第16話 パリへ2

 語り マリー・アスラマハーバリ・イシュタル (ノエル・ダルク)


しばらくすると村の男たちが棒や鎌などを手にしてやって来ます。女や子供たちも続いて遠巻きで見ています。一目でネリーの妹とわかる少女が父母と共にいました。そこにほっそり背の高い青年が妹の脇に立つと、不安そうな妹の肩を抱き寄せました。


それを見たネリーはすっくと立ち上がります。そしてズンズンと歩み始めるではないですか。青年が妹の手を握ると、ネリーは指して叫ぶ寸前です。

ぼくは慌ててネリーを引き倒し、馬乗りになって口を塞ぎました。でもネリーは暴れまくり、ぼくの手をのけると、水車のように腕を回してぼくを打ちます。


「マリーのばか、マリーのばか」

「痛い、やめて、痛い、やめて」


二人でこれを何度も繰返しました。しまいには "マリー、マリー" を連呼されると同名のわたしが叱られている錯覚を起こし、悪くもないのに、


「痛い、ごめんなさい、やめて、ごめんなさい」


と言ってしまいます。でもネリーの怒りは収まらず、すごい形相で体を起こそうとするじゃないですか。


「お願いだよ。みんなに見つかっちゃう!」


ぼくは必死に懇願しました。するとピタリ、ネリーはあっさり腕を振り回すのを止めました。冷静な顔してぼくを見上げています。ぼくは安心して抑えた手を緩めました。が、卑怯なことに油断したぼくをいきなり平手打ちにしたのです!本当にひどい!


「なんなん!あたしだけって言ってたくせに!マリーもマリーよ。マリーのバカ!」


またもネリーは腕を旋回させました。「痛い!ごめんなさい!」と言いながら、ぼくはぴょんと跳ね、お尻をネリーの胸上に落しました。


「ぐえっ!」


ネリーは蛙のような声を上げます。ネリーを草むらの中に隠すことが出来ました。そしてネリーは苦しそうに咳き込みました。

ぼくは天使な立場を忘れ、小さな復讐に少し嬉しくなりました。

それから目を墓地に移します。村の男たちが棺の周りに身構え集まっています。


一人が挙げていた腕を素早く下げました。


「それっ!」


ふたが勢いよく取り払われ、他の男たちはぐっと腰を落とします。もちろん何も起きはしません。が、村人たちには緊迫した時間が続きました。


ぼくは咳き込むネリーの体を起こしてあげます。背中をなでてあちらを見るように促しました。


すると男たちは棺にゆるゆる接近しています。そして・・・棺の中を見たものから順番に驚き、十字を切りました。

ネリーの家族が呼ばれ三人と一人が棺をのぞきます。もちろん皆すぐに驚きます。おとうさんは帽子を握って天を仰ぎ、お母さんと妹のマリーはおとうさんに寄り添って泣いています。そしてモテモテ君は一人立ちつくしていました。みな元気なネリーを思い出してくれたはずです。村人はそれぞれのかたちで驚き、遺体の無事と不思議を神様に感謝していました。


そうです。ぼくは可哀想なネリーの顔をもとの白くてやわらかい可愛い顔に修復してあげたのです。ささやかな奇跡でぼくが小鬼でないことも判ってくれたはずです。ネリーにも家族にも良い事をしてあげたとちょっと得意になりました。



村人たちは落着きを取り戻すと埋葬を再開させます。男たちが荷車から棺を下ろし、穴の横で最後の別れを始めます。村人たちはみな頭を下げ、司祭様は何もなかったようにのんびり祈祷を唱えます。祈祷が終わると皆は一斉に顔を上げました。棺が閉じられようとします。ネリーとの本当のお別れです。が、その時です。


「閉じちゃだめ!ネリーが生き返るかもしんない」


いままで嗚咽していた妹のマリーが父母にすがり訴え始めました。

素朴な儀式がにわかにざわつきます。誰もが口に出せずに思っていたことらしく、ひとりの若者が同調しました。


「今日は埋めるんやめんべぇ。ちっと様子を見んべぇよ」


うん、うんと、肯く者がたくさんいます。

しかし年配者が遠慮がちに言いました。


「死んだもんの顔色変わったり、膨れたりすんのは、ままあることだんべ」


しばらくたてば遺体が酷くなるのをよく知っています。


「こりゃそんなもんじゃねぇよ、これは奇跡だんべ」


また別の若者が訴えました。娘たちは棺を囲んで叫びます。


「ネリー、ネリー!目をさますんよ!ネリー!」


若者と年配者でわーすか、わーすか。女たちは泣きじゃくる。司祭様は収拾できなくなりました。

やっぱりぼくは間抜けな小鬼でしかなかった。ため息がでます。

そのうえネリーが追い討ちかけて言いました。


「お顔がきれいになっても死んでるよ」


抑揚なく言います。涙もなく、たださみしそうに。


ネリーは立つと墓地を背に歩き始めました。

ぼくも乾いた土埃を払うと、ぼとぼとネリーについて行きます。

カラスたちが「アホー、アホー」と馬鹿にしていました。



ネリーとぼくは墓地を離れると林を抜け、種まきが終わったばかりの畑をパサパサと歩きます。(よい子は真似をしてはいけません)畝の縞模様が遠くの丘まで続き、やっと畑が終わればまた林、枯れ枝をパキパキ踏んで進みます。そして抜けるとまた畑。過ぎるとまたも林。これを何回もくり返しました。あてなく会話なく運動不足と気分の落ち込みで足は重く疲れます。


するとネリーが畑の真中で振り向きました。胸をはり、両手は腰でぼくを射すように見ています。これはかなりまずい。伝統的でスタンダードな女子ド怒りのポーズです。


「あんた、用があってあたしを呼んだんでしょ。で、なんなん」


凶暴なネリーを思い出し、びびります。肩をすぼめて言いました。


「ぼくはラ・ピュセルを探しているんだ」


ネリーは赤面しながらも胸を張りつづけて言いました。

「ラ・ピュセルならあたしもそうよ」


ぼくはネリーが処女かとは聞いていません。

「ちがうよ、オルレアンを救ったあの・・」


「知ってんに決まってんでしょ!冗談通じない子だね」


ネリーはずんずんと寄ってきます。


(村で評判のかわい子ちゃんって絶対うそだ!)

ぼくは素早く逃げました。



「わかった、わかった。ノエル、ぶたないからおいで」


ネリーはぼくの名を初めて呼んで手招きします。

ぼくは様子を伺ってからこわごわ近づきました。


「病気がわるくなるまえ聞いたよ。ちょうど一年前の5月、ラ・ピュセルはコンピエーニュで捕まったって」


ネリーは北を指差し教えてくれます。そして今がちょうど一年たった5月であることも判りました。お姉ちゃんがどうしているのか心配になります。


「で、イングランドに売られたと聞いたけど、あとは知んない」


お姉ちゃんは有名人。田舎娘のネリーでも知っていましたが限りがありました。

ぼくは次に、近くに街がないかと聞きました。街に行ってお姉ちゃんの情報を集めねばなりません。


「近いならコンピエーニュさ。でも行くならパリ。あたしはパリに行きたいと思ってたんさ」


ネリーは南を指しました。ぼくもコンピエーニュには行きたくありませんし、パリならネリーが案内してくれそうです。

ぼくが不思議そうにネリーの顔を見ていると、


「ぼくはさぁ、あたしが案内しなければ帰してくんないでしょ」


ネリーは天を指さしました。


「それにいまは歩くのがとても楽しい。愉快だわ。あっはは」


そう言うとさらに近づいてぼくの頭をなでました。


「ウジウジくよくよ、反省も大事だけどひきずっちゃだめだよ。明日を考えようぜ」


落ち込んでいたぼくは、切り替えの上手な、いや、切り替えを明るく豪快に見せてくれたネリーを少しだけ見直しました。


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