第39話 クリボッタ
アングラッド商会で商品の買い付け部門の責任者の立場にあるクリボッタは、領主の次男であるヤーコブ・バインツの『口の堅い購買責任者を用意しろ』という要請によって商会長によって招喚された。
バインツの町に住んでいればヤーコブの良くない噂は1つや2つは頻繁に耳に入る。
仮に長兄に何かあれがヤーコブが領主の座を継ぐと思われており、そのため商会長はなにかとヤーコブに気を遣っていたが、結局長兄は大きなケガをすることも無ければ大病を患うことなく成長したことでヤーコブが当主の座を継ぐ可能性は限りなく低くなってしまった。
そのため近年ではあまり関係を持たなかったヤーコブからそのような依頼があったことを商会長は不思議に思うも、彼から渡されたある物によってそれまでの態度が一変し、アングラッド商会でも責任の立場にあるクリボッタが交渉の場に連れてこられたということだ。
商会内に設けられた交渉の窓口となる部屋は頑丈な壁と扉に囲まれていることで機密性に優れており、表に出せないような話でもすることができる……と言うのはあくまでも表向きであり、実際にはいくつか隠し部屋があるのでそこに潜んでいれば部屋の中の話を聞くことができ、その上何かあれば即座に部屋の中に突入できるという特殊な構造になっている。
交渉の相手にそこまでするのはいささか無礼ではあるのだが、ヤーコブからもたらされた話によれば商談相手はいわゆる『表』の人間ではないため、このぐらいの用心は必要であるとクリボッタは確信している。
当日はその隠し部屋に元冒険者の腕利きの護衛を潜ませる予定となっていた。
そうして迎えた、謎に包まれている商談相手との邂逅の日。商談部屋に通されたのは貴族でありながら服装の乱れたヤーコブの姿と、この辺りでは見かけない黒目黒髪であるが、それ以外にはあまり特筆すべき点のない綺麗な服装に身を包む普通の見た目の青年だった。
「これはヤーコブ様、ようこそいらっしゃいました。そちらの方がカスガイ様でございすね」
「その通りだ。んじゃ、俺様の仕事はここまでだかんな。あとはオメェらで勝手に商談でも何でもしとけや。だがカスガイ、俺様に払う金を誤魔化すんじゃねぇぞ。俺様を裏切ったらブッ殺してやるかんな」
「もちろんでございます。ワタシ共はまだまだヤーコブ様のお力が必要になると確信しております。貴方様の機嫌を損ねるという愚かな行動をとることは決してありません」
「フンっ!分かってンならいいさ」
そう言うとヤーコブは来た道をすぐに戻り、部屋の外へと出て行った。
紹介をしたなら最後まで会談に付き添いその責任を持つのが筋ではあると思うのだが、領主の一族である彼には平民風情に筋を通す必要はないとでも考えているのだろう。
だからこの小さな町でも領民からバカになれているのだと心の中で思いつつ、クリボッタは目の前にいる青年に意識を戻す。
「お初にお目にかかります。私はアングラッド商会で購買の責任者を務めておりますクリボッタと申します」
「カスガイです。この度はワタシのためにこのような席を設けていただき感謝の念に堪えません――――ときにクリボッタ殿、この商談に参加するのは我々2人きりであると判断してもよろしいのですか?」
「……おっしゃる意味が分からないのですが」
「では言い方を変えましょう。屋根裏にいる2人と床下にいる1人、そしてそこの絵画の横にある小さな部屋に潜まれている方々は招かるざる客であると判断しても良いのかと聞いているのです。仮にそうだとすれば、親愛の証としてコチラで対処しておきましょうか?」
あまりにも自然な物言いに、最初何を言われているのかクリボッタは理解できなかった。
あまり荒事に成れていないクリボッタですら隠れている元冒険者たちの緊張に染まった息遣いが聞こえてきた気がした。それほどまでにあの隠し部屋は技術的にも魔法的にも厳重に隠されているためだ。
「!?ま、待っていただきたいカスガイ様!彼らは我がアングラッド商会の警備部に所属する者たちです!!」
「ほう……ではなぜそのような場所に隠れられているのですか?商談に参加するのであれば堂々としいればよいものを。あのような不便なところで待機なされているのは何か理由があるのですか?」
「……申し訳ありません。正直に申しますとカスガイ様の素性が全くと言っていいほど分からなかったため、私の身を守るために潜んでおくように指示を出しておきました。決してカスガイ様を害そうとは思っておりません、ですが不快に感じたのであれば謝罪申し上げます」
「ああ、そうであるならお気になさらないでください。ワタシが怪しい人物であることには自覚がありますからね。ですがあの場所でクリボッタ殿を守るのは少しばかり難しいでしょう。彼らにもう少し近くに来るように指示を出し直されてはいかがですか?」
「お気遣い感謝いたします。ですが今のやりとりで貴方様に私を害そうとする意思がないことが先のやり取りでハッキリ分かりましたので、彼らには護衛の任を解き別の業務についてもらいます」
「そうですか。重ねて言いますが、ここでの取引を口外しないのであれば取引に何人参加されたとしても一向に構いません。ワタシに気を遣う必要はありませんよ?」
かつてこの部屋で何百何千と商談を重ねてきて、隠し部屋の存在に気が付いた者は何人かいたが、入室からほんのわずかな時間で部屋のからくりに気が付いたのはカスガイが初めてであった。
その凡庸な見た目とは違い相当な能力を有しているとクリボッタは判断し、想定以上に油断ならぬ相手と判断し更に気を引き締めなおすことにした。
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