第12話 魔女、出現!?
畦道を抜けて旅館へ戻ると、由衣の姿が見えた。ずっと窓際に座り、祭りの様子を眺めていたらしい。
「楽しそうでしたね」由衣が微笑む。僕は何だか照れ臭くなった。
「つい夢中になっちゃったよ」
「汗びっしょり。すぐにお風呂に入ったほうがいいですよ」
「うん。そうするよ」
「お風呂から出たら、わたしの部屋に来てもらってもいいですか」
「え?」予期せぬ誘いに、僕は驚いた。
「鳴瀬さんて、普段は小説を書いているそうですね? さっき、姉から聞きました。よかったら、わたしの作品を読んで批評してくれませんか」
「僕でよければ、よろこんで。魔女の国の話?」
「はい。じゃあ、お待ちしてますね」
「うん」
僕は由衣と別れると、浮足立って旅館の玄関へ向かい、自分の部屋から着替えを持ち出して大浴場へ向かった。
江神旅館の大浴場は、純和風造りの檜風呂だった。普段は古びた銭湯通いをしている僕にとっては夢のような空間だ。しかも、他に宿泊客の姿はなく、一人貸しきり状態。いい湯だな~♪ 何て、ご機嫌になり鼻歌も自然に出てしまう。
風呂の縁に頭を載せて、誰に遠慮することなく足を伸ばして湯船にプカプカと横たわって浮いていると、ふと伊勢谷くんのことが気になった。あの男、一旦実験を始めてしまうと、昼夜関係なく研究に没頭してしまう。誰かが忠告しなければ、食事はおろか、水さえも口にすることを忘れてしまうらしい。
伊勢谷くんはスマートフォンを持ってないから、後で研究室に電話してみようかな、と思いつつ、僕は由衣との約束を思い出して、急いで湯船から上がった。
「あの、茜、見かけませんでしたか?」
大浴場からの出会いがしら、明恵が訊いてきた。不安げな表情を浮かべている。
「いえ。まだ帰って来てないんですか?」
「はい。山口様の姿も」
明恵は窓のほうへ顔を向ける。田舎の夜は暗い。いつのまにか、暗雲が月を完全に覆ってしまっている。まさかロリコン山口が、茜ちゃんによからぬことをしているのではないか……ありえない話ではない。
「遺跡発掘現場まで、どのぐらいですか?」
「ここから、車で三十分ぐらいです。ちょっと、見に行ってきます」
「一人で? 危ないですよ」
山のほうは明かりもなく、真っ暗だ。
「でも」
「お父さんは?」
「まだ病院です。もう少しで帰ってくると思います」
「そうなんだ。車は?」
「あります」
「じゃあ、僕が運転しようか?」
「でも、お客さんにそんなこと」
ちょうどその時、江神家との渡り廊下から永井(ながい)が姿を現した。
「永井さん、すいません」
明恵は永井のほうへ駆け寄って行き、事情を話すと、すぐに僕のほうへ戻って来て、
「永井さんと探しに行ってきます。お騒がせして、すいませんでした」
頭を下げ、永井と一緒に玄関のほうへ歩き去った。僕は茜のことを心配しつつも、急いで由衣の部屋へ向かった。
「こんばんは」ドアをノックして声をかけた。
「どうぞ」部屋の中から由衣の声が返ってくる。僕は浮ついた心でドアを開けた。
由衣は窓際に車椅子を寄せ、そこから窓の外を眺めていたらしく、僕のほうへ半身だけ向けて微笑した。一瞬、言葉を失ってしまうほど魅力的なその微笑には、昼間に見た時のそれよりいくらか魔性的に見えた。
「魔女は見つかった?」僕はドアを閉め、冗談めかして言った。
窓の外には、井戸縁の上に置かれたロウソクの残り火だけが照っている。その他は、まったくの闇だった。祭りに参加していた村人たちは完全に撤退して、提灯の灯はすべて消されていた。
「見つかりません」由衣は残念そうに頭を振り、「書き上げたばかりの小説です」かわいらしい字が書き込まれた原稿用紙百枚ほどを手渡してきた。
「魔女の国物語」僕は題名を読み上げ、由衣の顔を見つめた。
「主人公の女の子が、魔女の国で、死んだお母さんに再会する話です」由衣は真剣な表情で語る。
母親に生き返って欲しい、という由衣自身の願望が紡ぎ出したストーリーなのだろう。今も癒えない由衣の心の傷を思って、僕の胸は少し締めつけられた。
「ゆっくり読ませてもらうよ」
「今、ここで読んでもらえませんか?」立ち去ろうとする僕の手を握り締め、由衣は縋るように言った。
「え?」
「すいません」由衣は取り乱したことを恥じるように顔を背け、僕の手を離すと、「今週中に、コンクールに出そうと思っているので、鳴瀬さんにダメな所を指摘してもらって、すぐに直したいんです。だから、今すぐに読んでもらえないですか」
「ああ、そ、それは別にいいけど、一応、ドアは開けておこうか」
いくら原稿用紙百枚程度とはいえ、すべて読み切るにはそれなりに時間がかかる。その間、この狭い部屋で二人きりになるのは、道徳上、問題があるんじゃないかと、僕は罪悪感を覚えた。
「鳴瀬さんに好きにしてもらって構いません。わたし、ここで待ってますから」
由衣は有無を言わせぬ口調で言うと、僕に背を向けて、窓の外を眺め始めた。窓ガラスに映るその顔は、何か決意を秘めたような表情に見える。そんなにも気持ちのこもった作品なのだと、僕は気持ちを引き締めて原稿用紙を読み始めた。
由衣の文章力は相当なもので、苦もなくストーリーを追っていけた。主人公の女の子が母親と再会する場面では、由衣自身の感情が吐露されていて、つい涙腺が緩んでしまった。
残り数枚で原稿用紙を読み終える、というところで、外から妙な音が聞こえてきた。原稿用紙から顔を上げると、由衣も異音に気づいたらしく、不安げな顔をして僕のほうを見た。
「何だろう?」僕は耳を澄ませた。
キ……キ……キ……
ん? この音はまさか。嫌な予感が脳裏の中を駆け巡り、全身に鳥肌が立った。
キィ――キィ――キィ――キィ――
間違いない、これは!
「由衣ちゃん、この音!」
突然、廊下から声が聞こえてきたので、僕は椅子から飛び上がらんばかりに驚いて振り返った。
「あ、お客さん」
何でここに? といった表情を浮かべながら、部屋の前に立っていたのは歩美だった。
「由衣ちゃんの作品を読ませてもらっていたんだ」僕は弁解がましく言った。その時また、
キィ――キィ――キィ――キィ――
「これが魔女の笑い声?」窓際へ車椅子で移動し、夜空を見上げる由衣の背中に向かって、僕は訊いた。
「あ!」由衣は僕の質問には答えず、視線を井戸のほうへ下げたかと思うと、突然、大きな声を出した。
「どうした?」
「茜ちゃん!」由衣は井戸のほうを指差しながら、僕のほうを振り返ると、またすぐに井戸のほうへ顔を戻し、
「茜ちゃん、危ない!」窓を開けて叫んだ。
「ど、どうした!?」僕が窓際へ近づこうとしたその時、
ドボン! バッシャン! という、何かが水に落ちたような音が聞こえてきた。
「茜ちゃんが井戸の中に落ちた!」
由衣の悲鳴にも似た声が響く。慌てて駆け寄り、窓の外を覗き込んでも、ロウソクの火が灯る巨大井戸が見えるだけだった。
「本当に落ちた? だ、だって、井戸には金網が」僕は完全に動揺して、うわずった声で訊いた。
「はい」由衣は頷き、「助けに行って下さい。お願いします」祈るように僕を見た。
「わ、わかった」
パニック寸前になりながら、僕はスリッパを履いたまま窓枠を飛び越え、真っ暗な畦道に足を踏み入れた。すると、バシャバシャと、何かが水面を叩くような音が聞こえてきた。
――茜が溺れているのかもしれない!
僕は震える膝に鞭を打つようにして、走る速度を上げた。
巨大井戸の縁に辿り着くと、ロウソク越しに井戸の中を覗き込んだ。火の光に照らされ、白い花々が浮かぶ水面。ちょうどその中央に、人影があるのを僕は見逃さなかった。でも、金網は張られたままだ。どうやって中へ?
「茜ちゃん!」
僕は叫んだ。茜はすでに水面から数メートルほど下に沈んでいて、気を失っているのか目を瞑り、万歳をするように両手を伸ばしている。それから、まるで重りでも身体に巻き付けられているように、あるいは何者かに足を掴まれ引きずり込まれるようにして、助ける暇もないほどあっという間に、井戸の底へと沈んでいってしまい、やがて完全にその姿を消してしまった。
「茜ちゃんは!?」息堰切って歩美が背後から駆けつけてきた、その時だった。
キ……キ……キ……
またあの音だ! 僕と歩美はお互いの顔を見合わせた。歩美の顔は恐怖で引き攣っている。恐らく、僕も同じような顔をしているに違いない。
キィ――キィ――キィ――キィ――
部屋の中にいた時より、はっきりと聞こえる。
まさか、上空に魔女が飛んでいるのでは? と恐怖心に駆られながら、僕は夜空を見上げた。けれど、魔女の姿どころか、月の光が遮られた夜空は真っ暗で何も見えなかった。
やがて奇妙な音は小さくなり、完全に聞こえなくなった。
「鳴瀬さん!」
江神家のほうから由衣の不安そうな声が聞こえてきた。振り返ると、部屋の光を背にした由衣が、窓際からこちらを見ている姿があった。
「何があったんですか? 茜ちゃんは?」
僕は返事をすることができず、しばらく呆然とその場に佇んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます