外伝 茶奉荘


序章 


「なぁ頼むよT、車も向こうでの金も出すからさ」

「そういう問題じゃ無いって、僕は」

「Oくんは言い出したら聞かないよ。それに、ネットでちゃんと調べたんだから大丈夫だよ!」

「そうそう、Cが調べたんだから大丈夫だって。見落としなんてあるはず無いからさ」

「……そういうのが一番危ないんだよ、大体」

「頼む!」「お願い!」


 ……悪い癖だ。友人に強く頼まれると、どうしても断れなくなってしまう。この性格のせいで色々と損をすることも多いのだが、人の性格とは簡単には変えられないらしい。

 それに、Cとは短い付き合いだが話をしてみる限り聡明そうな女性だ。その彼女が調べたと言うなら、取り越し苦労ということもあるだろう。ガサツなOと二人で、というなら話は別だが。



 この話は先日仕事帰りにOとばったり出くわし、そのまま飲みに行ったことに端を発する。

 学友との数年ぶりになる再会に話は弾み、途中得意気に怪談話をいくつか披露したところ、Oもそういった話題には目がなかったようで、目を輝かせていた。

 まさかOが同好の士とは思いもよらず、次回は怪談通話をしようという流れになるのは必然だった。更に同じく怪談話が好きなC(後の通話で知ったが、Oの彼女だったらしい)を加えて3人で行われたその通話は次回も楽しみなほど盛り上がり、今日また開催される運びとなったわけだ。


 だが今回の通話は怪談話が目的ではなく、どうやらOが行きたがっている心霊スポットに一緒に行こうというものだった。

 話を聞いてみると、心霊スポットと言っても廃墟や山奥といった危険な場所ではなく、普通に営業している民宿施設のようだ。心霊スポットと言われる所以も、インターネット掲示板などで熱心なマニア層からまことしやかに囁かれている程度のものなのだという。現に自分でも検索してみたがその施設に悪い噂は見当たらず、心霊要素の内容も心霊写真が撮れるとか、夜中に外から誰かの話す声が聞こえると言ったかわいいものだった。

 施設自体も至って素朴で、いかにもな民宿という素敵な建物だ。


 密やかな噂がある素朴な民宿で、それを検証しつつ夜通し怪談話に花を咲かせる。素敵な話だとは思ったが、過去の経験から軽はずみにそういったモノに首を突っ込んでもいいことはないと知っている。始めは適当に理由をつけて断ろうと思っていたのだが、両名のどうしてもという姿勢に結局ついて行くことになってしまったのだ。だが、何もなければ楽しい経験になることは間違いない。

 いっそ怪談話が好きな別の友人も呼ぼうかと考えたのだが、彼は人見知りをする性格なので誘っても迷惑がられるだけだろう。それによく考えれば、あいつと怪談話をしても何の新鮮味もない。



1. 邂逅


 近くの駅で待ち合わせし、Oの車で移動すること1時間。件の民宿【茶奉荘(ちゃほうそう)】に到着した。

 建物は住宅街の中にある開発が途中で終わってしまったのであろう丘の上に建っており、周りの住宅からはある程度の距離がある。対面や左右には建築途中だったのか、建物の基礎部分のみが残されていて宅地開発の際この家だけ買い取れなかったのだろうか?そもそも開発計画が杜撰なものだったのか?などと色々な想像が膨らむ。

 いずれにせよ時代に取り残された、あるいはここだけ時が止まっているかのような印象を受けた。またすぐ後ろには森が広がっており、少し進めばもうそこは山の中といった様相だ。まるで、この家が住宅街と山の境目になっているかのようだ。

 外観は普通の家を民宿用に供しているようだが、ネットで見たものより多少古びた印象を受ける。だが同じような例は全国どこにでもあるだろう。それに、自分は多少古びた建物のほうが味があって好きだ。

 OとCも似たような印象を受けたようで、皆でこれから一晩を過ごす建物を褒めそやしながら


【〓〓な方は〓〓】


 と文字が掠れるほど古い立て札の傍にあったチャイムを鳴らす。心霊スポット好きがここに目をつけたのもこの立て札、建物、更には場所そのものの雰囲気によるものだろうか?

 チャイムを鳴らすとすぐに民宿の主人であろう、70代くらいの着流し姿な男性が迎えてくれた。とても朗らかな雰囲気の方で、着ているものは少し古びているがそれがまた粋な印象を受ける。

 対応を実際に予約したOに任せて家の中を窺うと、まず目に飛び込んできたのは使い込まれた茶色い上がり框だった。


 足元には昔ながらの三和土が広がっており、端には観葉植物の鉢が置かれている。

 入ったすぐ脇には木製の靴箱が置かれ、その上にはこれまたかわいらしい花が生けられた花瓶が静かに佇んでいる。空いた花瓶が目立ち、花は一種類しかないが、あの小さな白い花がいくつも垂れ下がっている植物は友人の家で見たことがある。スズランだったろうか?

 その横には古い写真がいくつか飾られているが、大分古いものらしく何が映っているのかは判然としない。だがそれが逆に、まるで時間が止まったかのような懐かしい雰囲気を醸し出していた。

 正面に目をやると廊下が薄暗い奥へと続いており、突き当りに見えるのは2階への階段だろう。すぐ右手には居間へ続く磨りガラス付きのドア、少し進んだ左手には客間であろう空間へ続くふすまが閉まっている。

 全体的に飾り気はないが、古民家ならではの暖かさと年月の重みが感じられる、そんな空間だった。


 素敵な家だなと感じ入っていると、ふと先程も見た靴箱の上にある古びた写真立て、その背後に目がとまる。


 (……何だろう、文字?)


 などと考えていると、宿のご主人と話していたOからフルネームと年齢を聞かれた。どうやら宿帳に記入するので必要らしい。友人といっても名字しか知らない、などというのは現代社会あるあるだろう。

 彼に返答を返すと、チェックインの手続きは終わったようだ。だが、ここで宿の主人から意外な提案をされる。


「皆さんこんなところまでよくおいで下さいました。うちではおいで頂いた方に記念撮影を行なっております。もしよろしければ、いかがでしょうか?」

「記念撮影だってさ、やって貰おうぜ!」

「いいね!どうせ後で撮る予定だったし」

「はい、僕も大丈夫です」


 そういうわけで一旦民宿の外に出ると、民宿を背景に写真を撮ってもらうことになった。肩を組む二人の隣で若干居心地の悪さを感じたが、自分は素直にピースサインをしておくことにした。前を見るとご主人が持っているのは意外にもデジタルカメラで、民宿やご主人との雰囲気の違いに少し可笑しい気分になった。


「ではお撮りします。1+1は?」

「「「「にー!」」」」


 果たしていつから使われているのか分からない文句と同時に笑顔を作って見せる。だが写真を撮るまさにその瞬間、ご主人が少し驚いたような表情をしたのは気のせいだろうか?ひょっとすると、誰かが目を瞑った瞬間を撮ってしまったのかもしれない。だが、そういった写真も旅の醍醐味だろう。目を瞑っているのが自分ではないといいのだが。


「ありがとうございました。写真は皆様がお帰りになるまでに現像しておきますので、後はごゆるりとお寛ぎ下さい。では、私はこれで」

「あれ、管理人さんはどっか行くんですか?」

「えぇ。この近くに別に住んでいる家がありますので、普段はそちらにおります。勿論何かあれば電話を頂ければすぐにお伺いしますので、ご安心下さい」

「成程なぁ。分かりました! ……あっ、戸締まり以外に何か気をつけることってありますかね?」

「……いえ、普通にお使い頂く分には問題ありません。強いて言えばいくつか鍵のかかった部屋がありますが、そこは物置なのでお気になさらないで下さい。入浴に関しても新しい物を導入しているので、皆様が普段使っておられるのと同様にお使い頂けると思います。

 あぁ、それとこれは地元の人間しか知らないのですが、裏に広がる森は散策の穴場として大変好評を頂いておりまして。皆様も折角ご縁があったことですし、是非お立ち寄り下さい。とても気持ちが良いですよ。

 それと、チェックアウトの時間前にお帰りになる際はご一報下さい。それでは……」


 そう言ってお辞儀をしたご主人は、坂道を降りていった。


「よし、じゃ早速入ってメインの部屋を決めようぜ、俺こういう古い家なんて滅多に来ないから楽しみだな~!」

「私も!なんていうか、田舎のお祖父ちゃんお祖母ちゃんちを思い出すよね」

「だな。Tはどうなんだ?」

「僕も今住んでる家は普通の家だよ。ただよく遊びに行く友人の家がここと同じ様に古い家だから、慣れてるっちゃ慣れてるかな」

「お~!なら何か困ったらお前に聞けばいいってワケだ。やっぱり誘って正解だったな~」

「頼りにしてるね!」


 正直古い家によく行くというだけで、古い家全般に詳しいわけでは無いのだが……しかしまぁ、楽しんでいる二人に水を差すこともないだろう。任せてよと返すと、二人に続き自分も民宿に――


(……見られている?)


 なんとなく視線を感じた気がして辺りを見回す。

 だが周囲に民家はなく、人影も無い。ほぼ行き止まりも同然のこちらまで足を運ぶ人は少ないのだろう。

 気のせいかと視線を民宿に戻すと、入口の近くで二人が何かを話していた。


「あれ、入らないの?鍵はさっき貰ってただろ?」

「違うの、彼ったらそこにあるお地蔵様みたいなのを足でつついたのよ、信じられない」

「軽く触っただけだって。ほら、別に欠けてもないし、ちょっと動いただけだよ。それによく見ると色んな像があって面白いぞ?」


 そう言ったOはまた別の像……何だろう?見覚えはないが、とにかく有難そうなそれをまたも足でつつくのだった。


「ちょっとやめなよ!」

「ははは、悪かったって。ほら、入ろうぜ」

「全く。Tくんからも何か言ってやってよ!」

「まぁまぁ、旅ってことでテンション上がってるんだって。ほら、入ろうよ」


 この調子でOが家の中の調度品にも手を出さないか心配だったが、流石に杞憂だったようだ。

 家の中を一通り見て回ると今回の主目的に使う部屋を1階の居間と定め、荷物を置いて冷蔵庫に持ってきた飲食物を入れる。すると


「よし、じゃあまずは裏の森を探検しようぜ」

「賛成!この山ってこっちから見ると何もないけど、逆側には公園とかなんとか遺跡があったりして色々整備されてるみたいだよ」

「へー。Tもそれでいいよな?」

「うん。だけど、あまり奥には入らないほうが」

「分かってるって!流石の俺も曰くつきの家の近くにある森の、それも深くに入ろうなんて思わないよ」

「それなら、行こう」


 そういうことになった。




2. 闖入


 家を出て裏に回る途中、家の横や裏にも正面にあったのと同じような像が並んでいた。手造りなのだろうか?2つとして同じものはなく、それらは恐らくこの家の周囲をぐるりと囲っているように思われた。


 裏手に回ると、建物の向かいには話にあった通り人の通行があるようで、2人分程度の幅に道が均されていた。

 左右の木立にはある程度の間隔があり、多少薄暗いという程度であまり不気味、怖いといった雰囲気は無い。むしろ森の中に開けた遊歩道といった趣で、散歩が趣味の自分としては非常にそそられる。


 二人が前を並んで歩き、自分がその後ろをついて行く形で森に入っていくことになった。

 住宅街から離れているからか、人の声は殆ど聞こえない。聞こえる音といえば、虫や動物たちの鳴き声、風、木々のざわめき、踏みしめた地面……自然そのものが奏でる詩だけだ。

 やはり自然の中の散歩はいい……そう悦に入っていると、前の二人が自分を呼んでいるらしいことに気がついた。


「Tってば!」

「あ、あぁごめんごめん。あんまり気持ちの良い散歩だったからボーッとしてたよ。何?」

「それがよ、Cがなんか見つけたっぽいぜ!」


 見るとOの隣にCは居らず、少し戻った先の道端にしゃがみ込んでいる。あれでは前から見たらスカートが……結構お転婆な人なのだろうか。


「Tくん見てみて、あそこの木の間、何かお社みたいなのが見えない?」


 彼女の指差す方を見てみると6,7mほど先に、確かに石造りのこぢんまりとした何かが見えた。

 ……散歩中に何かに遭遇する。まだ記憶に新しいあの事件を思い出すと深入りしたくはないが、自分が止めても二人、特にOは無理にでも調べようとするだろう。そしてOが乱雑なことをした結果、何者かの怒りをかって……嫌な想像に身震いがする。

 二人には本当だ、ちょっと見てくるから待っててと伝え、石造りのナニかに近づいていく。

 はぁ。やっぱり来るんじゃなかったかな……などと自嘲気味に笑いながら進んでいくと、次第にソレの姿がハッキリと見えてきた。

 一言でいえば自然石で作った環状列石、日時計のようなものだった。

 後ろの二人には来てもいいが乱暴にしないようにと伝え、間近まで近づいて観察を始める。


 中心部には握りこぶし大の石が何個も積み上げられてまるでケルンのようになっており、周囲には細長い石で円が作られている。その円に使われている石の中に一つだけ他と明らかに違う大きな石があり、それは自分たちが歩いてきた道……というより、民宿の方向を向いて置かれていた。それによく見てみると、梵字のようなものが刻まれているようにも見える。

 これは一体……そういえば、あいつから似たような話を聞いたような?夢中になって考えていると、後ろから足音と共に声がかかる。


「おーなんだこりゃ!ストーンヘンジか?」

「バカ、こういうのはストーンサークルって言うのよ」

「なにか違うのか?」

「はぁ……Tくん、このバカに教えてやってよ!」

「まぁまぁ……それより、ちょっと周囲を見回してみてよ。ひょっとすると、これと同じようなものがまだあるかもしれない」


 二人にそう言うと、キョロキョロと辺りを見回しだした。自分も見てみるが、この薄暗さでは流石に……

 そう思った時、ある場所に自分の目は釘付けになった。


 元きた道より更に奥側の森。その一角が、まるでスポットライトを浴びているかのようにきらめいている。

 あそこだけ……?自然とそちらへ足を踏み出す自分に、二人は何かを言いながらついてくる。

 近くまで来てみると、そこにはやはり先ほどと同じような石積みがあり、石で作られた円周には、これまた同じく大きな石が一つだけ含まれていた。


「おー、よく見つけたな、お前そんなに目がよかったっけ?」

「え?いや、ここだけ光が……」


 言いかけて気付く。遠くから見た時はたまたまここだけ樹冠に遮られずに日光が届いていたのかと思っていたのだが、ここに来て見上げてみればそんなことはなく、周囲と同じ薄暗さのままだ。


「あれ?」

「?変なやつだな。しかし、こりゃあ何なんだろうな?」

「ちょっと、ダメ――」


 困惑する自分の視界の隅で、Cが静止する間もなくOは中心の石積みを足でつつく。

 当然のように石積みはガラガラと音を立て、無惨にも崩れ落ちる。


 あちゃーと半笑いのO、彼を責めるC。


 そして、その場に蹲る自分。


「おええええええ!!!げほっ、ごぼっ、うおえっ」

「うわぁ!だ、大丈夫かよT!」

「きゃっ!ちょっと、大丈夫?気分でも悪いの?」


 二人が、何か言っている。しかし、今は、それどころじゃ……


「うぐっ、ごぼっ……い、いいがら、早ぐ……」

「参ったな、何か薬とか持ってきてるか?」

「ううん、何も……」


 早く、しないと。

 溢れ出る吐瀉物を全身にあらん限りの力を込め、大声と共に一気に排出する。女性の前でするべき行為ではないが、手段を選んではいられない。


「うおっ!……おいおい、ほんとに大丈夫かよ……」

「Tくん大丈夫?ねぇO、もう戻ろうよ」

「うーん、まあしょうがな――」

「早く!今すぐ戻ろう!」

「な、なんだよ、そんなに気分悪いのか?だったら」

「そうじゃない!いいから早く、頼むから!」


 我ながらこんな言葉しか出ないのかと呆れるが、この際口に出ただけ良しとするしかない。

 必死さが伝わったのか、まずCが早足で戻り始め、Oに肩を借りながら自分も歩こうとする。だが、足に力が入らない。まるで、先程の大声で全ての力を出し尽くしてしまったかのようだ……

 なんとか足を進めようとする自分の状況に気付いたのか、Oが自分の前にしゃがみ込みほら、行くぞ!と声をかけてくれる。遠慮する余裕などない自分はすぐさま彼の背におぶさると、彼もまた早足で元の道まで戻っていく。

 幸いそこまで森の奥には入っていなかったようで、すぐに元の道、そして民宿へと帰ることができた。

 入口でOの背から降りる際、彼の影の長さに初めて辺りが夕焼け模様だということに気付く。

 これは、マズイかもしれない。



3. 不穏


 民宿に入ると戸締まりを二人に頼み、洗面所で顔を洗っているといくらか体に力が戻ってきた。さっきまで早鐘を打っていた心臓もようやく落ち着ける程度にはなり、改めて二人との話し合いの場を設けた。


「お、戻ってきた。大丈夫か?」

「うん、なんとか。さっきはおぶってくれてありがとうな」

「気にすんなって。それより、さっきは急にどうしたんだよ?」

「うんうん。急に蹲ったと思ったら吐いちゃうんだもん、私心配で心配で」

「……信じてくれないかもしれないけど、とりあえず聞いて欲しい」


 そこで初めて、二人に自分の体質……つまり自分は視える人間で、更に霊的な感受性が豊かなのだということを伝えた。いくら心霊関係が好きな人間でも、いざそんなことを言われて信じる人間は少ないだろう。だが、この場は何としても――


「そうだったのか……すまん、俺が無理に誘ったせいで……」

「私もごめん、何も気付いてあげられなかった……」

「……え?し、信じてくれるの?僕が言うのもなんだけど、こんな荒唐無稽な話……」

「お前と会ったのは久々だけど、こういう場面で嘘を付くやつじゃないってことくらいは分かってるさ。再会して話してみても、俺はそう思ってる」

「私も。ほんの少し話をしただけだけど、Tくんが誠実な人なのは分かるよ」

「……ありがとう」

「で、そう言うからには何かあったってことなんだよな?だったら管理人さんに連絡して、とっとと帰った方が良くないか?」

「いや、そうとは限らない。でも、連絡するってのは賛成だ。何か事情を知ってるかもしれない」

「じゃあ、私電話してくる!O、Tくんをちゃんと見ててあげてね!」

「おう、頼んだぞ」


 Cが電話をかけている間、Oは自分にとりあえず着替えてきたらどうだ?と言ってきた。

 確かに泊まりの予定だったのだから着替えは持ってきているが、何故……と考えた瞬間、ツンとする悪臭が鼻をついた。……なるほど、だからOも着替えていたのか。

 着替えを済ませると、改めて先程の逃走劇についてOに感謝と謝意を伝える。すると彼はまたも気にするなと、笑顔で答えてくれた。こういうところも変わってないな。

 すると、ちょうどいいタイミングでCが戻ってきた。C曰く、ご主人に電話したところ


【そんな石積みの存在は知らない。だが念の為調べてみるので、詳しく話を聞かせて欲しい。あいにく今はすぐ駆けつけることができないので、1時間後にはそちらに到着できるようにする。また話を聞くのはOさんだけで良いので、時間になったら外に自分を迎えに出ていて欲しい】


 とのことだった。


「なんかね、あまり驚いた様子じゃなくて落ち着いて聞いてくれたよ。こういうトラブルはつきものなのかもね」

「長くやってそうな人だったもんな、人当たりもいいし」

「うんうん。……Tくん、どうしたの?まだ気分悪い?」


 Cさんには大丈夫と答えると、再び考えに耽る。考えているのは、ご主人が言った内容だ。

 何故、気になるのだろうか?


 石積みの存在を知っていたかは、確かめようがない。

 話を聞かせて欲しいというのも分かる。ひょっとすると、歴史的に重要な遺跡の可能性もあるからだ。

 しかし


【あいにく今はすぐ駆けつけることができないので、1時間後にはそちらに到着できるようにする】


 こういった民宿などの管理人は通常民宿内の専用スペースに滞在するか、離れたとしても最初の説明で言っていた通り、すぐに駆けつけられる場所に居る筈だ。5分10分ならまだしも、1時間は遠すぎる。こんな初歩的な間違いを、ベテランの管理人なら犯すだろうか?勿論何か特別な事情で出かけたという可能性はある。だが次の


【話を聞くのはOさんだけで良いので、時間になったら外に自分を迎えに出ていて欲しい】


 これはいくらなんでもおかしい。

 あの場に全員が居合わせたことをCがきちんと話したのは確認済みだ。であれば、当然全員が同席しての説明を要求するはず。

 百歩譲ってOが石積みを崩した当事者だから、ということで納得したとしても、迎えに行く時間に外へ出ていて欲しいとはどういうことだ?

 考えれば考えるほど、ご主人の言ったことは怪しく思えてくる。だが、だからといってどうすることもできない。Oが言ったように、料金の支払いなどは後回しにしてとにかく車で帰ってしまうというのも選択肢の一つだが……なんとなくそれは、それだけはマズイ気がする。


 …くん、Tくん!


「わっ!な、何?なにかあったの!?」

「何かあったのって、こっちのセリフだよ。さっきからずっと難しい顔で黙り込んじゃってさ」

「ははは、こいつは昔からそうなんだよ。考え込むと周りが見えなくなるっていうかさ。な?」

「……お恥ずかしい限りだよ。ところで、二人はご主人の言ったことについて、何か疑問に思わなかった?」

「え?うーん……なんだろうな、外に迎えに出ろってのは良くわかんないけど、もうじき暗くなるからこの家が分かりづらいとか?」

「そんなことないでしょ、自分の民宿なんだから。でもそうだなあ、私も気になるとすれば外に出ておいてってところかな」

「やっぱりそうだよね……」

「でも、おかしかったらどうするんだ?来ないで下さいだなんて言えないだろ?」

「それはそうなんだけど……」


 そうだ。おかしいと気付いたところで、何もすることが出来ない。この場に居る誰一人として、自分達の身に起きたことが――


「そうだ!!!」

「うおっ!?」「きゃっ!」

「あ、ご、ごめん……」

「何だよ、妙案でも思いついたのか?」

「いや……でも、これしかない。分からないなら、分かりそうな人に聞くしかないんだ。僕ちょっと電話してくる!」


 顔を見合わせる二人に待っていてくれと声をかけると、一応2階の部屋に移動してから友人のKに電話をかける。

 頼む、すぐに出てくれ……!


トゥルルル トゥルルル


……


ただいま、電話に出ることが ピッ


 ……くそ、くそ、くそっ!!!

 唯一の希望が断たれ、パニックを起こしそうになる自分を必死に押し留める。

 こうなったら家に電話するか?ひょっとするとお祖父様が


♪~ ♪~


 !!!!


「もしもし!!」

「うお、うるっせえなぁ……なんだよ、寝てたんだから手短」

「助けてくれ!……頼むよ、なんか変なんだ」

「……」

「K?」

「……はぁ。ちょっと待ってろ、顔洗ってくる」


 そう言うと、スマホからは親友が部屋を出ていく音が聞こえ、暫くの無音の後、戻って来る足音が聞こえた。


「もどり」

「あぁ、おかえり。そ、それでさ」

「待て、まず俺から話すから黙って聞け。お前が話すべきことは四つ。

 一つ、まぁこれは分かってるが、緊急か?

 二つ、電話で済むか、お前が来るか、俺が行くか。

 三つ、何から助けて欲しい。

 四つ、何があった?」


 Kの落ち着いた真剣な声と分かりやすい指示に、パニック一歩手前だった頭が冷静さを取り戻す。本当に、こいつは。

 自分は

 ・恐らく緊急であること。

 ・内容次第では、Kにここまで来て欲しいこと。

 ・友人二人と来ていること。

 ・自分が体感したのはただの怪異、幽霊の類ではなさそうだということ。


 そして、あの森で起きたこと。更にその後のあらましまでを出来るだけ正確に伝えた。

 ……つもりだったのだが。話し終える頃には息が切れており、本当にしっかり伝えられたか自信がない。荒い呼吸を繰り返していると


「……分かった。まず言えるのは、その管理人は怪しい。対面は絶対に避けて家に籠もれ。電話にも出るな。

 それと、どこでもいいから……いや、トイレか風呂がいいな。まずこの後送る画像の通りの文字を書いた紙を3枚用意しろ。書くものは何でもいいが、出来るだけ正確に写せよ。あ、赤い点が一つだけあるが、それは使う本人の血で書け。

 あと、手で持てる皿か何かに塩を盛ったものも3つだ。んで、その紙を口に咥えて、利き手じゃない方の手に盛り塩した皿を持つ。両利きの奴は居るか?……よし。で、皿を持ってない方の手は握っておけ、とにかく掌を晒すな。

 そして中に入る人間をA、補助する人間をBとするぞ。何もしないCは別の部屋で待ってろ。

 その状態でAはBにドアを開けてもらって中に入る。Bの注意点は特に無い、Aが入ったらBが閉めろ。ドアが閉まったら、Aはその場で10秒くらい待ってから皿を持ってない方の手でドアをノックし、ノックされたらBがまた開けてやる。Aは外に出て、咥えてた紙を適当な机なりなんなりに敷いて、その上に持ってた皿を置く。これはどれが誰のだか絶対に分かるようにしておけよ。

 AとかBはお前ら三人に適当にABCと割り振って、AとB→BとC→CとAって感じでやれ。いいか、待機役以外の役割を同じ人間が2回行わないようにするんだぞ。

 ……大丈夫だよ、ちゃんと画像と一緒に手順をメッセージにも送っておく。

 

 それで……いや、とりあえずそれが終わったらまた電話しろ。気をつけるのは、咥えた紙や持った皿を落とさないことだ、徹底しておけよ。


 それとなるべく早くそっちに行くが、さっき話した管理人が訪ねてきても家には入れるな。適当に理由をつけてもいいし、完全に無視したっていい。もしかすると抜け道みたいなものがあって家に入ってくるかもしれないが、男が二人いれば力ずくでなにかされるってことはないだろ。


 だが、訪ねてきたのが管理人の代理、あるいは管理人を騙る別人だったら、何があっても絶対に中にいれるな。いいか、これだけは守ってくれ。例えそいつが俺の声で俺だと名乗っても、絶対に中にいれるなよ。俺はそっちに着いても中に入るつもりはないし、中にいれろとも出てこいとも言わない。


 ……泣くなって。お前らがさっき言ったことをやって、かつ誰も中に入れなければ絶対助けてやれる。

 いいから、いいって。とにかく、冷静に行動しろよ。さっきも言ったが、手順や画像は改めてメッセージでも送る。3人共紙の上に皿を置けたら俺に電話しろ。もし出なかったら、塩か紙の色の変化をメッセージで送ってくれ、お前になら多分視えるだろ。


 ……あぁ。あぁ、分かってる。大丈夫だよ、信じろ。必ず助ける。

 ……すぐ行くから、待っとけ。じゃあな」




 半ベソをかきながら、電話を終える。念の為部屋を移動しておいてよかった。

 1階の2人のもとに戻るとKの素性、そして言われたことを改めて説明する。

 最初2人は怪訝な顔をしたが、これしかないと真剣に頼むと真面目な顔で頷いてくれた。


 送られてきた画像は梵字のようだったが、まるで見覚えのないものだった。正確に写せと言われても自信が無かったが、そこは字がうまいというCさんが担当してくれた。塩を盛った皿もOが用意してくれ、3人分の用意が整った。


 場所は1階にあるトイレを利用することになった。順番は

 

 OとC→Cと僕→僕とO


 とすることに決め、各々Kの説明にあった手順をお互いに口に出しながら確認し合う。


 Oがトイレに入る間、僕は1階の居間で待機していた。しばらくすると緊張した面持ちのOが戻ってきて咥えていた紙をテーブルに敷き、その上に持っていた皿を置くと安堵のため息を漏らした。

 じゃあ行ってくるよ。おう。と短い会話の後居間を出てトイレへ向かうと、不安そうなCが立ち尽くしていた。


 改めてルールを口に出して確認しあうとCが紙を咥えて皿を持ち、準備を終える。僕がドアを開き、彼女が中に入る。ドアを、閉める。

 永遠にも思える10秒が経過すると、控えめなノック音が響く。

 ドアを開くと、Cが不安そうな顔でゆっくりと出てきた。一瞬こちらに目をやると、そのまま慎重に居間へと歩いていく。


ガチャ


 居間のドアが開く音に、いよいよ緊張が高まってくる。次は、自分の番だ。


バタン


「……大丈夫か?」

「うん……始めよう」


 紙を咥え、手に皿を持ち、トイレのドアと相対する。

 いまだかつてトイレに入るのにここまで緊張することがあっただろうかと考えると、少し緊張がほぐれた気がする。

 目線で隣のOに合図すると、目の前のドアが開かれる。中に入ると、すぐに背後でドアの閉まる音がする。

 それを合図に、心のなかで10秒を数える。


1…… …… ……5…


 心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を流れていくのを感じる。まるで見えない何かが自分を値踏みしているというか、監視されているような気分だ。今まで何度か感じたことがあるような気もするが、今はそれどころではない。


6…… ……8……10!


 ……よし、もういいだろう。皿を持った手とは逆の握りこぶしで、後ろのドアをノックする。


コン コン



……?


 控えめすぎて聞こえなかったのだろうか?念の為、もう一度強めにドアを叩く。


ドン ドン


……


ドン!ドンドン!


 おかしい、背後のドアが開かない。Oには聞こえていないのだろうか?涙目になりながら、何度もドアを叩く。


ドンドン!ドン!


 ……どうしよう、こうなった時の対処など、聞いていない。殆ど半狂乱になりながら、無心でドアを叩き続ける。


ドンドンドン ダダダダッ ドン!ドン!


ガチャ


 待ちわびていたドアの開く音に、努めて慎重に振り向く。

 そこで目にしたのは蒼白な顔をしたCと、その横で廊下に倒れているOの姿だった。




4. 進行


 Cに目線で合図をするとまずは居間へ向かい、紙の上に皿を置く。机の上には、2人の分もきちんと決めたとおりに置いてあった。

 トイレの前まで戻ると、変わらず倒れ伏すOにCが必死に呼びかけていた。


「O!ねぇしっかりしてよ!」

「戻ったよ、何があったの?」

「Tくん!そ、それがね……」


 彼女の話を要約すると、自分が居間で待っているとここまで聞こえてくるほどのノック音が聞こえた。それがいつまで経っても止まないので、何かあったのかと廊下に出るとOが倒れており、慌ててドアを開けてくれたのだという。


「どうしよう、私、わたし……」

「大丈夫。取り敢えず、Oを居間まで運ぼう」


 大柄なOを運ぶのは手間だったが、二人で力を合わせてなんとか居間の床に寝かせることができた。

 パニックを起こしそうになっているCを必死になだめ、Oについていてとお願いすると、部屋の隅に移動してKに電話をかける。今度こそすぐに出てくれよ……



……


………


「もしもし」

「K!良かった、今終わったんだけど、Oが倒れて、開けてくれたのがCさんで」

「はいはい、落ち着けって。まず誰がどういう順番でやって、今どうなってるのか。ほら、説明してみろ」


 ……またやってしまった。親友の言葉に多少気恥ずかしさを覚えつつ、できるだけ正確に、かつ端的に今までの流れを説明した。


「ほーん……なら終わってるってことだよな。まだその居間に居るのか?」

「あ、あぁ」

「中に入った順番はO→C→お前なんだよな?」

「うん」

「Oの意識はあるのか?話が聞けるかどうかだ、確認してみてくれ」


 言われてCに聞いてみると、呼吸は落ち着いているが意識は無いようだった。


「分かった。Cに電話を代わってくれ」


 首を傾げながらCさんにスマホを渡すと、短いやりとりの後すぐに自分に電話が戻る。


「お前は入って10秒数えてる間、何か見たり聞いたり、感じたりしたか?」

「?いや、特に何も……あっ」

「何でもいいぞ、言ってみろ」

「そういえば、なにかに見られてると言うか、嫌な感じがしたな。気のせいだと思ってたんだけど」

「よし、分かった。じゃあ紙と皿は教えたとおりにしてあるんだよな?改めて見てみてくれ」


 言われて机を見ると、3人分の紙と皿が目に入る。その瞬間驚きのあまり、持っていたスマホを

 落としそうになった。


 3つの内、自分とCの紙には赤い点が残るのみとなり、文字が消えている。

 それだけではない。皿の上に盛られた塩はまるで字を吸い上げたかのように薄黒く染まり、見ているだけで目眩を起こしそうになる。

 幻でも見ている気分になったが、ありのままをKに伝えた。


「お前とCか……まぁ、そうだろうな」

「ど、どうすればいいんだ?」

「そうだな……取り敢えず、さっき言ったとおりのことを守ってれば問題ないが、念の為Oは隔離したほう……鍵……着く……ッテロ……キコココココココ」

「お、おい、K?」


 急にKの声が引き伸ばされ、電子音のように変化したかと思うと通話は切れてしまった。

 自分のスマホを確認するが、バッテリーは十分にある。何度かかけ直してみるも、一向に繋がらない。

 電話での背後の音から察するに車で移動していたようだし、トンネルにでも入ってしまったのだろうか?そんなことを考えていると、スマホがKからのメッセージを受信する。


【O繧帝囈髮「縺励※骰オ縺ョ縺九°繧矩Κ螻九↓邀�繧ゅl縲よー励r莉倥¢繧阪∽ソコ縺瑚。後¥縺セ縺ァ邨カ蟇セ縺ォ髢九¢繧九↑縲�】


 ……文字化け?

 そのメッセージを見た瞬間、Kとの電話を思い出す。


【念の為Oは隔離したほう……鍵……着く……ッテロ…】


 ……これは単なる電波障害などではない、直感的にそう思った。すぐ行動に移さないと。

 そう考えCさんに話しかけようとしたまさにその瞬間。


ピンポーン


 鳴り響くチャイムの音に、3人同時に体を震わせる。


「Tくん、どうしよう……」

「大丈夫、無視しよう。それよりも」


ピンポーン ピンポーン


「……大丈夫。まずは別の部屋へ移動しよう。確か2階に鍵のかかる寝室があったはずだから、そこへ行こう」

「で、でも、Oは」

「Oは……ここへ寝かせてお……!?」


ピンポーン ピンポーン


 話している間も、チャイムは断続的に鳴らされている。だが自分が驚いたのはそのことに対してではない。

 寝ているOの体が、チャイムの音に合わせてビクン ビクンと動いているのだ。

 不気味なのは、その動きがまるで地上に打ち上がった魚のように、およそ人間の動きではないものに見えたからだ。Kが言っていたのはこれか……!?


「時間がない、行こう!」


 自分と同じ様にOを見て驚いているCさんの手を取って、2階へ駆け出す。その間も、チャイムの音は規則的に家中に鳴り響いている。

 2階の寝室へ入ると内側から鍵をかけ、先程の電話の内容をCさんに伝える。


「どういうこと……?なんでOを……」

「分からない……でも、信じて欲しい。こういったことでKは本当に頼りになるんだ。そのKが言うんだから、今はこうするのが最善だと思う」

「……分かった。あ、そういえばさっきの電話で、トイレに入ってる最中何か感じたかって聞かれたよ。Tくんも聞かれた?」

「うん、聞かれたよ。Cさんもだったんだ?」

「うん。それで……何か透明な霧?靄?みたいなのにまとわりつかれてる感覚がしたって答えたんだけど……」

「僕は何かに見られてる気がしたな」

「……何をさせられてたんだろう、私達。……これからどうなっちゃうんだろう」


 今にも泣きそうになっているCさんに当たり障りのない慰めの言葉しかかけてやれないことに不甲斐なさを覚えるが、自分も全容を把握しているわけではない。今できることは、Kが早く到着してくれることを祈るのみだ。


 2人して思い思いに身を縮こまらせながら待っていると、いつの間にか鳴り響いていたチャイムの音が聞こえなくなっていることに気付く。

 鳴らしていたのが誰かはわからないが、もしかするとKが到着してなんとかしてくれたのだろうか?

 ……いや、今はまだ警戒しておくべきだろう。隣を見るとCさんもチャイムの音に気付いたようで


「……気付いた?」

「うん、止まったね」

「これって、終わったってことなのかな?」

「いや、そうとは限らない、まだ待ってい」


……トン


「……今の音、聞こえた?」

「うん……足音だね」


…トン……トン……


「……Oだよね、やっぱり」


 明らかに、階下から何者かが階段を登ってくる音だ。誰かが侵入していない限り、Oで間違いないだろう。


「私、ちょっと見てくる!」


 立ち上がって鍵を開けようとするCを慌てて止める。


「待って、ダメだ!」

「なんで?Oだよ!」


トン……コン コン


 足音がドアの前で止まる。

 と同時に、聞こえたノック音に二人同時にドアの方に顔を向ける。


俺だよ、開けてくれ


 抑揚の無い男性の声が、ドアの向こうから響く。

 もしCがドアを開けようとするなら止めなければと思い隣のCを見ると、意外にも冷静な表情でドアを見ている。


「……本当にOなの?」


俺だよ、開けてくれ


「ねぇ、私達がどこで知り合ったか覚えてる?」


俺だよ、開けてくれ


「……私の名前、言ってみて?」


俺だよ、開けてくれ


 途中から泣きそうになるのを堪えながら話しかけるCに、改めて強い女性だと認識を新たにする。

 しかし、どうすればいいのだろう。あれから何度もKに電話をかけたのだが、一向に繋がる気配はない。さりとて何もせず耐えるというのは自分にはともかく、Oの恋人であるCさんには酷な話だろう。

 Oを騙るナニかは定型文のように、抑揚のない言葉を繰り返しているのだから。


 答えの出ない考えを巡らせていると、ふと自分の腕が握られていることに気付く。


「……どうしたの?」

「……O、何も言わなくなっちゃった」


 ……確かに、何も聞こえない。階下に戻る足音も聞こえなかったと言うから、彼が未だドアの前に居ることは確かだ。だが、一体……


ドンッ!


「うわっ!」「きゃっ!」


ドンッ!ドンッ!


 大きな音と共に目の前のドアと、室内の家具や小物が揺れるのを感じる。ドアがノックされているのではなく、もっと大きな力が加わっているようだ。


ドンッ!ドンッ!


 もし向こうに居るのがOで力任せに蹴ったり、あるいは体当たりしているのだとしたら普通のドアでは何度も保たないだろう。自分が慌てて上半身を使ってドアを押さえると、Cさんもそれに加わってくれた。だが、こんなことでいつまで保つ


ドンッ!


 っっ、予想通りかなりの力だ。これでは必死で抑えていても、あまり効果は望めない……やはりここは、Oに正気に戻ってもらうしかない!


「O!止めろよ!どうしちゃったんだよ!」

「そうだよ、私だよ!Cだよ!」

「お前は物に当たるような奴じゃないだろ!正気に戻れよ!!」


……


おおれだよ、あ、あけな、あけ、てくれ


 これは……!

 必死に戦っているのは自分たちだけではないことに気づくと、隣で一緒にドアを押さえるCと顔を見合わせて頷き合う。目を閉じて心の底から彼に関する記憶の欠片を拾い集めると、ドアを挟んだOに向かってゆっくりと話しかける。


「……なぁO、覚えてるか?学生当時、よく遅くまで一緒にゲームやってさ。勝った方が次の日購買のパンを奢るなんてやってたよね。あれさ、お前が勝ち越してたの覚えてるか?折角こうやって再会出来たんだし、またあのゲームやろうよ。今度は、俺が勝ち越すからさ」

「O……あの時ははぐらかして、ごまかしてたけど……私、どうやって返事しようか考えてたんだよ?なのにさ、結局『また今度な!』って……自分で肝心な時にキメれない奴は男じゃないなんて偉そうに言ってたじゃん!……私、ずっと待ってるから……」


 隣でさらっと重大発言が聞こえたような気がしたが、今はそれどころではない。祈るような気持ちでOの反応を待っていると、暫しの間静寂が流れる。


……


「「O?」」


ドサッ


 廊下から明らかに、人の倒れる音がする。またも二人で顔を見合わせ、その後何度か二人で話しかけて見るも、何の反応も無い。


「……どうしよう?」

「もう少し、様子を見てみよう」


 様子を見ようとは言ったものの、この後の展望があるわけでもない。だがまずは……


「Cさん、取り敢えず僕が抑えてるからそこに座ってなよ、流石に疲れたでしょ?」

「で、でも……」

「大丈夫だよ。あ、またアイツが乱暴なことしてきたら、その時は手伝ってね」

「ふふ、うん。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうね」


 精一杯の見栄を張るが、流石に自分も疲労困憊だ。立ちながらドアを押さえていたが、座ってドアに背を預ける形に変えることにした。


「それにしても、2人はそこまで進んでたんだね」

「あはは……さっきは必死だったから、つい。Oは起きたら覚えてるかな?」

「どうだろう……覚えてて欲しいの?」

「うーん……でも、またあの情けない姿を見るのも面白いかも」


 張り詰めていた緊張の糸が緩み、自分にもCにも笑顔が戻る。話題は専らOのことだったが、そのどれも彼が元に戻ることを前提としたものだった。やはり、2人の間に彼が元に戻らなかったらという恐怖があったのだろう。

 自分では背後に気を配っていたつもりだったのだが、いつの間にか会話に夢中になっていたのは自分の精神的疲労だけが原因ではない。2人共、もう限界だったのだ。


 Oが快復しないという可能性から目を背けたいという気持ちが共通していたのか、会話の内容は徐々にOとは関係ない話に逸れ始める。

 会話の内容は、Kのものだった。確かにKは信頼出来るからと言って、色々と説明せずに言うことを聞いてもらったような気がする。


 Kさんってどんな人なの?そんな問いにどう答えようか思案していた、その時。


トン……トン……


 微かな物音に、2人同時にドアの方へ振り向く。


トン……トン……


 ……誰かが、階段を登ってきている。


「……Kさんかな?」

「……分からない。鍵は、かけてあったし……」


 正直、自分もKだと思いたい。あいつが何らかの方法で問題を解決し、ご主人と話をつけ、合鍵か何かで入ってくる。家の中を探し、2階に来てみると閉まったドアの前に男性が倒れているのを見て状況を把握し『大丈夫か?』と声をかけてくる。

 こんな希望的観測に縋ってしまうほど自分は……いや、自分たちは追い詰められていた。2人の視線と聴覚はドアと足音に釘付けになっており、今か今かと解放される時を待っている。


パタ……パタ


 軽い足音が、ドアの前で止まった。


ズリ……ズリ……ギシッ


 ……何も、反応がない。


……


「……K?」


バァン!!


 いきなりドアが叩かれる音に背後から甲高い悲鳴が上がり、自分の身体も意思とは無関係に大きく跳ねる。

 マズイ、Oが起きたんだ!

 Cさんもそう思ったのか、先程同様二人で必死にドアを押さえる。Cさんも限界なのか、2人共座りながらなんとか押さえている状態だ……もう嫌だ、いつまで……


ブー ブー


 精神的疲労が頂点に達しようという時、自分のポケットにあるスマホが振動する。その瞬間疲労など無かったかのように流れるような動作でスマホを取り出し、画面に表示された名前を見て即座に応答する。


「もしもし!Kか!?今Oがドアの前に居て、入ってこようとしてるんだ!ど、どうすればいい!?」


……


 嘘だろ……そんな、まさか。


「おい!K!聞こえてないのか!おい!!」

「聞こえてるよ」聞こえてるよ

「良かった!Oが入ってこようとしてて、でもさっきは話したら気を失ったみたいで、それで!」

「あぁ、それで?」あぁ、それで?


 ……???

 何か、おかしい。スマホから聞こえる声は確かにKのものだ。だが、なにか違和感がある。

 なんだ?先程の間延びしたようなものとは違う……まるで、声が二重に聞こえているような……


 ……あの野郎!!


 すぐさま自分とドアを交互に見るCさんに手振りでドアから離れるように伝えると、鍵を開けてドアを乱暴に開く。

 するとそこには、案の定あいつがニヤケ顔でこちらを見下ろしていた。




5. 安堵



「……悪かったって……だけど、いくらなんでも……うぐぅ」


 腹を押さえて蹲る大バカを尻目に、Cと自分は壁を背に座り込んでいるOに駆け寄った。


「O!お前大丈夫だったのか!?」「O!!」

「はは……あまり、大声を出さないでくれよ……頭が、ズキズキするんだ……」


 Oが笑いながらそう言った瞬間、その顔面に平手打ちが飛んだ。


「バカ!ばかばかばか!!」

「お前……もうちょっと加減しろって」


 そう言いながらも泣きながら自分に縋り付く彼女の頭を優しく撫でるOは、まるで憑き物が落ちたような表情を浮かべていた。いや、実際憑き物が落ちたのだろうから、この表現は適切ではないかもしれないが。


 Oに目配せと手振りで自分達は部屋に入ることを伝えると、申し訳無さそうな表情と共に、片手でジェスチャーを返してくれた。

 まだ蹲っているアホを無理やり部屋に引きずっていくと、あまり音がしないようにドアを優しく閉める。

 啜り泣きだったCの声が号泣に変わったのをドア越しに聞いて、ようやく終わったのだと実感することが出来た。




「いつまでもそうやってないで、早く説明しろ」

「お前……キャラが違うだろ……」


 ……確かに、ちょっと強く殴りすぎたかもしれない、特に虚弱なKには堪えたろう。ほんの少しだけ罪悪感を覚えるが、即座にかぶりを振る。こいつにはいい薬だ。


「俺だって、めちゃくちゃ苦労したんだぞ……なのに、お前……」

「お前が悪い」

「……悪かったよ。つい、な」

「……はぁ。もういいよ。あ、Cさんには落ち着いたらちゃんと謝れよ?」

「分かってるよ。……心霊スポットだと知ってわざわざ行く奴をちょっと脅かしてやろうと思っただけさ」

「そう言われると……」

「まぁ、いいさ。この件は終いにしよう。で、今話していいのか?」

「え?」

「友達、居るんだろ?」


 確かに水を差すのがイヤで部屋に入ったが、あの二人にも当然説明が必要だろう……特にOには。

 いつの間にかCの大声は聞こえなくなっており、そろそろ落ち着いたのだろうと思われた。だが、やはり今こちらから話しかけるのも……


コンコン ガチャ


「悪い、待たせたか?」

「O!もう動いていいのか?」

「あぁ、頭痛も治まってきたしな」


 丁度いいタイミングで、Cに肩を借りたOが入ってくる。両頬が真っ赤に腫れているのは気のせいだろうか?


「えっと……Kさん、でしたっけ?起こしてくれて助かりました。俺、全然動けなくて……」

「お気になさらず。それと、呼び捨てで結構ですよ。歳もさほど変わらないでしょうから」

「私も!ありがとうございました!もう、もうダメかと……」


 再び涙ぐむCをOが優しく宥める。その様子を、Kはわざとらしく眉を顰めて見ていた。こいつの女性嫌いはいつ直るのだか。


「まぁ、取り敢えずおかけになって下さい。分かる範囲でご説明致しますので」


 ……そういえば、こいつはこういったこと絡みではこんな喋り方をするのだった。いつものだらしなさとのギャップに笑いを堪えていると流し目で睨まれたので、大人しく適当な椅子に座ることにする。


「さて。まずOさん……でよろしかったですよね。お加減はいかがですか?」

「おかげさまで、もう何とも無いですよ!気がついたらいつの間にかそこの廊下に倒れてて、頭が割れるように痛むし身体は動かないしでどうしようかって時にあんたが来てくれて」


パチンッ!


「バカ!命の恩人かもしれない人になんて口の利き方してるのよ!すいません、こいつ昔っからガサツで」

「大丈夫ですよ、Cさんもどうぞ楽になさってください」

「ありがとうございます……ほら、Oも!」

「ってぇなぁ……ありがとうございます。で、えーっと?そうそう、動けずに居たらあんたが来てくれて、背中を擦ってくれたら急に楽になったんで、肩を貸してもらってなんとか壁にもたれかかったって感じです」

「そうですか。倒れる前、最後に覚えていることはなんですか?」

「最後?うーーん……あっ」

「?」


 あっと言ったきり、俯いてしまったOに3人共首を傾げる。

 ……あぁ、なるほど。しかし、これは言及して良いものか……Cさえ気づかなければOと自分が黙っていれば済む話だ。だが、もし記憶があるかどうかが重要なことだったら……


「……あっ、あぁそうそう!Tが学生時代一緒にゲームしたよなって話をしてた気がする!そうだよな!?」


 おっと、そう来たか。


「そうだよ!良かった、ちゃんと聞こえてたんだね」

「いやー懐かしいよな、購買のフルーツサンドすぐ売り切れちゃってさぁ!」


 話しながら気づかれないようにCの方を見ると、彼女もやっと気付いたのか顔を赤くして俯いている。どうやらこの流れで正解だったようだ。Oの顔が赤いのは、真っ赤に張り付いた手形でごまかせているし。


「なるほど……では友人の呼びかけで戻れた、と……うーん?まぁ、いいでしょう。ありがとうございました」

「いやいや。それで、えーっと……」

「大丈夫、順番にご説明しますよ。まず貴方がたを迎え入れてくれたここの管理人さんですが、やはりある程度の事情を知っていたようでして、彼からの伝言があります。

『本当にすまなかった。いくら詫びても足りないが、せめてもの償いをさせて欲しいので、落ち着いたら連絡をして欲しい。出来る限りのことはさせてもらう』

 だそうです。彼を責めるかは、まず私の話を聞いてからにして下さい」


 そう言って、Kはここに到着してからの経緯を話しだした。

 彼の話は聞き慣れていたがいつもとは違う口調だということもあり、いつしか時が立つのも忘れて聞き入っていたのだった。





6. 過去


 そもそもこの建物はおよそ70年ほど前に建てられ、当時はただの民家だったという。

 ここのご主人(Wさんというらしい)が生まれた時には既に民宿茶奉荘として運用されており、生家は少し離れたところにあるようだ。

 Wさんが生まれた当時は家の周囲にも同じような民家があったようだが、高度経済成長期の宅地開発に巻き込まれ次々と立ち退いていったという。

 この家も当然立ち退きの対象になっていたようだが、Wさんの祖父からの遺言でこの家は決して手放してはならない。また、W家の人間が住んでもならないと言われており、当時家督を継いでいたWさんの父が頑として首を縦に振らなかったのだという。

 結果凄惨な嫌がらせが行われ、なんと放火まであったという。しかしこの家はその全てから奇跡的に生き延び、放火しようとした所謂地上げ屋には不幸があったなどという噂までWさんは聞いていた。


 細々と、だが知る人ぞ知る名宿として運営が続けられていた茶奉荘だが、十数年前にWさんの父が不幸な事故で急逝してしまう。

 生前、元々持病持ちだったWさんの父から『自分が死んだら手続き等に必要なものは全て金庫にしまってある』と聞いていたWさんが金庫を開けると、そこには茶奉荘に関する信じがたい遺言が残されていたという。曰く


 ・茶奉荘の宣伝は過度に行ってはならない。だが客足が途絶えることもあってはならない。年に最低でも5人は利用させること。

 ・裏手にある監視カメラは毎月必ず動作を確認すること。

 ・宿泊客とは必ず直に接し、人柄を見極めること。その中に乱暴だったり横柄だったり、性格に難のある人間が居れば、森への散策を勧めること。

 ・もし宿泊客が森の中に入っていけば、戻ってから頃合いを見計らって電話をかけること。この場合、森の中でなにか見かけなかったかを聞き、お囲い石を見たものが居れば詳しく話を聞く。

 もし粗雑な振る舞いをしているようなら〓〓様に奉じるため―――――――――――の用意をし、当事者に飲ませること。その後は他の人間と数分でも引き離しておけば、事は済む。

 あるいは、あちらから連絡してくる場合も多い。その時も―――――――――――の用意をするが、多くはその必要もなく事が終わっている。だが稀に家族や恋人が宿泊客に居た場合、〓〓様が一緒にお連れになろうとすることがあるので、念の為1時間ほど待ってから向かうのが良い。

 ・奉じられた人への敬意を忘れぬため、必ず名前を〓に明記すること。

 ・一人でも奉じることができたら、その後丸一年は無理に営業しなくともよい。



 ……信じられないことに、そこに書かれていたのは連綿と受け継がれてきた生贄の歴史だったのだ。

 Wさんも読み進めている内にこんな風習は自分の代で断つと決意したらしいのだが、文の最後に


 ・以上が守られなければW家は断絶し、この地域にも〓〓様が―――――


 最後の文字は上から乱雑に塗りつぶされていて、判然としなかったという。

 だがWさんからしてみれば、前半だけでも忌まわしき風習を続ける理由としては十分だったろう。




「じゃ、じゃあ管理人さん……Wさんは、俺を生贄に?」

「結果的に見れば、そうなりますね」

「そんな……」

「……でも、やらなきゃ自分が殺されるって、脅されてたんだもんな……」


 隣で話を聞いていたOが珍しくしんみりと独りごちている、無理もない。


「……話を聞いた限り、定期的に生贄を捧げないとそのなんとか様が怒る?かなにかして、災いが起きるって解釈で、いいんでしょうか……」

「そうですね。正確にはそうでした、ですが」

「「「え?」」」


 Kの発言に3人共同じ顔、同じ反応をしてしまう。こいつ、いつの間に……


「お前、いつの間にそこまでやったんだよ?お前んちからここまでだいぶかかる筈だろ?それに、そもそもどうやってここまで」

「あー、そういうのはいいから。まずは当事者であるOさん、それにその恋人であるCさんに話しておくことがあります。あぁ、そう身構えないで下さい、本当にもう終わったことです。ですが当事者であるお二人には、まずお話したほうが良いことかと思いまして」


 確かに、まずはOの身に何が起きたのかが重要……あれ?自分だって急な吐き気で大変な思いをしたと伝えたはずなのだが……?


「話と言っても単純な経緯です。まずこの地域、正確にはこの建物の裏手にある森を進んだ先にある山。この山は古くは霊山として崇められており、どうやらなにがしかの神を祀る目的で祠や祭殿なども建てられていたようです。

 ところが近代に入るとそのような慣習は廃れ、失われていく一方だった。更に以前この周囲に人は殆ど住んで居ませんでしたが、それも近代に入り加速度的に増えていった。神様からすれば、面白くないでしょうね」

「それで、和魂が荒魂に?」

「おや、よくご存知ですね。そういうことだと思います。

 私が調べた文献によれば、過去この地で起きていた災厄を鎮めた高名な僧がいるらしいのですが、その方法がどうやら人身御供だったようです。その管理を任されたのが、Wさんのご先祖だったのかもしれません。そして歳月による変遷で、民宿に外部の人間を招くようになった」

「でも……どうしてOが選ばれたんでしょう?やっぱり、あの石積みを崩したのがいけなかったんでしょうか?」

「それが一番の理由でしょうね。あの石積みをWさんはお囲い石と呼んでいましたが、恐らく結界の用途を担っていたのでしょう」

「でも結界が破られただけなら、破った本人でなくても良かったのでは?」

「疑問は最もです。ここからは仮説になりますが、あの民宿には様々な像が建物の周りを囲んでいましたよね?Oさんはもしかして、これらの像にもなにか罰当たりなことをしませんでしたか?」

「「「あっ」」」

「思い当たる節があるようですね。あれらは恐らく万が一の時の安全弁であると同時に、生贄を選定する監視役だったのかもしれません」

「……つまり、どうせ生贄にするなら無礼な奴を、と?」

「えぇ。それに、聞けばTさんが建物に入る前視線を感じていたとか。結界もあの建物にだけは移動できるように作られていましたし、ひょっとすると神様はあの建物にずっと居たのかもしれませんよ」

「……そういえば、写真を撮ってもらった時、声が1人分多かったような」

「えぇ!?お前そういうのは早く言えよ!」

「いや、だって気のせいだと思うだろ?」

「まぁまぁ。とにかくそんなわけでOさんが選ばれ、Oさんの潜在意識、あるいは恋人同士を引き離すことに抵抗を感じた神様が、OさんだけではなくCさんも連れて行こうとした、というのが真相ではないでしょうか」

「「なるほど……」」


 隣で二人が神妙な顔で頷いている。だが自分にはまだ聞いておきたいことがあった。


「なぁ、あの」

「ところでいきなりの提案で恐縮なのですが、私もこの宿に泊めて頂くことは出来ないでしょうか?なにせ知り合いの車で送ってもらったのですが、その知り合いは帰ってしまったので……」

「勿論いいですよ!命の恩人なんですから、な?」

「はい、私も大丈夫です。Tくんは?」


 こいつ……この空気で断れるわけが無いだろう。

 ……まぁ、別に断る気も無かったが。


「僕も、大丈夫です」

「ありがとうございます。いやぁ、断られたらどうしようかとヒヤヒヤしましたよ。あぁ、それと今回の宿泊料は無料でいいそうです。ほんの償いで、本命は是非別に考えてくれとWさんは仰っていましたが」


 こうして、怒涛の数時間は幕を下ろした。

 OとCは2階の寝室を、自分とKは1階の客間を使うこととなり、入浴等を済ませた後Oから4人で是非歓談をと誘われたのだが、Kが皆さんお疲れのようですし、明日にしませんか?と言うと、Oは笑顔で引き下がった。

 時刻はいつの間にか0時を回っており、自分も先程の疲れが出たのか気を抜けば一瞬で意識を持っていかれそうだ。だが、どうしても気になることがいくつかある。

 客間の押し入れから布団を出し、枕を並べる形で敷いて有無を言わさず質問する環境を整えると、何も言わずKが布団へ倒れ込む。


「おい、僕がこの後なんて言うか分かってるだろ?」

「分かってるけど……明日でいいだろ?マジで今回は疲れたんだって……」

「一つくらいならいいだろ?ってかお前、どうやってここまで来たんだよ?」

「Sさんに乗せてもらったんだよ……嫌な顔ひとつせず引き受けてくれて……ほんとに……」


 そう言ったきり、Kは寝息を立て始めてしまった。基本夜型の、それも寝付きの悪いこいつがこんなにスッと寝るところは初めて見る。

 もしかすると、本当に危ない橋を渡らせてしまったのだろうか?奴に布団をきちんと被せてやると、なるべく音を立てないように自分も布団に入り、電気を消す。

 ……全く、なんて一日だ。



幕間


 多くの人々が、自分を拝んでいる。色々な年齢の人がいるが、子供は居ない。

 あたりを見回すと、夜の屋外のようだ。見上げる空には星々が煌めき、手を伸ばせば掬い取れそうな気さえして手を伸ばす。伸ばした手は空を掴むが、確かに何かを掴んだ。……何を?

 人々の持つ松明と左右に立つ燭台に照らされた木々は風に靡くばかりで、辺りに転がる巨岩も相まって自然の雄大さ、人間の無力さを物語っているかのようだ。

 それに比べれば辺りを飾る壷だの旗だの、二本掛けに置かれた飾り太刀だの、自分が着せられている立派な着物でさえ、何ほどの価値があるのだろう。そんなものより、自分が座す悠久の時を風雨に晒されてきた一際大きい巨岩の方が、遥かに美しい。


 ……背後から、音が聞こえる。眼下に平伏す人々はしきりに何かを口にしているようだが、不思議と何も聞こえない。であるのに、背後から聞こえる清流の音だけははっきりと感じ取ることが出来た。

 振り向かずとも分かるその川の雄大さ、歴史、侵してはならない威厳に、まるで自分はこれから素晴らしいことをするのだという気にさえ……

 あぁ、そうか。


 相変わらず人の声は聞こえないが、気配は感じる。

 面を被った大人が近づいてくると、優しく自分の頭を掴んでお辞儀をさせようとする。声は聞こえないが、謝っていることだけは伝わってくる。不意に、自分の頬に涙が流れた。

 分かっているのだ、これはお辞儀ではない。

 これは――




7. 奮闘


 ……夢を見たような、気がする。覚えているのは、水しぶきのような音だけだ。

 他には何も思い出せないが、恐らくは悪夢だったのだろう。嫌な汗にシャツが張り付き、気持ち悪いったらない。仕方ない、まずはシャワーを……


 瞬間、遅まきながらそれどころではないことを思い出す。隣の布団を見てから慌てて部屋を出る。声は、どうやら隣の居間から聞こえているようだ。


ガラッ


「お、おはようさん。何だよ、ひでぇ顔だな。まずは顔洗ってこいよ!」

「うんうん、まだ雑談してただけだから大丈夫だよ」

「……ごめん、そうするよ」


 何を慌てていたのだろうと若干恥ずかしくなりつつ、シャワーを浴びることを伝え部屋を出る。

 一旦着替えを取りに客間に戻った後、改めて脱衣所に行き服を脱いでいると下着までぐっしょりと濡れているのが分かった。余程の悪夢だったのだろうか?ここまで汗っかきではないのだが。


 熱いシャワーで心までさっぱりすると、当然の懸念が今更のように湧いてきた。

 ……あいつ、あの二人と上手く話せているんだろうか?


「それでさぁ……お、戻ってきた」

「改めておはようTくん、よく眠れた?」

「おはよう。うん、ちゃんと寝れたよ」

「よかった!昨日はほんとに大変だったもんね……」

「らしいよな、俺はお前が吐いた時に一番やばいと思ったけど……」

「バカ!あんたのせいでこっちはもっと大変だったんだからね!」

「ははは……どうも、そうらしいな」


 そう言って申し訳無さそうに頭を掻くOにお前が悪いわけじゃないから気にするなよと声をかけ、年寄りみたいに茶を啜っているKに話を振る。


「そういえば、今回の件でまだいくつか気になってることがあるんだ。OもCさんも何かあるんじゃないか?」

「んー?確か俺に神様だかなんだかが乗り移って、俺ごとCを連れて行こうとしてたって話だったよな?」

「本人が一番気楽に受け止めてるのはどうなのよ……」

「覚えてないもんはしょうがないだろ。で、Tは何が気になるんだ?」

「うーん、例えば裏の森で僕が吐いちゃった理由とか。あの時石積みをくずしちゃったのはOだったけど、何で僕が?」


 Kに視線を向けると、後の二人もそれに倣う。流石のこいつも、これなら話さざるを得まい。


「……まず、大前提として確かなことは何も分かりません。殆ど全て推測の話になってしまいます。それでもよろしいですか?」


 3人がほぼ同時に頷く。目の前のKは若干嫌そうな顔をしたが、これでもう逃げ場はなくなっただろう。


「まず貴方達が見たケルンのような石積みを、Wさんはお囲い石と呼んでいました。私も実際に見に行きましたが、あれは昨日もお話した通り結界の役を果たしていたと見て間違いないと思います。神様、あるいはその力の一部をあの山で堂々巡りさせるための。

 しかし、お囲い石には一つだけ外部へ移動できるものがありました。行き先はこれもお話しましたね。そう、この家です。

 どういう意図でそうされていたのかは分かりません。石積みが崩されずとも生贄を連れていけるようになのか、はたまたこの家に遊びにでも来ていたのか……いえ、これは私の勝手な予想ですが。

 話を戻してTさんが吐いてしまった理由ですが、森の中を循環していた力が乱された結果行き場を失った力がTさんに纏わりついた、とでも言えばいいでしょうか。意図的なものではなく、ただ不運だったということだと思います」


 ……全く、この体質のお陰で損をしたのはこれで何度目だろう?僕より遥かに多いだろうKの前では、流石に言う気になれないが。


「そういえば、Tさんは自身の体質に関して、お二方に説明などは?」

「えーっと……」

「あー、そういやTがやばくなって帰った時、そんな話をしてたよな」

「視えちゃって引き寄せちゃう、みたいなこと言ってたよね」

「なるほど、では隠さずとも良さそうですね。彼はお囲い石を発見した時、まるでその場だけ光が差し込んでいるように見えたと言っていました。これは彼が何らかの干渉を受けていた証左だと思われます。ただ、お囲い石を発見してどうして欲しかったのかまでは分かりません。あそこから解放されたいというわけでは無かったようですが」

「??なんで分かるんだよ」

「……あっ」


 自分の発言と、Kのしまったという顔にOとCは顔を見合わせている。こいつ、やっぱり全部話す気は無かったな。


「聞きたかったんだけど、結局お前がやってくれたことって何なんだ?トイレに入って紙とか塩とかやらされたり……僕は兎も角、二人には説明してやるのが道理だろ」

「……そうですね、分かりました。少し長くなってしまいますが、よろしいですか?」


 そう言って、Kはここへやってくる前からのことを話し始めた。

 ……本当に、こいつに頼んで正解だった。後で礼を言わないとな。




「じいちゃんあれどこにあったっけ、前じいちゃんが読んでた緑の本」

「倉庫にあんべ。なによ?」

「ん、ちょっとあいつが助けてーってさ。色々持ってくけど良いよな?」

「おお。どんなだ?」

「んー。多分迷い神っぽいんだよね、話しつけてみようかなって」

「どの辺だ?」

「x山を越えてn市の西部だって。どうも霊山っぽいのがあるみたいだけど」

「あー、なんかあったなぁ、まぁ大丈夫だべ」

「よし、じゃ行ってくるわ。多分泊まりになるから」

「きーつけてな」


……


「すいません。寄り道までしていただいて、本当にありがとうございました。今は急ぐので、また今度お礼に伺います」

「いいからいいから。ほら、早く行ってあげて。帰りは大丈夫なの?」

「はい、件の民宿に泊めて貰う予定です」

「そっか。じゃあ気を付けてね」


……


「それではその〓〓様がどういうものか、また選ばれた方がどうなるかまでは分からないということですよね?」

「はい……申し訳、ありません。わた、私はどうすれば……」

「ご安心下さい、私は別に何もしませんし、このことを広めたりもしません。上手くいけば、このまま民宿を続けていけると思いますよ」

「え?し、しかし……」

「上手くいけば、です。Wさんも上手くいくよう祈っておいてくれると助かります。私も最善を尽くしますので」

「あぁ、そうそう。もし上手くいけば、Wさんにはやって貰わねばならないことがあります。少々面倒をかけることになりますが、構いませんか?」

「……勿論です。もしほんの少しでも罪滅ぼしになるのなら、どんな苦労も厭いません。そうだ、もしこの後彼らに会うようでしたら、伝言をお願いしたいのですが……」

「勿論、構いませんよ。ですがその前に、建物の合鍵を貸して頂けませんか?」


……


 何で俺がこんな暗い中、知らない場所の知らない森に入らないといけないんだよ……

 えーっと、少し歩いて向かって左だったよな……ああ、ヘンゼルとグレーテルみたいだな、草が倒れてる。この先だろう。

 ……お、これだな。で、こっからちょっと右の……あれか。

 あーっと?確かこの本に……っだぁもう、見えねぇよ!えーっと?右上ににょろにょろ、きざな顔に手を広げながら足を交差……うわ。

 周囲に円、これは矢印……?んーー、まぁ多分……はぁ。

 で、えーーーっと、多分あっち……こっわ、行きたくねぇなぁ……


ザッザッ ガサガサ バキ ボキ


ザク ザク ザッザッ コツコツ ガラガラ


 ……あー、ひどいな。これは……

 ……ふぅ、よし。


パンッ パンッ


 布瑠部由良由良 由良由良止布瑠部

 恐み畏み奉る 逆祀る


バシャッ バシャッ


 〓〓は〓〓の裔、〓〓が参りました

 仰ぎ見るは大神の御前に、〓〓が参りました

 謹んで御言の葉をお聞かせ下さい

 布瑠部由良由良 由良由良止布瑠部


ジャボジャボジャボ


 …

 ……


(ふむ。ひょっとすると分け御魂か?ならあっちが本命……?だが、これでは動きようが)


ピチョン


 !


 布瑠部由良由良 由良由良止布瑠部

 布瑠部由良由良 由良由良止布瑠部


ピチョン チャプンッ



誰だ?


 誰でもありません、旅の者にて。


旅の?僕はこれから夕餉なんだ。だが、このササは美味かった。終わるまで待っていろ、色々と話を聞いてみたい。


 謹んで。今宵の御膳は何を?


あぁ、いいぞ、僕は機嫌がいい。今日は久々に男だ。それに番も居るらしい、久方ぶりに楽しみだ。

それにこのような美味いササがあるとな。本当に愉快だ。そうだ、貴様も供をするか?


 拝辞仕ります。ですが今日は大安吉日にて、別の供物ではいかがでしょう?先程の神酒もまだございます故。


別の?よい、僕はアレにすると決めた。何しろ数年振りだ、待てぬ


 お待ち頂くには及びません。これなど如何でしょう?


カチャ


これは? ……おぉ、おお!


チャポンッ


なんと……このような……


 お気に召されましたか。


足りぬ。臭うぞ、ありったけ寄越すが良い


ドポンッ


……


あぁ、美味しかった。……あれ、さっきの人は?


 今は居ないよ。君の名前は?


……分かんない。


 そっか。君が最後に会った人は?


えっと……良くわかんない。でも、凄く怒ってた。


 そうなんだね。……お父さんとお母さんに会いたい?


うん!……でも、怒られないかな?


 どうして?


だって僕、言いつけを守らなかったんだ。あの川には入るなって言われてたのに、遊んじゃって……それで、村の人に見つかって、それで……


 大丈夫。きっとお父さんもお母さんも君が帰ってくるのをずっと待ってるよ。


……ほんと?


 勿論。早く帰って、安心させてあげなきゃね。


うん、そうする!おじさんは?


 僕はね、〓〓って言うんだ。


分かった!じゃあ〓〓さんばいばい、おもち美味しかったよ!


……


チャプン


う、む。少し眠っておったか?


 左様なことは。それより、お加減はいかがです?


む? ……おぉ、何だか体が軽いの。貴様何をした?陰陽師か?


 滅相もありません。ただ旅の者にて。もしよろしければ、先程の供物を今後も召し上がりますか。


何?願ってもない。あのような甘味、忘れようとて忘れられんわ。むしろあれを寄越さぬのであれば、貴様を食ろうてやるところぞ


 畏まりました。万事整っております。神酒についても同様手配いたしますが、そこは貴方様がたの機嫌次第、此度のものを毎度お届けすることは難しきこ


ならぬ。同様にせよ。儂がこの地におらねばどうなるか、察しはついているのであろう?


 ……仰せのままに。


よい。じゃがゆめ忘れるな。約定を違えばこの地を一飲みにした後、真っ先に貴様の髄を頂くぞ、〓〓の息子よ


 ……


ではな


チャポンッ




 すぅぅぅぅぅ……はぁ、帰るか。


 ……無理だ、動けん。

 まぁ、ここなら逆に何もこないだろ……少し、休んでから行こう。




8. 日常


 Kの話が終わった後の部屋は冷房も付けていないのにどこか薄ら寒く、だがどこかホッとしたような、弛緩した空気が流れていた。


 信じられない、だが自分の身に起こったことは事実だしと戸惑うO。

 話を必死に整理しようと難しい顔をしているC。

 そして、申し訳無さと後悔でいっぱいな自分。


「……つまり、お前が神様を話し合いで説き伏せて、何かお供え物を捧げることで手を打たせた、ってことか?」

「要約すると、そういうことになりますね」

「……信じらんねぇけど、実際俺がしたことを聞いちゃったらなぁ……」

「うん、トイレに入った時の嫌な感じとか……あっ、結局あれってなんだったんですか?紙咥えてお皿持ってってやつ!」

「おぉ、そういえばやったな」

「あー……あれはですね、皆さんの中の誰が選ばれる、あるいは選ばれてしまったのかを確認するためにやってもらったものです」

「成程。で結果が分かる前に俺が倒れちまったわけだ」

「そうなりますね」

「待てよ、儀式の目的は分かったけど、内容を詳しく知りたいな」

「まぁ、気にはなるよな。言っちゃなんだけど変な儀式だったし」

「私も知りたいです」


 ……計画通り。


「……分かりました。儀式と呼ぶには大げさですが、仮に儀式と呼びましょう。あの儀式の目的はお話した通り、神様の標的を見分ける為のものでした。詳しくご説明しますが、お気を悪くされるかもしれないので、先に謝っておきます。

 まず紙に書いていただいたのは悪しきもの、邪なものを呼び寄せるための文字です。それにご自身の血を加えることで、より明確に本人に寄せることができる。水場を選んだのも、そういったものが好んで寄り付きやすいからです。扉の開閉を本人以外にお願いしたのは、役割を明確にすることで儀式の手順がより守られやすくなるからで、深い意味はありません。

 持っていただいた塩は悪しきものが実際に寄り付いたのかを判別する為と、ご本人を守るためです。悪しきものが寄ってきたのに、無防備ではいけませんから。利き手ではない方に持っていただいたのは、人は利き手でない側を無意識に警戒するからです。電車で右利きの人が空いている席に座る時、つい左を壁にして座ることがありませんか?そんな風に無意識の警戒を塩に向けさせることで、より防護性を高められるというわけです。

 何も持ってない腕を握っていただいたのは、意外と掌はそういったものに無防備なのです。咥えた紙はそういったものを引き寄せますが、近くに引き寄せるだけで進入路にはならないように作ってあります。塩を持った手は当然として、下半身は自分の中でも強い部分、気を付けないといけない部分だという認識が無意識下にあるので、まず大丈夫でしょう。

 そして、儀式が終わってしばらくすれば悪しきものが寄り付いた人の持っていた塩には何らかの反応があり、そうでない人のそれには何も起きない。これで、選定は完了というわけです」


 説明の途中でOはおーとかなるほどなぁと相槌を打っており、Cは頷きつつ自分の中で思い出しながら整理しているようだ。だが、これではまだ足りない。


「待てよ。反応があったのは僕とCさんの塩だったぞ?なのに、倒れたのはOだ。それに電話で僕とCさんに儀式中何かあったかを聞いてきたけど、何かあったと答えたのも僕とCさんだ。……まぁ、その時既にOは倒れてたけどさ」

「ん、そうなのか?だったらおかしいな……」

「確かに……Oが私とTくんの身代わりになってくれたとか?」

「おぉ!それなら俺良くやった!」

「バカ!冗談言ってる場合じゃないでしょ!」

「お前が振ってきたんだろ……」

「ご説明します。まず、確かに私は悪しきものが寄ってきた人の塩が反応するのを見て選定ができる、と言いました。しかし、塩が反応した人が対象者とは言っていません」

「?????」

「……なるほど!」

「えっ、お前分かったのか?」

「むしろなんであんたは分からないのよ。Tくんは分かったよね?」

「え?……も、勿論!」


プッ


「ん?今誰か笑ったか?」

「空耳でしょう。それよりCさん、何か分かったんですか?」

「多分ですけど……」

「ほう。是非お聞かせ頂けませんか?」

「は、はい。まずKさんはTくんの説明を聞いた時、原因が神様か何かだと思ったんだと思います。お二人は付き合いが長いみたいですし。だから、悪いものを寄せて、寄り付かなかった人、つまり塩に反応がなかった人が狙われてる人だと分かる、みたいなことなんじゃないかと」

「……感服しました、素晴らしいご慧眼をお持ちですね、その通りです」


 ……なるほどなぁ。


「一応補足しておくと、CさんもTさんも特に障りがあるようには思えないので、ご安心下さい」

「ってなると、これで大団円ってわけだ」

「はぁ……ほんと、一時はどうなることかと」

「本当にね。Oがドアを叩いてるときなんて、生きてる心地がしなかったよ」

「だから悪かったって」




 こうして、今回の事件は幕を下ろすことになった。

 帰り際にWさんに電話すると、慌てて茶奉荘まで改めて謝罪をしに来てくれた。自分に何かできることはないかと最後まで食い下がられたが、結局宿泊代と、それぞれへ飲み物を1本ごちそうになるというのが落とし所となった。

 捧げ物はWさんが管理するということになり、地元のコミュニティで継承していくようだ。もし何かあればKが相談に乗るという話になっているようだが、先程の話を聞いた通り他人事ではないからだろう。

 別れ際、Wさんは現像した写真を3枚渡してくれた。よくよく見ると、自分の隣に小さい子供のような白い靄のようなものが揺蕩っているのが視えた。二人には何も視えていないようなので、大丈夫だろう。


 何度もお辞儀するWさんに各々思い思いの挨拶を返すと、Tの車を止めた駐車場まで4人で歩き出す。

 ……しかし、凄い体験だった。

 自分が吐いてからKが来るまでの間は、まるでB級のパニックホラーのようだった。加えてあのトイレで行った不思議な儀式。

 全く、過ぎてみれば面白かったと言えてしまうのが人間の、いや、怪談好きな人間の性なのだろうか?

 そんなことを考えながら横を振り向くと、隣りに居たはずのKが居ない。後ろを振り向くと、何やら茶奉荘の方を向いて立ち止まっている。


「おーい、置いてっちゃうぞ」

「………… あぁ。すまんすまん」

「そういえば、Kはあの建物をちゃんと見たこと無かったもんな」

「Kさん的にはどうですか?私達は結構好きだなぁって意見だったんですけど」

「私も同意見ですね。素朴で、温かみがあって。それに噂にある心霊現象は今後も続くでしょうから、その手の人が途絶えることは無いんじゃないでしょうか」

「え?だって、神様とは話を付けたんじゃ?」

「はい。ただそれは犠牲者を出さない、というだけのものです。今後もあの神様は茶奉荘には自由に入れる状態なので、ひょっとすると宿泊客を驚かせるくらいはやるかもしれませんよ」

「……ならさぁ、今度また皆で」

「バカ!あんっったは本当に……」

「ははは、でも面白いかもね。今度はKも誘って4人でさ」

「いえ、私は遠慮しておきます。それにOさん。貴方は何とも無かったとはいえ、あの神様と縁が結ばれてしまいました。神様が約束を破るとは思えませんが、注意するにしくはありませんよ」

「ええっ、そうなのか……がーん」


 Oが大げさに肩を落としてみせると、丁度駐車場への曲がり角まで来ていた。

 もうすぐですよとのCさんの声に返答すると、またKが若干後ろで振り返っている。OとCにちょっと待っててと声をかけ、やつの下へ向かう。


「どうした?まだ気になることでもあるのか?」

「ん?……んー。あるっちゃ、あるかな」

「なんだよ、気になるだろ」

「まぁいいだろ。どうせこの後家に来るだろ?」

「……まぁ?」


 二人で笑い合うと、改めてOの車まで向かう。

 ここから見上げても茶奉荘は見えないが、裏の山は一部だが望むことが出来る。

 ……なんとなく、今朝見た夢はあの山で行われていたことだという確信が湧いてきた。

 内容はやはり思い出せないが……何か、悲しい内容だったような。

 考えている内に知らず涙が頬を伝っていたらしく、二人から心配されてしまった。

 涙を拭って何でもないよと言い車に乗り込むと、Kも後に続く。


 車内では懲りもせず心霊関係の話になったが、Kは真面目な話をする気はないようでのらりくらりと躱していた。

 帰ったらKに何を聞こう?そんなことを考えている内、抗えない睡魔の気配を感じたので一つだけ覚えていたことをKに聞いてみた。


「ねえ、2人は玄関にかわいい白い花があったの覚えてる?」

「んー?」

「あぁ、あのスズランみたいな」

「そうそう。Kの庭で見たことあったような気がしたんだけど」

「あぁ、あれならスズランではなくアセビですね。意味を知っていてご主人が活けていたのでしょう」

「「「意味?」」」

「えぇ。アセビには毒がありまして、アセボトキシンでしたか?過剰に摂取すれば呼吸困難等で死に至るようなもので、うまく使えば大の大人を麻痺させるくらいは簡単な代物ですよ」

「……そう聞くと、意味深だよな」

「ね。生贄にする人をそれで、みたいな……」

「ですが、それなら民宿内に置いておく必要はないでしょうし、理由はもう一つの方でしょうね」

「勿体ぶるなよ、理由って?」

「花言葉って聞いたことありませんか?」

「聞いたことあるけど、全くわかんねぇや」

「私もほとんど知らないなぁ……」

「……僕も。で、アセビの花言葉って?」

「……犠牲 献身 清純な心 危険 そして」

「「「……そして?」」」




「あなたと二人で旅をしましょう」

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