書くんですか!?稲形さん!
「お疲れ様ですっ」
「お疲れさんやね」
部室に着けば、田貫さんはいつも通り読書に勤しんでいた。そんな彼女の注意を引こうと、稲形さんはパンと手を叩く。
「実は今日はやりたいことがあるのです! よければ田貫さんも協力していただけませんか?」
「内容によるなあ」
本から目を上げないまま、マイペースに田貫さんは言った。
「私たちも折角こうして文芸部に集まった訳ですし、先輩方に倣って創作活動をしてみませんか!」
「えっ」
予想外の提案だった。稲形さんは、小説とか詩とかを自ら書きたがるタイプではないと思っていた。俳句とかなら、ちょっと詠んでそうだけど。
「あー、でも創作って、自分の内面晒すようなもんだし、ちょっと抵抗あるな」
「むう……田貫さんはどうですか!?」
「せやなあ」
本から顔を上げないまま、大して悩んだ様子もなく田貫さんは呟く。
「手慰みとも言いよるし、やってみたらええんちゃう?」
「ですよねっ!」
ぼくが文句を言うよりも先に、本を閉じた田貫さんが、戸棚から原稿用紙の束を出した。
「各自ペンくらい持っとるやろ? 初めやし、字数は不問でええか」
「いいですよ! ジャンルは自由でいきましょう!」
全然よくない。ジャンル指定されないとむしろ難しいって。
やる流れだし仕方ないかとペンを持ったところで、田貫さんが「ああ、そうそう」と思い出したように言う。
「どうせやるんなら
それは田貫さんにしては珍しく、尖った言葉だった。
対して、「上等です。一肌脱いでやりますよ!」と笑う稲形さん。いや、その一肌脱ぐのが恥ずかしいんですよ。
*
「さて、そろそろ見せ合おか?」
「まあ……いいですよ」
「はいっ! 私から見てもらってもいいですか?」
意気揚々と渡された原稿用紙を、田貫さんと順番に見合う。
「うん、いいんじゃないですか?」
「おん、ええんちゃう?」
「えっ、あんまりよくなさそうな反応なんですけど!」
いいや、そんなことはない。
稲形さんの作品は、詩だった。彼女らしい丁寧な言葉で、四季への想いが綴られている。
「稲形さんの目を通して見た世界や情景が伝わってきて、良いと思いますよ」
「やったっ!」
「ただまあ、ちょっと素直すぎるんよね。捻りが足らんっちゅうか」
小難しい言い方にすりゃええって訳でもないんやけどね、と田貫さんが続けて、ぼくもそれに頷いた。素直さは美徳ではあるが、創作の上ではマイナスなこともあるのだ。
や、ぼくらが擦れてズレた人間なだけかもしれないが。
「むむむ……精進します。では次は獅記さんのを!」
「え、嫌だけど……」
「あら。稲形ちゃんの恥ずかしいとこ見たのに、酷い子やわあ」
「酷いのはどっちですか……」
とはいえ、ラストにもつれ込むよりはマシだ。羞恥と、恐怖と、ほんの少しの期待を感じながら、原稿用紙を渡す。
「…………」
「…………」
「どうですか?」
「いいお話ですね! 私は好きです!」
「あ、ありがとう……」
先に読み終わった稲形さんが、ぼくに感想をくれる。なにか言葉に含みがあるのは、陰キャ特有の変な勘繰りだと思いたい。
「足らんなあ」
──思いたかった、が。田貫さんは、開口一番そう無慈悲に切り捨てた。
「即興だからしゃあない部分はあるにせよ、全体的に薄味で物足らんのよなあ。裸になれ言うたやろ? 作品には、性癖でも欲望でも男根でも出した方がええねん。チキって半脱ぎくらいなんがいっちゃん冷めるからな」
「ぐっ……」
言われてみるとその通りというか、自覚できる指摘ではあった。遠慮というか、恥ずかしさを隠しきれなかった部分が大きかったと思う。
──とはいえ、そこまで言われると流石にムッとくる。
「じゃあ田貫さんのも見せてくださいよ」
「勿論ええで」
「多っ!?」
ほい、と軽々しく、原稿用紙の束を渡される。この短い時間にこれだけの量を書くとは。
丸っこくて可愛らしい、女性らしい字体を目で追っていく。ふんふんと頷き、んん? と首を傾げながら、なるほどねと数ページ読んで、それからそっと机の上に置く。
「そこからがいいところなんやけどなあ」
「流石に、これ以上は無理です」
「え……私にも、見せてもらってよろしいですか?」
「駄目です。こんなもの、稲形さんに読ませる訳にはいかない」
稲形さんが驚いたようにあんぐり口を開けているが、許してほしい。だって──
「これめちゃくちゃ官能小説じゃないですか!!」
「別にええやろ、これもまたひとつの文学やで」
いや、別に官能小説の存在自体は否定しない。エロとか色恋沙汰の要素は、純文学においても重要なスパイスだし。たださあ。
「ぼくたち未成年なんですよ。18禁コーナーの向こう側を見せつけてこないでください」
「春樹だってかなえだってベッドシーンくらいあるやろ」
「挟まってくることと、全編で押し付けられることは違いますよね?」
「折角獅記くん好みのヒロインにしたったのになあ」
たしかに、冒頭で押し付けてたし、中盤で挟んでもいたけど……ってそういう話じゃなくて!
「一旦この作品への評価は保留です。成人してからさせてもらいます」
「持ち帰ってもええんやで? ウチごと」
「重そうなんで遠慮します」
「いけずやわあ」
くすくすと笑う田貫さん。振り回されているな、と嘆息するぼく。そんなぼくたちをみて稲形さんは「お二人は……仲良しなんですね?」と、なんだか不思議そうに言った。
「うふふ、そやねえ?」
「ちょ、別にそんなんじゃ……!?」
腕を組み、膨らみを押しつけてくる田貫さん。離れようとするが、微かな喜びと、背中に走るゾクゾクとした感触に、思考が止まる。
「ウチら、昨日もなかよししとったもんな?」
「いや、たしかに仲良く本の話しましたけど──」
「お……お邪魔してすいませんでしたっ」
「あっ……稲形さん!」
稲形さんは小さくお辞儀すると、部室を飛び出していく。
「……青春やなあ」
去り際の、涙を堪えるような顔が頭から離れなくて、田貫さんを振り払って彼女を追う。
突き当たりの階段で、彼女は俯いていた。こちらに気づいた彼女は、振り向いて力なく笑う。
「この前の見学と、逆になっちゃいましたね」
「そうだね」
立っているのも憚られたので、隣に座る。でも、こんなに近くにいるのに、何を言えばいいのかわからなくて。謝罪なのか、同調なのか、無言がいいのか。言葉にならない言葉が口の中でずっと渦を巻いている。
「自分でも、よくわからないんです」
永遠にも感じられた数秒の沈黙の後。稲形さんはそう切り出した。
「獅記さんと田貫さんが、私の知らない話で盛り上がっている時。二人が楽しそうであればあるほど、なんだか寂しくって。私はここにいない方がいいんじゃないかって、田貫さんの方がいいんじゃないかって、そう思ってしまったんです」
変ですよね、と稲形さんは明るく、誤魔化すみたいな震えた声で言った。
「変じゃないよ。きっと、逆だったら、ぼくだって同じことを思うから」
今日のレクリエーションだって、ほんとはきっと、距離のあった田貫さんとの
同じと言ったけど、ぼくと稲形さんではきっと全然違う。ぼくが感じるのは嫉妬だとか疎外感だとかの単純な感情でしかなくて、稲形さんが抱えているのは、もっと複雑で綺麗な何かだ。
「稲形さんは、ここにいていいんだよ。ぼくが、ここにいてほしいんだ」
「獅記さん……」
顔を上げた稲形さんは、へにゃりと笑って。それから、階下を見つめた。ぼくは廊下の窓を開けて、グラウンドを駆け回る運動部を眺める。距離があるせいで掛け声が遠くに聞こえるのが、いまだけは憎らしかった。
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