幼馴染の特訓

「お願い、ただの練習台でいいから!」


いつもの放課後、幼馴染の美咲が手を合わせながら懇願してきた。


大きな瞳が真剣そのものだ。けれど、その内容に僕は思わず目を丸くする。


「練習台って……女装のモデル?」


「そう! 女装コンテストが近いでしょ? クラスの代表として出る子の衣装を作るんだけど、本番に向けていろいろ試したいの!」


なるほど、とはいえなぜ僕なんだ。


周囲を見渡せば男子はたくさんいるし、美咲の頼みなら誰も断らないだろう。


「なんで俺なのさ。他の男子でもよくない?」


「だって、私が一番信用できるのは陽翔(ひろ)だもん。それに――」


彼女は少し視線を逸らして言いにくそうに口を開く。


「なんか、陽翔って細いし、顔も綺麗だから似合いそうかなって……」


「おい!」


僕は即座に抗議したが、美咲は笑ってごまかすように手を振る。


「大丈夫、大丈夫! 今だけだから! それにさ、陽翔だって頼みごと断ったことないじゃん?」


「……くっ」


図星だ。小さい頃から彼女に言われたことは、大体断れないでやってきた。


美咲はそれを完全に分かっていて頼んでくるのだ。


「わかったよ。けど、絶対に誰にもバラすなよ。マジで頼むぞ?」


「うん、ありがとう!」


こうして僕は、美咲の「女装練習台」を引き受けることになった。


週末の午後、美咲の部屋に呼び出された僕は、簡素な着替え用のパーテーション越しに渡された衣装を手に取る。


「これを着るのか……」


袋から出てきたのは、淡いベージュと青の組み合わせが上品なスカート付きのコーディネートだった。


これ、完全に女子用だ。心の中でため息をつきながら、言われた通りに着替え始める。


「着れた?」


「うん……まあな」


返事をしつつパーテーションを越えた瞬間、美咲が手を叩いて感嘆の声をあげた。


「すごい! 思った以上に似合ってる! やっぱり陽翔にお願いして正解だったかも!」


「うるさい……」


顔を赤くしながら視線をそらす。


こんな恥ずかしい姿を見られるなんて、耐えられない……と思っていたけれど、美咲はそんなこと気にする様子もなく、僕をじっくり観察している。


「ほら、ちょっとこっち向いて。髪がそのままだと違和感あるからウィッグも試そう!」


「え、まだ何かするのかよ?」


「当たり前でしょ? 完璧にしないと練習にならないじゃない!」


そう言うと、美咲は手早くウィッグを取り出し、僕の頭にかぶせる。


ブラシで髪を整えながら、彼女の表情は真剣そのものだ。


「よし……これで完璧!」


鏡を差し出され、仕方なく自分の姿を確認する。


そこには普段の自分とは全く別人の、清楚で可憐な「女の子」が立っていた。


「……なんだこれ」


言葉を失う僕を見て、美咲は満足げにうなずいた。


「うん! やっぱり陽翔って素材がいいから、何でも似合うね!」


「やめろって……」


さらに赤くなる顔を隠すように手で覆うが、美咲は笑いながら僕の手をどけた。


「恥ずかしがらないで。これも立派な練習だし、すぐ慣れるから!」


練習はその後も続き、僕は美咲の指示でいくつものポーズをとらされた。


歩き方や仕草についても細かく指摘され、気がつけば1時間以上経過していた。


「はい、お疲れさま! 本当に助かったよ、陽翔!」


「……マジで疲れた」


ヘトヘトになりながら椅子に座り込むと、美咲がペットボトルを差し出してきた。


「ごめんね。でも、私としてはすごく良いデータが取れたの。本番で役立つよ!」


「それならいいけど……もう女装はしないからな?」


「え~、陽翔の女装、思った以上に可愛かったのに」


「やめろ!」


美咲はおかしそうに笑いながら、僕の隣に腰を下ろした。


その表情は心なしか少し寂しそうにも見えた。


「実はね、こうやって服を作ってると、時々不安になるんだ」


「不安?」


「うん。これで本当にみんな喜んでくれるかなって。自分がやってることが無意味なんじゃないかって思う時もあって……」


いつも明るい彼女の弱音を聞くのは珍しい。


僕は真剣な表情でうなずきながら言葉を探す。


「でもさ、美咲の服って、作り手の気持ちがすごく伝わると思う。俺みたいな素人でもそう思うんだから、絶対に大丈夫だよ」


「本当にそう思う?」


「ああ。お前が真剣に作ってるの、俺は知ってるからな」


その言葉に、美咲は目を潤ませながら微笑んだ。


「ありがとう、陽翔。やっぱり頼んでよかった」


その後、美咲は女装コンテストの準備を無事に終え、当日は大成功を収めた。


僕の協力が役に立ったと言ってくれた時、少しだけ誇らしい気持ちになったのは秘密だ。


たとえ女装でも、美咲の力になれたのなら、それでいいと思えた。

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