エリカ街道にて ─ In der Lüneburger Heide ─

猫アレルギー(無謀の塵)

第1部その異常な出生と数奇なる運命

序章

 いくら戦勝国とはいえまだ戦禍の爪痕つめあとが生々しく残る、国内外ともに世情不安定な頃。E国はR市の一角で一人の嬰児が母親と思しき女性の腐乱死体と共に廃屋の中から発見された。近隣住民からの通報で何処からか異臭が漂ってくるというので警官が辺りを捜索したところ、異臭の元は粗末な小屋からのようだと突き止めた。またぞろ行き倒れの餓死者か傷病者だろうと警察官が小屋の戸を開けた途端、黒い雲がワッと飛び出し警察官を取り巻いたかと思うと、凄まじい羽音とともに黒雲は去って行った。あわを食った警官が小屋の中を恐る々々覗いてみると死後数日はたっているとみられる髪の長い女性の死体らしきものが見えた。職務とはいえ悪臭芬々ふんぷんたる小屋に入るのは御免被りたかったが、検分しないわけには行かない。中に入って室内を見回すと壁に寄りかかった腐乱死体は白骨が剥き出しになり、空洞になった腹からは大量の蛆が涌き出していた。黒雲の正体は大量のハエであったようだ。

 小屋の床には死体から零れ出た虫が這いまわり、融解した死体の汁が黒ずんだ染みとなっている。その床の上に一匹の雌犬が横たわり、子犬に乳を与えていた。腐臭にひかれて小屋に入り込み、死体を食い荒らしたのはどうやらこの雌犬であることは容易に察しがついたが、何より彼を戦慄せしめたのは、その雌犬に取りすがって乳を飲んでいる子犬の中に、人間の嬰児が混ざって一緒になって乳を吸っていた光景である。警官は死体の空洞になった腹に目を向け全てを理解した……。



 「その犬の乳で生きながらえたというわけか」

 鑑識課と検死官の現場検証の調書からスコットランドヤードはそう結論付けた。腐乱死体となっていた女性はE国人で、粗末な小屋で客を取っていた街娼であることが解った。遺体には絞殺された形跡があり、恐らくは客との金銭トラブルだろうとされた。そうした事件は珍しくないからだ。だが産み落とした子供が獣の乳で生きていたなどという話は……。

 「未開国などでは偶にそういう事例もあったらしいが何とも奇態な話だ」

 警部はそう言い、調書を机に置いた。控えていた警官の一人は汚らわしいと吐き捨て、もう一人は神のご加護をと十字を切った。

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