇二が到着した。
「花織、いったいどうしたんだい?」
ドスドスと重苦しい足音で近づいてきた勇二に花織は肩をすくめた。
「別に……ちょっと気になることがあっただけよ」
と花織は勇二から顔を逸らした。その逸らした先を見て、花織は黒縁眼鏡を人差し指でくいっと整えた。
「勇二、この先に何があるかアンタ知ってる?」
「この先かい? 確か廃棄された廃材置き場があるはずだけど……」
「そう、じゃあそこだわ」
花織の目線の先には駐輪場の横手から続いていた細長い裏道があった。そしてその裏道はアスファルトではなく土を固めただけの道だったため、くっきりと足跡が残っていた。
残っていたのは一人分の足跡だったが、それにしては異様に土にめり込んでいる。これは二人分の体重が圧し掛かっていたことを意味するのでは。
「勇二……アンタはそのまま帰りなさい。もしかするとヤバイかもしれないから」
真剣な表情で忠告した花織だったが、忠告を受けた勇二は再びヘルメットを被った。中からくぐもった声で「面白そうだからついていく」と聞こえてきた。
「どうなっても知らないわよ」
勇二の頭を叩いた花織は、足跡が続いている裏道の奥に向かって進んでいった。
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