第4話 根っこに触れて
山田さんの母の工房は、静かな住宅街の一角にあった。古い木造の建物で、引き戸を開けると木の香りと土の匂いが優しく迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは、山田さんによく似た穏やかな目をした女性だった。山田恵子さん、五十代半ばくらいだろうか。エプロンに土がついているのが、日常的に制作に打ち込んでいることを物語っている。
「母です。母、こちらが桜田さん」
山田さんが紹介してくれると、恵子さんは温かい笑顔で手を差し出した。
「息子がいつもお世話になっております。この子、陶芸教室での話をよくするんです」
美咲は少し照れながら手を取った。恵子さんの手は、長年土に触れてきた人特有の、しなやかな強さがあった。
工房の中は、自然光がたっぷりと差し込み、壁際には様々な作品が並んでいる。茶碗、花瓶、皿、どれも素朴でありながら、使う人への愛情が込められているように感じられた。
「こちらが息子の作品コーナーです」
恵子さんが案内してくれたのは、窓際の小さなスペースだった。そこには山田さんが作った湯呑みや小鉢が並んでいる。美咲が陶芸教室で見ていた以上に、繊細で美しい作品ばかりだった。
「素晴らしいですね」美咲は心から感動して言った。
「この子、小学生の頃から私の後ろについて回って、『お母さん、僕も作りたい』って」恵子さんが懐かしそうに話し始めた。「でも最初は全然だめでした。せっかちで、すぐに形にしたがって」
山田さんが苦笑いした。「母にはいつも『急いじゃだめ』って叱られてました」
「でも中学生になった頃から変わったんです。お父さんが亡くなって、この子なりに色々考えたんでしょうね。作品がとても静かになって」
美咲は山田さんを見た。彼は少し遠くを見つめるような表情をしていた。
「あの頃から、この子の作る器は『人を癒す』ものになったんです。技術よりも、心が大切だということを、身をもって覚えたんでしょうね」
恵子さんは美咲を工房の奥へと案内した。そこは制作スペースで、ろくろや道具が整然と並んでいる。
「私はね、器というのは人の心を映すものだと思っているんです」
恵子さんが一つの湯呑みを手に取りながら話した。
「この湯呑みは、大切な人を亡くした方のために作りました。だから、どこか寂しげでしょう?でもほら、この丸みは温かさを表現したんです。悲しみの中にも、温もりを感じてもらいたくて」
美咲は湯呑みを受け取った。確かに、持った瞬間に何か胸に迫るものがあった。
「息子の作品も同じです。あの子が作る器には、いつも『相手への思いやり』が込められている。技術だけじゃない、心の器を作る人なんです」
美咲は山田さんを見つめた。彼は少し照れたような表情で、窓の外を見ていた。
「桜田さんも、きっと素敵な器を作られる方ですね」恵子さんが続けた。「息子の話を聞いていて感じるんです。とても真摯に土と向き合われている方だって」
「ありがとうございます」美咲の声は少し震えていた。
恵子さんの話を聞きながら、美咲は山田さんという人の根っこに触れたような気がした。父親を早くに亡くし、母親を支えながら育った優しさ。人への思いやりを自然に身につけた人柄。そして、何よりも「相手のことを第一に考える」という価値観。
帰り道、美咲と山田さんは並んで歩いた。夕暮れの空が薄紫に染まっている。
「素敵なお母様ですね」美咲が言うと、山田さんは嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます。僕の全てを教えてくれた人です」
「お父様のこと、大変でしたね」
山田さんは少し考えてから答えた。
「当時は辛かったけれど、今思うと貴重な経験でした。人の心の痛みが分かるようになったし、母の強さを尊敬するようにもなって」
美咲は歩きながら、自分の心の変化に気づいていた。山田さんへの気持ちが、ただの好感から、もっと深いものに変わっていく。それは恋愛感情とも違う。もっと根本的な、人としての繋がりを求める気持ちだった。
「今日は招待してくださって、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。桜田さんに来ていただけて、母もとても喜んでいました」
その時、美咲は気づいた。自分が求めていたのは、こういう関係だったのかもしれない。お互いの根っこの部分を理解し合い、尊重し合える関係。急がず、求めず、ただそこにある温かい繋がり。
雪がちらつき始めた空の下で、美咲の心に新しい季節が訪れようとしていた。それは恋愛という名前では呼べない、もっと深くて静かな愛の始まりだった。
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