Detoured-2 赤城皇成

 今回のスピンオフは中学生編では少ししか登場しなかった、高校生編ではキーパーソンとなる予定の同級生・赤城くんの物語です。

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皇成こうせい、お前U15強化指定選手に選ばれたらしいな」


 それはあの川崎でのレースから数週間後、珍しくリビングに居た父が掛けてきた言葉だった。


 

「え、ああ……はい」


 こうしてこの人と言葉を交わす事すら、いつぶりだったかな?


 そんな事を考えながら曖昧な返事をした僕に、視線を向ける事も無く父は言った。


「まあ優星ゆうせいU15は選ばれてたからな。は決めてもらわないと困る」



 自分の話になった事を気付いてか、遅めの夕食から目を離してこちらに視線を向ける兄。ただその爽やかさを張り付けたような微笑みからは、何の感情も伝わってこない。


「それより聞いてるか? ウチの石神と加賀谷、今年で退団・選手引退だそうだ。前にやった怪我の悪化で昨シーズンから結果を出せてなかったからな。お前らもそうはなるなよ」


 まるで新聞か雑誌の記事で見た、会った事も無い他人の話をするような口ぶりだ。それよりも、と同列で世間話のように僕の事も「その程度のこと」と一蹴されてしまった事の方が、胸に響いた。


 

「気を付けるようにしておくよ。それじゃシャワー、浴びないとだから」


 だけど僕は努めてどうって事は無いという返答をして、リビングを離れた。本音を言えば、どうって事ないワケが無いんだけれど。



 父は僕が幼い頃から、世界シェアを持つ自転車機材メーカーの所有する実業団チーム・アマノレーシングチームでコーチをしていた。


 と言っても上に監督という存在が居るから、正確には選手のサポート要員みたいなものらしい。


 その関係か、僕と2つ上の兄は小学校の中学年に上がるくらいには自転車――それも競技用自転車ロードバイクのほうに乗せられていた。



 最初は友達よりも速くてカッコいい自転車に乗れてただ嬉しかった。それで前よりも速く走れるようになったり出来る事が増えると兄や父が褒めてくれる事が純粋に嬉しくて、それが楽しかっただけのような気がする。



 だけどそれは兄が小学5年生になり、本格的にジュニア大会で上位を狙うレベルになった辺りで大きく変わってしまった。父は兄を連れて関東一園で行われるジュニア大会へと赴き、結果を逐一報告しては


「皇成も優星と同じ年の頃には、同じレベル以上で走れるようになってもらわないとな」


 という言葉を毎回、僕に向けてきたのを覚えている。



 僕も僕で兄と同じジュニアチームに所属して頑張って練習を続けていたケド、僕には兄に勝るぐらいの力は無かったのだと思う。


 小学校5年あたりから地元や関東の大会ではほとんど1位を取れていたけれど、それは大会記録である兄のタイムからは1


 もし兄が同じ年齢・同じレースで走っていたなら……『圧倒的な差を付けられての2位だったであろう1位』に、何の価値も見いだせなかった。



 そんな僕を見放したかのように父は仕事、兄は上の大会での活躍へと羽ばたき、家には僕と母と妹だけが残された。その母にしても、【自転車競技】という自分には全く興味の無いものに傾倒する父と僕ら兄弟を理解できないといった感じで、母の興味や愛情は年の離れた妹にだけ注がれていたように思う。


 家にはほとんど居ない父と、義理でお世話だけしてくれる家政婦のような母。当然のように家族での会話はほとんど無く、空席の目立つダイニングテーブルで淡々と食事をして、寝て起きたら学校とチーム練習に通う日々。


 

 そこには、何の意味もなかった。全ては『家庭の事情』とか『あの家を追い出されずに居続けるための点数稼ぎ』とかそういうもの。


 それなのに家族以外の他の人たちは、僕の事を【実業団チームの関係者の息子】とか【・赤城優星の弟】って呼んで『アイツは恵まれてるから良いよな』なんて陰で言い合っていた。


 チームメイトである三波や榛名はそういう事を言わなかったけれど、内心はどう思っているか分からない。


 誰も信じられなかったし、誰にも何の感情も抱けずにただただ、走らされていた。いつの間にか自転車に乗る事は僕にとって『楽しい事』では無くなってしまっていたんだ。

 

 

 

 だけどこの前のレース、あのラスト1周だけはいつもと違っていた。北条と西野に徹底的にマークされていて全く身動きも取れなかったのが、青嶋君が来てくれた瞬間に流れが変わったんだ。そして最後の直線勝負の前、青嶋君が名前を呼んでくれた時――1人で戦っているわけじゃないって、どうしてだかそう思えた。


 きっと青嶋君はトップ争いから途中離脱してしまった三波に頼まれたのと、チームメンバーの女の子のためにあの逆風を越えて先頭まで駆け付けてくれたのだとは思うけれど。


 たぶん兄の事も父の事も知らない、僕の事を『兄や父の』だとは思っていない青嶋君。そんな彼が僕に掛けてくれた声は、間違いなくのものだ。


『青嶋君‼……勝つよ、絶対に!』


 

 そう宣言して漕ぎ出してからゴールまでの瞬間――あの時間だけ、僕は呪縛から解き放たれたように思えた。兄や父のためでは無くて、僕自身に期待してくれる誰かのために勝ちたい、走りたいって、純粋に思えたんだ。


 だけど……レースが終わってしまえばその感覚はすぐに鳴りを潜め、いつもの憂鬱な気分が戻ってきてしまった。そう、あの兄がレースを観ていて、声を掛けてきたおかげで。


 

 僕があの感覚をもう一度取り戻せるのは、いつになるんだろうか?


 

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