第34話 『バインツ』
「何かあったら連絡をくれ。オレが戻って来る時間ぐらいなら今の装備で十分だろ?」
「モチのロンっス!大船に乗ったつもりで行ってくるがいいっス!」
フンスと鼻で大きく息を吐き、小さな胸をこれでもかというほど張っている。そこはかとなく不安ではあるが、出来る準備は済ませているので何とかなると信じたい。
ダンジョンの通路の各地には『混ぜるな危険』と書かれた超強力な洗剤や農薬などを置いており、侵入者が入ってきたら遠慮することなく混ぜろと全フロアに配置したゴブリンに伝えている。
塩素系のガスがコッチの世界の住民にも効果あることは、尊い犠牲による実験と検証を十分すぎるほどに重ねているから確認済みだ。それはレベルアップを重ねた冒険者であっても同じことが言えるはず。
それでもさらに奥地へと侵入するほどの強者がいても、ガソリンタンクを背負ったゴブリンが火のついた松明を片手に神風アタックを決行する予定になっている。
そこまですれば、いかに腕利きの冒険者でも無傷とはいかないだろう。
最後にゴブ助を筆頭に進化したゴブリンによる波状攻撃で息の根を止めてやる……ってのが今のオレにできる最大の防衛策だ。
ここから最寄りの町である『バインツ』まで徒歩で3日はかかる距離にある。
つまり最低でも1週間近くはダンジョンを離れるということであり、何かあったとしてもすぐに戻ってこれるような距離ではないということだ。不安が尽きることはないが今のオレにはこれ以上の対抗策がない事もまた事実である。
それにしても、この1年で住み慣れた環境を離れるという行為に少し寂しさを覚えてしまうな。郷愁に駆られるとはこういうことなのか?それならニッポンに帰りたいと思う方が正しいのだろうけど、不思議とそんな気分にはならなかった。
これもまたマスターになったことによる変化だろう。まあ、あまり深く考えることは止めておくか。ダンジョン運営が安定し、他のことを考える余裕ができてから考えはじめても遅くはないだろうしな。
それに、今考えなければならなことは他にもある。例えば街中にいる間、マスターであるオレの護衛は背負いカバンに擬態したトラップ・スライムだけという寂しい戦力になることだ。命の危険が迫るようなイベントがあれば本当にマズイ。何もない事を創世神様に祈っておくか……
文明が発達した平和な社会で『旅』をするのは意外に簡単だ。
着替えや下着とスマホなどの必需品、そして現金さえあればどこに行くこともそれなりに楽しい旅をすることができるだろう。
しかしオレが転生してしまったコッチの世界はそんな優しい世界では決してない。人通りの少ない道は全くと言っていいほど整備されておらず、草や大きな石があちこちに転がる道で歩くだけでも一苦労。
おまけに食事をどうするかという問題もある。
『ダンジョン』にいる間は生きるためのエネルギーはコアによって供給されるが、ダンジョンから離れるとコアからのエネルギー供給は止まってしまう。つまりは空腹になってしまうということだ。
コッチの世界の住民は人のいない場所に向かう時、山ほどの保存食を持ち運ばなければならない。その苦労はとんでもないものだろう。まあ、オレは≪等価交換≫によっていつでも食べ物を召喚することができるから、その点だけは楽ができる。
それでも整備されていない道を歩くというのは大変な労力であったわけで……そうして長い間道なき道を歩き続け、ようやくある程度整備された綺麗な道を発見したときは涙が出そうになるほどの感動を覚えた。
それはようやく街に着き、門番から不遜な態度を取られたとしても不快な気分にならなかったぐらいの感動だった。
そうして言われるがままに入場税を支払い、特に手荷物検査とかをされることなく町の中に入ることができた。
1日グルリと町を見て回った感想は、この町を蹂躙すること自体は難しくはない、ということだ。
町を覆う石材を積み上げて作られた城壁もそれほど高いというわけでもなく、所々が経年劣化によって崩れかけている。城門はそこそこ立派であったが、木製であるためアサルト・ゴブリンの破壊力があれば突破はそれほど難しくはないはずだ。
町を守る兵士とモンスター専門の退治屋である冒険者に連携されれば強敵になりうるが、例えばあらかじめ領主の館に火をつけるなどの工作を施していれば、兵士は領主の命令によって館の消火を優先させられるだろうから、両者が協力することはないだろう。
この辺りは指揮系統と両陣営の目的とあり方によっていくらでも分断することが可能であるはずだ。緊急時は冒険者は領主の指揮下に入る……なんて法律がないのは自由を求める冒険者からすれば当然なのだろうが、敵対する立場にある俺からすれば好ましいことこの上ない。
が、そのような大きな騒ぎが起きれば間違いなく国が動く。襲撃したゴブリンの調査が行われ、その過程でオレのダンジョンが発見される可能性も十分すぎるほどに考えられる。
そうなるとやはり、ここを潰すことは得策ではないか。……でもなぁ……簡単に大量にレベルが上げられそうな餌場が近くにあるのに、攻めることができないってのはもどかしさを感じてしまうな。
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