第13話 真犯人

「どういうことだよ?」

 内線電話に出なかった桃井の部屋まで迎えに行き、一緒に食堂まで行くと、閉ざされたドアの前で三枝と財前、千春さん、紫苑が足止めされていて、俺の姿を見るなり財前が詰め寄ってきた。

「真犯人がわかったって言うから来たのに、内側から鍵が掛けられてて開かない」

「えっ?」

 俺は驚き、そんなはずはないとドアノブを回すが、財前の言う通り施錠されていた。おかしい。胡桃が先に食堂に来て待機しているはずなのに。

「胡桃?」ドアをノックするも応答はない。

「どうした?」

 廊下の角を曲がって、大沼が黒見を伴い姿を現わす。その途端、その場の空気がピリつくのを感じた。黒見は誰にも目を合わさずに俯いている。

「航!」沈黙を裂くように、ドアの向こうから胡桃の声が聞こえてきた。「皆、集まったか?」

「集まった。早く開けてくれ」

 返事の代わりにこちらに向かってくる足音が聞こえ、解錠音。あとはお好きにどうぞとばかりに、ドアが僅かに開けられたが、その隙間から白い煙が濛々と漂い流れてきたため、

「火事!?」

 財前が叫んだが、シナモンとバニラが混ざったような甘い香りで、俺は胡桃が中でパイプを吸っているのだと気づいた。なるほど、この煙の量では姿が見えなくなる。緊張せずに推理を披露できると同時に、それが間違っていれば幻が現われ否定される。自分の推理が絶対に正しいという自信があるからこそ、胡桃は室内に煙を充満させているのだろう。

「心配ありません。シーシャみたいなもので、これがないと胡桃はリラックスして推理を披露できないんです」

 俺はそうフォローしたものの、パイプに詰めた葉が麻薬だったら、のちのち大変なことになるな、という不安を抱いた。

 だが、

「確かにいい香りがする」財前はすぐに納得して、「水煙草みたいだ」躊躇なく食堂内に入った。

 甘い香りに誘われるように、他のメンバーも疑うことなく財前に続いたが、

「本当に大丈夫なのか?」

 大沼だけは、煙の成分か、あるいは胡桃の推理に対してなのか、どちらかわからないが、不安げな表情で俺に囁きかけてきた。

「たぶん」と言いつつ、俺は肩を竦める。「そう信じるしかない」

「そうか、わかった」

 大沼は黒見の逃走をさりげなく遮るように、すぐ背後に立ちながら食堂の中に入る。廊下にはもう誰もいない。俺は一番最後に入室してドアを閉めた。

 目の前の煙はもはや白い壁と化している。誰も椅子に腰掛けず立っているシルエットだけがぼんやり見えた。

「胡桃、全員入った。いいぞ」

 俺の合図で部屋の奥から咳払いが聞こえ、

「ではこれから、一連の事件のトリックを暴き、真犯人を弾劾したいと思う」

 煙で隠れているからか、普段、俺と二人きりでいる時と同じ落ち着いた声で胡桃は話し始める。

「第一の事件。カナリアさん殺しは、オープニング・シーンの撮影が終わって、皆がこの部屋に集まっている最中に行なわれた。その死因は絞殺によるものだった」

「だけど、鍵は部屋の中にあった」財前が口を挟む。「ADのあんちゃんがスペア・キーは管理してたんだろ?」

「はい」と白靄の中から大沼が答える。「保管庫の扉の鍵は僕がずっと持ってました。他に鍵はありません」

「正規の鍵もスペア・キーもすべて、金属のリングに通してあるだろうに」

「はい」

 大沼だけでなく、他の皆も頷いた雰囲気が伝わってくる。鍵の上部の穴にリングが通してあるのは別に変ったことではない。それが密室トリックとどう繋がるのか。部屋の奥の小柄なシルエットに耳を傾けると、

「実際にはリングに鍵の穴を通してなかったら?」

 胡桃はそんなことを口にした。

「えっ?」と疑問の声を発したのは大沼だけじゃない。誰もが首を傾げ、俺もその意味が理解できなかった。

「つまり」胡桃は淡々と続ける。「鍵の上部に小さな磁石をセロハンテープで貼り付けて、磁力でリングにくっ付けていただけだった。それだったら、先端にさらに強力な磁石を付けた木の棒を鉄格子の隙間から差し入れて、鍵だけを取ることは可能だろうに」

 ハッと息を呑む声が部屋中に広がった。確かにその方法なら、大沼が持っていた扉の鍵を使うことなく、スペア・キーを自由に手に入れることができる。そうか、暖炉の壁の丸石を俺が木の棒を使って押した時、胡桃が閃いた様子を見せたのは、この推理が頭に浮かんだからだったんだ。

「これで、カナリアさんの部屋を密室に見せかけるトリックは解明できただろうに」

「それで、肝心の殺害方法は?」紫苑の声。「あの状況では自殺の可能性もあったはずだが」

「いや、あれは犯人が部屋の外から首を絞め殺したんだろうに」

「部屋の外から?」一番早く反応したのは、殺人鬼の容疑がかかっている黒見だった。「魔法でも使ったっていうの? バカバカしい」と、投げやりな態度で吐き捨てるように言う。

「どんな方法を使ったのかはわからないけど、それだったら黒見さんは犯人じゃないんじゃないかな。それに私たち女性陣も。だって、人を絞め殺すのって、物凄い力が必要でしょ?」

 桃井の指摘は俺も考えたことだった。すべての女性が不可能かどうかはわからないが、少なくともカナリアよりも小柄な黒見が、たやすく首を絞め殺せたとは思えない。だが、

「性別は関係ないし、犯人が考えたトリックを使えば、どんなに非力な人間でも首を絞め殺すことができるだろうに」

 問題なし、とばかりに胡桃はそう断言した。

「一体どうやって?」と千春さん。

「航」胡桃はいきなり俺の名前を呼んだ。「この城へ来てすぐ、中庭に続く通路で、番組スタッフが強力な磁石と電動ウィンチを使って、天使のオブジェを吊り上げていたことを覚えているか?」

「ああ……」そういえば、と俺は思い出す。オンオフのスイッチで磁力ありなしを切り替えることができる磁石。それに電動ウィンチのフックを引っ掛けて、十キロ以上はありそうな天使のオブジェを吊り上げていた。確かあの時、胡桃は、

『あの大きさの磁石なら、百キロは耐えられる』

 そんなことを口にしていた。

「あれを使ってカナリアさんの首を? でもどうやって?」

 しかも部屋の外から。犯人はどんなトリックを使ったのか、俺にはさっぱりわからない。

「まず犯人はカナリアさんを気絶させるか眠らせ、ドアの内側に座らせた。私たちが死体を発見した時と同じような感じに」

 胡桃の説明に全員が息を潜め耳を傾ける。

「そして首元にケーブルを当てて、ドアの表面の木の枠の部分にプラグがくるようにセッティングした。その裏側に磁石を持ってきてスイッチをオンにすれば、強力な磁力がドア一枚を間に挟んだ状態でも、プラグを引き付ける」

「まさか、その磁力でもって首を絞めたと?」黒見が笑う。「ケーブルの長さから考えても、少しアソビがあるから無理だと思うけど。そのまま上に引っ張り上げられるなら話は別だけど」

 胡桃はそう指摘されることを予想していたのか、

「そのために電動ウィンチを使ったんだろうに」と即座に答えた。

「でも、電動ウィンチはどこに設置したんだ?」

 という俺の質問に対しても、

「ドアの真上に、ランプを吊り下げるためのフックがあるだろうに」と、胡桃はあっさり答えてしまう。

 そうか、だからカナリアの死体を発見した後、あのランプは他の部屋と違って、正面が逆を向いてしまっていたのか。

「磁石同士を棒で繋ぎ、その棒に電動ウィンチのフックを掛ければ、後は自動で吊り上げ、部屋の中のカナリアさんの首はケーブルで締め上げられる。最終的には両足が宙に浮いて、ちょうど首吊り自殺するのと同じ状況で死に絶えただろうに。後は磁石をオフにすればケーブルとともに死体も落ちて、座った状態になる」

 誰にも気づかれることなく、ドア一枚隔てて設置された、首吊りマシーンと化した磁石と電動ウィンチによって殺されてしまったカナリアのことを思うと、胸が締め付けられた。そして、そんな惨酷なトリックを考えてまで彼女を殺害した犯人と動機は何なのか。気になり訊こうと口を開く前に、

「電動ウィンチにカナリアさんの殺害を任せている間、犯人は南側の見張り台に登り、他のスタッフたちが渡り切るのを確認すると、ある道具を使って橋に火を放った」

 胡桃はさらに話を進めてしまう。

「ある道具って?」という財前の質問に対しては、

「それは後で話す」と素っ気なく答えたが、「犯人はその道具を、紅川さんをイチョウの木の根元まで運ぶトリックにも使った」と、重大な発言を平然と口にした。

「その道具……トリックって何だ?」

 俺が促すと、

「犯人はある部屋の窓の鉄格子に、ロープを二本結び付けて、それぞれの先端をある道具に縛り付けて、北側の見張り台へと飛ばした。恐らく、凍らせるためにロープは水浸しにしていただろうに」

 胡桃はそんなことを口にした。『ある部屋』がどこかわからないが、見張り台まで飛ばすとなると相当な力がいる。俺は大沼が野球のピッチャーをしていたことを思い出した。『ある道具』とは野球ボールのことで、火を点けたボールを橋に投げ、ロープを巻き付けたボールを見張り台に向かって投げる大沼の姿を想像してしまう。

 耳を傾けて聞いていた皆もそれぞれ、頭の中に疑問が湧き出したらしく、その場がざわつき始めるが、

「その準備の途中で、睡眠薬が効かずに起き出した古川さんが窓を開け、犯人の姿を目撃した。焦った犯人は咄嗟に、手に持っていた道具を古川さんに放って殺害した」

 胡桃がそう続けたことで、再び静まり返ってしまう。そして俺は自分の推理が間違っているのではないかと疑った。鉄格子の隙間を野球ボールは通り抜けることができるかもしれないが、古川の首筋にあった切り傷を付けることは可能だろうか? ボールに剃刀の刃でも付けていたなら別だが……。

「犯人は皆に睡眠薬を盛る前、大沼さんの部屋の鍵を手に入れていたと思う。じゃなければ、大沼さんが部屋の鍵を閉めてしまった場合、スペア・キーを取り出せなくなってしまうから」

 胡桃がさりげなく言ったことは、俺が抱いていた大沼犯人説を否定するものだった。じゃあ他に誰が? 俺は白い煙の中にぼんやりと浮かぶ黒い影を見回しながら頭を悩ませる。

「犯人は古川さんの死を確認するため、部屋へ入っただろうに」と胡桃は続ける。「その時、古川さんが残したダイイング・メッセージに犯人が気づいたとしたら、大きなショックを受けたと思う」

「自分の名前を書かれていたか」

 財前が嘲笑うように言うも、

「だったら、消したんじゃないですか?」

 千春さんの指摘はもっともだった。もし自分の名前が書かれていることに気づいたなら、犯人がそのまま放置するわけがない。つまり、気づかなかったか、あるいは自分とは別人の名前が記されていた、ということになる。

「古川さんは自分だと気づいてなかった。無意味な殺しをしてしまった、という衝撃を犯人は受けただろうに」胡桃は、まさしく俺が予想した通りのことを口にした。「と同時に、そのまま血文字を残しておくことにした。なぜ古川さんが『れい』と書き残したのかはわからないけれど、そのままにしておけばきっと、黒見さんに容疑がかかることになるだろうから」

「まさに、まんまとそうなったわけね」黒見が勝ち誇ったように言うが、「それがわかってたなら、何でさっさと言わなかったの」胡桃に向けて怒りを露わにする。

「それはあくまでも、神宮寺さんの憶測でしょう?」背筋がヒヤッとするほどに冷淡な女性の声。誰だ? 判別がつかない。「犯人は黒見さんで、血文字に気づかなかっただけ。そう考えるのが妥当だと思うけど」

 誰の声なのかわからないのは、俺だけじゃないらしい。戸惑いの声が広がり、

「今喋ったのは誰だ?」

 財前が問い質したが、

「そう、あくまでも私の推理にすぎない。正直に白状すれば、物証なんてものも特にない。ただ、犯人はこの中でたった一人しか該当しない、というロジックは頭の中で固まっている。だから、もうしばらく辛抱して話を聞いてもらいたいだろうに」

 胡桃のやけに落ち着いた、自信に満ちた声にざわめきが収まった。

「とにかく、犯人は古川さんの死を確認すると、紅川さんの部屋へ行って絞殺してから、北側の見張り台へ運んだ。紅川さんの部屋は304号室。見張り台に一番近く、骨折り仕事ではあるけれど、抱きかかえて階段を上がるのは可能だろうに」

「ちょっと待って。見張り台まで運ぶのは可能かもしれないけど、そこからどうやってイチョウの木の根元まで移動させたの?」

 じれったいとばかりに紫苑が急かす。

「見張り台には、ある道具を使って放り込んだロープが二本。犯人はそれを平行に並ぶようにしてピンと張った。その頃には染み込ませた水が凍って、ロープの強度は増していただろうに」

「そんな簡単に言うけど」まただ。正体不明の冷徹な女性の声が嘲笑うように指摘する。「見張り台からあの部屋までどれだけの距離があると思ってるの? それだけの長さのロープ、しかも凍っていたわけでしょ? そんな物を人の力で真っ直ぐに張れると思う?」

「あの部屋とはどこだろうに?」胡桃はすぐさま返す。「私はどの部屋の鉄格子にロープを巻き付けたかは言ってないから、どれだけの距離かはわからないはずだろうに」

 謎の声の持ち主は墓穴を掘ったのを認識したのか、黙り込んでしまう。

「それに」と胡桃は続ける。「ロープをピンと張るのに人力は必要ない。あの見張り台には、入り口の左右に小さな鉄の輪がある。以前、チェーンかロープでも張っていた時に使っていたんだろうに。とにかく、その輪っかに電動ウィンチを設置して使えば、犯人の思い通りにロープを張ることは可能だっただろうに」

「なるほどな」謎の女性の代わりに相槌を打ったのは財前だった。「確かにそれなら人の力は関係ない。だが、ロープを張ったところでどうなる? どうやって死体を移動させたんだ?」

「犯人はあらかじめ、折り畳み式の踏み台の側面の二本の溝に滑りやすいように蝋を塗り込んでおいた。そして、ロープを見張り台の床にたるませておいて、二本の溝にそれぞれ合わせるようにロープの上に踏み台を置いて、その上に紅川さんの死体を横たわらせた。首を吊ったように見せかけるため。ああそうだ、その前に、首と木の枝にそれぞれロープを巻いておいただろうに」

「おい、まさか」財前がごくんと唾を飲み込む。「ロープの上を滑らせてイチョウの木まで移動させたってことか?」

「そうだろうに」

「ちょっと待ってくれよ、胡桃」と俺。「そんな上手い具合にイチョウの木の根元で落ちるようにできるものなのか?」

「犯人はそうなるように計算したんだろうに。紅川さんの死体と踏み台がイチョウの枝に当たって、根元にぶつかるような傾斜角度を」

 だから、紅川の死体の回りに枝が散らばっていたのか、と俺は納得した。

「北側の見張り台から死体を滑らせて、イチョウの木の根元に落ちるような傾斜角度って……」

 大沼は何かに気づいたらしく、そこで口を噤んだが、他の皆も理解したらしい。胡桃が誰を犯人だと疑っているのかを。そして、俺はもはや、犯人がそのトリックに使ったという『ある道具』も特定することができた。

「犯人は紅川さんを横たわらせた踏み台を乗せると、電動ウィンチでロープを張った。もしかしたら、中途半端な場所で落ちないように、水に溶ける紙か糸を使って身体を固定したかもしれない。溝に塗った蝋によって滑りやすくなった踏み台は、あっという間に中庭の上を移動して、イチョウの木の枝に当たって落下。足跡がないことから、紅川さんはまだ雪が降る深夜に首を吊り、重さに耐え切れなくなって首に巻いた縄が切れ、雪の上に倒れ込んだ拍子に踏み台は折り畳まれてしまった、という状況を犯人はつくる予定だったんだろうに」

「後はロープを処分するだけ。そして、藍名さんに成りすまして、佐久間さんに電話をかけて自殺するふりをした。本物の藍名さんは先に崖下に突き落しておいた上で。そういうこと?」黒見が怒りを押し殺したような声で言う。「私に罪を着せて、まんまと逃れようとした卑怯者の真犯人さんは」

「そうだ」胡桃のシルエットが頷く。

「でも、自殺するふりをするってどうやって?」と俺。その謎を解くヒントについて胡桃はさっき、

『犯人の身体能力の高さと、ゼログラビティ』によるものだと言っていたが……。

「さっき言ってた、ゼログラビティっていうのは、どういう意味だ?」

 俺が訊くと、

「ゼログラビティって、マイケル・ジャクソンの?」紫苑の声が答えた。「スムーズ・クリミナルって曲で披露された、有名な振り付け」

「その通り」胡桃のシルエットが頷き、「こういう動きだ」と、直立不動の状態から身体を前に倒していく。ちょうど、藍名がバルコニーの手すりの上でしたように。だが、胡桃はバランスを崩して床に倒れ、傍にいる誰かに助け起こしてもらう。

「ダメじゃないか」俺は呆れて言う。「手すりの上に立ってた時、藍名さんはロープか何かで身体を固定してなかった。だから、今の胡桃みたいに落ちていたはずだ」

「違う。私、ダンスの先生に教えてもらったことがある」桃井の声だ。「靴に秘密があるんだよね」

「靴?」と俺は首を傾げる。

「バルコニーの手すりの上にボルトが二本あっただろうに。あれを、靴の底の溝に引っ掛けると、前傾姿勢になってもバランスを保っていられる。と言っても、柔軟性がありつつ体幹がしっかりしてなければならない。例えば、新体操の経験者なら可能かもしれないだろうに」

 靴の底の溝に新体操経験者。俺からすればもはや、胡桃が犯人を名指ししたも同じだった。

「胡桃、犯人て――」

「航の目を欺き、藍名がすべての罪を悔いて飛び降り自殺したと見せかけると」胡桃は俺の言葉を遮って続けた。「犯人はそのまま、雨樋を伝って降りて、201号室のカナリアさんの部屋か、あるいはその下にある自分の部屋に戻った。鉄格子のはまっていない湖側の窓から」

 これで、胡桃が誰を犯人だと疑っているか、全員が理解したはずだ。その証拠に、食堂内はしんと静まり返った。そして俺は気づいた。白い煙の中で推理を披露したのに、死体発見時の記憶が蘇ってこない。これはつまり、今までの経験と照らし合わせると、胡桃の推理が正しいということだ。

 胡桃もそれを察したらしい。

「航、ドアを開けてくれ。煙たくてしょうがないだろうに」

 俺は無言でドアを開け、廊下に流れ出る煙を全身に浴びながら、犯人が逃げるのを警戒してその場に立った。

 空気が循環され、次第に全員の姿が見え始めると、

「認めるの、認めないの?」黒見がため息を吐くように言葉を発した。「犯行を認めるのなら、私に濡れ衣を着せようとしたこと、ちゃんと謝罪して頂きたい。どうなんです、三枝さん」

 白い煙が薄れ、唇を噛みしめながら俯く三枝に全員の視線が集中する。

「嘘でしょ、三枝さん」大沼は悪い冗談でも聞いたように苦笑いを浮かべる。「そんな、だって、何で? 動機は? 古川さんまで殺すなんて」

 驚きと怒りで混乱する大沼に対して、

「スペア・キーを保管庫に入れたのは?」と胡桃が訊く。「つまり、磁石を使ってスペア・キーを取り出すトリックを準備できたのは誰だ?」

「それは……」大沼は三枝の顔をちらっと見ると、何かを諦めたように俯き、「三枝さん」と呟くと、両手の拳を太ももの横でぎゅっと握りしめた。

「あの」千春さんが戸惑い顔で挙手をする。「胡桃ちゃん、さっき後回しにしてたよね。犯人が橋に火を点けたのと、見張り台にロープを移動させた時に使った道具。あれは何だったの?」

「弓矢だろうに」胡桃は即答した。「三枝さんは弓道をやっていた。だから、火の矢を放ったり、ロープの端を自分の部屋の窓の鉄格子に結び付けて、もう片方の端を弓矢に結んで見張り台まで届かせるのは、それほど至難なことではなかっただろうに」

「証拠は?」まるで別人のように冷酷な声。三枝は無表情の顔を上げて、胡桃を見つめる。「鉄格子と見張り台をロープで繋ぐなんて、あなたの勝手な妄想でしょう?」

「北側の見張り台の外壁や足元の雪には、矢が刺さったような痕があった。ランプのガラス筒の破片も。矢が当たって火が消え、目標地点がわからなくなった。だから、南側の見張り台のランプを持ってきて代わりに吊り下げたのだろうに」

「だから、証拠は?」

 その言葉に縋りつくように繰り返す三枝に対して、

「中庭から弓矢を放ってる時に、古川さんに目撃されて殺したってことですか?」

 大沼が苦々しげな顔で見つめる。

「そうだろうに。窓と鉄格子越しに古川さんと目が合った三枝さんは、咄嗟に弓矢を放った。矢は古川さんの頸動脈を切り裂いた。古川さんは後ろに倒れる直前、反射的に窓を閉めた。三枝さんは窓を開けて、ロープの巻き付いた矢を回収したけれど、その時に鉄格子や外壁に点々と血が付着してしまった。そんなところだろうに」

「でも、あのダイイング・メッセージは?」と俺は口を挟む。「古川さんは『れい』という血文字を残してた。三枝さんを目撃したのに?」

 もしや死に際に、自分へ殺意を向けた部下を庇っての行為だったのだろうか。その可能性を俺は考えたが、

「違う」胡桃にあっさり否定されてしまう。「三枝さん、スタッフ用のベンチコートはどこに?」

 急に質問をぶつけられ、三枝は目を丸くさせる。皆の視線が、三枝さんの着る黒いコートに集中する中、最初から答えを求めてなかったのか、胡桃は話を続けた。

「三枝さんが弓矢を使っていた時、まだ雪は降っていた。だからフードを被った。その姿を見た、超が付くほどのオカルト好きだという古川さんは、こう思っただろうに」

 そう言いながら、いつの間に用意していたのか、足元から取り出したのは、漆黒のローブを頭から目深に被り、口元しか見えない人物の胸から上の部分が描かれた肖像画。ロビーの暖炉の上に飾ってあった、この城の元主の姿を描いたという絵だった。

「この城には最近、ある噂が広まっているだろうに。元の城主がこの絵のように、真っ黒なローブを目深に被った姿で、泣き声を上げながら夜中にこの近辺を徘徊している、という噂。古川さんは、フードを被った三枝さんの姿を暗がりの中で見て、幽霊を目撃したと思ったんじゃないだろうか」

「だから、幽霊の『れい』と書いたっていうのか?」

 俺の問いには答えるまでもないとばかり、胡桃は何も言わずに絵を足元に置き、

「その時に着てたベンチコートには血が付着してしまった。そうじゃなくとも、犯行時に着ていたコートを着るのは気味が悪い。だから今朝からずっと、その私物のコートを着てるのだろうに」と決めつけるように言う。

「よくも人を利用してくれましたね」黒見は口を歪ませる。「まんまと引っ掛かった、あなたたちにも罪はあるけど」と睨みつけられ、全員が俯いてしまう。

「どこにあるんですか?」大沼が顔を上げ、先輩を問い詰める。「ベンチコート。身の潔白を証明するために、すぐに持って来てください」その威圧的な口ぶりからは、もはや三枝が犯人だと確信しているようだ。

「一連の犯行において三枝さんは色々なアクシデントに見舞われただろうに」胡桃は飴と鞭とばかりに穏やかな口調になる。「隠し部屋に犯行に使った道具、たとえば底に溝の入った靴を隠そうとしたけれど、私たちが暗号を解いて隠し部屋を見つけてしまったから、それができなくなった」

 隠し部屋を? と驚きの声が広がる中、胡桃は話を続ける。

「それから藍名さんに成りすまし、飛び降り自殺をするふりを目撃させるのは、当初の予定では航ではなく紫苑さんだったはず」

「え?」紫苑さんが目の前で手をパンッと叩かれたように驚く。「どうして、そんなことがわかる?」

「オープニング・シーンを撮り終えた直後、紫苑さんは三枝さんに、青とピンクの区別がつきづらい色覚障害があると言っただろうに。藍名さんと桃井さんの着てるドレスの色の違いがわからないと」

「あっ」俺は思い出した。「確かに言ってた」

「電話で藍名さんを装っても、ドレスの色の違いがわからないことで、証言力が弱まることを懸念したんだろうに。だから、エアコンを壊した。代わりの『目撃者』に選ばれたのが航だったというわけだろうに」

「そうか」と、またしても俺は納得する。「301号室のバルコニーの様子は、104号室、紫苑さんが俺と交代した部屋からも見えた。エアコンの故障がアクシデントだったとして、犯人がどうしても『目撃者』を紫苑さんにしたいなら、そうしたはず。だけど、実際には俺の部屋にかかってきた。おまけに、104号室からの景色だと、バルコニーから崖下に飛び降りてないことがバレてしまう。犯人が『目撃者』を選んだこと自体が、藍名さんに成りすましていたことを証明しているようなもんなんだ」

 そして俺は気づいた。

「そういえば、今回のロケで宿泊する部屋の割り当てを決めたのは、三枝さんだったはずですよね」

 そのことを訊き出した時、胡桃がどこか芝居じみた様子だったことも思い出す。あの時点で胡桃は、三枝さんに疑いを抱いていたということか。

「部屋割りが決められて、スペア・キーを保管庫に収める役目も負った」黒見は腕を組み、ふんっと鼻息を出す。「ビンゴ。もういい加減、犯人だと認めたらどうです?」

「スペア・キーなら、大沼が誰よりも一番、自由に使えたじゃない」

 この期に及んで、三枝は後輩に罪をなすりつけようとするが、

「俺にはカナリアさんの時のアリバイがありますよ」

 大沼は突き放すように言う。

「そうだ」と俺は思い出した。藍名に成りすまして俺に電話してきた時の三枝のミスを。「藍名さんから電話がかかってきた時、こう言われました。過去にパパ活してたことをネタに、カナリアさんに揺すられてると。それから、『バチェラーに取り入るな』と言われたそうです」

「それがどうしたって言うの?」

「俺と大沼はばったりでくわしたんですよ。オープニング・シーンの撮影前、階段の陰から、紅川さんと藍名さんが財前さんの姿をこっそり覗き見している姿を。あれはどう見ても、バチェラーに取り入る気満々に見えました」

「確かに」と大沼も加勢してくれる。「早く食堂に戻るように言っても従ってくれなかった」

「佐久間君だっけ?」財前は俺を見る。「ほら、昨日の夜、食堂に集まるように内線電話をかけてきてくれた時、俺の部屋に紅川さんがこっそり来てたでしょ」

「そんなことがあったのか?」

 咎めるような目で見てくる胡桃に対して、俺は肩を竦めた。

「余計な騒ぎが起こるかと思って黙ってたら、その後に色々とゴタゴタが続いて忘れてた」

「まったく」と呆れ顔の胡桃は、「それで?」と、財前に話を続けるように促す。

「あの時の様子を思い返してみても、紅川さんがカナリアさんに脅されてたって感じはしなかった。というより、カナリアさんが殺された時間、彼女は僕とずっといたわけだからアリバイはある。てことは、藍名さんが実行犯てことになるよね。こんなこと言ったらあれだけど、古川さんに脅されても、紅川さんは実行犯ではないと言える逃げ道があったわけだよ」

 食堂内に静寂が訪れる。誰もが三枝に対して早く罪を認めろ、と無言のプレッシャーを与えているように感じられた。

「さっき、三枝さんの部屋のドアの内側を見せてもらった時、おかしいと思った」胡桃がぽつりと口にする。「どうして、ガムテープを貼った痕跡がないのかと。昨日の夜、夕食に睡眠薬を盛られた可能性があると、私と航から知らされていたにも関わらず」

 その言葉で俺は思い出した。今朝、胡桃が三枝の部屋から出る時、ドア周りを観察していたことを。だから俺は、

「貼る必要がなかったからだ。自分が……」と、最後までは言わなかったものの、三枝を犯人と特定するような口ぶりで見た。三枝は諦めたように目をつぶり俯いてしまっている。

「三枝さんが言ったように、私はこれといって強力な物証を手に入れたわけじゃないし、トリックについては憶測の域を越えてないと言われても仕方ないだろうに。だけど、私は警察が来たら助言するつもりだ。それに則って捜査を進めればきっと、三枝さんを犯人だと裏付ける証拠が見つかるはずだという確信を持っているだろうに」

 その言葉通り、胡桃が胸を張って堂々と口にすると、

「ふん、そうね」陥落、という言葉がまさにぴったりだった。三枝は力なく笑う。「こんなお嬢さんにあっさり見抜かれてしまうんだもん。警察が来たらすぐにバレてしまうよね」

 それは違う、胡桃の明晰な頭脳があったからこそ謎は解けたんだ。そう思ったが、俺は余計な口出しはしないでおいた。

「動機は何なんです?」

 千春さんが訊くと、三枝は大きくため息を吐いた。そして足元に視線を落とし、

「恋人の復讐」と呟いた。

「高校時代の、ということだろうに」何もかも見透かしたように胡桃が補足する。「三枝さんは、カナリアさん、紅川さん、藍名さんと同い年だろうに」

「三枝さんの恋人は、その三人に何か?」

 大沼の質問に三枝は、

「殺された」うつろな表情で答えるが、急に身体の奥から怒りの炎が燃え上がるように、「執拗ないじめで。あいつらに脅されて、無理やりオヤジの相手をさせられたこともあった」憎しみを込めた声を出した。

「オヤジの相手って?」財前がきょとんとした顔で三枝を見る。

「三枝さんの恋人は女性だったってこと?」

 紫苑の問いに三枝は静かに頷くと独白を始めた。

「六年前の冬。まだ日が出ていない朝方に、リカから電話がかかってきた。もう疲れた、死にたいって。それだけ言うと、電話は切れてしまった。手掛かりは、声の向こうから聞こえた水の流れる音だけ。私は布団から飛び起きて、急いで河川敷へ向かった。雪が降る中を何時間も探し続けた。やっと見つけた時にはもう、リカは冷たくなって死んでしまっていた。睡眠薬の過剰摂取。どうして私を残したままリカは死んでしまったんだろう? どうして私はリカのことを守れなかったんだろう? 自分の非力さ、情けなさを悔やんでも悔やみ切れなかった。睡眠薬はまだ残ってる。それを飲み干すための水もすぐ近くに流れてる。この場で一緒に死んでしまおう。そう思った。だけど、リカの胸元にこれがあるのを見つけた」

 そう言って、三枝がコートのポケットの中から取り出したのは、小さなビニール袋に入れた、赤いネイルチップの欠片らしき物だった。それを皆に見せると、同情を求めるでもなく、三枝は淡々と話を続けた。

「私はこれに見覚えがあった。紅川がいつも付けていたネイルチップ。これを見た瞬間、私ははっきりわかった。リカは自殺したんじゃないってことが。奴らに強要されたんだ。睡眠薬を飲んで自殺しろって。自殺しなきゃ、私に危害を加えるって。そうやって奴らがリカを脅す姿が頭の中にパッと広がった。その瞬間、私は覚悟を決めた。リカのためにいつか絶対に復讐すると。だけど、リカは私が警察に捕まって刑務所暮らしをするなんてことは絶対に望まない。だったら、完全犯罪をやってのけよう。そう心に誓い、それからの人生は、復讐を成し遂げることが最大の目標になった。何をしてても、頭の片隅にはあの三人への怒りが消えなかった。揃いも揃って芸能界に入ったから、三人の動向は手に取るようにわかる。私は殺人計画を練りに練った。いつかチャンスが来る日を待ちわびて」

「そして、この城をその殺人計画の舞台にすることに決めた、というわけだろうに」

 胡桃の言葉に三枝はふっと微笑む。

「ええ、そう。ロケハンをした時、暗号を目にした私はすぐに解いて、後日、一人でここを訪れた。ミステリー小説マニアだった前の城主が考えた、この城を舞台にした殺人方法を目にして、私は実行することに決めた。あの三人をキャストにねじ込むのはわけなかった」

「わけなかったって」大沼は何かを察したらしく、目を丸くさせる。「キャスティングを任されてるのは古川さんですよ。古川さんはいつも、ロケ地の雰囲気に合った人を選ぶ。だけどちょっと、今回は違和感があったんです。あの三人、カナリアさん、紅川さん、藍名さんのキャラクターは、この城にはそぐわないって。他のスタッフも陰で言ってました。桃井さんはその、緒方さんの猛烈なプッシュで出演が決まりましたけど、あの三人は何で……」

「そんなの簡単だろうに。三枝さんと古川さんが特別な間柄だったからだろうに」

「交際してたってことですか?」大沼は驚愕に目を見張る。「それなのに、殺したってことですか?」

「私は六年前に復讐の鬼と化した」三枝は感情のない声で淡々と喋る。「あの時、私は決めたの。復讐を成し遂げるためなら何だって利用すると」

「そんなことしたって、リカさんは浮かばれないだろうに。愛した人が殺人鬼になるなんて、絶対に望んでなかっただろうに」

「あなたに何が――」

 三枝が怒りを露わに叫びかけるも、

「誰も過去は変えられない!」

 胡桃はそれ以上の声量で遮った。聞いたことのない声の大きさに俺は驚き、全員が静まり返った。その中で、胡桃は落ち着きを取り戻し、

「だが、過去の出来事をどう解釈するかは、いくらでも変えられるだろうに。三枝さんは大切な人を失い愛の尊さを知った。そして、復讐のために起こした行動が、つまり今の放送局に就職したことが、古川さんとの新たな愛を生むきっかけになった。幸せになるチャンスがあったのに、それを自ら放棄してしまったのだろうに」

「わかったような口を利かないで」

 三枝が静かな怒りをぶつけるが、胡桃は平然と受け止め、

「自分でも気づいていたはずだろうに。だから、古川さんの死体からアレを持ち去った」

「うるさい!」

 三枝は急に目を見開いて叫ぶと、

「もういい。復讐は終わった。もう生きている意味はない。完全犯罪が失敗に終わったらこうすると、最初から決めていた」

 ポケットから取り出したのはナイフだった。桃井が「きゃーっ」と悲鳴を上げ、全員が息を呑む。

 三枝はナイフの柄を両手で握りしめると、その切っ先を自分の喉元に突きつける。室内が一気に緊迫した空気に包まれる中、

「そんなことをして何になるだろうに」胡桃は一人冷静に説得を試みる。「天国にいる恋人たちを悲しませるだけだろうに」

「うるさい、黙れ!」

 三枝が叫び、ナイフの柄を持つ手にぎゅっと力を込める。本気で死ぬ気だ。俺の脳裏には、カナリア、紅川、藍名、そして古川の死体の記憶が瞬時に蘇った。今度は凄惨な死を目の当りにすることになるのか、と暗い気持ちを抱いた瞬間、急に風の流れが変わり、廊下から白い煙が逆流してきた。甘い香りに包まれる中、突然、誰かが泣き声を発した。泣いているのは三枝だった。

「違うの、そんなつもりはなかった……」

 三枝は誰に言うでもなくそう呟くと、両眼から涙を流し、ナイフを床に落とした。そのまま全身の力が抜け落ちたように膝から崩れ、

「ごめんね、私は、そんなつもりじゃなかったの……」

 床に顔を突っ伏して、何かに、誰かに懺悔するように喋り、人目も憚らず子どものように声を上げて泣き出した。

 その様子を俺たちは、ただ呆然と見守っていることしかできなかった。

 三枝はやがて泣き止むと、今度は一言も話さなくなり、昼前に来たヘリで救助されると、すぐに警察に出頭する旨を緒方に告げ、こうして一夜の悪夢は終焉を迎えた。

 そして俺たちは、

「とても、結婚を祝う気分にはなれないだろうに」

 胡桃の一言はもっともで、健剛には悪いが結婚式への出席をキャンセルして帰宅の途に着いた。


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